3 / 6
3
しおりを挟む
夜会から数日が経った。
わたしの元には、王城から何度も文が届けられていた。
――王太子殿下より。
(今さら……何のつもりですの?)
捨てられた時には、嘲笑と軽蔑しかなかったのに。
今は一転して「話がしたい」「誤解だった」と取り繕う文言ばかり。
わたしはすべてを机の引き出しに突っ込んで、無視を決め込んでいた。
「返事はしないのか」
不意に背後から声がして、肩が跳ねる。
「ラグナード様……!」
振り返ると、彼は窓辺に寄りかかり、こちらを見下ろしていた。
気配を殺して立っているのはやめていただきたい。心臓に悪い。
「読んでみたが……くだらんな。『誤解』? 『取り消したい』? ……どの口が言う」
「ご覧になったのですか!?」
「お前のことは、すべて知っておきたいからな」
さらりと告げられ、息が詰まる。
そんなことを言われたら、勘違いしてしまいそうではないか。
「……わたしは、もう殿下に何を言われても揺らぎません」
「ふむ。ならばよし」
ラグナード様は椅子に腰かけ、テーブルを指先で軽く叩いた。
「ただ、奴がしつこく動くようなら……公開の場で決着をつけるのも一興だな」
「公開の場で……?」
「そうだ。奴に思い知らせてやれ。――“お前は無能ではない”と」
(……そう、ですわね)
そして迎えた舞踏会。
今回は王城主催、つまり王太子が必ず姿を現す場だ。
入場口に立った瞬間、わたしは視線の集中をひしひしと感じた。
赤いドレスに続いて用意されたのは、深い群青のドレス。ラグナード様が選んでくださったものだ。
「堂々と歩け。私が隣にいる」
「……はい」
彼の差し出した腕に手を添え、広間に足を踏み入れる。
すぐに、王太子アルベルトの姿が目に飛び込んできた。
「エレナ……!」
殿下は人目も憚らず駆け寄り、わたしの前に立ちはだかった。
会場がざわめきに包まれる。
「久しいな、エレナ。あの日のことは……誤解だった。お前を無能などと思ったことはない」
「……」
驚愕する声が次々に上がる。
(なんという掌返し……!)
「王太子殿下」
わたしは静かに口を開いた。
「誤解、ですって? 衆目の中で“無能”と断じられたのは、わたくしの幻聴だったと?」
「そ、それは……! 私はただ、あの場の雰囲気に流されて……」
「殿下」
言葉を重ねようとした殿下を、ラグナード様の低い声が遮った。
「これ以上、私の婚約者を愚弄するつもりか」
「っ……!」
王太子が顔を強張らせる。
(婚約者……)
当たり前のように口にされたその言葉に、胸が跳ね上がった。
まだ正式な婚姻の手続きは進んでいない。けれど、ラグナード様にとってはもう揺るがぬ事実なのだろう。
「殿下」
わたしは一歩進み出て、はっきりと告げた。
「わたくしを捨てたことを後悔なさるのは、ご自由に。でも――二度と、わたくしを利用しようなどとお考えにならないで」
会場に、ざわめきが広がった。
王太子の顔は見る間に赤くなり、ミレーユが慌てて袖を引く。
「エレナ……お前……!」
「“無能”と呼んだ殿下に、振り返る理由はありませんわ」
そう言い切って、わたしはラグナード様の腕に寄り添った。
会場の視線を一身に浴びながらも、不思議と誇らしい気持ちが胸を満たす。
――ざまぁ。
あの日、声に出した言葉が、今まさに現実のものとなっていた。
夜会の後。
公爵邸に戻ると、ラグナード様は珍しく笑みを見せた。
「見事だったな、エレナ」
「いえ……わたしはただ、心にあることを口にしただけです」
「それがいいのだ」
彼はふいに立ち上がり、わたしの頬へ指を添えた。
「自分を誇れ。お前は決して無能ではない。……私の誇りだ」
「っ……」
頬が熱を帯びる。
彼の氷のような瞳が、今はあたたかく溶けるように見えた。
「……わたくし、少しずつ強くなれた気がします」
「そうだな。だが――」
囁くように顔が近づく。
「強くなるお前を見るたび、余計に手放せなくなる」
その言葉に、心臓が破裂しそうになった。
(手放さない……)
彼の囁きは甘く、残酷なほどに胸を締めつける。
一方、王城では。
王太子アルベルトが玉座の間で父王に叱責を受けていた。
「軽率だ! 公爵を敵に回すつもりか!」
「し、しかし父上、私はただ……」
「黙れ! お前が“無能”と罵った令嬢を、あのラグナードが選んだのだ。国中の目がどちらに正義を見ているか分からぬのか!」
アルベルトは愕然と膝をつく。
自らが捨てたはずの令嬢が、今や公爵を通じて王権すら揺るがしかねない存在になっている。
(どうしてだ……なぜエレナは、あんなにも輝いて……)
後悔と嫉妬が胸を焼いた。
けれど、もう遅い。
――彼女は二度と、王太子のものにはならないのだから。
わたしの元には、王城から何度も文が届けられていた。
――王太子殿下より。
(今さら……何のつもりですの?)
