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120 愛は静かなところに降りてくる ~エピローグ~

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 出産時の恐怖を克服して、遠慮することなく夫婦で夜ごと交わるようになってから、ほどなくしてアビゲイルは再び妊娠をした。
 
 長女のクラリスは三歳半ながらもはやくもお姉ちゃんぶっていて、恋人候補(?)に名乗りを上げている隣国の王弟、魔族の大魔導士、大賢者ラリマールに「あたしおねえさまなんだから!」とこまっしゃくれた自慢をしていた。
 
 生まれる前からクラリスのことを知っていたらしいラリマールに、今度の子はどんな子ですかと、アビゲイルは聞いてみたけれど、曖昧に笑うだけでラリマールはクラリス以外どうでもいいらしい。三歳半の子供に懸想しているラリマールに言えることなのかわからないけれど、恋は盲目なのかもしれない。
 
 七歳になって少し逞しくなったアビゲイル付きの侍女リサの息子ジオは、さすがにもうお腹の中にいたクラリスの性別を当てたときのような不思議な力はないらしい。
 わからないと首を傾げていたが、「どっちでもきっと可愛いよ!」とイケメン発言をしていた。うりざね顔のやや狐目の美少年にそう言われては、それもそうかーと、男の子だとか女の子だとかはもうどうでもいいような気がしてきた。
 
 アレキサンダーは相変わらずアビゲイルに対して過保護で、騎士団の訓練や魔物討伐、市井の視察などで外出に行っても、夕方にはすっ飛んで帰ってきて、アビゲイルに「大丈夫か」「つらくないか」と寄り添ってくれている、相変わらずの気は優しくて力持ちなテディベアであった。
 心配だからと執務でデスクワークのときに、アビゲイルを執務室に同行させて、そこで過ごさせるのだけは、アビゲイル自身が退屈なのでちょっとやめてほしい。
 
 そして順調に妊娠期間を過ごし、アビゲイルが二十二歳、アレキサンダーが三十歳の年、アビゲイルはアレキサンダーの二人目の子を産み落とした。
 
 アビゲイルは長女クラリス出産のときの暴れようとは打って変わって落ち着いたもので、妊娠期間中の体重管理もしっかりしていたおかげか、前回よりもスピード出産だったので、陣痛は相変わらず痛かったけれども何だか拍子抜けしてしまった。
 
 今度は男の子で、オレンジがかった茶色の髪とウルトラマリンブルーの瞳、髪の色も瞳の色もアレキサンダーから受け継いで、元気に産声をあげた。
 
 クラリスのときも取り上げてくれたあの老女医が、「はい、若様誕生だよ!」と言った瞬間、アビゲイルは全身ぐったりとしながらも、一応後ろで支えていてくれたアレキサンダーにサムズアップをしてみせた。
 
 あたしやったわ、と言いたかったのだが、この世界にはないポーズなので、アレキサンダーはきょとんとした顔で自分も同じようにサムズアップしていた。なんか弟のヴィクターも以前こんな訳の分からない顔でポーズしていたのをふと思い出した。
 
 長男の名前は、以前アビゲイルの父が男の子だったらと考えてくれていた名前、ロズ・フォギアリア帝国帝都レクサールの名の由来ともなった、勇者レクサールの息子の名、シルヴェスターと名付けられた。
 
 シルヴェスター・ノア・ジョバンニィ・アデルハイト・ヘーゼルダイン。
 
 やっぱり長い。
 
 姉のクラリスのフルネームよりは短いけれども、彼もまた歴代ヘーゼルダイン家の先祖の守りがあるようにと名付けられてしまって、アビゲイルは大丈夫かと思ってしまうが、決めたのは夫のアレキサンダーなので、家長がそう言うなら従うしかない。

