桜に酔いし鬼噺

末千屋 コイメ

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第四話

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◆◇◆◇◆◇
 明け方の身を切るような寒さで目を覚ました。隣を見れば、まだ幼さの残る顔をした青い少女が私の布団を奪って眠っている。
「寝相が悪い訳ではないのか……」
 眠る前に私の背にぴったりくっついてきていた事は覚えている。そこから動いていない。ただ私の布団を奪っているだけ。外は薄ぼんやり明るくなってきている。着物を整えるが、寒いものは寒い。彼女の布団を引っ張り、入り込む。ぱちっ、目が開いた。
「あ、ああう、あああああ!」
「落ち着いてください!」
 手足をばたばたしたので、押さえこむ。どうして朝から彼女を組み敷かないといけないんだ。結局布団が落ちて、寒い。彼女の首筋に歯形がくっきり残っている。はだけた胸にも赤い花が点々と咲いていた。
 こんなに跡が残るとは思わなかった。組み敷いてしまったので手を離せば、指の跡が手首に残った。
「小焼様?」
「どこも痛くないですか?」
「うん……。大丈夫。ちっとも痛くないの。心配してくれてありがとうございます、やの」
「それなら良いです……」
 何と言葉をかければ良いのかわからない。とりあえず彼女の上から退いて、引っ張って、座らせてやる。敷布に破瓜の血がこびりついていた。
「本当に生娘おぼこだったんですね? てっきり何処かの旦那に割られていると思いましたが」
「う、うん……。小焼様がウチのはじめての人やの……」
 恥ずかしそうに声が徐々に小さくなる。何を今更恥ずかしがっているのかわからない。
 それより、彼女も起きたことだし……帰るか。
「あ、小焼様待ってやの」
「何ですか?」
「お手水ちょうず持ってくるから――きゃっ!」
「…………」
 盛大に転んだ。予想外に大きな音と振動がしたので、慌てたように早い足音と共に障子が開かれ、屏風の向こうから若い者が現れた。
「どうしやすた?」
「あ、うう、ウチ、転んでしもたの。ごめんなさい、大丈夫やの」
「あー、もう、嬢ちゃんすかぁ。驚かせないでくだせぇよぉ」
「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」
「ひぇっ! またすぐに泣かないでくだせぇ!」
 この子が泣くのは日常茶飯事なのだろうか。
 若い者は困ったように頭を掻いていた。これはまだ帰れそうにないな……。
「あー……、えっと、若旦那はお帰りで?」
「そう思ったのですが、この子が、手水がどうのとか言って転んだので帰れそうにありません」
「ああ! 手水っすね。ちょいと待っててくだせぇ。今持って来やすよ」
「はぁ」
 手水はどうでも良いから帰りたいのだが……。
 少し待つと、若い者がうがい茶碗と房楊枝を持参する。もう帰ってから洗えば良いだろうとも思ったが、せっかく用意してもらったので、使っておく。景一は横で着物を整えていた。若い者は何故かまだいる。
「あの、貴方は?」
「ああ、すいやせん。名乗ってなかったっすね。俺は見世番みせばん吾介ごすけでさぁ。ほら、錦さんの傘持ちっすよ」
「見世番がどうして部屋にとんでくるんです」
「い、いやぁ。嬢ちゃんの水揚ってんで、錦さんに『気にかけといてくんな』って言われてたんでさぁ」
「そうですか」
「ひぃい! 睨まねぇでくだせぇ!」
 睨んでいるつもりはないんだが……。今度こそ帰るか。
 私が立てば、景一も立つ。いつの間にか私の羽織を握り締めていた。
 部屋を出ると、他の部屋からも客と女郎がぞろぞろ出てきている。階段で煙草箱を渡している者や別れを惜しんで、抱き締め合っている者もいる。それらを横目に下りていく。ちらほらいた女郎達は端へと寄る。こちらを見ながら何か話をしている。景一は俯いていた。階段を落ちるような事はしないで欲しいが、その心配は無用だったようだ。下りきると、羽織を着せかけてくれた。
