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Ⅰ Brave
1-11 転校生
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「……まぁ、こうなるよな」
開かない目を擦りながらいつものように始業のチャイム直前に教室へ滑り込んだ俺を待っていたのは、転校生の噂でざわついたクラスメイト達の声。
どうやら女だという事まで漏れているらしく、男達はまだ見ぬ美少女の来訪を心待ちにする様子。その期待は大抵の場合裏切られる事になるが、幸運な事に今回の転校生は期待通りの美少女。思いがけない幸運は、皆に等しく幸福を与えるはずだった。
「椿優奈です。千雅高校から来ました。よろしくお願いします」
転校生とは、当然のように椿の事。
今朝になって思い出したように送られてきた謳歌からの通達には、椿を俺達の通う奥光学園に転入させる旨が書かれていた。手続きを如何にして済ませたのか、などといった些事はもはや俺達にとっては今更で驚きもしなかったが、冬休みを目前にした美少女の転校には、クラスの連中の方が驚き、男子に至っては熱狂していた。
暗雲が立ち込めてきたのは、椿が座る席を決める際になってから。
テストも終わり、ホームルームという名の自由時間を過ごすだけのクラスの人間の大半は、十分な時間を掛けて椿の席決めをするものだと思っていたはずだ。
「あー、椿には遊馬の右の席に座ってもらう事になってるから」
だが、闘争の色を帯び始めたクラスの空気は、不自然な担任の言葉が一蹴。
燻った視線が俺、そして俺の右隣の席に座る高橋に向けられ、そこからの展開はもう流れの通りだ。流石に転校生の前でいきなり罵倒が飛び交う事は無いが、嫉妬と羨望、敵意に殺意の視線を全身に浴びるのはそれなりに辛い。高橋の「俺はどうすればいいんだ?」という困惑の声は唯一気晴らしにはなるが。
「じゃあ、そういう事で後は適当にやっててくれ」
適当な言葉を残し、担任が教室を後にする。教卓に積まれたプリント類、高橋の席の決め直しなどに関わるつもりはないらしい。教師って楽そうでうらやましい。
そんな漫然とした思考も、鼓膜、特に右のそれを揺らす音に遮られてしまう。
音の発生源、転校生に群がるクラスメイトの図が椿の席の周り、つまり俺のすぐ右隣で展開されていた。騒がしいし鬱陶しいし時々睨まれてる気がするので席を立つ。
「宗耶はいつも楽しそうで羨ましいよ」
「俺にしてみればお前の方が羨ましいわ」
逃げ込んだ先は、由実を除けばこの学校で最も親しい友人、古町弘人の机の上。こんな時も穏やかなその態度は、彼女持ちの余裕なのだろう。
「やっぱり、転校生とは知り合いだったりするの?」
「知り合いってほどは知らないけど、全く知らないってほど知らない事もない」
「つまり?」
「同棲してる」
弘人の顎が落ちる。慌てて支えてやると、勢い余って舌を噛んだらしく悶絶していた。
「別に、お前が想像してるようないやらしい感じじゃないぞ。由実も一緒だし」
「久しぶりに本気で宗耶を恨んだよ」
口元を押さえながらこちらを睨む弘人の怒りの原因は、きっと舌の痛みだろう。
「白樺さんとは付き合ってないって言ってなかったっけ?」
「付き合ってはいないな。転校生とも由実とも」
「……つまり?」
「つまり、彼女持ちのお前と違って、俺は誰と付き合ってもいいわけだ」
「いや、そうじゃなくって」
適当に流してやるつもりが、弘人は意外に話に喰いついてくる。ここはボケでも重ねてほしいところだったのだが。
「やっぱり、お前でもあのレベルの転校生は気になるのか」
「いや、全然。僕には睦美がいるし」
そう口にする弘人の顔には、全く迷いが無かった。
顔立ちもそれなりに整っていて性格も頭も良いこの男をここまで一途にさせる睦美という女に、俺はまだ直接会った事が無い。一度写真で見た限りではそこまでかわいくもないように見えたのだが、その事を口にした際の弘人は何と言うかとても恐ろしかった。
