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第3章 磐井郡の合戦 4
しおりを挟む河崎柵の門を潜った経清ら国府軍将兵らは、出迎える為行、良昭達の前に進むと全員が馬を降り、その場に跪いた。
「我ら亘理勢、並びに伊具勢の帰順、快く受け入れてくださり感謝申し上げる!」
「経清殿。貴公も永衡殿も同じ安倍の一門、我らはそもそも貴公らを敵方などとは思っておらなんだ。どうか面を上げてくだされ」
微笑みながら頷く良昭の言葉に、経清は涙を滲ませた。
「一昨日、柵に向けて矢文が放たれてきた時は何事かと思うたが、上手くいって良かったわい。偽の伝令に踊らされ、ありもせぬ我らの総攻撃に慌てふためき尻尾を巻いた頼義の奴、今頃国府の前でどんな呆けた面を配下の前で晒しておることか、実に見物だったろうて!」
為行が愉快そうに腹を揺すって大笑いした。
「ところで、永衡殿はどうなされたのじゃ? この度は御姿が見えませぬが」
首を傾げながら帰順将兵を見渡す為行の前に、伝令を務めた武者――永衡の家臣が、涙に咽びながら携えてきた桶を掲げて見せた。
「……まさかっ!?」
絶句する良昭達へ、声を震わせながら経清が答える。
「我ら亘理、気仙への見せしめでござる。安倍の血族故、敵方に通じておるなどと、頼義に言い掛かりをつけられ、郎党ら共々、皆の前で首を打たれました」
「何という、惨いことを……」
師道もまた顔色を失い首桶に目を落とした。
「おのれ源氏の腐れ外道奴っ! 生かしてはおかぬ!」
怒りに猛る為行が弓矢を掴むと、怒涛の勢いで矢倉の上に駆け上がり、南の山向こうに向けて立て続けに矢を放ち、叫び狂った。
「聞こえておるか人でなし共、次にこの柵でまみえるときは、貴様ら源氏や国府兵の血で北上川を赤く染めてくれる! この悪逆非道の報い、必ず受けさせてやるぞ!」
男泣きに啼く為行の怒りの咆哮が、四面の山々に響き渡った。
国府多賀城門前。
国府の門番達は、鬼気迫る形相でこちらに引き返してくる自軍の一群を前に、何事かと目を瞬かせた。
「……敵勢は、まだここには至らぬか?」
疲労と焦燥と込み上げる怒りに最早土気色の顔色を浮かべる頼義の双眸に射竦められた番兵達が震え上がって首を振った。
「どういうことじゃ、道中、勿来関を越える際にも、敵はおろか蹄の跡も見当たらなんだぞ!?」
怒鳴り散らす総大将の後ろに控える経範も困り果てたように周囲を見回す。
「ところで、先程の伝令、国府の兵ではないようであったが、誰か判る者は居るか?」
思い出そうとするように、藤原茂頼が腕を組む。
「確か、左腕に赤章を着けておったのう。あれは平氏に連なる者の印だが……」
平氏――平永衡。
嫌な懸念が経範の胸を過った。
「……そういえば、永衡の首桶は誰がここへ担いで来たか?」
そこへ、河崎柵を攻めていた先行部隊が遅れて到着した。
馬も人も息切らし泡を吹きながらの着陣である。
「て、敵は何処に在りましょうや?」
「こっちが訊きたいわ!」
必死の思いで多賀城まで駆け付け、崩れ落ちるように馬から降り主の前に低頭する為時を頼義が理不尽にも怒鳴りつける。
「おい、経清はどこにいるか?」
「は、我らを先に逃がすため、国府勢を率いて敵騎馬の追撃を防いでおりました。無事だと良いのですが……」
心配そうに為時が答える。
「御君、まさか……」
懸念が確信に変わりつつある経範が、主の方を振り返る。
頼義は込み上げる怒りに頬をひくつかせながらぎりぎりと薙刀の柄が軋むほど握り締めた。
