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111 ヒロインの矜持

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 ウォルターはアレキサンダーとアビゲイルの両方を見て、わなわなと震えたかと思うと、いきなりアビゲイルの腕を取って後ろに回った。

「大人しくしろ!」
「きゃあっ!」

 アビゲイルを乱暴に後ろから押さえつけ、その細首に手をかけてアレキサンダーに向き直ったウォルター。
 
「……近寄るなああああっ!」
「アビー!」
「アレク様!」

 曲がった鉄格子から身体を器用に滑り込ませて入ってこようとしていたアレキサンダーだったが、その鉄格子に手をかけたところで立ち止まる。
 
「アレキサンダアアアアアッ!」
「ウォルター・ベイル・シズ。誘拐罪と暴行罪で逮捕だ」
「黙れええええっ! アビー姫は渡さない! こうなればこのまま俺と地獄に落ちてもらう!」
「……これ以上俺を怒らせるな。逮捕するだけでは済まなくなるぞ」
「ははははっ! やれるものならやってみろ! アビー姫も道連れだ!」
「……アレク、さま……!」
「アビー!」
 
 錆びついた鉄格子の鉄棒がアレキサンダーの握力でビキビキと音を立てている。
 よく見ると、アレキサンダーのウルトラマリンブルーの瞳が怒りのあまり見開かれて三白眼になっていた。
 アビゲイルさえ人質に取られていなければ、その猛獣さながらの怒りで突進していただろう。
 そう、アビゲイルさえ人質でなければ。

 ああ、やだな。アレク様の足手まといになりたくない。
 昔からただ助けを待つだけの囚われのお姫様役はそんなに好きじゃないんだ。どちらかというと、ヒーローのパートナーとなりえる強いヒロインになりたかった。
 あのミュージカルのヒロインだってそうだ。だからあの役をどうしても演じたかったんじゃないか。

 人質って結構な足手まといだ。足手まといの上に何もできないひ弱な女のままで、西辺境の伯爵夫人なんか務まるものか。さっき自分でアレキサンダーの妻だとウォルターに啖呵を切ったんだから。
 どうにかして、自分で少しでも切り抜ける方法を考えなければ。それが妻ってものじゃないか?

 アビゲイルは首を絞められて「ぐえ」と息を詰まらせたが、細められた視界に写った心配げなアレキサンダーの姿に、ふっと何故だか心穏やかになる。
 
 大丈夫です、アレク様。アビーはヘーゼルダイン西辺境伯の妻となるからには、決してこんな悪漢に屈したりは致しませんよ。
 そしてクラリス、貴方のパパは強いけど、ママだって負けてないのよ……!
 
 あれだ。こういうときは、前世で見たハリウッド映画の、女性捜査官が教えるチカン撃退法。そういえばヘーゼルダインにお嫁入りが決まったときに、護身術の先生にもちょこっと教えてもらったっけ。護身術は急所攻撃をピンポイントで行うから、力の弱いモヤシ女のアビゲイルでもできる。
 
 アビゲイルはウォルターの腕を押さえていた両手をだらりと落とし、すぐに両手を組むと、右わき腹から背後のウォルターのみぞおちめがけてエルボーをかました。
 みぞおちは急所であり、自分で指で押しても結構ぐえっとなる部分だ。
 
「ぶほっ!」

 思わず腕が緩むウォルターの右足を思い切り踏みつける。足も第二の心臓といわれているほどに神経が集まっている場所であり、ここも重要な急所だ。
 
「いっ……!」

 腕を完全に離してよろけた隙に逃げ出そうとしたものの、腕を掴まれたので反対の手の平の下部分で思い切り鼻先をぶっ叩く。鼻を打たれると涙が出て視界を遮る。
 
「ぐほっ……!」

 鼻を押さえてもんどりうったウォルターがまだ腕を離さない物だから、最後の手段として股間を膝蹴りしてやった。ここは言わずと知れた、男性の急所である。
 
「……!」

 もう言葉にもできない激痛は魔人になっても変わらないのか、ウォルターは前屈みになって倒れこむ。涙目になって歯を食いしばりながらも、それでも咄嗟にアビゲイルのスカートの裾を鷲掴みにしたので、アビゲイルは思わず蹴躓きそうになった。

「アビー姫……『ゆりり』いいいいっ!」
「ひええっ!」
「アビー! 避けろぉっ!」
「は、はいいいいっ!」

 アレキサンダーの地を揺るがすような怒号に、アビゲイルは思わず素直に身を伏せる。

 ばきばきばきっ……ドスッ!
 