「お前でも、って事は宗耶は気になってるわけだ」
「俺には睦美はいないからな」
冗談めかして言った言葉にも、弘人の目は笑っていない。彼女を呼び捨てにされただけでそんなに怒らなくてもいいだろうに。
「実際、かわいいのはどう見ても否定できないからな。それだけで十分だ」
「まぁ、それはそうなんだろうね」
一人を愛したら他はどうでもいい弘人と違い、俗物の俺はそこまで恋愛に真摯になるつもりはない。互いに理解し合う事は無いだろうが、それでも俺達は仲良くやっていた。
「で、結局二人と同棲してるっていうのは……」
会話を本筋に戻すべく開かれた弘人の口が、しかし途中で止まる。
「宗耶、少し来てくれ」
振り向くと、教室の喧騒に紛れてか、いつの間にか由実が俺の後ろにいた。
俺と由実、俺と弘人は仲が良いが、由実と弘人の間にあまり繋がりは無く、むしろ弘人は由実を苦手にしている節すらある。自分の彼女以外の顔をあまり気にしない弘人にとってみれば、由実はただ堅物で近寄り難い女に見えるのかもしれない。
「じゃあ、ちょっと行ってくる」
「やっぱり宗耶は友情よりも女を取るのか……」
「お前だって俺よりは睦美ちゃんを取るだろ」
「そんなの比べる事すらおこがましいね」
別れの軽口を交わし合い、弘人の机から降りて由実の元に向かう。
「昨日の今日で、か。珍しいな」
「いや、そういうわけではないんだ」
由実が小さく首を振る。わざわざ友人との談笑に割り込むくらいだから、てっきりまた謳歌による侵攻かと思ったのだが。
「それはまた、別の意味で珍しい」
いかに幼馴染だと言っても、教室での俺と由実はいつも一緒にいるわけではない。むしろ、用事でもない限りはそれぞれ別の友人といるのが普通だ。
「じゃあなんだ、クリスマスのデートの誘いにでも来てくれたのか?」
「なんで私が宗耶をデートに誘う必要があるのか全く理解できないな」
このやりとりは、覚えている限りでは四回目だ。三年ほど前の一回目は由実ももう少し初々しい反応をしていた気がするが、流石に四回目ともなると軽く流される。
「今日は生徒会があるから、今のうちに話しておきたい事があってな」
生徒会、というのはこの場合、生徒会という組織自体ではなく、そこで定期的に行われている会議の事だろう。用がなくても集まっている事も多い生徒会のメンバーだが、本来なら全員が集まる場はその会議のみ。受験を控え、普段は生徒会室に顔を出さない副会長も、定例会議には毎回出席しているらしい。
なぜかいつも生徒会室にいる会長については、気にしてはいけない。多分推薦でも取っているのだろうと思いたいが。
当然、生徒会役員のみで行われる会議に部外者の俺は参加できないし、できたとしても副会長がいるのでしたくない。つまり、今日は俺と由実で別々に帰宅する事になる。
「まず、やはり連泊はあまり親がいい顔をしないから、今日は泊まれそうにない」
周りに聞こえないように、由実は顔をぐいと近づけて小声で話し始める。俺としてはこの体勢も周囲の目が気になるが、幸いにもうるさい連中は椿の元に集まっていてこちらを見てはいなかった。
「まぁ、そうだろうな」
由実の母親はともかく、父親はなかなか古風で厳しい。俺と由実の関係を幼馴染、良い友人だと思っているためか俺に対しては寛容だが、一線を越えたと判断されれば面倒な事になりかねない。君にお父さんと呼ばれる筋合いは無い! などと吠えるあの人の姿は簡単に想像がつくし、一泊ならまだしも、何泊もすればその想像は限りなく現実に近付く。
「それだけか? それならもう戻るけど」
「……そうだな、後は、まぁ気をつけてくれと言いたかっただけだ」
由実は低い声で警告を発すると、まっすぐに自分の席へと戻って行った。そのくらいの事ならメールでもすれば良かったのではないか、などと思わない事もないが。
「あれ、もう終わったの?」
