白羽の檻、黒翼の導き

篠雨

文字の大きさ
7 / 21
第2章:泥を啜る夜

第2話:剥落する理性

しおりを挟む
数日が過ぎ、ベルフェの驚異的な生命力は、その深い傷を急速に塞いでいった。

しかし、傷が癒えるのと引き換えに、彼が纏う空気は以前よりも刺々しく、そして濃密な色気を孕むようになっていた。

「おい。いつまでそんな顔をしてる。……飯だ」

ベルフェが投げ出したのは、彼がどこかで調達してきた野生の果実と、硬いパンだった。

廃屋の隅で膝を抱えていたエルリエルは、力なく顔を上げる。翼を失った背中の傷は癒えたが、代わりにそこにあったはずの重みが消えた喪失感は、今も彼を苛んでいる。

「……食欲がないんだ」

「はっ、贅沢を言うなよ。天界の『霞』でも食っていたいか? ……それとも、俺に食わせてほしいのか?」

ベルフェが床に座り込み、エルリエルの顎を指先でクイと持ち上げた。

至近距離で見つめ合う。

ベルフェの瞳には、飢えた獣のような光が宿っている。それは暴力的な衝動というよりは、もっと深い場所にある「渇き」だった。

「……ベルフェ。君は、私をどうしたいんだ」

エルリエルの問いに、ベルフェの指先がピクリと動く。

彼は嘲笑うような笑みを浮かべ、エルリエルの首筋にゆっくりと指を滑らせた。

「言っただろ。なぶり尽くして、俺の気が済むまで弄ぶって。……あんたを一人じゃ何もできない無力な存在にして、俺の籠の中に繋ぎ止めておくんだ」

男の言葉は、冷酷な宣告だった。

エルリエルはその言葉を聞きながら、かつて自分がこの男に下した「追放」という名の断罪を思い出し、深く目を閉じた。

「……そうか。それがベルフェの望みなら、好きにすればいい。私が君にしたことを考えれば、当然の報いだ」

「報い、だァ……?」

エルリエルが諦めたように吐いた「罪を認める言葉」

その無機質な潔さが、ベルフェの中にあったどろりとした感情を逆撫でした。

「――ふざけるな。分かったような顔をしてんじゃねえ!!」

ベルフェがエルリエルを床に押し倒した。

激しい音と共に、廃屋の埃が舞う。エルリエルの両手首はベルフェの片手で頭上に固定され、逃げ場を塞がれた。

「何も知らないくせに、知ったような口を利くな……! あんたは、あの時も今も、そうやって勝手に一人で完結してやがる。あんなクソ汚い天界で、綺麗事だけを並べて生きてたあんたが……っ!」

ベルフェの呼吸が荒く、エルリエルの顔にかかる。

怒りに燃える瞳。だが、その瞳に映るエルリエルを見つめる熱量は、単なる憎悪にしてはあまりにも強すぎた。

「……勝手に償った気になるな。あんたの身体も心も、全部俺がズタズタに引き裂いて、俺なしじゃ息もできなくしてやる……」

ベルフェの顔が近づく。

唇が重なる直前、ベルフェは獣のような唸り声を上げ、エルリエルの首筋に深く、噛み付くように口づけた。

「……あ、っ……」

痛みが走る。けれど、その後に続く熱い舌の感触と、自分を押し潰さんばかりの男の重みが、エルリエルの中にあった「聖人」としての最後の一欠片を溶かしていった。

不浄。背徳。堕落。

天界で禁じられていた言葉たちが、今は甘い蜜のような響きを持って、エルリエルの全身を駆け巡る。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結済】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている

キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。 今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。 魔法と剣が支配するリオセルト大陸。 平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。 過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。 すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。 ――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。 切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。 全8話 お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /c

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

ゆい
BL
涙が落ちる。 涙は彼に届くことはない。 彼を想うことは、これでやめよう。 何をどうしても、彼の気持ちは僕に向くことはない。 僕は、その場から音を立てずに立ち去った。 僕はアシェル=オルスト。 侯爵家の嫡男として生まれ、10歳の時にエドガー=ハルミトンと婚約した。 彼には、他に愛する人がいた。 世界観は、【夜空と暁と】と同じです。 アルサス達がでます。 【夜空と暁と】を知らなくても、これだけで読めます。 2025.4.28 ムーンライトノベルに投稿しました。

《一時完結》僕の彼氏は僕のことを好きじゃないⅠ

MITARASI_
BL
彼氏に愛されているはずなのに、どうしてこんなに苦しいんだろう。 「好き」と言ってほしくて、でも返ってくるのは沈黙ばかり。 揺れる心を支えてくれたのは、ずっと隣にいた幼なじみだった――。 不器用な彼氏とのすれ違い、そして幼なじみの静かな想い。 すべてを失ったときに初めて気づく、本当に欲しかった温もりとは。 切なくて、やさしくて、最後には救いに包まれる救済BLストーリー。 続編執筆中

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

泣くなといい聞かせて

mahiro
BL
付き合っている人と今日別れようと思っている。 それがきっとお前のためだと信じて。 ※完結いたしました。 閲覧、ブックマークを本当にありがとうございました。

オメガ修道院〜破戒の繁殖城〜

トマトふぁ之助
BL
 某国の最北端に位置する陸の孤島、エゼキエラ修道院。  そこは迫害を受けやすいオメガ性を持つ修道士を保護するための施設であった。修道士たちは互いに助け合いながら厳しい冬越えを行っていたが、ある夜の訪問者によってその平穏な生活は終焉を迎える。  聖なる家で嬲られる哀れな修道士たち。アルファ性の兵士のみで構成された王家の私設部隊が逃げ場のない極寒の城を蹂躙し尽くしていく。その裏に棲まうものの正体とは。

グラジオラスを捧ぐ

斯波良久@出来損ないΩの猫獣人発売中
BL
憧れの騎士、アレックスと恋人のような関係になれたリヒターは浮かれていた。まさか彼に本命の相手がいるとも知らずに……。

処理中です...