 何かの破壊音がしてそちらを見ると、次の瞬間にウォルターの手がスカートの裾から離れて、長い長い物がそのまま手の甲に突き刺さって床に縫い留めた。それは錆びて断面がボロッボロの鉄格子の棒の成れの果て。もう既に錆びついてボロボロだった鉄格子を、アレキサンダーが素手で折り取ってそのままウォルターに投擲したのだった。
 
 え、あれそんな簡単に折れたの?
 
 もちろんアレキサンダーの怪力だからできたことであって、アビゲイルの様なモヤシ女にできるわけはないのだが。

「グアアアアアアッ!」

 手は神経が集まっている急所の部分である。そこを傷つけられては魔人となっても痛いのだろう。

 いくら小さな蜂の群れに変身できる能力があっても、結局本体はウォルター自身らしい。そんな技はかなりの魔力や体力を消耗するのか、ウォルターは蜂化して逃げることもせずに床に縫い留められたままになっていた。
 
 操って蜂に自身を擬態化させる場合と自分を蜂に擬態化させる二つの能力があるようだが、こちらは本体で、前者のほうは「してやられた」と言っていたように、もともとアレキサンダーに森で襲い掛かって返り討ちにされているから、その魔力も体力も既に切れかけていたのだろう、ウォルターはそのまま呻いた。

「アビー! こっちへ!」
「……は、はい!」

 付き飛ばされるような形でアビゲイルは転びかけたものの、アレキサンダーの声に我に返って足を踏ん張って耐える。そして彼の鉄格子から伸ばした手に自分も手を伸ばして駆け寄った。

 がん、がん、と騎士らが鉄格子の端にある錆びた部分をその固いブーツでガンガンと蹴り、鉄格子の数本はあっという間に折れて抜き去られ、アビゲイルはようやく鉄格子の外に出ることができた。
 錆びた部分をそうすればよかったのかと感心するけれど、アビゲイルのようなモヤシな箱入り娘に騎士と同様な力技ができるはずもない。
 
「捕らえろ」
「了解!」

 アビゲイルが牢を出たあとに、アレキサンダーの掛け声で斥候部隊の騎士がボウガンを構えて牢に侵入し、ウォルターを囲んだ。霞網を持った騎士もその後に続いているのは、蜂に擬態したときの対策だろう。

「アレク様!」
「アビー!」

 鉄格子を出たところでようやく何も隔てられることなくアレキサンダーと抱きあうことができた。
 外で活動してきたためか少し埃っぽいけれど、森の中にいたのだろう緑の香りがするアレキサンダーの胸元に顔を埋めて、その匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。

「すまん、危険な目に合わせた」
「ううん。助けに来てくれただけで嬉しい。アレク様どうしてここがわかったの」
「ジオが知らせてくれた。ここはジェフの家の近くだからな」

 ということは、あのジオ少年は無事に逃げおおせたのだろう。そのことに二重に安堵する。本当に辺境地帯の子供は肝が据わっている。確かに彼の言う通り、ここは「おじいちゃまとおばあちゃまのお家」の近くにあるようだ。
 
 聞けば、どうにかしてここを脱出したジオは、祖父母の家にとことこと何事もなかったようにたどり着き、ヘーゼルダイン邸に母と行っていたはずのジオが一人で戻ってきたことで流石に異変を感じた祖母が、夫であるジェフに速攻で連絡したらしい。
 そこからジェフ自らベラルーカの森に居るアレキサンダーに連絡してようやくアビゲイルが誘拐されて、この小屋に監禁されていることを知って、騎士団を率いて急いで駆けつけてくれた。

