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第二章 お師匠様がやってきた
さようならお師匠様
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「ただ、神殿に所属する者は独身が義務付けられていて……」
少し言いにくそうにルシウスが補足した。
恋人を作ることまでは禁止されていない。
それでも今後、神殿所属となると、アイシャとトオンは生涯結婚不可ということになってしまう。
「あら。私とトオンはもう結婚してるもの。国王と王妃だったときに」
「アイシャ。でもあれは俺はクーツの身代わりとしてで」
「いいえ。ちゃんとあなたの名前で教会に婚姻届を提出してあるわ」
「え!? 聞いてないよ!」
「話してないもの」
しれっとアイシャが言ってのけた。
「ご近所さんたちは皆、『早く結婚したほうがいい』って言ってくれるけど、そのたび困ってたの。もう結婚してます、なんて言えないじゃない?」
国王と王妃としてとっくに結婚してます、とはさすがに言えなかった。そういうことだ。
「まだトオンには内緒にしておくつもりだったんだけど。こうなったら隠しておけないわよね」
「き、既婚者が神殿に所属する場合はどうなるんだろう? 離婚しなきゃなのかな?」
「ふむ、それは……」
考えるまでもない、とルシウスは笑った。
「このまま神殿の王都への誘致を進めてしまえばいい。それでアイシャがカーナ王国支部の代表就任するとき、神殿側がごちゃごちゃ言ってくるようなら」
「拳で黙らせましょうか」
「うむ。実力行使だ。面倒くさいことを言ってくるようなら、永遠の国に帰れと言ってやれば向こうも考えるだろう」
ルシウスとアイシャがとても悪い顔で笑い合っている。
(これが環使いの本能タイプかあ……)
すごい。勢いだけで物事を進めている感が半端ない。
そしてスピードが速い。トオンのような頭で考えるタイプからすると、ほとんど何も考えていないように見えるほどだった。
このタイプを単独で野放しにしておくと、周囲は振り回されるだろうなと思う。
(……あれ?)
とそこでトオンはあることに気づいた。
もう自身を虐げる者もおらず、美味しいごはんも食べられるようになってアイシャは回復し元気を取り戻した。
気力も体力も、魔力も。
この頃になるとトオンも、アイシャが相当に押しの強い図太い性格であることがわかっている。
今日も、トオンと一緒に二日酔いだったルシウスを言い負かすほどだから、余程のものだ。
(異母弟、お前は最初に出会った子供の頃から、アイシャのこういう強いところを叩いてヘコませ続けてきたんだな)
そうせずにはいられないほど、アイシャに脅威を感じていたということだ。
目の前でアイシャはルシウスと、神殿攻略法を熱心に話し合っている。
多分アイシャは、もはや神殿相手にも引けを取ることはないだろう。彼女は本来とても強い人間なのだ。
聖女として幼い頃から教会や王侯貴族たちに囲まれていたアイシャは対人関係にも強いはずだった。
僅かな国王在位期間中、トオンは王妃アイシャの『人の上に立つ』資質を最も間近で見ることができる位置にいて、それを知っていた。
(だけど、そうだね。君をひとりにしていると、周囲に軋轢を生みそうだ。そういうところを上手く調整するのが俺の役目なんだな)
アイシャが動きやすいよう、彼女の個性を十分に発揮できるよう取り計らうのが、聖女アイシャの世話役トオンに与えられた役割だった。
自分とアイシャの関係は、聖女とその世話役。そして恋人、夫婦関係。それでいい。
贅沢を言うなら、ただのトオンとアイシャとしても結婚式を挙げてご近所さんたちから祝福されたい。
けれどそれは後から考えるのでも充分だ。
トオンにはずっと気になっていたことがある。
(アイシャには俺がいるけど、ルシウスさんはどうなんだろう?)
話を聞く限り、今の彼に想い合う相手はいないようだ。
彼個人を専門的にサポートする者もいるようには思えない。
故郷のアケロニア王国にいたときは、貴族として多数の配下を使う立場だったろうが、聖者としての彼を支える者がどこにも見当たらない。
(年を考えたら、とっくに結婚していてもおかしくない人だけど)
この麗しの男前に、恋人なり伴侶なりが寄り添っている姿がまるで浮かばない。
(本当に生涯独身を貫くのかな、この人)
まだ一ヶ月と少ししか関わっていないが、カズンが最初の手紙に書いていたように『世話好きで愉快で素敵な人』なのは確かだった。かなり癖があるけれども。
ご近所さんたちに馴染んで、若い女の子から熟女たちまで相当に騒がれた男前だったが、本人は笑ってスマートに彼女たちをあしらっていた。
モテてはいたが、トオンの見るところ、この一ヶ月ちょっとの間に特定の男女関係を持った相手もいない様子だった。
そのうち、その辺の個人的なことをいろいろ聞いてみよう、と思ったトオンだ。
ほとぼりが冷めた頃、今度は自分から酒……はアイシャが怒るので、外でカフェにでも誘ってみようと。
「これで邪魔者はいなくなる。存分に仲良くするが良いぞ」
と笑って翌朝、ルシウスは旅行用トランクひとつにすべての荷物を詰めて環内のアイテムボックスに収納すると、身軽に赤レンガの建物を去って行ったのだった。
その鍛えられた背の高い後ろ姿を見送りながら、
「またルシウスさんが余計な気を回した……」
「ふふ。いいじゃない。同じ王都にいるんだし、会いたければすぐ会える距離だもの」
赤レンガの建物を出ても、ミーシャおばさんのパン屋のパンや惣菜を気に入っているからまた買いにくるらしいし、そのとき寄ってもらってお茶や食事に誘えばいい。
