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109 サイコパス

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 アイドルグループ「ベル・フラーメ」はプロデューサーの意向なのか、本格的なアーティストを目指す女性ボーカリストやダンサーばかりを集めた超実力派なアイドルグループだった。
 その歌声はほかの事務所のアイドルグループらを凌駕していて、「アイドル」という地位を格上げしたとも言われていた。
 
 しかも容姿も少女から大人の女性へと向かう過程を切り取ったかのような、初々しさの中にも少し陰りがあるのが小悪魔的で魅力があったので、古き良きロリコン文化を有した地球にある日本という国では非常に人気を博した。
 
 その中でもセンターこそ飾っていなかったけれどもその横で歌う「ゆりり」という娘が、歌って踊れて、そして演技もコントもできると、デビューして早々にその才覚を現し始めた。
 テレビやラジオ、公式動画サイトでも引っ張りだこで、ファン交流でも決して奢らない態度で優しく接するその人柄の良さがファンを惹き付けていたのだった。
 
 そんなゆりりの武器は、元々の素晴らしい声色と、子供のころからボーカルスクールにてボイストレーニングを受けていたことによる完璧な発声法であった。
 胸声から頭声にかわるボイスチェンジの部分を違和感なく変えることのできる発声法。
 五オクターブは自在に操れるという音域の広さ。
 胸声のままで突き抜ける、それでいて腹式呼吸による力強いハイトーンを実現して、喉から胸を震わせるロック的なビブラートのかけ方。
 さらにハイトーンになるとかけづらいビブラートを音程をわずかに上下させることで喉を傷めずに絶妙にかけることのできるビブラートのテクニック。
 常に口角を上げて大きくはっきりと歌詞の言葉を伝える口の動かし方など、研究生当時から彼女は群を抜いていたといっても過言ではない。
 
 曰く、「天使の歌声」。
 曰く、「女神の溜息」。
 曰く、「七色の声」。
 
 ゆりりを讃えるキャッチフレーズにはそんな言葉が並んでいた。
 アビゲイル自身は知らなかったけれど、まさに今のアビゲイルと同じ「七色の声」を、ゆりりも持っていたのだ。アビゲイルの前世は発声法こそ完璧だったけれども、持ち前の地声が平凡だったために、なかなか目が出ない状態だったのに、このゆりりは既に「七色の声」を手に入れて世の中を魅了していたのだ。
 
 そのゆりりは前世でアイドルを突如辞めて郷里へ帰り、地元の公務員の男性と結婚して病気で亡くなる六十代まで幸せな一生を送り、そしてこの世界においてローランド伯爵家の末の姫にあたるラクリマ・ネリー・ローランド姫として生まれ変わった。
 
 そんなラクリマは今生ではかなりのハスキーボイスだ。ゆりりだったころの七色の声は既に失われているけれど、そのことに対して微塵も悔やんでいない。彼女にとっては前世での自分のチャームポイントなど遠い昔の遺物なのだろう。
 輪廻転生なんてどういう因果律のなせる業かは知らないけれど、もしかしたら、アビゲイルの前世に関係したことによって、アイドルゆりりの象徴であった七色の声を生まれ変わる際に無意識に捨てたかったのかもしれない。
 だって、あれほどアビゲイルに対して悔いていたラクリマであるから。
 
 そんな「ゆりり」と、アビゲイルは今勘違いされている。今目の前にいる男によって。
 確かにアビゲイルの声は前世で一世を風靡していた頃のゆりりほどでないにしろ、それに近い声の音域を持っているようだし、劇団でオペラやミュージカル出演のために声楽も嗜んでいた前世での発声法と一緒になると、ゆりりに近い声の力が出るような気がする。
 
 ウォルターは侯爵だったころ、社交界ではかなりの色事師、ドンファン、プレイボーイと名高く、様々な女性に声をかけていた。だからこそあのような如何わしいサロンを開いていたのだろうが……。
 今でこそこのような脂ぎった伸ばし放題のざんばら髪と無精髭という汚らしい風貌になってしまったけれども、侯爵として正装していれば、細面に垂れ目、鼻筋の高いいかにも女性受けする姿をしていたのだ。
 だから放蕩時代のパッパラパーなアビゲイルもふらふらと蝶のごとく彼に寄っていったこともあったし、彼の周りには女性がわんさか群がっていた気がする。
 女とみれば貴族女性は当然ながら、その侍女や邸のメイドにまで声をかけていたくらいだから、きっとデビューしてすぐのラクリマにも声をかけていただろうのに、ウォルターは彼女には気付かずに、アビゲイルを「ゆりり」だと思ってターゲットにしたのだろう。
 
