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10 違う、そうじゃない

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 曲が変わってファーストダンスも終わると、アビゲイルはヴィクターと両親の元へ戻ってきた。
 
 その後、家族で皇帝陛下御一家に挨拶をしに行く。
 アビゲイルは過去の自分の振舞いに後ろめたくて、顔を上げることができなかった。あれだけのあばずれた噂、皇帝ご一家でさえ周知のことだろうと思うと恐れ多すぎて会わせる顔が無かったが、侯爵という父の肩書ゆえ、欠席とはいかなかったのだ。
 
 だが、皇帝オーガスタ陛下は、アビゲイルの過去の振舞いを一切話題にはせず、今回シズ侯爵の麻薬乱交サロン摘発の功労者としてのアビゲイルを讃えてくれたのだ。
 ひと月前にもらった感謝状だけでも恐れ多いのに、皇帝じきじきに言葉を貰って、涙が滲んでさらに顔を上げられなくなってしまった。
 
 挨拶回りに忙しい皇帝一家との会話はとても短く終わったが、アビゲイルにとってはとても長くて、でも心が温まるような時間だと思った。
 
 
 
 
 父と母が、他の貴族たちに挨拶へと行ってしまい、ダンスフロアの周りの席付近に残されたアビゲイルとヴィクター姉弟だが、二人の周りにはすぐに令嬢たちや令息たちが集まってきてしまった。
 
「ヴィクター様、次は私と踊ってくださいませんこと」
「アビゲイル姫、弟君には負けますが、次は私と」

 ファーストダンスをエスコート相手と踊り終えたら、あとは各々好きな相手を選んでダンスしても大丈夫だ。
 
 アビゲイルはドリンクを運んできた給仕からフルートグラスを一つ手にすると、ヴィクターに向かってニコリと微笑んだ。
 
「踊っていらっしゃい、ヴィクター」
「……姉上以外の方とでは、うまく踊れません」
「そんなことないわ。大丈夫よ、自信を持って」
「……姉上は、平気、なのですか」
「あたし? 何を心配してるの、あちらにお父様もお母さまもいるし、大丈夫よ」
「そ、そうではなくて……」

 何やら言い淀むヴィクターに首を傾げていると、ヴィクターと踊りたい令嬢たちがわあっと集まってきて、アビゲイルは押されるようにして弟と距離ができる。
 
 途方に暮れたような表情のヴィクターがこちらを見ているが、アビゲイルが元気づけるように思わずサムズアップをして見せると、きょとんとした表情になってから、おずおずとサムズアップを返してくれた。顔は固いが。
 
 そのあとヴィクターは何人もいる令嬢たちの中から一人の手を取ってダンスフロアへと出ていく。
 
 こらこら、しぶしぶといった表情をするんじゃない。
 っていうか、サムズアップって、この世界にはないアクションだったな。思わずやっちゃったけど、ヴィクターも多分よくわかって無かったんじゃないかな……。
 
 ヴィクターはあんなふうに心配げにしてたけれど、令嬢と踊る彼のステップは完璧だと思う。
 そういえば、母ニーナがヴィクターと一緒に出た舞踏会で母子で一緒に踊ったら物凄く上手だったと褒めていたのを思い出す。
 そのあとの「アビーのダンス狂いもたまには役にたつのね」と余計なことを言っていた母だったが。ダンス狂いってなんだこのやろうと思ったのは秘密だ。
 
 周りからもヴィクターのステップに感嘆のため息が聞こえてきた。ほらね、弟のダンスは完璧だ。

 
 さて、少し水分補給してから、あの西辺境伯閣下を探しに行かないと。
 
 そう思ったアビゲイルは、もし彼に会えたらどう話しかけようかと頭の中でシミュレーションしていた。
 
 前世を思い出す前まで馬鹿丸出しの放蕩娘であった過去の自分では真面目に考えもしなかった「目上の人に話しかけるきっかけとタイミング」。
 
 相手は辺境伯、伯爵位といえど立場的には自分たちより上の位にいる御仁、絶対に失礼があってはならないのだ。
 
 あの出会った日は個人宅でのパーティで半分無礼講のようなものだったから、あんなふうにすぐ話しかけられたけれども、今日は皇帝陛下主催の建国記念の舞踏会だから、あの時のようにはいかない、というよりあってはならない。
 
 誠意と、敬意をもって接しなければ。
 それにもちろん、目上の人であるから、向こうから話しかけてくるならまだしも、こちらから用があるのであれば、相手の従者の方にきちんとアポイントを取らなければ失礼にあたるのだ。
 
 それはこの世界では常識。もちろん前世でのビジネスシーンでも常識だったが、そういえば、
 
『○○様ぁ~。お久しぶりですぅ~』

 などと語尾にハートマークが十個はつきそうな猫なで声で、無礼にも従者を通さずに話しかけていた、空気読まないというか、壊滅的なまでに読めない女が過去に居たなあと思い出す。
 全く、誰やのよ。

「(それ、あたしだよ!)」

 と、過去の自分の振舞いを思い浮かべて、何もない空間に手の甲でツッコミを入れる。
 
 前世風に言うなら、どこの営業キャバ嬢かというくらいの猫なで声だった。
 いや、キャバ嬢のほうがビジネスでやっているからまだいいが、過去のアビゲイルの振舞いはただ自分が楽しければそれでいい的な考えでやっていたのだからタチが悪いったらなかった。
 
