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6章 ことのはじまり

10話 黒い剣:ジャミル

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「――クソッ! やっちまった……!」
 
 砦の自室の壁に頭を打ち付けて、デカイ独り言。
 
 給仕募集の紙を見て来た、幼なじみのレイチェル。会うのは5年ぶりだった。
 
 ルカの謎の宗教トーク、さらにお水のぶっかけにも耐えそれどころか少し仲良くすらなっていた。
 パンケーキを飽きもせずに100枚焼く。手際が良い。
 なんだかんだで1ヶ月働いてくれていた。ほとんど1日2日で辞めていく中、今までで最長だ。
 それなのに、オレがやらかしてしまった。
 
 どうせオレの元に戻ってくるし……と、あの黒い剣を食堂にほったらかしにしていた。
 それをレイチェルが触りそうになっていた……野菜の切り方なんかよりよっぽどヤバい。注意しないといけない。
「それあんまり触るなよ」くらいの注意でよかったのに、一瞬で感情が最大限の怒りまで振り切れて、
「勝手に触るんじゃねぇよ!!」と、殺すくらいの勢いで睨んで怒鳴りつけた。実際は触っていないのにだ。
 おまけに、今まったく関係ない事柄まで持ち出して罵倒した。
 
 ――レイチェルとは昔、弟も一緒になってよく遊んだ。
 5年ぶりに会ったが、やたらデカイと思っていた身長はあれから伸びていないみたいだった。たぶん160くらいか。
 オレは背が伸びたので、こっちが見下ろすくらいになっていた。
 活発で粗暴だと思っていたあの頃より大人しくはなっているが、あまり変わっていない。だけど、決定的に違う事があった。
 
 ――ほとんど業務上の会話しかしてこない。たまに世間話する時は明らかに言葉を選んで喋っている。
 昔話をすれば弟の話が必ず絡んでくるからだろう……沈黙が多い。
 
 今酒場で働いてるんだよね、料理すっごくおいしいもんね――そんな、どうでもいい会話。
 家と同じだ――。
 
 
 学校卒業後オレは一旦実家に戻ったが、両親ともに相変わらずオレの前で弟の話はしない。
 学生寮では、アルノーが出てからは新しいルームメイトが来ることはなくずっと一人部屋だった。
 一人の空間に慣れてしまうと、こんな風に気を遣って何か探り合うような会話をする空間が苦痛になってしまった。
 だから働くようになって少ししてから「忙しいから」と言って一人暮らしするようになった。
 
 今目の前にいるコイツも『オレに気を遣って』『気まずいから』弟の話を避けている……無性にイライラが募った。
 
 ――オマエもそうなのかよ。
 オレの前で弟をいないもの扱いするのか。
 オマエもオレのせいで弟がいなくなったと思ってんのかよ。
 
 オレが……
 カイルを殺したって、そう思ってんのかよ――!
 
 
『ムカつくんだよお前!! いっつも奥歯に物が挟まったような話し方しやがって!!』――。
 
 
 気付いたらそう怒鳴りつけていた。
 レイチェルは怯えたような顔で「なんでそんな急に……」とアワアワしていた。当たり前だ。
 一体何だ? さっきの思考は。最初から最後まで完全に被害妄想だし、ぶつける相手を間違っている。
 グレンが途中で止めてこなかったら、どこまで怒鳴り散らしてたか分からない。
 
 自室に戻って、ひたすら自己嫌悪だ。
 何度目だ。レイチェル相手にもやっちまうなんて終わってる。
 謝らないといけない。いけないが……。
(あんだけの勢いで怒鳴りつけて、どうやって謝りゃいい――)
 
 昼から冒険に出かけて帰ってきたら、レイチェルはいなかった。出かけているのか、それとももうやめちまったのか……。

「わりい……今日は疲れたから寝るわ」

 オレはグレンとルカにそう告げると、足早に自室に戻った。
 
 
 ◇
 
 
 夢を見た。
 教会で回復魔法を受けている時に浮かぶイメージ――黒いぬかるみの真ん中にオレは立っていた。
 いつもは足元――くるぶし辺りまでが泥だらけなだけだったが、今回は膝までがどっぷり浸かっている。
 なかなか歩くことができない……それでもドロドロの汚いぬかるみを進んでいると、やがて見慣れた風景が現れた。
 学校の教室だ。教室のイスに高等学校の制服を着たオレとオフクロ、机の向かい合わせに担任の教師が座っている。
(三者面談? なんでこんなのが出てくる……)
 
