実話怪談集『境界』

烏目浩輔

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トンネル

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 これは二十代前半の男性、北村さんのだんである。

 十一月の半ばの夜遅くだったという。
 北村さんはあるトンネルに向かっていた。彼女の可奈さんを助手席に乗せて、もう一時間ほど車を走らせている。目的は季節外れの肝試しだ。怖がりの可奈さんは嫌がったが、半ば強引に連れだしてきたのだった。

 スマホで道を確認しながら、街道を外れて、片側一車線の山道に入る。背高の樹々が茂っているため、月光が届かず周囲は真っ暗だ。うねうねと蛇行する道を十五分ほど走ると、行手に半円型のトンネルが見えてきた。

 SNSの書きこみなどから得た情報によると、トンネルの入口付近に車を停めるスペースがあるらしい。それを信じてトンネルのそばまで車を進めると、なるほど道路の脇に開けたスペースがある。雑草がちらほら生えているではあるものの、普通車であれば十台ほどは停められそうだ。

 だが、有名な肝試しスポットだというのに、車は一台も停まっていなかった。やはり冬は肝試しをするには季節外れなのだろう。あたりはしんと静まり返っていた。
 
 野地に駐車して車からおりると、可奈さんが腕にしがみついてきた。
「ほんまにトンネルに入るん?」
「入るで」
 北村さんは怖がる可奈さんを連れてトンネルの前までいった。
 トンネルの長さは三百メートルほどあるらしい。中を覗いてみると広い歩道が設けられており、年季の入ったガードレールも見て取れた。しかし、歩道もガードレールも少し先にいったところで深い闇に呑みこまれている。
 ライトのたぐいがまったく設置されておらず、トンネルの奥は墨で塗り潰したかのように暗い。

 二十年ほど前までトンネルの近くに小規模な集落があったそうだ。そこの住民が生活道のひとつとして、このトンネルの歩道を利用していたらしい。集落は過疎化の果てに消失しているが、歩道は取り残されたままになっている。
 これもSNSの書きこみから得た情報だった。

「ここ、ほんまにダメ……怖すぎる。帰ろうよお……」
 怯えた目をする可奈さんに、北村さんはきっぱり言った。
「せっかくきたのに帰りません」
 北村さんは可奈さんを腕に抱きつかせたまま、無理やりトンネルの中に入っていった。スマホをポケットから取りだしてライト機能をオンにした。

 青白い楕円形の光をあちこちに向ける。歩道のガードレールは赤錆に覆われており、苔の浮いた壁には、ひとがたに見える黒い染みができていた。怖がりではない北村さんでも、少しばかり気味が悪いと思った。
 足もとには枯れ葉やゴミが散乱していた。それに混じって週刊漫画誌なども捨て置かれている。

 可奈さんがぎゅうっと力をこめて、北村さんの腕にしがみついてきた。ぴったりと身も寄せてくる。
「歩きにくいって」
「だって怖いねんから、しゃあないやろう……」
 おそおののいている可奈さんをもっと怖がらせてやろうと、北村さんはトンネルにかんする噂話をはじめた。

 トンネルの中ほどまでいくと白い服を着た女が立っている。どこからともなく子供の笑い声が聞こえてくる。トンネルの天井に何人もの人影が張りついている。

 などといった噂をあれこれ披露しているうちに、北村さんたちはトンネルの中ほどまできていた。外気の温度が入口付近よりも低いような気がした。

 北村さんの話を聞いて余計に怖くなったのだろう。可奈さんはさらにぎゅっと力をこめて腕にしがみついている。
「そういう話せんといて……」 
 可奈さんをもっと怖がらせてやろうと、北村さんは悪戯心いたずらごころを抱いた。
 スマホのライトを消して、いきなり走りだしたのだった。しがみついていた可奈さんが腕から離れて、悲鳴じみた声がトンネル内に響き渡った。

