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聖ヴェロニカ修道院を襲う悪夢

聖ヴェロニカ修道院を襲う悪夢③

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「シスターステラはフラーゼ侯爵について行くのですね?」

 シスターアグネスが問いかけてくる。
 彼女も、そして修道院長も、ステラ達のやり取りに戸惑いを隠せぬようで、咳払いをしたり、歩き回ったりと忙しそうだ。

「……侯爵を信じてみようと思います。悪事を減らすように働きかけて、彼の為に神様に祈ってみます。無駄かもですが」

「有難う、ステラ。君を大事にする」

 背に回された腕に一層力が込められ、気恥ずかしさに、慌ててその身体を突き飛ばす。
 いくら今後家族になるからといって、修道女のままベタベタするのはよくない。

「二人の気持ちは良く分かりましたわ。フラーゼ侯爵、今貴方が放った言葉、ゆめゆめお忘れなきよう……」

「勿論だよ!」

 やや険悪な雰囲気のやり取りの後の、修道院長の深いため息。この短い時間で、彼女は五歳程老け込んでしまったように見える。

「……では、シスターステラは還俗という事にしますか。手続きが面倒ですが、仕方がないですね」

「修道院長、手続きは私が行いましょう」

「シスターアグネス。宜しくお願いします」

「ええ。ステラ、直ぐには出来ないので準備が出来次第、またここにいらっしゃい」

「わ、分かりましたっ!」

 還俗した後は修道女ではなくただの一般人になる。
 待ち受ける自由な暮らしを思うと、頬が緩んだ。

(侯爵とポピー様が私の家族になって、アジさんと、ウィローさん、それからマーガレットさんは友達に……、誰かと結婚とかも許されるのかぁ……凄い! あぁ、でも結婚って結構ドロドロしてるんだったな。微妙かぁ)

 ウィローから借りた官能小説をじっくり読んだステラは、その内容を思い出して肩を竦めた。

◇◇◇

 今後の事をアレコレ話し合った後、ステラは院内の修道女達一人一人と言葉を交わし、数少ない私物を木箱にまとめた。
 たったこれだけでもそれなりに時間がかかり、時刻は既に正午を過ぎていた。

 シスターアグネスと思い出話に花を咲かせながら、出口に向かう。

「__貴女は夜な夜な修道院内をうつろいて、一時はゴーストの噂がたってしまいましたね」

「皆大袈裟なんです。神聖なはずの修道院内にゴーストが現れるなら、街はもっと酷い事になっちゃいますよ」

「フフ……。そうね」

 通路の角を曲がると、中庭に面する回廊にさしかかる。
 ステラが掃除しなくなってから、誰かが代わりにやってくれていたのか、状態はそこそこ綺麗に保たれていた。
 中庭にはマドンナリリーが咲きほこり、季節の移り変わりを感じさせてくれる。その清らかな純白の花弁から、鈴蘭を連想する__そう、フラーゼ侯爵家の庭に咲いていたあの可憐な花。

 自分自身に起こった不思議な出来事をどう受け止めるべきなんだろう。

「シスターアグネスは、姿形が不明瞭な生き物に会った事がありますか?」

「不明瞭……、それは認識しずらい姿をした生き物という意味かしら?」

「ですです。接触した事実ですら隠蔽する、ヘンテコなのに慎重な生き物です」

「そうね……。修道女になる前に、一度会ったかもしれない。なかなか寝付けない夜に、黒い影のような物が部屋の中に忍び込んできたのよ。聖書を投げたら消えたのだけど、後からあれは悪魔だったかもしれないと考えていたの」

「忍び込んで来るんですか……。随分アグレッシブなんですね」

 自分が寝ている間に、不気味な庭師が勝手に部屋に入ってくると考えると、気持ち悪くなってきて、顔を顰める。

「悪魔の中には、人を堕落させたり、魂を集める者もいると聞きます。貴女も十分気を付けなさい」

「うぅ……、怖いですね」

「還俗した後も毎日祈りを欠かさないで。神様は貴女を正しく導いてくれるわ」

「王都の教会にも顔を出してみます」

「それがいいですね」

 話をしながらだと、あっという間に出口まで来てしまった。
 シスターセシリアと話していたジョシュアが、ステラに目を留め、手を上げる。

「荷物はこれだけ?」

「そうです」

「持ってあげるよ」

 やや強引に木箱を奪い取られ、「あ……」と声を上げる。
 シスターアグネスは、そんな彼に丁寧に頭を下げた。

「侯爵。ステラを宜しくお願いします。料理一つ出来ませんが、根は善良な子です」

「問題ないよ。ウチはシェフを抱えているからね。ステラは好きな事をして過ごしてくれたらいい」

「そうですか。ステラ、また修道院に遊びにいらっしゃい。歓迎しますよ」

「はい! 手紙を書きますね!」

 控えめな笑顔を浮かべるシスターアグネスは、少しだけ寂しそうに見える。
 彼女は修道女で、ステラの母親などではない。でもずっと育ててくれた。明確に名が付く関係を求め、修道院を出て行く自分は罪深いのだろうか。

 ジョシュアに手を引かれつつも、彼女から目が離せない。
 ステラが彼女にかけるべき言葉は__

「シスターアグネス! 私のスキルで、たくさんの人に幸福感を与えます! この修道院まで、噂が届くくらい、名声を得てやりますよ! 貴女が私を育てて良かったって思えるように、頑張ります!」

 満足気に頷く彼女に、馬車に乗った後もブンブンと手を振る。
 外に出る事の出来なかった修道院生活は、辛いものだったけど、生きた年数分の思い出が詰まっている。
 小さくなってゆく建物にうるっとしながら、ステラは窓を閉めた。

「胸を貸してあげようか?」

「げ……。結構ですっ!」

「遠慮しなくていいよ。これからオレ達は家族になるんだからさ」

 いつになく優しいジョシュアに、小首を傾げる。

「侯爵の事、これから何て呼んだらいいですか?」

「急にどうしたの?」

「ちょっと気になってしまって……。ブラザー? ダディー? どっちですか?」

 ステラが言葉を放つと、ジョシュアは笑顔のまま数秒固まり、ブルブルと震えだした。

「も、もしかしなくても、君……、家族になるという意味を養子縁組の事だと思った!?」

「ん? そうですけど」

 取り乱す姿が面白くてニマニマしながら頷くと、両肩を掴まれて揺らされる。

「ワワワ!? 何するんですか!!」

「君の頭ってどうなってるの!? あの状況で普通そんな解釈しない!!」

「む……。馬鹿だと言いたいんですか?」

「そうだよ!!」

「酷いです!! やっぱ家族になるって話は無しにします!」

「ステラ!!」

 走行中の馬車のドアを蹴り開け、飛び降りようとするステラの腰を、ジョシュアが遠慮のない力で引く。
 ザサーの別宅に着くまでの間、そんなやり取りがずっと続いたとかなんとか……。
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