 そんな息子シルヴェスターを揺りかごで寝かしつけながらアビゲイルは無意識に日本語の子守唄を口ずさんでいた。
 
 ゆりかごの うたを カナリアがうたうよ
 ねんねこ ねんねこ ねんねこよ
 
 初夏の日差しがレースカーテンの隙間から漏れたリビングの、昼下がりのゆったりとした時間。
 揺りかごの中では、ウルトラマリンブルーの大きな瞳を不思議そうに開いて母アビゲイルを見るシルヴェスターは、母の歌う子守唄でだんだんと瞼をゆっくりと閉じ始める。
 この世界にはない曲と歌詞だけれど、意味はわからずとも聞き心地がいいのか、まだ赤ん坊だったころのクラリスもこれですぐ寝てくれたことを思い出してなんだか心が温かくなる。
 
『懐かしいね、その曲』

 そう言ってそおっとリビングに入ってきたのは、クラリスを抱きかかえたラリマールだった。クラリスはラリマールの肩に頭をもたれかけて眠ってしまっている。遊び疲れて寝てしまったのかもしれない。
 
「あら、殿下。すみません、娘が」

 ラリマールからクラリスを受け取ろうとしたら、相変わらずラリマールはクラリスを抱いたまま返してくれない。
 
「いいのいいの。一緒にかけっこしてたから疲れちゃったみたいだ。シル君も寝ちゃった?」
「はい」
「さすがは七色の声。廊下でメイドたちも聞きほれてたよ」
「やだ、恥ずかしい」
「まあ意味わかってないだろうけど」
「日本語の歌詞ですもん」

 愛おし気にクラリスの背を撫でて寝かしつけながら、そのままソファーに腰掛けたラリマールを見て、アビゲイルはやや呆れた表情で苦笑しながらも、眠った子供たちを起こさないように給仕メイドらにお茶の用意をお願いした。
 
「そういえばさ」
「はい?」
「ウォルターが、最後の一匹も消滅したよ」
「……」

 ラリマールの言うウォルターとは、ウォルター・ベイル・シズのことだ。
 前世でのアイドル「ゆりり」だと思い込んで、アビゲイルへの劣情をこじらせて魔物化し、ヘーゼルダイン邸に忍び込んでアビゲイルを誘拐。そして監禁し、狩猟大会でベラルーカの森へ出かけたアレキサンダーにも襲い掛かった男。
 
 アビゲイルの前世の舞台女優を「ゆりり」がやりたがっていたミュージカルのヒロインの役を奪ったと思い込んで刺し殺した、ベルボーイだった男の転生後の姿だ。
 
 可愛さ余って憎さ百倍といったところか、前世で急遽引退した「ゆりり」を憎んだのか、勘違いをしてアビゲイルに「呪殺・阿美芸流 星 狐」と書いた呪符までフォックス邸に勝手に用意して、フォックス邸に昔から居付いていたらしい妖精たちまで犠牲にしてエビルクインビーに襲撃させたのも、ウォルターだったらしい。
 調べたところ、あのときラリマールが採取したエビルクインビーの体液と、ウォルターの体液が一致したそうだ。
 
 あの誘拐事件で捕縛されたのち、魔物化した経緯を調べるために、ラリマール自らルビ・グロリオーサ魔王国へ連れ帰って取り調べを行ったらしい。彼を魔物化させた魔族の詳細もなんとか吐かせ、ラリマールの兄の現・魔王メドウ・ドニ・グロリオーサを支持する魔王派と対立している、旧魔大公派と呼ばれる派閥の中の魔貴族の一人がウォルターを戯れに唆したということが分かったそうだ。
 この件は魔王メドウとも相談の上、薄氷の上を歩くかのような関係の旧魔大公派を刺激することは避けたほうがいいとして、そちらの魔貴族のことは不問としたとのこと。
 
 魔王国でのことなので、こちらは人間側であるアビゲイルとアレキサンダーが何を言うこともできないので、それはラリマールたちに任せるしかない。
 
 そしてウォルターであるが、彼を唆したという魔貴族からも音沙汰無しで見捨てられたらしいので、この件は兄メドウから任せてもらったラリマールが処理することにしたらしい。
 