「経清め……よくも、よくもこの予を虚仮にしおって! うがあああああっ!!」
怒髪天を衝く激情を堪え切れず、絶叫しながら薙刀を国府の門に目掛けて投げつけた。
勢い凄まじく門の柱に突き刺さる薙刀に、門番達がキャッと悲鳴を上げて身を竦める。
「あいつだけは、あの若造だけは只では置かぬ! 必ず生きたまま引っ捕らえ、予の手で直々に仕置きを加えてくれる。決して楽には死なせぬぞ、一寸刻みの五分試しに切り苛み、じわじわと嬲り殺しじゃっ! 源氏の棟梁たるこの予に恥を掻かせたことを、骨の髄まで悔いさせてやるぞえ! うひゃひゃひゃひゃひゃひゃっ‼」
激情の余り哄笑に陥った頼義を前に、皆が呆然と立ち竦む。
やがて、じろりと頼義の殺意の籠った視線を向けられた為時が「ひぃ!」と悲鳴を上げてたじろいだ。
「本当は貴様を身代わりに八つ裂きにして鬱憤を晴らしてやりたいところじゃが、予はいたく慈悲深いでな。貴様が今進めておる企ての成果を聞かせてもらうまで、その首預けておこうぞ。……やややあ、命拾いしたのう?」
ぎりぎりと歯軋り交えながらニッコリ微笑みかける頼義の前で、恐怖に震えながら為時は平伏した。
同日夜半。衣川並木屋敷。
合戦の顛末を報告するため、衣川を訪れた良昭一行の中に経清の姿を見つけた頼時は流石に驚きを隠せぬ様子であった。
経清帰順の一報を聞きつけた有加達も報告の場に駆け付ける。その中に中加の姿があるのを見て、思わず経清は顔を伏せた。
「とと様によく似ておられましょう?」
我が子とは初めての対面である。幸せそうに胸に抱いた赤子を見せる有加にも、心から笑い返すことがどうしてもできない。
「宅はどちらに居られまするの?」
一抹の不安を覚えた様子で、中加が経清に問う。
経清は無言で、後ろに控えていた永衡家臣から首桶を受け取った。
一目見て察した有加の顔から笑みが消え、皆がハッと息を飲んだ。
「お許しくだされ。隙を見て首級をお連れするのが精一杯でございました」
言いながら、最後に言葉を交わした際の永衡の笑顔が過り、経清の目に涙が滲む。
「――嘘。……嘘よ。だって、」
目の前に置かれた首桶を見下ろし、呆然とした様子で、中加はぽろぽろと涙を零した。
「最後まで、……中加殿のことを気にかけておられた……っ」
経清の言葉が、涙に震え、掻き消える。
震える掌で蓋に手を掛け、中の首級に手を触れる。「……冷たい」と、未だ信じられぬ心持のように小さく呟いた。
両手で捧げ持つように、永衡の首を取り出す。思わず、皆が顔を伏せる。
面影が崩れぬように美しく施された死化粧は、彼の最期を哀れに思った国府兵らのせめてもの餞か。
暫し首を見つめていた中加の顔が不意にくしゃりと歪み、「ひいいいいっ!」と悲鳴を上げ、首を抱きしめ大声で泣き崩れた。
その様子に、皆が涙を堪え切れずに啜り泣いた。とても見ていられず、何名かが顔を覆いながら席を立った。
「永衡さん、永衡さん! うわああああああ――」
「中加殿、必ず仇は取りまする。義弟の無念、誓ってこの経清が晴らしてみせましょうぞ!」
その言葉に、涙を拭いながらその場の男達が意気込んで賛同を示す。
「やめてよおっ! そんなことしたって、この人は帰ってこないわ!」
激しく首を振りながら、中加が泣き叫んだ。
「返してよ、この人を返してよ。……永衡さんを……返して……っ!」
翌朝、衣川の郷に、今年初めての木枯らしが吹きこんだ。
陸奥の地に、間もなく冬の季節が訪れようとしていた。
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