 悲鳴を聞いて悪戯心が満たされた北村さんは、五、六メートルほど走ったところで足を止めた。ライトを消しているせいで、足もとすら見えないほど、あたりは真っ暗だった。
 後ろから駆けてくる足音が聞こえて、可奈さんが右腕にしがみついてきた。可奈さんの顔も暗くて見えなかった。
「なんでこんなことするん! めっちゃ嫌い。ほんまに嫌い!」
「ごめんごめん」
 北村さんは半ば笑いながら謝ったが、ふと違和感を覚えて口を閉じた。

 可奈さんが北村さんの右腕にしがみついているが、それと同じような感覚が左足にもあるのだった。ふくらはぎあたりになにかがしがみついているような重みがある。
(なんやろ……)
 北村さんはスマホのライトをオンにして、青白い光を自分の左足向けた。そこに浮かびあがったのは自分の足だけだった。
(気のせいやろか……)
 心の中で自問したとき、足がぐいっと引っ張られた。
「え……」
 北村さんが唖然として左足を見ていると、再びその左足がぐいっと引っ張られた。

 やはり左足になにかがしがみついている。目には見えないがなにかいる。正体不明のそれが、トンネルの奥に向かって、北村さんの左足をぐいっと引っ張ったのだった。
(なんや、これ……)
 そのとき、可奈さんの声が聞こえた。

「ねえ、戻ってきてやあ……」
 声は少し離れたところから聞こえた。五、六メートルほど後ろからだ。
 反射的にそこにスマホのライトを向けると、座りこんでいる可奈さんが確認できた。腰を抜かしたようすの可奈さんは、顔が怯えきっており、泣いているようにも見えた。

 さっきから北村さんの右腕には、なにかにしがみついていた。てっきり可奈さんだとばかり思っていたが、可奈さんは五、六メートル後ろにいる。
 
 背筋に冷たいものが走った。
 右腕にしがみついているものはなんなのか。
 
 さっき足にしがみついていたものにはライトを向けた。だが、右腕にしがみついているものには、決してライトを向けてはいけない。これは見てはいけないものだと、直感がそう告げてくる。
 そして、一刻も早くトンネルから出なければと、焦燥感のようなものにも襲われた。
 
 北村さんは座りこんでいる可奈さんのところまで駆けていった。駆けているあいだに足にしがみついていたものは消えたが、右腕にはまだなにかがいて、可奈さんのもとに着いてもそれは離れようとしなかった。
 スマホのライトが右腕に向かないよう気をつけながら、しがみつかれていないほうの左腕で可奈さんを立ちあがらせた。
「帰ろう」
「うん……」
 半べそ状態の可奈さんは、素直に北村さんに従った。

 北村さんは可奈さんの手を引いてトンネルの入口に早足で向かった。その最中も北村さんの右腕にはなにかがしがみついていた。それがトンネルの奥のほうに、ぐいぐいと腕を引っ張った。
 ようやくトンネルの外に出られたとき、しがみつかれている感覚が消えた。腕がすうと軽くなっていき、もう安心だと感覚的に理解した。

 それでも北村さんは一刻でも早くトンネルから離れたかった。ここは普通じゃない。自分の体験を可奈さんに伝えないまま車に飛び乗り、慌ててエンジンをかけてアクセルを踏んだ。ハンドルを握る手が震えていたが、スピードを緩めずに車を走らせた。

 可奈さんにトンネルでの出来事を話したのは、山道を抜けて街道に入り、さらに三十分ほど走ってからだった。
 北村さんそこではじめて知った。恐怖体験をしていたのは自分だけではなかった。
 トンネルで背後から可奈さんの声がしてスマホのライトを向けたとき、彼女は五、六メートル先で腰を抜かしたかのように座りこんでいた。だが、実際は座りこんでいたのでなく、肩になにかが乗っていたのだという。

 北村さんが駆け戻ってくるとそれは消えたが、肩が重くて立っていられなかったそうだ。

     了

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