島田宿事件帖

ココナッツ

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 雨音は竹藪に入ると消えた。薄明かりの中、ゆらゆらと笹がそよぐ音が幽かに追いかけて来る。二人は辺りを見回したが、人影はない。
「河廣、あれを見て」
 お和歌が岩陰を指さした。
 紫の風呂敷が捨てられ、雨に濡れていた。河廣は、駆け寄りそれを手に取った。数歩行ったところにさらに桐の箱を見つける。太刀が入るのにちょうどいいほどの長さだ。半分開いており、何かが入っているのが見える。
「開けるぞ」
 ゆっくりと河廣は桐の刀箱を開けた。
「刀だ……」
 しかし、中にあったのは、太刀ではなく、刀だった。抜いてみると刀ですらない――竹光だった。
「すり替えられたんだ」
「だれに?」
「与吉が渡したという男にだよ。そうに違いない」
「そうね……そうでなければ辻褄が合わないわ」
 河廣は落ちていた手ぬぐいを拾った。
「与吉のだ……」
 伊豆の宿でもらったものを大事に使っているのを河廣は知っていた。それがなぜ、ここに落ちているのだろうか。
「与吉――」
 そんなはずはないと自分の中に湧き上がる与吉への不信を打ち消そうとした。しかし、思えば、伊豆の家族が金に困り、本陣に無心に来たことがあった。工面できなければ、与吉の姉が売られることになる。兵衛門は多少の金を渡したが、与吉は家族のことをたいそう案じていた。それで悪事に手を染めたのか――。
 ――まさか、そんなことはない。
「河廣……あそこ……」
 お和歌の声が小声になった。
 笠を被った侍の姿が竹の陰に隠れていた。河廣と目が合うと、さっと山の奥へと身を翻し消えた。慌てて河廣は追いかけようとして、お和歌に手を掴まれる。
「河廣、ここで待っていて。家に行って来る。絶対に一歩も動かないで。すぐに戻るから」
 お和歌は急に走り出したかと思うと、坂を走り降りていく。河廣は座り込み、竹光が入っていた箱をもう一度見た。与吉が盗んだとはやはり思えない。が、事件は複雑で真犯人は狡猾なようだ。先ほどの侍は与吉が言っていたほくろの侍なのだろうか。追うべきだったと後悔しかけた時、お和歌が坂道を駆け上って来た。
「河廣、これを」
 お和歌は一振りの刀を河廣の前に差し出す。
「これは?」
「見ての通りの刀よ。借金の形でもらったの」
「それをどうしろって?」
「持って行って。丸腰では危ないわ」
「……私は侍ではないよ……」
「侍ではないと言い切れるの?」
 河廣は言い返そうとして言葉が見つからなかった。
 戸惑いつつ、河廣は受け取ってそっと抜いてみた。銘がなく、どこをとってもありふれた刀だ。特別切れ味も良さそうではない。しかし、手入れは行き届いており、真剣にしかない妖しい光を放っていた。
「誰に憚ることがあるというの。あなたには侍の血が入っている」
 河廣は顔をくしゃりとさせた。侍だと人と言われて複雑な気持ちを抱いたことは幾度とあった。が、嬉しいと思ったことはない。それが、お和歌に背を叩かれて、初めて父を意識した。
「さあ、早く追って!」
「ああ」
 河廣は笑顔を見せると、手に山道を登り出した。初めはゆっくりと、やがて大股になり、いつの間にか走っていた。刀をそれほど重くも感じなかった。
 あの侍に土地の勘があるとは思えない。河廣は猟師が使う獣道に続く草むらに飛び降りた。深い草を腕で押しのけながら、細い道を急ぐ。やがて、山道は再び東海道へと繋がる――。
 雨でかすれる視界の向こうに黒い羽織を着た侍の後ろ姿をとらえた。
「待て!」
 河廣は刀を抜いた。
 雨はもうやんでいた。時間がない。日も最後の輝きを残して消えた。  
 ――やはり弥吉を寺の近くで見たという薬売りの話は作り話だった。
 よく考えれば、弥吉にそんな時間はなかったはずだ。松の木まで行き、本陣に戻って来ただけでの時しかなかった。誰かが嘘を河廣に伝えるように薬売りに頼んだのだろう。
 侍は笠を脱ぎ捨てて河廣を見た。弥吉が言うように二十代後半ぐらいの丸顔の中肉中背。猜疑心と敵対心を顔に宿している男だった。浪人ではない。主持ちだ。確かに首にほくろがある。
「鷹白藩の者だな。お前が太刀を盗んだのだろう! 返せ!」
「黙れ! 拙者を愚弄する気か!」
 侍が刀を抜いた。
 ――できる。
 相手は本気で殺しにかかって来る。
 河廣はすんでのところでよけ、後ろに退いた。剣術は道場に月に一度通う程度の町人の手慰みだ。だが磨き込まれた刀はさっと斜めに相手の腕をすれすれにかすった。
「死ね!」
 刀が執拗に河廣を追った。
 彼は避けるだけで精一杯で、重なった刀を押し返す力もない。土を削りながら、後方に押され、崖の前まで迫った。下は沢だ。落ちたらひとたまりもない。