「そうだね。まだまだ教えてもらいたいこと、たくさんあるし」
お師匠様は逃せない。
少し言いにくそうにルシウスが補足した。
恋人を作ることまでは禁止されていない。
それでも今後、神殿所属となると、アイシャとトオンは生涯結婚不可ということになってしまう。
「あら。私とトオンはもう結婚してるもの。国王と王妃だったときに」
「アイシャ。でもあれは俺はクーツの身代わりとしてで」
「いいえ。ちゃんとあなたの名前で教会に婚姻届を提出してあるわ」
「え!? 聞いてないよ!」
「話してないもの」
しれっとアイシャが言ってのけた。
「ご近所さんたちは皆、『早く結婚したほうがいい』って言ってくれるけど、そのたび困ってたの。もう結婚してます、なんて言えないじゃない?」
国王と王妃としてとっくに結婚してます、とはさすがに言えなかった。そういうことだ。
「まだトオンには内緒にしておくつもりだったんだけど。こうなったら隠しておけないわよね」
「き、既婚者が神殿に所属する場合はどうなるんだろう? 離婚しなきゃなのかな?」
「ふむ、それは……」
考えるまでもない、とルシウスは笑った。
「このまま神殿の王都への誘致を進めてしまえばいい。それでアイシャがカーナ王国支部の代表就任するとき、神殿側がごちゃごちゃ言ってくるようなら」
「拳で黙らせましょうか」
「うむ。実力行使だ。面倒くさいことを言ってくるようなら、永遠の国に帰れと言ってやれば向こうも考えるだろう」
ルシウスとアイシャがとても悪い顔で笑い合っている。
(これが環使いの本能タイプかあ……)
すごい。勢いだけで物事を進めている感が半端ない。
そしてスピードが速い。トオンのような頭で考えるタイプからすると、ほとんど何も考えていないように見えるほどだった。
このタイプを単独で野放しにしておくと、周囲は振り回されるだろうなと思う。
(……あれ?)
とそこでトオンはあることに気づいた。
もう自身を虐げる者もおらず、美味しいごはんも食べられるようになってアイシャは回復し元気を取り戻した。
気力も体力も、魔力も。
この頃になるとトオンも、アイシャが相当に押しの強い図太い性格であることがわかっている。
今日も、トオンと一緒に二日酔いだったルシウスを言い負かすほどだから、余程のものだ。
(異母弟、お前は最初に出会った子供の頃から、アイシャのこういう強いところを叩いてヘコませ続けてきたんだな)
そうせずにはいられないほど、アイシャに脅威を感じていたということだ。
目の前でアイシャはルシウスと、神殿攻略法を熱心に話し合っている。
多分アイシャは、もはや神殿相手にも引けを取ることはないだろう。彼女は本来とても強い人間なのだ。
聖女として幼い頃から教会や王侯貴族たちに囲まれていたアイシャは対人関係にも強いはずだった。
僅かな国王在位期間中、トオンは王妃アイシャの『人の上に立つ』資質を最も間近で見ることができる位置にいて、それを知っていた。
(だけど、そうだね。君をひとりにしていると、周囲に軋轢を生みそうだ。そういうところを上手く調整するのが俺の役目なんだな)
アイシャが動きやすいよう、彼女の個性を十分に発揮できるよう取り計らうのが、聖女アイシャの世話役トオンに与えられた役割だった。
自分とアイシャの関係は、聖女とその世話役。そして恋人、夫婦関係。それでいい。
贅沢を言うなら、ただのトオンとアイシャとしても結婚式を挙げてご近所さんたちから祝福されたい。
けれどそれは後から考えるのでも充分だ。
トオンにはずっと気になっていたことがある。
(アイシャには俺がいるけど、ルシウスさんはどうなんだろう?)
話を聞く限り、今の彼に想い合う相手はいないようだ。
彼個人を専門的にサポートする者もいるようには思えない。
故郷のアケロニア王国にいたときは、貴族として多数の配下を使う立場だったろうが、聖者としての彼を支える者がどこにも見当たらない。
(年を考えたら、とっくに結婚していてもおかしくない人だけど)
この麗しの男前に、恋人なり伴侶なりが寄り添っている姿がまるで浮かばない。
(本当に生涯独身を貫くのかな、この人)
まだ一ヶ月と少ししか関わっていないが、カズンが最初の手紙に書いていたように『世話好きで愉快で素敵な人』なのは確かだった。かなり癖があるけれども。
ご近所さんたちに馴染んで、若い女の子から熟女たちまで相当に騒がれた男前だったが、本人は笑ってスマートに彼女たちをあしらっていた。
モテてはいたが、トオンの見るところ、この一ヶ月ちょっとの間に特定の男女関係を持った相手もいない様子だった。
そのうち、その辺の個人的なことをいろいろ聞いてみよう、と思ったトオンだ。
ほとぼりが冷めた頃、今度は自分から酒……はアイシャが怒るので、外でカフェにでも誘ってみようと。
「これで邪魔者はいなくなる。存分に仲良くするが良いぞ」
と笑って翌朝、ルシウスは旅行用トランクひとつにすべての荷物を詰めて環内のアイテムボックスに収納すると、身軽に赤レンガの建物を去って行ったのだった。
その鍛えられた背の高い後ろ姿を見送りながら、
「またルシウスさんが余計な気を回した……」
「ふふ。いいじゃない。同じ王都にいるんだし、会いたければすぐ会える距離だもの」
赤レンガの建物を出ても、ミーシャおばさんのパン屋のパンや惣菜を気に入っているからまた買いにくるらしいし、そのとき寄ってもらってお茶や食事に誘えばいい。
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お師匠様は逃せない。
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