予想以上に早く終わった由実との会話に、戻った先はまたもや弘人の机。
結局のところ、残りの時間を俺は弘人の質問責めに答えて潰す羽目になってしまった。
開かない目を擦りながらいつものように始業のチャイム直前に教室へ滑り込んだ俺を待っていたのは、転校生の噂でざわついたクラスメイト達の声。
どうやら女だという事まで漏れているらしく、男達はまだ見ぬ美少女の来訪を心待ちにする様子。その期待は大抵の場合裏切られる事になるが、幸運な事に今回の転校生は期待通りの美少女。思いがけない幸運は、皆に等しく幸福を与えるはずだった。
「椿優奈です。千雅高校から来ました。よろしくお願いします」
転校生とは、当然のように椿の事。
今朝になって思い出したように送られてきた謳歌からの通達には、椿を俺達の通う奥光学園に転入させる旨が書かれていた。手続きを如何にして済ませたのか、などといった些事はもはや俺達にとっては今更で驚きもしなかったが、冬休みを目前にした美少女の転校には、クラスの連中の方が驚き、男子に至っては熱狂していた。
暗雲が立ち込めてきたのは、椿が座る席を決める際になってから。
テストも終わり、ホームルームという名の自由時間を過ごすだけのクラスの人間の大半は、十分な時間を掛けて椿の席決めをするものだと思っていたはずだ。
「あー、椿には遊馬の右の席に座ってもらう事になってるから」
だが、闘争の色を帯び始めたクラスの空気は、不自然な担任の言葉が一蹴。
燻った視線が俺、そして俺の右隣の席に座る高橋に向けられ、そこからの展開はもう流れの通りだ。流石に転校生の前でいきなり罵倒が飛び交う事は無いが、嫉妬と羨望、敵意に殺意の視線を全身に浴びるのはそれなりに辛い。高橋の「俺はどうすればいいんだ?」という困惑の声は唯一気晴らしにはなるが。
「じゃあ、そういう事で後は適当にやっててくれ」
適当な言葉を残し、担任が教室を後にする。教卓に積まれたプリント類、高橋の席の決め直しなどに関わるつもりはないらしい。教師って楽そうでうらやましい。
そんな漫然とした思考も、鼓膜、特に右のそれを揺らす音に遮られてしまう。
音の発生源、転校生に群がるクラスメイトの図が椿の席の周り、つまり俺のすぐ右隣で展開されていた。騒がしいし鬱陶しいし時々睨まれてる気がするので席を立つ。
「宗耶はいつも楽しそうで羨ましいよ」
「俺にしてみればお前の方が羨ましいわ」
逃げ込んだ先は、由実を除けばこの学校で最も親しい友人、古町弘人の机の上。こんな時も穏やかなその態度は、彼女持ちの余裕なのだろう。
「やっぱり、転校生とは知り合いだったりするの?」
「知り合いってほどは知らないけど、全く知らないってほど知らない事もない」
「つまり?」
「同棲してる」
弘人の顎が落ちる。慌てて支えてやると、勢い余って舌を噛んだらしく悶絶していた。
「別に、お前が想像してるようないやらしい感じじゃないぞ。由実も一緒だし」
「久しぶりに本気で宗耶を恨んだよ」
口元を押さえながらこちらを睨む弘人の怒りの原因は、きっと舌の痛みだろう。
「白樺さんとは付き合ってないって言ってなかったっけ?」
「付き合ってはいないな。転校生とも由実とも」
「……つまり?」
「つまり、彼女持ちのお前と違って、俺は誰と付き合ってもいいわけだ」
「いや、そうじゃなくって」
適当に流してやるつもりが、弘人は意外に話に喰いついてくる。ここはボケでも重ねてほしいところだったのだが。
「やっぱり、お前でもあのレベルの転校生は気になるのか」
「いや、全然。僕には睦美がいるし」
そう口にする弘人の顔には、全く迷いが無かった。
顔立ちもそれなりに整っていて性格も頭も良いこの男をここまで一途にさせる睦美という女に、俺はまだ直接会った事が無い。一度写真で見た限りではそこまでかわいくもないように見えたのだが、その事を口にした際の弘人は何と言うかとても恐ろしかった。
「お前でも、って事は宗耶は気になってるわけだ」