「何せアイツはクーちゃんを危険にさらしたんだからね」

 当時アビゲイルは妊娠初期状態で、お腹の中にクラリスが宿ったばかりだったから、そのことに関してラリマールはあんなふうに怒髪天を衝くくらいに激怒していた。
 誘拐、監禁、そして精神的恐怖を与えられて、流産する危険性だってあったのだから、クラリス至上主義なラリマールが怒るのも無理はなかった。
 
 アレキサンダーに真っ二つにされても、小さな蜂に変化して分解し、生き延びることができる魔物となったウォルターであるから、どんな報復をしてやろうかとラリマールが考えたのが、捕食者に喰わせるというものだった。
 
 蜂を主食とすることから名付けられたというその名も蜂角鷹はちくまを使役し、ウォルターが再生するそばから捕食していくという報復であった。
 ここ数年かけてそれを行っているうちに、ついにウォルターの変化する蜂の数が減り、再生もままならなくなって、先日最後の一匹が蜂角鷹はちくまに捕食されてしまったという。
 
 これで、ウォルター・ベイル・シズという人間は跡形もなく消滅したことになる。今も帝都では彼の年老いた母が捜索願を騎士団に提出しているらしいけれど、その母ももう高齢で、彼女がいずれ亡くなってしまえば、現在のシズ男爵家はもうこれ以上探そうともしなくなり、どんどんと忘れ去られていくのだろう。
 
「最期のとき、アビゲイルちゃんが何者だったのか教えてあげることにしたんだ」
「えっ」
「愛しのゆりりだと思い込んでいた相手が、実は自分が逆恨みで憎んで殺した相手だと教えたときの声、絶望の断末魔だったよ」
「そ、そうでしたか……」

 それもなんだか恐ろしいような、それでいて切ないような気もしないでもない。
 あの狂気性さえなければ、あの男もゆりりの純粋なファンだったのだろうに、どうしてどうやって歯車が狂ってしまったのか。それも二つの人生を跨いでまで。
 
 生まれ変わったら、そして前世の記憶があるとわかって、前の人生のいいところだけとってより幸せを掴もうとしていた『私』やゆりりと、前世をそのまま引きずってそれを相手にも強要して想いをぶつけるウォルターとは、根本的に人生の歩み方が違ったのだろう。
 
 今更言ったところで、しょうもないのだけれど。
 
 そんなウォルターとは違って、アビゲイルは自分が今幸せを謳歌していると感じていた。過去のやらかしや事件に巻き込まれたりなど、色々あったけれど、アレキサンダーという素晴らしい配偶者と、恋をして、結婚して、愛おしい子供たちにも恵まれて。
 
 まあアレキサンダーと出会えたのはウォルターの主催した夜会でのことなので、それに関してはウォルターに感謝すべきかもしれないけど、嫌いだから絶対にしないと思う。
 
 廊下のほうでお帰りなさいませ、という家令のジェフや侍女ら使用人たちの声が聞こえてきて、それからまもなくリビングに入ってきたのはアレキサンダーだった。今日は市井の視察に行ってきたらしい。
 
 アビゲイルは立ち上がってアレキサンダーに歩み寄って「おかえり」のキスで出迎えた。
 
「お帰りなさいまし、アレク様」
「ただいまアビー。体調は?」
「元気いっぱいです」
「クラリスとシルヴィは……」

 アレキサンダーはゆりかごですやすやと眠る息子シルヴェスターを見てふと微笑んでから、横のソファーに座ったラリマールに抱かれたまま、彼の肩に頭をもたげて眠り込んでいる娘クラリスを見てはあ、とため息をついた。
 
