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12章 誓い
◆エピソード―グレン:図書館の少女
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何もかもが終わった。
死んだはずなのに生きていて、しかも闇から解放された。
なぜああいうことになったのか、誰も分からない。
「まあいいじゃないか。助かったんだからそれでよし!」とカイルが言う。
――相変わらず適当な奴だ。だがそれで救われたことも数知れない。
確かに、考えたところで答えは出ない。深く考えるのはやめておこう。
砦の自室で倒れ込むように眠りにつくとそこで見た夢はまた過去のものだったが、ここ最近見ていた陰惨なものではなかった。
図書館で働いている頃の夢だった。
◇
「マクロード君、2階の本を全て1階に下ろしてしまいたいんだ。分類ごとに箱に詰めて持ってきてくれないか」
「分かりました」
図書館での仕事を始めて、4ヶ月。
ひたすら本を箱に詰めて倉庫にしまい、たまに王立図書館へ運ぶだけの単純な仕事。
道中魔物に襲われることもあるが問題はない。ディオールと違いこの近辺の魔物は弱い――だからなのか、付近の街人もあまりピリピリしておらずのんびりしているように思う。
館長は紋章使いのようで驚いた。
俺が紋章を持っていることも分かっているはずだが、特に言及してこないので助かる。
俺よりももっと長く生きているのだから、もしかしたらあの人も紋章関連でなにかあったのかもしれない。
ディオールから出てきてどれくらい経ったのか。
――ひどく、疲れた。
雑音は耳に入れたくない。
……何もかも、どうでもいい。
そうやって何を考えていたのか何も考えていなかったのかも曖昧なまま手だけが動いて、気付けば本を詰めていた箱が満杯になっていた。
(これを、1階に――)
そう思い箱の蓋を閉めたその時――。
「ふゎあああっ!」
1階から間抜けで大きな声が聞こえてきた。
図書館は静かなものだが、ここは客も少なく特に静かで、その声はとにかく目立った。
無駄によく通る、高い声だった。
この図書館の2階はほとんどが吹き抜けで上から下を見渡す事ができる。
そんなわけで声がした方向に目をやると、青髪を三つ編みでまとめた少女とおかっぱ茶髪の少女が立っていた。
街でも時折見かける、薄いエメラルドグリーンの制服に身を包んでいる。地元の学生のようだ。
「シーッ! 声が大きいっ! なんなのよいきなり!」
茶髪の少女が人差し指を口の前にやって青髪の少女をたしなめる。小声のつもりだろうが丸聞こえだ。
「だってだってメイちゃん見てよこれ! この本っ!」
青髪の少女が茶髪の少女の前に本をずいっと突き出す。こちらもやはり丸聞こえだった。
「ほらほら、キャンディローズ先生の初期の作品! どうして! 前にはなかったのに!」
「へぇ~? あんたまだそんなん読んでんの~? ていうか、キャンディローズ”先生”て!」
「なんでよー! おもしろいんだからね!? 侮ることなかれですよっ!」
(うるさい……)
ここをどこだと思ってるんだ? ……注意したほうがいいんだろうか。
ぼんやり見ていると茶髪の少女がこちらに気づいたのか青髪の少女を促し、その本を借りて去っていった。
本1冊でよくあんなに大騒ぎできるものだ。
◇
「こんにちは館長さん!」
「はい、こんにちは」
「これ返却しにきましたー」
1週間後。
2階で本を整理していると、またあの少女の声が聞こえてきた。本を返しに来たのだろう。
館長に『この本がいかに珍しいか』みたいな話をしている。声がでかいから全部聞こえてしまう。
この前話していた……確か"キャンディローズ先生"とかいう作者の本だ。ふざけた名前だ。
その本は3部作らしく、続きがちょうど今日入荷したと聞いた少女は大声を上げ、喜びのあまりジャンプしそうになっていた。
その後も本を見つけてバタバタ走り、でかい声で「ありましたよ~」とか叫ぶ。
さすがに館長にたしなめられていたが、それでも声は小さくならない。
白馬の王子様がどうとか、運命の出会いがどうとかいう妄想を爆発させていた。
……これも全部丸聞こえだった。
少女は小走りで図書館を出て行く。
彼女がドアを開けると、昼下がりのまぶしい日差しが差し込んできた。
◇
「……え? しかし」
「いやなに、そんな難しいものじゃないんだよ。座っていてくれればそれでいいんです」