「ジャミル君は大変優秀な成績で……」
「まあ、そうなんですね」

 オフクロが驚いたように担任を見る。休暇の時もほとんど寮から帰らず、帰った時も学校の話はしなかった。
 成績のことも別に言っていなかった。

「ええ、ええ。これならきっとどこでも行けますし、何にでもなれますよ!」
「…………。すごいのね! ……ジャミルったら、教えてくれればいいのに」
 オフクロは嬉しそうに笑ったが、先生の言葉の後に一瞬の間があったのをオレは見逃さなかった。
 
『――なあ、なんでオフクロ、一瞬黙ったんだろうな?』
「!!」

 目の前に座っている学生服のオレが、不意にこっちを向いて言葉を発した。ソイツはイスを引いて立ち上がり、こっちへ歩いてくる。
 オレは黒いぬかるみに足を取られて動けないが、ソイツはぬかるみの上を浮いているようにスタスタ歩く。

『せっかく成績優秀っつってんのに、リアクション今ひとつだよなぁ? なんでだろ?』
「……」

 やがてソイツはニヤニヤ笑いながらしゃがんで、オレの肩に手を置く。
 ――瞳が、赤く光っている。
 
『……やっぱアレかなぁ? ”どこにも行けない” ”何にもなれない” 誰かのこと考えてんだろな~?』
「……っ!!」
『マージーでー、やってらんねっつーかさあ。オレがどんだけやっても、トップくらいの成績とっても、オヤジもオフクロも喜びゃしない。頑張っても70点くらいしか取れない誰かさんがいいんだよなあ~! ハハハハッ!』

 赤い眼をしたソイツが大声でケタケタと笑いながらオーバーに手を広げたり頭に手をやったりしながらオレの周りを歩き回ると、やがて暗闇にかき消えていった。
 
 
 ◇
 
 
「……うう……」
 鳥のさえずりが聞こえる。さわやかな朝だが、寝覚めは最悪だ。
 
 夢の中でオレはアイツの言うことを否定できなかった。
 あんなガラの悪い口調じゃないが、その時オレは確かにそう感じていた。
 
 一人暮らしを始めて……特に剣を拾ってからは、これ幸いとほとんど全く家に帰っていなかった。
 カイルの方が大事なんだし別にオレはいなくたっていいだろ? ……そう考えてた。
 
 頭が痛い。今日もまた怒鳴り散らしてしまうかもしれない。
 ……レイチェルは戻ってきたんだろうか。いるなら謝らないといけない。
 剣の話とかしても大丈夫だろうか。なんでもいいから、話すきっかけを作らないと――。
 そうだ、何か食いもんを作ろう。グレンやルカ、オレが厨房に居着くようになったきっかけでもあるし。
 何を作ろうか――。
 
 考えた末、「ドラゴン肉まん」を作った。
 ドラゴンの顔の形をしている肉まん、中は牛肉だ。
 正直味の再現よりも皮をドラゴンの顔っぽくする方が大変だ。コストがかかる。
 作っている所を見たレイチェルが『それ、カイルが好きだった』とつぶやいた。
 本当に久しぶりに弟の話ができた。
 オレはレイチェルに謝罪して、この剣のことも全部が全部じゃないが話すことができた。
 それでも少し気が楽になった。
 
 だが、黒いぬかるみにはまっている夢はそれからも何度か見るようになった。
 日によって泥に浸かっている深さはまちまちで、赤い眼の自分は出る時と出ない時があった。
 
 
 ◇
 
 
 レイチェルが来てさらに1ヶ月後。
 ラーメン大好きな回復魔法の使い手、貴族令嬢のベルナデッタがメンバーに加わり定期的に魔法をかけてくれるようになった。
 教会にわざわざ行かなくていいから助かる。
 ハッピハッピーラーメンスイーツラーメンばっかり言ってるが魔法のウデは確かなようで、黒いぬかるみは潮が引いたみたいにナリをひそめる。
 ひょっとしたら、教会の司祭よりも魔力が高いのかもしれない。
 ただ気のせいか、このお嬢さんに魔法かけてもらうと毎回ラーメンとかバームクーヘンとかが食いたくなる。
 まあ、楽になるんだから贅沢言ってられない。
 これ繰り返したらひょっとしたらこの汚い泥なくなるんじゃねえかな……そんな風に考え始めていた頃だった。
 
 貴族令息だが弟に似た雰囲気のフランツ、それからグレンの友人のクライブという竜騎士の男が現れた。
 あの夢の頻度が増えた。
 ぬかるみはさらに深くなり、赤い眼の自分は毎回登場するようになっていた――。
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