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第3章:沈黙の揺り籠
第3話:沈黙の証
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館での生活は、停滞した空気の中にあった。
ベルフェは傷が癒えるにつれ、昼間は狩りや結界の強化のために外へ出ることが増えた。エルリエルには「一歩も外へ出るな」と厳命し、逃げ出さないように館の扉には重い呪いと鍵がかけられている。
ある日の午後、エルリエルはベルフェに命じられた部屋の片付けをしていた。
埃を被った棚の奥、古い布に包まれた小さな箱が目に留まる。
(これは……?)
ベルフェの私物には触れるなと言われていたが、その箱から漏れ出す微かな気配に、エルリエルの指先が止まった。
震える手で布を解き、中を確認する。
そこにあったのは、煌びやかな財宝でも、復讐のための道具でもなかった。
それは、ひどく煤け、端が焦げ付いた、天界の執行官が纏う「白銀の飾り紐」だった。
「……これ、は……」
エルリエルの息が止まる。
それは、あの日。彼がベルフェの翼を焼き、天界から突き落とした時に身につけていた、エルリエル自身の装飾の一部だった。
翼を焼かれた絶望の最中、ベルフェが最後にその手で毟り取り、地獄へと道連れにしたもの。
復讐の糧として憎しみを燃やすために持っていたのか。それとも、二度と会えないはずだった男の、唯一の形見として抱きしめていたのか。
「……何を見てやがる」
背後から、凍りつくような冷たい声が響いた。
いつの間にか戻っていたベルフェが、入口でエルリエルを凝視していた。その瞳には、隠し事を見られた者の激しい動揺と、それを塗り潰すような殺気が混じっている。
「……ベルフェ。これは、あの時の……」
「触るなと言ったはずだッ!!」
ベルフェが疾風のごとき速さで距離を詰め、エルリエルの手から箱を奪い取った。
勢い余って、中の飾り紐が床に落ちる。色褪せ、ボロボロになった紐が、二人の間に横たわった。
「……捨てられなかったのか」
「……違う。あんたへの恨みを忘れないために持っていただけだ。勘違いするなと言っただろうが!」
ベルフェの声は荒く、肩が激しく上下している。
だが、その目は床に落ちた飾り紐を、今すぐにでも拾い上げたいという渇望を隠しきれていなかった。
「恨んでいるなら、燃やしてしまえばよかった。……なのに、どうしてこんなに大切に保管していたんだ」
「うるせえ……っ、黙れ! あんたに何が分かる!」
ベルフェはエルリエルの胸ぐらを掴み、壁へと叩きつけた。
背中に衝撃が走る。けれど、至近距離で見つめ合うベルフェの瞳は、怒りではなく、自分の弱さを暴かれた絶望に濡れていた。
「……あんたは、いつもそうだ。……俺の心を勝手にかき乱して、そうやって聖人みたいな顔で俺を見る……。……壊してやるって言ってるだろ、……俺の手で、何もかも……」
ベルフェの額が、エルの肩に重く預けられた。
掴んだ拳は震え、彼が抱える「愛」という名の呪いが、限界まで軋んでいた。
ベルフェは傷が癒えるにつれ、昼間は狩りや結界の強化のために外へ出ることが増えた。エルリエルには「一歩も外へ出るな」と厳命し、逃げ出さないように館の扉には重い呪いと鍵がかけられている。
ある日の午後、エルリエルはベルフェに命じられた部屋の片付けをしていた。
埃を被った棚の奥、古い布に包まれた小さな箱が目に留まる。
(これは……?)
ベルフェの私物には触れるなと言われていたが、その箱から漏れ出す微かな気配に、エルリエルの指先が止まった。
震える手で布を解き、中を確認する。
そこにあったのは、煌びやかな財宝でも、復讐のための道具でもなかった。
それは、ひどく煤け、端が焦げ付いた、天界の執行官が纏う「白銀の飾り紐」だった。
「……これ、は……」
エルリエルの息が止まる。
それは、あの日。彼がベルフェの翼を焼き、天界から突き落とした時に身につけていた、エルリエル自身の装飾の一部だった。
翼を焼かれた絶望の最中、ベルフェが最後にその手で毟り取り、地獄へと道連れにしたもの。
復讐の糧として憎しみを燃やすために持っていたのか。それとも、二度と会えないはずだった男の、唯一の形見として抱きしめていたのか。
「……何を見てやがる」
背後から、凍りつくような冷たい声が響いた。
いつの間にか戻っていたベルフェが、入口でエルリエルを凝視していた。その瞳には、隠し事を見られた者の激しい動揺と、それを塗り潰すような殺気が混じっている。
「……ベルフェ。これは、あの時の……」
「触るなと言ったはずだッ!!」
ベルフェが疾風のごとき速さで距離を詰め、エルリエルの手から箱を奪い取った。
勢い余って、中の飾り紐が床に落ちる。色褪せ、ボロボロになった紐が、二人の間に横たわった。
「……捨てられなかったのか」
「……違う。あんたへの恨みを忘れないために持っていただけだ。勘違いするなと言っただろうが!」
ベルフェの声は荒く、肩が激しく上下している。
だが、その目は床に落ちた飾り紐を、今すぐにでも拾い上げたいという渇望を隠しきれていなかった。
「恨んでいるなら、燃やしてしまえばよかった。……なのに、どうしてこんなに大切に保管していたんだ」
「うるせえ……っ、黙れ! あんたに何が分かる!」
ベルフェはエルリエルの胸ぐらを掴み、壁へと叩きつけた。
背中に衝撃が走る。けれど、至近距離で見つめ合うベルフェの瞳は、怒りではなく、自分の弱さを暴かれた絶望に濡れていた。
「……あんたは、いつもそうだ。……俺の心を勝手にかき乱して、そうやって聖人みたいな顔で俺を見る……。……壊してやるって言ってるだろ、……俺の手で、何もかも……」
ベルフェの額が、エルの肩に重く預けられた。
掴んだ拳は震え、彼が抱える「愛」という名の呪いが、限界まで軋んでいた。
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