ある日、館長に新たに「司書の仕事をしないか」と持ちかけられていた。
名目は司書だが、泥棒を捕まえるための警備というか見張りの仕事だ。
見張りだけなら別に構わないが……。
「……でもそれは……接客ですよね。私はそういうのは不得手なんですが」
正直言って勘弁願いたかった。
誰とも喋りたくない、人と関わりたくないから選んだ仕事なのに接客なんて。
「駄目ですかねぇ……」
(う……)
しょんぼり気味に首をかしげる館長に、なけなしの良心が痛む。
「……基本は、本の整理でいいんですよね」
「! ええ、ええ、もちろんですとも。もちろん、その分のお給料は払いますよ」
結局断り切れず後ろ向きながらも了承すると、館長はパッとニコニコ顔になる。
切り替えが早い。もしかして、策略だったんじゃないだろうか……。
そんなわけで司書を始めたが、予想通りというかなんというか、客――特に小さい子供は俺を見ると怯えてしまう。
眼光鋭くなりすぎないようにとメガネをかけることにしたが、それでも策略家のような佇まいだ。
子供が相手だと、どういう口調でいけばいいか分からない。
それに館長に挨拶する以外ほとんど言葉を発していないため、声の出し方も何か危うい。
たまにしか客が来ないのは幸いだが、接客の仕事は地獄だ。
そもそも武器屋にいた頃だってそんなことはしていなかった。おそらく俺に世界一向いていない業務だろう。
(くそ、余計なことを考えたくないっていうのに……)
若干イライラとしながら、返却された本を元の棚にしまっている時のことだった。
「うっ……くぅ~~」
「……?」
何やら踏ん張っているような、気張っているような声。
声の方向を見てみると、青髪の少女が背伸びをして本を取ろうとしていた。
("メイちゃん"……じゃ、ない方)
あの騒がしい夢見がちの少女だった。茶髪の子は確か『メイちゃん』だったが、この子の名前は知らない。
館長が呼んでいたような気がするが、ハッキリと聞き取れなかったし何より聞いても憶えていないだろう。
「うぐぐぐ―― もうちょっと……!」
「…………」
――全然、「もうちょっと」じゃない。
めちゃくちゃ背伸びをして本を取ろうとしているが、指の先にも全く触れていない。
本棚の近くの壁には踏み台があり、それを使えばすぐに取れるのになぜか使わない。
「ふぬぬぬぬぬ――っ!!」
(ええ~……)
――本当になぜ、踏み台を使わないのか。修行なのか?
「……これですか?」
本棚へ歩み寄り彼女の指先にあった本を取って手渡すと、彼女は「へっ!?」と間抜けな声を上げた。
「えっえっ……あの……」
「……ちがいましたか?」
「あっあっ……はい! あ、ありがとう、ございますっ!」
「そこに踏み台もありますから、良かったら使ってくださいね」
「えっ! あ……は、は、はい! あの、ありがとうございます、ありがとうございます!」
彼女は顔を真っ赤にしながら何度もペコペコとお辞儀をして、本とカバンを両手で抱えながら、本の貸出口まで小走りで立ち去った。
しかし、俺が本を整理している間はそこに座ってくれているはずの館長はいなかった。トイレだろうか。
しばらく待ってみてもなかなか現れない。彼女は少し困った様子で辺りを見回している。
「……本の貸し出しですか?」
「えっ!? えっ、あの……はい」
彼女はまた驚いた様子で俺を見る。
そういえば、顔を合わせたのも司書として相対するのも初めてだったか。
貸出口のカウンター側に入り、彼女から本を受け取る。
前大騒ぎしていた”キャンディローズ先生の初期の3部作”の最後のひとつだった。
「返却は1週間後ですから」
「あっ、はい……」
彼女は本を受け取ると、また顔を真っ赤にしてバタバタと走っていった。
入り口のドアを開けると、また昼下がりの日差しが入り込む。
(……怖がらせたか)
いつも相対している館長は小柄な優しい老人だから、急に無愛想なでかい男が出てきたら驚くのも無理はないか。
("レイチェル・クライン"……)
図書カードに書かれた少女の名前。
よくあんなに表情がコロコロ変わるなと思う。
本一つで大喜び。戦いのない日常を生きる人間はあんなものなんだろうか、少しうらやましい。
少女が立ち去った後の図書館は再びしんと静まり返り、ゆっくりと時が過ぎ去っていった。
次に彼女が来るのは1週間後のこの時間帯。またあのまぶしい日差しを連れてやってくる。
不思議と、彼女が来ない日もあの扉が開いて光が差し込んでくると彼女を思い出すようになった。
