白狼姫 -前九年合戦記-

香竹薬孝

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第5章 血の海 5

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 怒涛の勢いで山裾を駆け降り自軍へと向かってくる陸奥騎馬の大軍を前に、国府勢もまた騎馬隊を正面に横列隊形を以て迎撃の構えを執る。一時の撹乱による損害は少ないものではなかったが、正攻法における源氏騎馬隊を前にしては譬え如何なる相手でも敵ではない。後の鎌倉武士団に継承される源氏一門の騎馬隊機動力は当時から天下無双と称えられ、源平合戦、奥州合戦の勝利から、傍流である甲斐の武田騎馬隊の活躍に至るまで数百年に渡り常勝不敗と謳われたという。

「敵は矢も尽き果てたと見えるぞ! 我が源氏の真骨頂、騎馬の本領をここに示せっ!」

 和気致輔の叱咤の声に、配下の兵らが鬨を上げ、迫りくる陸奥勢へ薙刀を振りかざす。

 今まさに突撃を命ぜんと致輔が太刀を振り上げたその時、背後からの矢を背中に受け、悲鳴を上げて落馬した。

 対岸から家任率いる弓手が、北側へ構えを向けている国府勢の背後へ向けて次々と矢を射かけてきていた。慌てて南側へ応戦しようと振り向き弓を構える国府勢の背中に、陸奥の騎馬隊が白衣びゃくいを翻し雪崩打って打ち掛かった。

「うおおおおおっ!」

 気迫凄まじく薙刀を振り回す貞任の隈取を施した鬼のような形相に国府兵らは思わず怯み、胴に斬撃を受けた兵の身体が真っ二つになって宙に放り投げられた。




 致輔討死の様子を目の当たりにした頼義らは顔色を失った。

「……為清も未だ戻らぬ。既に長年仕えた忠臣が二人も」

 わなわなと身を震わす頼義らのすぐ周囲にも、白い外套を翻し国府騎馬と組み打ちする敵の姿が見える。

「御君、撤退しましょう。既に河崎攻略を遂行できる兵力はありませぬ。最早これ以上応戦の態勢を維持することも難しゅうござる!」

 敵の矢から主を庇いながら経範が進言する。

 他の腹心達も、やるせない思いで肩を落とし唇を噛んだ。

「何を言うか! ここで退こうものなら我ら源氏は末代まで笑いものぞ、国府多賀城の威信も地に堕ちてしまうわい! ならばいっそ、ここで一か八か俘囚共と雌雄を決するのが予の本望じゃ!」

 屹と睨みつける頼義の肩を掴み、経範が涙ながらに訴えた。

「ここで御君に万が一があれば、それこそ源氏一党は破滅でござる。何としても御曹司と合流し、この窮地を切り抜けましょうぞ。我らは、決してここで終わるわけにはいきませぬ!」

 ハッとしたように頼義が目を見開く。

「……そうじゃ、倅は健在か? 奴がまだ無事であれば、或いはここで一敗地にまみれようとも、後日再び攻勢に転ずることが出来るやも!」

 そこへ、西側から猪突猛進の勢いでこちらに攻め寄せてくる一群があった。

「がははははははっ! 北上川の朝風を帆に受けて国府の雑兵共を足元に敷き進軍するのは実に愉快愉快! 積年の鬱屈、これで全て報われたわっ!」

 鼻息荒く国府兵を弾き飛ばしながら迫るは金為行率いる磐井騎馬隊であった。

「なんじゃ天下無双の河内源氏とやらは一体何処におるのじゃ? まさか先程から虻の如くまとわりついてくるこの木偶共のことではあるまいな? ハッ、こんな腑抜け共が相手では、まだ気仙の兵共の方が余程骨があったわい!」

 真正面に立ち配下を従える為行の身体には既に幾本もの矢が生えていたが、まるで薮蚊に刺されたほどにも気にせぬ様子で満悦の高笑いを響かせる。

「……おお、なんともはやっ! そこにおわすは陸奥守様御一行ではござらぬかっ! わが河崎への御出座し、熱烈に歓迎致しまするぞ!」

 頼義を見つけた為行が、大鉞を振るいながら馬上で慇懃に首を垂れる。

 すぐさま国府兵がその行く手を遮るように磐井勢に向けて得物を構える。

「――ここは我らが食い止めまする。御君、どうか退却を!」

 国妙が薙刀を構えながら為行に立ち向かう。

「まあ、ゆっくりしていかれよ。……これが吾輩からの挨拶じゃ。受け取るがよいっ!」

 唸りを上げて一振りされる大鉞の一薙ぎに、一斉に斬りかかった国府勢は皆吹き飛ばされ、「ひいいっ!」と悲鳴を上げて悶絶する国妙を残し頼義らはその場を逃れ去った。

「おのれ、源氏の棟梁たる予が、あんな小者にまで背を見せねばならぬとは!」

 悔しさに咽びながら頼時は東へ退却した。

「……すべては、あの霧のせいじゃ、霧さえなければ、我らは勝てたのじゃあ!」





 まともに立ち合えば、勝てぬ相手ではない。

 しかし、うっかり油断すれば対岸からの狙撃の標的となる。それが目前に迫る敵勢への集中力を分散させた。

 加えて、真っ白な外套を一様に纏う敵影は、一面を雪景色に囲まれた黒い甲冑の自軍の群れの中で、そしてこの混戦の中では非常に距離感を掴みづらい。敵と思い刀を振るえば空を切り、一拍後に敵の刃が降りかかる。周囲を見回しても、ともすると敵の白い裾がちらついて見える。

 何よりも、先頭きって斬り進む貞任の隈取施した面相と吠え猛るような気迫に、国府兵は皆畏怖し、たじろいだ。

 徐々に、確実に義家らは圧されていた。

「十郎、無事か!」

 主の背後を護る郎従に声を掛ける。

 すぐに答えが返ってくるが、その息は荒い。

「なんの、まだまだ。それより、御曹司、あれを!」

 元親の指す方を見やった義家が舌打ちを漏らす。

「ちぃっ、新手が来たか!」

 東側の友軍を粗方片付けたとみられる陸奥勢数十騎が、こちらへと近づいてくる。

 ぎり、と唇を噛みながら睨み据える義家が、その前方に加わる騎馬を認め、目を疑った。



「――一加っ!?」



 なぜ、こんなところに!