 ひとしきり落ち込んだらくるりと周りを見渡すと、ダンスフロアの周りのテーブル付近で、ひときわ背の高い大男を発見する。
 頭一つ飛び出ているから、この広大なフロアでもすぐにわかった。西辺境伯閣下だ。
 隣にいる隣国の王弟殿下と酒を酌み交わしながら談話している。

 今なら、ご挨拶に伺えるかもしれない。
 その横に控えている、モノクルをつけている初老の男性は、西辺境伯と王弟殿下に給仕をしているから、おそらく従者だ。人間だから西辺境伯の従者だとみた。
 
 彼に侍女のルイカを使ってアポイントを取ってもらってからお話させていただこうか。
 
 どう言ってアポをとる? 先日の無礼を謝りたいから、機会を頂けないかと言えば、西辺境伯閣下のお目通りが叶うだろうか。
 本当に無礼な噂の的にしてしまったのだから、顔も見たくないと取り合ってくれないかもしれない。しかし……。
 
 考えを巡らせていると、気づかずに西辺境伯のほうを凝視していたらしく、向こうの方も、アビゲイルの不躾な視線に気づいたらしく、こちらを振り向いたので、目がばっちりと合ってしまった。
 
 ああ、やっぱり綺麗なウルトラマリンブルーの瞳だなあ。
 
 そんな風にぼんやりと考えていたら、またあのラリマール王弟殿下に何やら話しかけられたのち、西辺境伯はこちらに向かって歩いてくるのが見えた。
 
 え、こっち、来る?
 どうしよう、睨んだと思われたかな。
 
 相変わらず熊のような大柄な体型でずんずんと大股でやってくるのを、周りが避けて通るため、どんどん距離が近づいてきた。
 
 しかし、その途中で、アビゲイルは視界を遮られた。
 
「アビゲイル姫、少し休まれたら、今度は私と踊ってくださいませんか」
「ぜひ、僕とも」
「私も、姫とご一緒に……!」

 少しドリンク休憩をしていたアビゲイルの様子を見ていた令息たちが、そろそろいいだろうとダンスに誘いに話しかけてきたのだ。
 
「あ、あの、ええとあたしちょっとこれから御用が」
「つれないじゃありませんかアビー姫。久しぶりにお目にかかれたのに、一曲も踊って頂けないなんて悲しすぎます」

 そういう令息は名前は忘れたが顔は見覚えがあった。前世を思い出す前のあばずれアビゲイルがよくつるんでいた相手だと思う。思う、というのは、そんな相手が多すぎて、名前と顔が一致しないからだ。
 
 その周りの令息たちも同じように私も私もと群がってくる様子に、アビゲイルは人酔いするように目が回りそうになった。
 
 落ち着け、どうにか切り返す方法を考えるんだ。
 どう断ったら波風が立たないだろう。
 こんなに囲まれていたら、西辺境伯にお目にかかれない。

 アビゲイルより背の高い令息たちに囲まれて、アビゲイルの視界が遮られて、向こうからやってくるだろう辺境伯が見えない。
 
 アビゲイルがそこを突破する手段を目まぐるしく考えていると、「ちょっといいかな」と白銀に輝くような姿をした一人のすらりとした男が令息たちの間をかき分けて顔を見せた。
 
 令息たちは一瞬怪訝そうな顔をしたものの、相手が誰かを一瞬で察知して、ぎょっと目を見開いた。そしてすぐに道を開ける。
 
「り、隣国の……!」
「王弟ラリマール殿下……?」
「だ、大賢者様……!」
 
 潮が引いたようにざっと分かれる人垣に満足したその御仁……ルビ・グロリオーサ魔王国王弟であり、大賢者と称される魔的な美しさを持つ魔導士、ラリマール・ドニ・グロリオーサは、アビゲイルの前にさっと手を出した。
 
「宝石の姫君。次は僕と踊って頂けるかな?」

 あ な た で す か。

 アビゲイルはぎょっとしたのちに拍子抜けした。西辺境伯が来るのかと思ったのに、一体どこから現れたのか。

 自分が先だと、アビゲイルを争っていた令息たちは何も言わない。隣国の王弟を差し置くわけにはいかないからだ。

「……あ、あたしなどでよろしければ、喜んで。ラリマール殿下」
 
 アビゲイルも驚きはしたが、相手の身分から、この誘いを断ることはできなかった。
 彼の髪と同じ白銀の長い睫毛に彩られた、アイスブルーの瞳に静かに見つめられれば、その差し出された手を取らずにいられなかった。
 彼が美しかったからだけではない、彼から何かの威圧が感じられたからだ。この手を取らないと、殺されるような。
 
 用があったのは、王弟殿下じゃなくて、西辺境伯なんだけど。
 恐れ多くてそんなこと言えないけど。でも。
 
 ちらとそちらを見ると、西辺境伯もそこに居て、腕を組んでラリマールとアビゲイルを困ったような表情で見ていた。
 その目とまた目が合うと、申し訳なさにアビゲイルはペコリと頭を下げてから、ラリマールと一緒にダンスフロアへと向かうことになった。
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