「容赦はしない!」
 男はそれだけ言うと止めを刺そうとした。が、河廣は一瞬の隙を見逃さなかった。構えた男の脇腹を力任せに斬った。
「うっ」
 うめき声を上げて男は崩れ落ちる。膝を一度ついて堪えたが、腕を押さえて苦しみもだえる声を漏らした。
「死んだの?」
 小さな声が背からした。
「お和歌」
 いつの間に追いかけてきたのか。彼女はそっと物陰から姿を現した。
「死んだの?」
「いや、死んでない。大した怪我でもないはずだ」
 河廣は刀を鞘に収めた。そしてすぐにいつも袖にいれている襷で侍の腕を縛る。怪我を負った男の懐を漁れば道中手形を見つけた。
「やはり鷹白藩の者だ」
 河廣は、冷ややかに侍を見下ろし訊ねた。
「お前が太刀を盗んだのか」
「馬鹿馬鹿しい! そんなでたらめを言うとただではすまさぬぞ! 町人風情が!」
「まだそんな強気なのだな、吐け!」
 こちらは兵衛門と与吉という大事な二人の命がかかっている。悠長にしている時間はない。河廣は意を決するとお和歌を見る。なにも話すまいと口を噤む目の前の男に焦れた河廣は後ろを見た。
「お和歌。寺に行って塩を借りて来てくれ」
「塩? お塩を何するの?」
「傷口に塗ってやれば、なんでもしゃべるさ」
 侍は、河廣の本気を見ると真っ青になり慌てた。そんなことをされたらひとたまりもない。
「ま、待ってくれ。話す、話すから待ってくれ」
 河廣はすかさず訊ねる。
「名前はなんだ」
「拙者は木村高之進と申す」
「太刀はどこにやった」
「太刀など知らぬ」
「嘘を言うな!」
「嘘などではない! 丁稚から太刀の箱を受け取った時、軽かったので不思議に思って中を見ると竹光だった。丁稚が太刀を盗んだとしか思えない。取り戻さなければならないと思った」
 河廣は怒鳴る。
「嘘を言え! 与吉は太刀など盗んでいない!」
「本当だ。嘘は吐いていない!」
「こちらこそ、嘘など言っていない! 本陣の者は太刀など盗んでなどない!」
「では誰が盗んだというのか!」
 木村の言葉に河廣は冷静になった。
 ――本当に互いに盗んでいないとすれば……。
「誰か他に盗んだヤツがいるのではないか――」
 木村は目を左右に忙しなく動かし、なにかに気づくと恐れるような、か細い声になった。
「小僧でないとしたら……もしかしたら、嵌められたのかもしれない……」
「嵌められた? 誰にだ」
「ご家老の山科さまかもしれぬ。拙者は丁稚から太刀を受け取り、明日まで預かるように命じられた。しかし、考えてみれば、ご家老はなにゆえ太刀を本陣に置かずに拙者に預けたのか……そんな必要はない。不可解なご命令だった……」
「理由は聞いたのか」
「いいや。聞けるような雰囲気ではなかった。ただ、そう命じられただけだ」
 河廣は腕を組んで考えた。
「なら、なぜ私と刀を交えたんだ?」
「太刀を盗んだのが丁稚やお前らだと思ったからだ。ご家老が怪しいなど、家臣なら誰も思わぬ。しかし――よく考えれば辻褄が合わぬ。太刀のありかを尋ねられ、そなたたちが本当に盗んでないとすれば、疑わしいのはご家老しかいない。拙者を盗んだ犯人に仕立て上げようとしているのでは……」
 なるほどと河廣は思う。もし本当に家老がなにかを企んでいるのなら、そういうこともあり得る。刀を盗んだ本当の犯人が木村だったなら、鷹白藩内のこととして処理される。祖父や与吉はそれに利用されただけなのだ。
 ――共謀して盗んだことにしようとしているのか……。
「だが、なんでまたわざわざこんな騒ぎを……江戸に知られれば問題になるのではないか」
 木村が苦々しそうに吐く。
「あの太刀は我が藩の家宝だ。ただ、国元はすぐそこ。発覚するのを恐れたのだろう」
「太刀はなくなっていなければならない理由があったというわけだな」
 お和歌が、木村と河廣の話に首を傾げる。
「どういうこと?」
 河廣が答える。
「つまり、もともと太刀などなかった。それを隠すために盗まれたと騒ぎたてたんだ」
「え? 狂言だったってこと?」
「家宝の太刀がなくなったとはとても言えない。だから与吉を使って盗まれたという騒ぎを起こし、罪を木村殿に押しつけようとしたんだ」
 お和歌が訊ねる。
「じゃ、太刀はどこに行ったの」
 木村が重い声を出した。
「知らぬ。知っているのは、私を嵌めた者たちだろう。おそらく、ご家老と、腰巾着の狭川あたりだ」
 狭川はおそらく、弥吉に太刀を木村に渡すように命じた男だろう。細身の顎の張った男かと木村に聞くとそうだと返事が返ってきた。まさしく与吉の証言通りだった。
「本陣に行こう。潔白を証明する」
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