 そう考えるとラクリマはあの七色の声を捨ててハスキーボイスで生まれてきたことで、この男から逃げおおせたと言ってもいい。
 そうなると……ここでゆりりはラクリマだと言ってしまったら、彼女の平穏が失われることとなるだろう。
 彼女はこの度ヴィクターの許嫁となってくれて、ヴィクターとも相思相愛で幸せいっぱいに過ごしているはずだ。
 そんな彼女のことをウォルターに話すことはできない。

 しかしアビゲイルがここで自分はゆりりではなくて、前世のウォルターが刺殺した舞台女優だと知らせたなら、きっとウォルターは逆上する。
 この男にとって『私』はこの男の大事なゆりりから彼女の希望していた役柄を横から掠め取った憎むべき女だ。きっとまた殺しにかかってくるだろう。何せ今のウォルターは人間をやめてしまった魔物、魔人であるから、アビゲイルのような小娘などあっという間に殺されてしまうだろう。

 アビゲイルは今死ぬことはできない。アレキサンダーの大事な子供を身籠っている身で、まだ胎児が落ち着いてもおらず、一番安静にしなければいけない時期だ。
 アビゲイルが殺されれば、お腹のアレキサンダーの子供……クラリスも共に死ぬことになる。そんなことになったら、アレキサンダーにどう詫びていいかわからないし、詫びようにも死んでは詫びることもできない。

 考えろ。考えろ。
 どうにかしてこの状況を切り抜ける方法を考えるんだ。
 
『……ゆりりは、郷里に帰って幸せになったの。本当に幸せな余生を送ったの』

 感情を抑えて冷静に、努めて怯えを相手に知られまいとして振舞い、アビゲイルはウォルターに告げた。ゆりりだと勘違いしている相手に否定も肯定もしない言い方で。

 そんなアビゲイルに眉尻をくいと上げて不満気な表情になったウォルターは反論する。

『……そんなことはない!』
『ゆりりの幸せは貴方が決めることじゃないでしょう』
『お前のはただの逃げだろう』
『逃げ……?』
『お前はアイドルだったんだ。アイドルはな、皆に夢を与える役割があるんだ。それを目前で放棄して、お前は俺たちを棄てたんだ。俺たち……いや、俺を! あんなにお前に尽くした俺を棄てたんだ!』

 ゆりりの為なら殺人も厭わないサイコパス。ウォルターは聞かれてもいないのに、前世で『私』を刺殺して逮捕されたのちの話を語り始めた。
 彼は獄中でゆりり引退のニュースを聞いたそうで、懲役十数年の刑期を終えて刑務所を出所したその日、秋の山中に入って睡眠導入剤のオーバードーズで自殺を図ったそうだ。睡眠導入剤は昔の睡眠薬と違っていくら飲んでも死ぬことなどできない。なので、防寒もせずに眠ったまま身を置けば、夜の冷え込みによって体温が奪われる秋の山を選んだのだろう。彼はおそらく凍死した。

『生まれ変わってもこの思いは消えなかった。これはきっと俺とお前が再び出会うという神の思し召しなんだろうと思ったんだ』
『……』
『そしてお前も前世の記憶と共にここに生まれてきた。これはもう、前世で成し得なかった俺とお前が結ばれるための人生なんだって!』
『…………』
『なあ、ゆりり、俺はお前を愛しているんだ。お前のためなら俺はどんなこともできる。今度こそ一緒になろうな。俺はそのためにこうして力まで得た! お前が嫌だと思った連中も全て殺してやる。社交界でお前をバカにしていた貴族連中だって、俺のこの力さえあれば……』

 この男にとっては、ゆりり以外の人間は自分自身をも含めて、簡単に命を奪ってしまえるくらい軽いものなのだろう。
 アビゲイルは先ほどまでの恐怖がなんだかイライラとした怒りに変わっていくのを感じていた。『私』はこんなしょうもない男に命を奪われたのかと。

『なあゆりり、愛してる。愛してるんだ。お前も俺を愛してると言ってくれ。その言葉があれば俺は生きていけるんだ』

 このような男に愛だの愛しているだのという言葉を吐いて欲しくなかった。愛というものは優しさを伴い労りをもってこそ相手に受け入れられるものだ。このように一方的に押し付けてそれを返せと強要するのは間違っている。

 だがここで愛について語ってもこの男には通じない。
 ならば、それを相応の言葉で返してやろうじゃないか。

『……『愛してる』って言ってほしいの? 別に言ってあげてもいいわよ』
『ゆ、ゆりり……?』
『……演技でよければ、いくらでもね』
『……!』
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