「俺には睦美はいないからな」
冗談めかして言った言葉にも、弘人の目は笑っていない。彼女を呼び捨てにされただけでそんなに怒らなくてもいいだろうに。
「実際、かわいいのはどう見ても否定できないからな。それだけで十分だ」
「まぁ、それはそうなんだろうね」
一人を愛したら他はどうでもいい弘人と違い、俗物の俺はそこまで恋愛に真摯になるつもりはない。互いに理解し合う事は無いだろうが、それでも俺達は仲良くやっていた。
「で、結局二人と同棲してるっていうのは……」
会話を本筋に戻すべく開かれた弘人の口が、しかし途中で止まる。
「宗耶、少し来てくれ」
振り向くと、教室の喧騒に紛れてか、いつの間にか由実が俺の後ろにいた。
俺と由実、俺と弘人は仲が良いが、由実と弘人の間にあまり繋がりは無く、むしろ弘人は由実を苦手にしている節すらある。自分の彼女以外の顔をあまり気にしない弘人にとってみれば、由実はただ堅物で近寄り難い女に見えるのかもしれない。
「じゃあ、ちょっと行ってくる」
「やっぱり宗耶は友情よりも女を取るのか……」
「お前だって俺よりは睦美ちゃんを取るだろ」
「そんなの比べる事すらおこがましいね」
別れの軽口を交わし合い、弘人の机から降りて由実の元に向かう。
「昨日の今日で、か。珍しいな」
「いや、そういうわけではないんだ」
由実が小さく首を振る。わざわざ友人との談笑に割り込むくらいだから、てっきりまた謳歌による侵攻かと思ったのだが。
「それはまた、別の意味で珍しい」
いかに幼馴染だと言っても、教室での俺と由実はいつも一緒にいるわけではない。むしろ、用事でもない限りはそれぞれ別の友人といるのが普通だ。
「じゃあなんだ、クリスマスのデートの誘いにでも来てくれたのか?」
「なんで私が宗耶をデートに誘う必要があるのか全く理解できないな」
このやりとりは、覚えている限りでは四回目だ。三年ほど前の一回目は由実ももう少し初々しい反応をしていた気がするが、流石に四回目ともなると軽く流される。
「今日は生徒会があるから、今のうちに話しておきたい事があってな」
生徒会、というのはこの場合、生徒会という組織自体ではなく、そこで定期的に行われている会議の事だろう。用がなくても集まっている事も多い生徒会のメンバーだが、本来なら全員が集まる場はその会議のみ。受験を控え、普段は生徒会室に顔を出さない副会長も、定例会議には毎回出席しているらしい。
なぜかいつも生徒会室にいる会長については、気にしてはいけない。多分推薦でも取っているのだろうと思いたいが。
当然、生徒会役員のみで行われる会議に部外者の俺は参加できないし、できたとしても副会長がいるのでしたくない。つまり、今日は俺と由実で別々に帰宅する事になる。
「まず、やはり連泊はあまり親がいい顔をしないから、今日は泊まれそうにない」
周りに聞こえないように、由実は顔をぐいと近づけて小声で話し始める。俺としてはこの体勢も周囲の目が気になるが、幸いにもうるさい連中は椿の元に集まっていてこちらを見てはいなかった。
「まぁ、そうだろうな」
由実の母親はともかく、父親はなかなか古風で厳しい。俺と由実の関係を幼馴染、良い友人だと思っているためか俺に対しては寛容だが、一線を越えたと判断されれば面倒な事になりかねない。君にお父さんと呼ばれる筋合いは無い! などと吠えるあの人の姿は簡単に想像がつくし、一泊ならまだしも、何泊もすればその想像は限りなく現実に近付く。
「それだけか? それならもう戻るけど」
「……そうだな、後は、まぁ気をつけてくれと言いたかっただけだ」
由実は低い声で警告を発すると、まっすぐに自分の席へと戻って行った。そのくらいの事ならメールでもすれば良かったのではないか、などと思わない事もないが。
「あれ、もう終わったの?」
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