捨てられた時には、嘲笑と軽蔑しかなかったのに。
今は一転して「話がしたい」「誤解だった」と取り繕う文言ばかり。
わたしはすべてを机の引き出しに突っ込んで、無視を決め込んでいた。
「返事はしないのか」
不意に背後から声がして、肩が跳ねる。
「ラグナード様……!」
振り返ると、彼は窓辺に寄りかかり、こちらを見下ろしていた。
気配を殺して立っているのはやめていただきたい。心臓に悪い。
「読んでみたが……くだらんな。『誤解』? 『取り消したい』? ……どの口が言う」
「ご覧になったのですか!?」
「お前のことは、すべて知っておきたいからな」
さらりと告げられ、息が詰まる。
そんなことを言われたら、勘違いしてしまいそうではないか。
「……わたしは、もう殿下に何を言われても揺らぎません」
「ふむ。ならばよし」
ラグナード様は椅子に腰かけ、テーブルを指先で軽く叩いた。
「ただ、奴がしつこく動くようなら……公開の場で決着をつけるのも一興だな」
「公開の場で……?」
「そうだ。奴に思い知らせてやれ。――“お前は無能ではない”と」
(……そう、ですわね)
そして迎えた舞踏会。
今回は王城主催、つまり王太子が必ず姿を現す場だ。
入場口に立った瞬間、わたしは視線の集中をひしひしと感じた。
赤いドレスに続いて用意されたのは、深い群青のドレス。ラグナード様が選んでくださったものだ。
「堂々と歩け。私が隣にいる」
「……はい」
彼の差し出した腕に手を添え、広間に足を踏み入れる。
すぐに、王太子アルベルトの姿が目に飛び込んできた。
「エレナ……!」
殿下は人目も憚らず駆け寄り、わたしの前に立ちはだかった。
会場がざわめきに包まれる。
「久しいな、エレナ。あの日のことは……誤解だった。お前を無能などと思ったことはない」
「……」
驚愕する声が次々に上がる。
(なんという掌返し……!)
「王太子殿下」
わたしは静かに口を開いた。
「誤解、ですって? 衆目の中で“無能”と断じられたのは、わたくしの幻聴だったと?」
「そ、それは……! 私はただ、あの場の雰囲気に流されて……」
「殿下」
言葉を重ねようとした殿下を、ラグナード様の低い声が遮った。
「これ以上、私の婚約者を愚弄するつもりか」
「っ……!」
王太子が顔を強張らせる。
(婚約者……)
当たり前のように口にされたその言葉に、胸が跳ね上がった。
まだ正式な婚姻の手続きは進んでいない。けれど、ラグナード様にとってはもう揺るがぬ事実なのだろう。
「殿下」
わたしは一歩進み出て、はっきりと告げた。
「わたくしを捨てたことを後悔なさるのは、ご自由に。でも――二度と、わたくしを利用しようなどとお考えにならないで」
会場に、ざわめきが広がった。
王太子の顔は見る間に赤くなり、ミレーユが慌てて袖を引く。
「エレナ……お前……!」
「“無能”と呼んだ殿下に、振り返る理由はありませんわ」
そう言い切って、わたしはラグナード様の腕に寄り添った。
会場の視線を一身に浴びながらも、不思議と誇らしい気持ちが胸を満たす。
――ざまぁ。
あの日、声に出した言葉が、今まさに現実のものとなっていた。
夜会の後。
公爵邸に戻ると、ラグナード様は珍しく笑みを見せた。
「見事だったな、エレナ」
「いえ……わたしはただ、心にあることを口にしただけです」
「それがいいのだ」
彼はふいに立ち上がり、わたしの頬へ指を添えた。
「自分を誇れ。お前は決して無能ではない。……私の誇りだ」
「っ……」
頬が熱を帯びる。
彼の氷のような瞳が、今はあたたかく溶けるように見えた。