――いつから彼女に心惹かれていたのだろう。
こうなることは、必然だったのかもしれない。
死んだはずなのに生きていて、しかも闇から解放された。
なぜああいうことになったのか、誰も分からない。
「まあいいじゃないか。助かったんだからそれでよし!」とカイルが言う。
――相変わらず適当な奴だ。だがそれで救われたことも数知れない。
確かに、考えたところで答えは出ない。深く考えるのはやめておこう。
砦の自室で倒れ込むように眠りにつくとそこで見た夢はまた過去のものだったが、ここ最近見ていた陰惨なものではなかった。
図書館で働いている頃の夢だった。
◇
「マクロード君、2階の本を全て1階に下ろしてしまいたいんだ。分類ごとに箱に詰めて持ってきてくれないか」
「分かりました」
図書館での仕事を始めて、4ヶ月。
ひたすら本を箱に詰めて倉庫にしまい、たまに王立図書館へ運ぶだけの単純な仕事。
道中魔物に襲われることもあるが問題はない。ディオールと違いこの近辺の魔物は弱い――だからなのか、付近の街人もあまりピリピリしておらずのんびりしているように思う。
館長は紋章使いのようで驚いた。
俺が紋章を持っていることも分かっているはずだが、特に言及してこないので助かる。
俺よりももっと長く生きているのだから、もしかしたらあの人も紋章関連でなにかあったのかもしれない。
ディオールから出てきてどれくらい経ったのか。
――ひどく、疲れた。
雑音は耳に入れたくない。
……何もかも、どうでもいい。
そうやって何を考えていたのか何も考えていなかったのかも曖昧なまま手だけが動いて、気付けば本を詰めていた箱が満杯になっていた。
(これを、1階に――)
そう思い箱の蓋を閉めたその時――。
「ふゎあああっ!」
1階から間抜けで大きな声が聞こえてきた。
図書館は静かなものだが、ここは客も少なく特に静かで、その声はとにかく目立った。
無駄によく通る、高い声だった。
この図書館の2階はほとんどが吹き抜けで上から下を見渡す事ができる。
そんなわけで声がした方向に目をやると、青髪を三つ編みでまとめた少女とおかっぱ茶髪の少女が立っていた。
街でも時折見かける、薄いエメラルドグリーンの制服に身を包んでいる。地元の学生のようだ。
「シーッ! 声が大きいっ! なんなのよいきなり!」
茶髪の少女が人差し指を口の前にやって青髪の少女をたしなめる。小声のつもりだろうが丸聞こえだ。
「だってだってメイちゃん見てよこれ! この本っ!」
青髪の少女が茶髪の少女の前に本をずいっと突き出す。こちらもやはり丸聞こえだった。
「ほらほら、キャンディローズ先生の初期の作品! どうして! 前にはなかったのに!」
「へぇ~? あんたまだそんなん読んでんの~? ていうか、キャンディローズ”先生”て!」
「なんでよー! おもしろいんだからね!? 侮ることなかれですよっ!」
(うるさい……)
ここをどこだと思ってるんだ? ……注意したほうがいいんだろうか。
ぼんやり見ていると茶髪の少女がこちらに気づいたのか青髪の少女を促し、その本を借りて去っていった。
本1冊でよくあんなに大騒ぎできるものだ。
◇
「こんにちは館長さん!」
「はい、こんにちは」
「これ返却しにきましたー」
1週間後。
2階で本を整理していると、またあの少女の声が聞こえてきた。本を返しに来たのだろう。
館長に『この本がいかに珍しいか』みたいな話をしている。声がでかいから全部聞こえてしまう。
この前話していた……確か"キャンディローズ先生"とかいう作者の本だ。ふざけた名前だ。
その本は3部作らしく、続きがちょうど今日入荷したと聞いた少女は大声を上げ、喜びのあまりジャンプしそうになっていた。
その後も本を見つけてバタバタ走り、でかい声で「ありましたよ~」とか叫ぶ。
さすがに館長にたしなめられていたが、それでも声は小さくならない。
白馬の王子様がどうとか、運命の出会いがどうとかいう妄想を爆発させていた。
……これも全部丸聞こえだった。
少女は小走りで図書館を出て行く。
彼女がドアを開けると、昼下がりのまぶしい日差しが差し込んできた。
◇
「……え? しかし」
「いやなに、そんな難しいものじゃないんだよ。座っていてくれればそれでいいんです」
ある日、館長に新たに「司書の仕事をしないか」と持ちかけられていた。
名目は司書だが、泥棒を捕まえるための警備というか見張りの仕事だ。
見張りだけなら別に構わないが……。