「……それにしてもアビーは強いな。あの切り抜け方、見事だった」
「う、ちょっとはしたないですよね」
「そんなことはない。危険を自分で切り抜けた立派な振舞いだ。でもあまり無茶はしないでくれ」
「ご、ごめんなさい。アレク様に足手まといって思われたくなくて」
「そんなこと思うわけがない。誇らしいよアビー。さすが、俺の奥さんになる人だ」
「え、あ、あの……」
「……さっき、俺の妻だときっぱり言ってくれたじゃないか。……嬉しかった」
「アレク、様……」

 少々フライング気味の妻宣言だったけれど、明日結婚式なうえに、既に身体の関係もあって、尚且つ彼の子供を身籠っているならもう、妻も同然だ。
 改めて自分の発言を思い返すと、恥ずかしいやら嬉しいやらで、アビゲイルは赤面した。
 
「もう、どうしよう、どうしましょうアレク様。あたしアレク様が好きすぎて倒れそう」
「それは困るな」
「ここに人がいっぱいいなければこのままキスしちゃいますのに」
「気にしないですればいい」
「んぅっ……」

 アレキサンダーが物欲し気なアビゲイルの唇に有無を言わさず口づけた。最初こそ、いいのかしら、と目を見開いていたものの、触れては離れを繰り返してそのうちどんどん深くなっていくキスにアビゲイルも酩酊したように頬を赤らめて目を閉じた。
 相手がアレキサンダーだと簡単に流されて快楽堕ちする自分に呆れつつも、それに抗う気もさっぱり無い。
 
 アビゲイルがアレキサンダーの首に腕を回してキスに夢中になっている間に、確保され、後ろ手に拘束されたウォルター。
 騎士団に確保されて連行されていこうとしたそのとき、アレキサンダーとアビゲイルの姿を見たウォルターは目を大きく見開いて絶叫した。
 
「アァレキサンダァアアアアアッ!」

 次の瞬間に、未だ変化する余力が残っていたのか、ハチの大群に変化して騎士団の拘束から逃れ、空中で大きなエビルクインビーに変化してアレキサンダーたちに突進してきた。
 
「しまった!」
「そ、総団長!」

 確保して気が緩んだのか、霞網を構えることもできずにみすみす逃がしてしまった騎士団がアレキサンダーに叫んだ。ボウガンをとっさに構えるものの、その方向にアレキサンダーとアビゲイルがいるから発射できない。
 顎をカチカチと鳴らしてシャアアアと最早人でない奇声を発して、エビルクインビーは突進していく。
 
 抱き合って口づけたままの二人まであと三メートル、二メートル、一メートル……。

 アレキサンダーはアビゲイルの唇を貪りながら、横目で迫るエビルクインビーを視界にとらえると、その体勢のまま、鞘から剣を器用に抜いて、ぶん、と横に切り降ろした。
 
 一閃した剣のあと、アビゲイルの足元に真っ二つになったエビルクインビーの残骸が転がり落ちる。アレキサンダーがその二つの胴体を牢の中へ蹴飛ばした。
 青緑の液体をまき散らして床に転がるそれに、霞網を持った騎士らが網ごと覆いかぶさった。押さえろ、とか、手伝え、とか騎士らが喚きながら数人で押さえつけるその霞網の中で何かが蠢いているのが見える。
 ウォルターだ。エビルクインビーの身体が真っ二つになったとしても、小さな蜂に分解して元の形に戻れば普通に生きているらしい。さすが人を辞めた魔人といったところか。
 
 しかしそんなことはアビゲイルには関係ないし、ウォルターの存在なんて気付いてもいない。
 捕り物の最中にラブシーンに突入する上司とその婚約者に「御馳走様です」と騎士らが呆れているが。
 
「んっ、ふ、ふぅん……ちゅ、はあ、んぅっ……」
「は、ん……アビー」
「あれく、さまぁ……はあ、あぁん、好き、好きぃ……」

 ちゅぱちゅぱと唾液を絡ませた濃厚なキスを続けながら、夢中になっているアビゲイルに付き合いつつ、アレキサンダーは剣を振るって、エビルクインビーの青緑をした体液を落とした。
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