「……わたくし、少しずつ強くなれた気がします」
「そうだな。だが――」
囁くように顔が近づく。
「強くなるお前を見るたび、余計に手放せなくなる」
その言葉に、心臓が破裂しそうになった。
(手放さない……)
彼の囁きは甘く、残酷なほどに胸を締めつける。
一方、王城では。
王太子アルベルトが玉座の間で父王に叱責を受けていた。
「軽率だ! 公爵を敵に回すつもりか!」
「し、しかし父上、私はただ……」
「黙れ! お前が“無能”と罵った令嬢を、あのラグナードが選んだのだ。国中の目がどちらに正義を見ているか分からぬのか!」
アルベルトは愕然と膝をつく。
自らが捨てたはずの令嬢が、今や公爵を通じて王権すら揺るがしかねない存在になっている。
(どうしてだ……なぜエレナは、あんなにも輝いて……)
後悔と嫉妬が胸を焼いた。
けれど、もう遅い。
――彼女は二度と、王太子のものにはならないのだから。
34
あなたにおすすめの小説
スキルなし王妃の逆転劇―妹に婚約破棄を囁かれましたが、冷酷王と無音の結婚式へ向かいます
雪城 冴
恋愛
聖歌もファンファーレもない無音の結婚式。
「誓いの言葉は省略する」
冷酷王の宣言に、リリアナは言葉を失った。
スキル名を持たないという理由だけで“無能”と蔑まれてきたリリアナ。
ある日、隣国の王・オスカーとの婚約が決まる。
義妹は悪魔のような笑みで言う。
「婚約破棄されないようにお気をつけてね」
リリアナに残されたのは、自分を慰めるように歌うことだけ。
ところが、魔力が満ちるはずの王国には、舞踏会すら開かれない不気味な静寂が広がっていた。
――ここは〈音のない国〉
冷酷王が隠している“真実”とは?
そして、リリアナの本当のスキルとは――。
勇気と知性で運命を覆す、
痛快逆転ファンタジー。
※表紙絵はAI生成
『嫌われ令嬢ですが、最終的に溺愛される予定です』
由香
恋愛
貴族令嬢エマは、自分が周囲から嫌われていると信じて疑わなかった。
婚約者である侯爵令息レオンからも距離を取られ、冷たい視線を向けられている――そう思っていたのに。
ある日、思いがけず聞いてしまった彼の本音。
「君を嫌ったことなど、一度もない」
それは誤解とすれ違いが重なっただけの、両片思いだった。
勘違いから始まる、甘くて優しい溺愛恋物語。
『婚約破棄された令嬢ですが、名も残さず街を支えています』
ふわふわ
恋愛
婚約破棄された伯爵令嬢コルネリア・フォン・ヴァルデン。
名誉も立場も失いかけた彼女が選んだのは、誰かに勝つことでも、名を取り戻すことでもなかった。
前に立たず、声高に語らず、ただ「判断が続く仕組み」を街に残すこと。
現場に任せ、失敗を隠さず、問いを残し、そして最後には自ら手を離す――。
名を呼ばれず、称賛もされない。
それでも街は止まらず、確かに良くなっていく。
これは、ざまぁの先で「勝たなかった令嬢」が、
静かに世界を変え、そして正しく消えていく物語。
【完結】捨てられ令嬢の冒険譚 〜婚約破棄されたので、伝説の精霊女王として生きていきます〜
きゅちゃん
恋愛
名門エルトリア公爵家レオンと婚約していた伯爵令嬢のエレナ・ローズウッドは、レオンから婚約破棄を宣言される。屈辱に震えるエレナだが、その瞬間、彼女にしか見えない精霊王アキュラが現れて...?!地味で魔法の才能にも恵まれなかったエレナが、新たな自分と恋を見つけていくうちに、大冒険に巻き込まれてしまう物語。
星屑を紡ぐ令嬢と、色を失った魔法使い
希羽
恋愛