 

「御曹司?」

 急に立ち止まりわなわなと肩震わせる主の背中に声を掛ける元親の前で、突然義家は単騎敵の一群に向かって駆けて行く。

「御曹司っ!?」

 慌てて追い縋ろうとした元親の前に突然白刃が閃いた。

「っつぁ!?」

「ヒャハハハ!」

 辛うじて太刀で受け止めるが、余りに重い一撃に元親は馬上でよろめいた。……この剣戟、覚えがある。

「やはり、貴様であったか。髭など生やしておったから、宴の席ではつい気づかなんだわ!」

 胡麻斑海豹ごまふあざらしの毛皮を纏った男が嬉しそうに唇を歪める。

「重任殿? ……いや、」

 太刀を構え直しながら、困惑した顔で元親が相手を見つめる。

 以前、衣川の宴席で言葉を交わした際は、如何にも居士然とした表情に乏しい、物静かな印象であったが、今はまるで別人のように豹変している。

 顔中のあらゆる部位を戦の喜びに吊り上げ、舌なめずりせんばかりの様子で元親の前に立ちふさがる。

「今は漆部利じゃ。……仔細あってな、戦で人を屠るときは我が母方の祖から受け継いだエミシの名でこの刀を振るうことにしておるのじゃ。無論、設定も大いに脚色し練り込んでおる。こんな口上を聞かせてやったのは、実は貴様が初めてじゃ。本当はな、斬り合う相手にはこの設定、片っ端から聞かせてやりたくて堪らぬのじゃが、皆二太刀と持たず儂に討たれてしまうものでな。ああ、やっと身内以外を前に口に出来たわ。照れるのう。ヒャハハ!」

 本当に照れた様子で刀を持つ手で頬を掻く漆部利を前に、ますます元親は困惑を深めるが、相手の戦意はピリピリと伝わってくる。

「さて、……儂はな、貴様を先の戦で殺し損ねたことをな、六年もの間ずっと胸の蟠りとして口惜しく思っておったのじゃ。この合戦でも、ずっと貴様の姿はないものかと倭共を屠りながら首を巡らしておったぞ。そうして、ああ、やっと貴様を見つけることが出来たわい。儂が今、どれくらい嬉しくてならぬか、貴様に判るか?」

「……身悶えするほどに、か?」

 厳しい顔で元親が刀を構え直す。

 漆部利もまた、斜め頭上に刀を振り上げる蝦夷独特の構えをとり、元親に正対する。

「実は某も、貴公との再会を心待ちにしておったよ。いざ、決着をつけようぞ。……安倍の一党よ!」




 東の山裾を目指して撤退していた頼義は、雪原の上に倒れる無数の自軍兵士の亡骸を見るにつけ、国府の敗色をまざまざと思い知ることとなった。

「……やや! あそこに見えるは御曹司様では?」

 景季が北側の山裾を指さして声を上げる。

 見ると、西へ馬を進める数十騎の敵勢に向かってたった一人で突撃を仕掛けるところであった。

「某、加勢に行きまする!」

 配下達に声を掛け立とうとする背中へ「倅や!」と景通が呼び止める。

 振り返る息子に、父は殊更に厳めしい顔で伝える。

「東の山裾で待っておる。……必ずや御曹司をお連れするのだぞ!」

「無論でござる!」

 そう笑顔で答えると、景季は配下数騎を従え駆け去っていった。




 景季の背中を見送っていた一行の背後から、やがて蹄が雪を踏みしだく音が幾つも近づいてくる。

「……陸奥守、源頼義様御一行とお見受けする」

 振り向いた郎党達が薙刀を構える。

「何時ぞやの宴以来でございますな。いや、胆沢城でお会いしたのが最期か。その後、少々身辺が取り込みましてな。国府への出頭を命ぜられていたにもかかわらず、中々応じられずにいたこと、何卒ご容赦願いたい」

 馬上で深く一礼した後に、ぎろりと強く頼義を射竦めながら貞任は大きく薙刀を振り上げ猛り狂う。

「――だが、今となっては貴様等は我が父上の仇! 一人残らずその首叩き落してくれるっ‼」

 経範がその先頭に立ち、敵勢を率いる貞任に対峙する。

「御君、ここは某が引き受けまする。早くお退きくだされ!」

 薙刀の柄をしごきながら経範が叫ぶ。

「経範やっ!?」

「早く! いずれ他の敵勢が殺到致しまする!」

 郎党らも薙刀を構え、或いは矢を番え敵を睨み据える。何れも死に場所を弁えた眼差しである。

「経範っ、あああっ!!」

 悲壮な表情で三十年来の寵臣を見つめながら、景通らに引かれるようにして頼義は逃げ去っていった。

 「さらば、……わが主君よ!」

 主の無事を背中で祈りながら、経範ら国府兵達はそれぞれが戦名乗りを上げながら敵勢に向かって斬りかかっていった――。




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