「ま、また来なさんし……。次はいつ来なすんえ?」
「無理して喋らないでください」
「ご、ごめんなさい」
わざわざ金のかかる遊びをしようと思わない。父様がきちんと働いてくれるならば、余裕があるとは思うのだが、きっちり伝えると期待させてしまうだろう。それはまずいな。
「小焼様。ウ、ウチ、待ってるから……また来て欲しいの」
 返事代わりに頬を撫でてやると嬉しそうに笑った。初めて笑った顔を見た。泣き顔よりも笑った顔の方がずっと良いな……。
 手を振り見送る彼女に背を向け、歩き始める。
 空は白々と明るんで雀の囀りがそこかしこから聞こえる。手に息を吐けば白く染まり、指先に仄かに熱を与えた。やはり寒いな。大門近くには、客を見送る女郎の姿が多く見えた。
が、私には全く関係ないので、さっさと角を曲がって店へ帰った。
「おお! 小焼おかえり!」
「珍しく朝が早いんですね」
「珍しくは余計だぞ!」
 余計じゃないだろう。私がいなかった三月ばかりを早く起きていた習慣だからと言うならわかるが、この寝坊助が起きる訳無い。我が父ながら面倒臭い。朝から声が馬鹿でかい。耳でも遠くなったか? と思ったが、昔からこの調子だったはずなので、それは無いな。女郎遊びをするくらいだから元気なままだろう。
 私があくびをしていると、にやけた顔をこちらに向ける。
「なんだぁ、朝まで景一と交合とぼしてたのかぁ?」
「違いますよ」
「ほーん。優しくしてやったか? 景一は身体が小さいから大変だったろうに。痛がってたろ?」
「いえ? 痛いとは一言も……」
 何度尋ねても答えは「痛くない」だった。あれは我慢していたのか? 首に噛みついてしまったが、痛いと言わずに気をやってしまっていた。興奮していたとしても痛くないのか?
「ああ、そうだ。薬を貰いに行かないと……」
「薬? 破瓜なら血が出ても問題ないぞ」
「そうではなくて……」
 何と説明しようか。考えていると、父様はニタニタ笑って風呂敷包みを渡してきた。
「そんなに激しくしてやったのかぁ。それなら伊織いおり屋にこれを届けるついでに夏樹なつきに薬を貰ってこい」
「はぁ。そうですね……」
 いちいち面倒臭い。伊織屋――薬問屋には幼馴染の夏樹がいる。あちこちに弟子入りして医者になったと聞いたのは、四月よつき前だったか。四月もすれば、立派な医者になってそうだな……。
 風呂敷包みを片手に道を行く。日が昇りきると見送りをしている女郎の姿は見えない。代わりにこれから湯屋へ行くと思われる姿を見かける。この寒いのに外風呂だと見世に戻るまでに身体が冷えないだろうか。足も霜焼けになりそうだ。もう慣れたものなのだろうな……。
 伊織屋の隣に養生所が造られていた。三月前は物置だったはずだが、片付けたのか。
「すみません」
「あーい。って、小焼じゃねぇか! いつ帰ってきたんだ?」
「七日ぐらい前でしょうかね……」
 慈姑くわい頭の若い男――夏樹が愛想良く笑いながらこちらに歩み寄る。
 養生所の中は綺麗に片付けられていた。患者がいないのは喜ぶところだろう。病人や怪我人はいない方が良いと思う。医者を生業としているならいた方が良いとは思うが、ここは養生所だからな……。
「ああ、荷物を届けに来てくれたんだな! 後で店に持って行っておくからそこに置いといてくれ」
「ええ。それと、傷薬を貰いたいんですが」
「何だ? 長旅で怪我でもしたか? それにしちゃ来るのが遅いよな?」
「いえ……。とりあえず見てください」
 さすがに女を噛んだとは言えないので、自分の背を見せることにした。噛み傷も引っ掻き傷も似たようなものだろう。押し肌脱ぎ、背を見せると背後で笑う声がした。
「おいおい。こりゃあ、雌猫にでも引っ掻かれたのか」
「……そうですけど」
「そう怒るなって、薬塗ってやるから」
「痛っ!」
 刺すような痛みが走る。どれくらいの深さで傷が入っているか見えないが、だいぶ深く抉られているような気がする。夏樹は軟膏を丁寧に塗ってくれているが、痛いものは痛い。