「……やあお帰りアレックス。クーちゃん今やっと眠ったところだから、静かにね」

 ラリマールが勝ち誇ったような笑みを浮かべながら、口元に人差し指を立ててアレキサンダーに言う。活発でなかなか昼寝をしてくれないクラリスが、懐いているラリマールの腕の中では何故かよく眠るので、言いたいことはあっても何も言えない。
 本当はちょっと羨ましいアレキサンダーである。
 しかしラリマールが居ない間は「とーたま、だっこちてくだしゃい」と強請られるくらいクラリスはパパが大好きでもある。最近ではアビゲイルがシルヴェスターにかかりきりのときもあるので、以前より父親に甘えるようになった。
 だからかもしれない。今のラリマールの状況がひどく羨ましいのは。
 
「……ラリマール、最近来過ぎじゃないのか。王族の仕事があるのでは」
「クーちゃんに会えるようにはちゃんと調整してるよ。会えないとクーちゃんが寂しがるし、僕も恋人に会いたいからね」
「こ、恋人……! ま、まだ早くないか?」
「いずれそうなるからいいじゃない。今日も『マルちゃんしゅきー!』って言ってくれたよ」
「クラリスが大きくなってもそうとは、か、限らないじゃないか……」
「父親の嫉妬は醜いぞぉアレックス~」
「うぐぐぐ……」

 親友同士の二人は最近クラリスを挟んで父親と娘婿みたいな会話をしている。何だかんだと相変わらず仲が良い。
 この二人の男の関係性を羨ましいなと思ったときもあったなあとしみじみ思い出す。
 
「ありがとうございます、アレク様、殿下」
「え?」
「どうした、急に?」
「いえ、何となく、感謝したい気分になりまして。あまりに幸せなもので」
「アビー……」
「あはは。ちょっと何言ってるかわかんないけど」
「いいんです。わかんなくて」

 そう言って、アビゲイルはそっとアレキサンダーに寄り添った。その固い腕に自分の腕を絡めれば、アレキサンダーはそっと体勢を変えて抱き寄せてくれた。
 
「クラリスとシルヴィを見ていたら、あたしも眠たくなってきちゃいました」
「……昼寝でもするか?」
「昼寝で済めばいいんですけれども」
「それは保証できないな」
「お、三人目? お二人さん。次は男の子かな、女の子かなあ?」

 茶化してくるラリマールの言葉に顔を見合わせて思わず吹き出してしまうアレキサンダーとアビゲイルだった。



「傾国とか社交界の蝶とか普通に悪口」    FIN
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みんなの感想(58件)

ポチブル
2020.06.13 ポチブル

安心して楽しんで読めました🎵まだまだアレクさまとアビゲイルのラブラブっぷりを堪能したいところです✨クーちゃんとマルちゃんの続きも読めると嬉しいです❤️

樹 史桜(いつき・ふみお)
2020.06.13 樹 史桜(いつき・ふみお)

楽しんでいただけたようで幸いです。ご愛読ありがとうございます。
アビーとアレクのラブラブっぷりは書いていてとても楽しかったので、後ほど番外編なんか書けたらいいなと思っております。
クラリスとラリマールのお話は、その後のお話に続きます!
マルさんがねえ……ちょっと困った感じになりそうで今から戦々恐々としています。

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こつめかわうそ

完結おめでとうございます🎊

樹 史桜(いつき・ふみお)
2020.06.09 樹 史桜(いつき・ふみお)

皆さまのお陰で無事完結できました!
ご愛読ありがとうございました!

解除
松竹梅
2020.06.09 松竹梅

完結‼️お疲れ様でした
とはいえ
もう続き見れなくなるの寂しくて…
しかしラリマール鬼畜で好き
最後にバラすって笑
地獄の底に突き落としましたねー

樹 史桜(いつき・ふみお)
2020.06.09 樹 史桜(いつき・ふみお)

ラリマールの鬼畜なところ出ちゃいましたね! 鬼畜なところお好きですか! 私も好きです!
名残惜しく思ってくださって嬉しいです。そんな嬉しいこと言われると後日談でも書きたくなりますぞ。そうなるとまたエロエロ書きたい衝動に駆られたり……イカンイカン。
ご愛読ありがとうございました!

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