「……でもそれは……接客ですよね。私はそういうのは不得手なんですが」
正直言って勘弁願いたかった。
誰とも喋りたくない、人と関わりたくないから選んだ仕事なのに接客なんて。
「駄目ですかねぇ……」
(う……)
しょんぼり気味に首をかしげる館長に、なけなしの良心が痛む。
「……基本は、本の整理でいいんですよね」
「! ええ、ええ、もちろんですとも。もちろん、その分のお給料は払いますよ」
結局断り切れず後ろ向きながらも了承すると、館長はパッとニコニコ顔になる。
切り替えが早い。もしかして、策略だったんじゃないだろうか……。
そんなわけで司書を始めたが、予想通りというかなんというか、客――特に小さい子供は俺を見ると怯えてしまう。
眼光鋭くなりすぎないようにとメガネをかけることにしたが、それでも策略家のような佇まいだ。
子供が相手だと、どういう口調でいけばいいか分からない。
それに館長に挨拶する以外ほとんど言葉を発していないため、声の出し方も何か危うい。
たまにしか客が来ないのは幸いだが、接客の仕事は地獄だ。
そもそも武器屋にいた頃だってそんなことはしていなかった。おそらく俺に世界一向いていない業務だろう。
(くそ、余計なことを考えたくないっていうのに……)
若干イライラとしながら、返却された本を元の棚にしまっている時のことだった。
「うっ……くぅ~~」
「……?」
何やら踏ん張っているような、気張っているような声。
声の方向を見てみると、青髪の少女が背伸びをして本を取ろうとしていた。
("メイちゃん"……じゃ、ない方)
あの騒がしい夢見がちの少女だった。茶髪の子は確か『メイちゃん』だったが、この子の名前は知らない。
館長が呼んでいたような気がするが、ハッキリと聞き取れなかったし何より聞いても憶えていないだろう。
「うぐぐぐ―― もうちょっと……!」
「…………」
――全然、「もうちょっと」じゃない。
めちゃくちゃ背伸びをして本を取ろうとしているが、指の先にも全く触れていない。
本棚の近くの壁には踏み台があり、それを使えばすぐに取れるのになぜか使わない。
「ふぬぬぬぬぬ――っ!!」
(ええ~……)
――本当になぜ、踏み台を使わないのか。修行なのか?
「……これですか?」
本棚へ歩み寄り彼女の指先にあった本を取って手渡すと、彼女は「へっ!?」と間抜けな声を上げた。
「えっえっ……あの……」
「……ちがいましたか?」
「あっあっ……はい! あ、ありがとう、ございますっ!」
「そこに踏み台もありますから、良かったら使ってくださいね」
「えっ! あ……は、は、はい! あの、ありがとうございます、ありがとうございます!」
彼女は顔を真っ赤にしながら何度もペコペコとお辞儀をして、本とカバンを両手で抱えながら、本の貸出口まで小走りで立ち去った。
しかし、俺が本を整理している間はそこに座ってくれているはずの館長はいなかった。トイレだろうか。
しばらく待ってみてもなかなか現れない。彼女は少し困った様子で辺りを見回している。
「……本の貸し出しですか?」
「えっ!? えっ、あの……はい」
彼女はまた驚いた様子で俺を見る。
そういえば、顔を合わせたのも司書として相対するのも初めてだったか。
貸出口のカウンター側に入り、彼女から本を受け取る。
前大騒ぎしていた”キャンディローズ先生の初期の3部作”の最後のひとつだった。
「返却は1週間後ですから」
「あっ、はい……」
彼女は本を受け取ると、また顔を真っ赤にしてバタバタと走っていった。
入り口のドアを開けると、また昼下がりの日差しが入り込む。
(……怖がらせたか)
いつも相対している館長は小柄な優しい老人だから、急に無愛想なでかい男が出てきたら驚くのも無理はないか。
("レイチェル・クライン"……)
図書カードに書かれた少女の名前。
よくあんなに表情がコロコロ変わるなと思う。
本一つで大喜び。戦いのない日常を生きる人間はあんなものなんだろうか、少しうらやましい。
少女が立ち去った後の図書館は再びしんと静まり返り、ゆっくりと時が過ぎ去っていった。
次に彼女が来るのは1週間後のこの時間帯。またあのまぶしい日差しを連れてやってくる。
不思議と、彼女が来ない日もあの扉が開いて光が差し込んでくると彼女を思い出すようになった。
――いつから彼女に心惹かれていたのだろう。
こうなることは、必然だったのかもしれない。
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