「ほいほい。我慢しろよ。それにしても、おまえが女に引っ掻かれて来るなんて、まさか、手込めにしたんじゃねぇだろうな?」
「そんな事しませんよ」
「だよなぁ。ほれ、これで良いだろ」
「ありがとうございます。……これ、持ち帰りたいんですが」
「へ? 今塗ったので治るぞ」
「一応……」
「おまえ、まさか、女を傷つけたのか?」
「そのですが何か?」
「わかった。わかった。……おまえのって癖なんだな?」
「癖?」
「爪噛んでるだろ。気付いてなかったのかよ。……もしかして、女も噛んじまったか?」
「っ」
「睨むな睨むな! 誰にも言わねぇし、ちゃんと薬を用意してやっから。噛むなんて猫かおまえは……」
 睨んだつもりは無いんだがな……。
 左手を見ると親指の爪が三日月を荒くしたように欠けていた。いつ噛んだのかさっぱり記憶に無い。
 夏樹は苦笑いをしながら小瓶に軟膏を詰めてくれていた。金を払おうとすると「ここは養生所だから金は良いよ」と言われた。それでも少しは金を払うものだろう。渡そうとしても受け取られないので、下がっておいた。今度何か菓子折りでも持って来るか。
 養生所を出て道を戻る。夜の間に降り積もった新雪を踏めば、さくさく、小さな音を鳴らした。霜を踏むとばりばり鳴る。幼い頃はよく遊んだものだが、今やっていると少し虚しさを感じた。
 そろそろ春になる頃だというのに雪で遊んでいるのもおかしいな。見上げれば、桜の蕾が膨らんでいる。もうすぐ咲くだろうか……。母様がとても嬉しそうに花見をしていた姿を思い出した。
 ――今年も、ここの桜は変わらずに咲いてくれそうだ。
 ともゑ屋へ足を向けようとしたが、薬だけ渡すのも悪いだろうか。何か他に渡すべきか……。
 とりあえず伯母が経営している小間物屋に来た。親戚なので私を見てもひそひそ話をすることは無い。
 どういった物を渡せば彼女が喜ぶか……さっぱりわからないな……。
「小焼ちゃん。何か探しているのかい?」
「はい。その……女に……贈り物をしたいのですが……」
「あら、それなら!」
 と、上機嫌な様子の伯母は、立派な長櫛を引っ張り出してきた。
 櫛なら使えるだろうし、要らないなら七つ屋にでも入れやすいだろう。
「これなら、きっとどんな女の子でも喜んでくれるわよぉ」
「そうですね……これなら……」
「小焼ちゃんもそういう年頃になったのねぇ。あたいも嬉しいわぁ」
「はぁ」
 何処となく父様と似ている。やはり姉上なだけある。豪快に笑って「お代は良いから頑張っておいで」と長櫛を持たされ、背を押された。痛みについ睨んでしまうが、伯母は笑うだけだった。
 ともゑ屋に着くとせわしない様子だった。
 近くにいた若い者に話を聞くと、明日から景一が客を取るので見世替えをしてくる客が多くいるはずだと畳の張り替えや布団の入れ替えをしているらしい。少しでも良く見せようと準備しているとか。
 よくわからないが、忙しいということだけはわかった。
「あれ? 中臣屋の若旦那。どうしやすた?」
 若い者が仕事に戻るのを見届けたと同時に背後から声がかかる。この男は確か、番頭の平八へいはちだ。荷の受け取りをしてもらう時に何度か話をしたことがあるので覚えている。
「景一に渡したい物がありまして」
「ああ、それなら――」
「小焼様?」
「あー……直接渡してやってくだせぇ。のんびりしてられるのも今だけなんでさぁ」
 平八は行ってしまった。髪を下ろした少女がとことこ近付いて来る。改めて見ると小さいな……。昨夜の扱いを思い出して、どうにも気まずい。さっさと渡して帰ろう。長居は不要だ。
「これ」
「?」
「受け取ってください。傷薬です。それと……これは要らないなら、捨てるなり七つ屋に入れてください」
「ウチにこんな立派な櫛……。ありがとうございますやの」
 薬と櫛を渡せば、嬉しそうに微笑まれる。胸のあたりが苦しく感じた。
「では」
「また来てくださいなやの」
 背後からの声に、先刻も同じ事を言っていた気がすると思いながら、ともゑ屋を後にした。

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