子爵令嬢のルチアは、継母と義姉に虐げられ、屋根裏部屋でひっそりと暮らしていた。彼女には、夜空に輝く星屑を集めて、触れた者の心を癒す不思議な力を持つ「銀色の糸」を紡ぎ出すという、秘密の能力があった。しかし、その力で生み出された美しい刺繍の手柄は、いつも華やかな義姉のものとされていた。
一方、王国には「灰色の魔法使い」と畏れられる英雄、アークライト公爵がいた。彼はかつて国を救った代償として、世界の色彩と感情のすべてを失い、孤独な日々を送っている。
ある夜会で、二人の運命が交差する。義姉が手にしたルチアの刺繍にアークライトが触れた瞬間、彼の灰色だった世界に、一瞬だけ鮮やかな色彩が流れ込むという奇跡が起きた。
その光の本当の作り手を探し出したアークライトは、ルチアを自身の屋敷へと迎え入れる。「私のために刺繍をしろ」──その強引な言葉の裏にある深い孤独を知ったルチアは、戸惑いながらも、初めて自分の力を認められたことに喜びを感じ、彼のために星屑を紡ぎ始める。
彼女の刺繍は、凍てついていた公爵の心を少しずつ溶かし、二人の間には静かな絆が芽生えていく。
しかし、そんな穏やかな日々は長くは続かない。ルチアの持つ力の価値に気づいた過去の人々が、彼女を再び絶望へ引き戻そうと、卑劣な陰謀を企てていた。
婚約破棄されましたが、隣国の大将軍に溺愛されて困ってます
有賀冬馬
恋愛
「君といると退屈だ」
幼い頃からの許嫁・エドワルドにそう言われ、婚約破棄された令嬢リーナ。
王都では“平凡で地味な娘”と陰口を叩かれてきたけれど、もう我慢しない。
わたしはこの国を離れて、隣国の親戚のもとへ――
……だったはずが、なぜか最強でイケメンな大将軍グレイ様に気に入られて、
まさかの「お前は俺の妻になる運命だ」と超スピード展開で屋敷に招かれることに!?
毎日「可愛い」「お前がいないと寂しい」と甘やかされて、気づけば心も体も恋に落ちて――
そして訪れた国際会議での再会。
わたしの姿に愕然とするエドワルドに、わたしは言う。
「わたし、今とっても幸せなの」
十年間虐げられたお針子令嬢、冷徹侯爵に狂おしいほど愛される。
er
恋愛
十年前に両親を亡くしたセレスティーナは、後見人の叔父に財産を奪われ、物置部屋で使用人同然の扱いを受けていた。義妹ミレイユのために毎日ドレスを縫わされる日々——でも彼女には『星霜の記憶』という、物の過去と未来を視る特別な力があった。隠されていた舞踏会の招待状を見つけて決死の潜入を果たすと、冷徹で美しいヴィルフォール侯爵と運命の再会! 義妹のドレスが破れて大恥、叔父も悪事を暴かれて追放されるはめに。失われた伝説の刺繍技術を復活させたセレスティーナは宮廷筆頭職人に抜擢され、「ずっと君を探していた」と侯爵に溺愛される——
地味令嬢の私ですが、王太子に見初められたので、元婚約者様からの復縁はお断りします
有賀冬馬
恋愛
子爵令嬢の私は、いつだって日陰者。
唯一の光だった公爵子息ヴィルヘルム様の婚約者という立場も、あっけなく捨てられた。「君のようなつまらない娘は、公爵家の妻にふさわしくない」と。
もう二度と恋なんてしない。
そう思っていた私の前に現れたのは、傷を負った一人の青年。
彼を献身的に看病したことから、私の運命は大きく動き出す。
彼は、この国の王太子だったのだ。
「君の優しさに心を奪われた。君を私だけのものにしたい」と、彼は私を強く守ると誓ってくれた。
一方、私を捨てた元婚約者は、新しい婚約者に振り回され、全てを失う。
私に助けを求めてきた彼に、私は……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる