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15章 祈り(前)
7話 教皇ワシリイ2世(前)
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「あ、グレンさん。お帰りなさ……きゃっ!?」
「…………」
「ど、どうしたの、何何……」
帰って早々、キッチンに立っているレイチェルをガバッと抱きしめた。
身を離してから唇を合わせ「ただいま」と言うと、真っ赤な顔で「うん……」とつぶやいてうつむく。
もう一度抱きしめると彼女も同じように手を回してきた。彼女は香水をつけないが、いつも良い香りがする。
「お帰り、なさい……」
「うん」
カイルの一連の出来事のあとから、レイチェルは俺のアパートで寝泊まりしている。
『色々とありすぎて不安だし怖い』と言うので、少しでも安心させられればと思ってそうした――もちろん彼女の両親の承諾は得ている。
元々彼女が卒業後に家を探して2人で暮らすつもりだったので、それが前倒しになっている形だ。
妙な奴が寄りつかないように転移魔法で学校まで送り迎えをしているが、今日は教皇との謁見があったためできなかった。
「……疲れた」
「……教皇猊下ですもんね……」
「ああ……それはまあ、最初からそのつもりだったからいいんだが」
「?」
再び身を離して、脱いだ上着とベストを乱雑にソファに放り投げ、倒れるように座り込んだ。
その隣にレイチェルが腰掛ける。
「……突然王太子が現れて」
「お、王太子!? って、あの……リュシアン王子、ですか!?」
「ああ……」
『突然来てしまってすまない。私の名はリュシアン。リュシアン・デュランベルジェ・フォンセ・ド・ロレーヌ――と名乗れば、全て分かってもらえるだろうか』
……そんな風な名乗りだった。
ロレーヌ王家は彼の他に何人か王子と王女がいるが、名前に「ロレーヌ」と付くのは立太子した者だけ。
名乗れば確かに、彼の身分も立場も何もかも分かる。しかし……。
「な……何をしに来られたんでしょう……」
「セルジュ卿とは昔なじみの友人らしい。だから、『セルジュを助けてくれてありがとう』『どうしても礼を言いたかった』……と」
「……お、恐れ多い……」
「ああ。俺達は何もしていないしな」
「全部聖女様のおかげですもんね」
「俺もそう言ったんだが、さわやかな笑顔で『謙遜せずともよい』とか言われてしまった」
「さわかやかに……。あっ、それで、教皇猊下のお話しって一体……?」
「ああ、それは……」
「はっ! ごめんなさい、やっぱり待って。飲み物入れます!」
「ん? ああ、そうだな。じゃあ……」
立ち上がりキッチンに向かおうとすると、レイチェルが『グレンさんは服着替えててください』と言うので従うことに。
着替えてソファーに戻ってくると、ちょうど彼女が飲み物を持ってくるところだった。
ローテーブルに置かれたのは、ココアと彼女の分のコーヒー。
俺はコーヒーを飲まないので、コーヒーの粉は彼女が買ってきたもの。
そして並べられた真新しいマグカップは、2人で雑貨屋に行った時に揃いで買ったものだ。
何もない部屋に、何かが少しずつ増える。ただそれだけのことなのに自然と心があたたかくなる。
だが、これから話す内容は穏やかなものではない……。
「それで、さっきの話の続きなんだが……」
◇
王太子が俺達にねぎらいの言葉をかけたあと。
「……お時間を頂きありがとうございます、猊下。私の話は終わりです」
「はい」
王太子が再度教皇の右側に控え、その後教皇が口を開いた。
「グレン・マクロード殿、ベルナデッタ・サンチェス嬢。よく来てくれました……ああ、どうか、楽にしてほしいよ」
見た目は穏やかな老人だ。だが、気のせいだろうか? 何か血の匂いと気配を感じる……。
禁呪に使われた魂は視えないが……戦いに身を置いていたことでもあるのだろうか?
「初めまして。私は、ワシリイ2世……これは、ミランダ教の教皇としての名です。個としての名は、『ミハイール・モロゾフ』といいます。……覚えておいてくれると嬉しい」
「!!」
「お、お……恐れ入ります」
ベルナデッタが震える声でそう言って、またカーテシーをする。
「…………」
カイルが"クライブ・ディクソン"と名乗った時とちがい、教皇の"火"には歪みがない。
ミハイール・モロゾフという名は本当の名ということだろう。
聖女の名は封印されるというが、教皇はちがうのか?
なぜそちらを名乗った?
(……全然分からん……)
宗教に忌避感があるからと最低限の情報しか聞いてこなかった。
もう少し学習してから来るべきだった……。
「……猊下」
「うん」
王太子と反対隣に控える聖女が教皇に呼びかける。
聖女は先日は白い薄布のローブをまとっていたが、今日はベルナデッタと同じような分厚い白の法衣だ。
頭部は司祭の長い帽子に着いている白布で覆われ、口元もまた同じ素材の白布で覆い隠しており、目元しか見えない。
「……一連の出来事は、聖女リタから見せてもらったよ。大変なことになってしまったものだ」
「……見せて……?」
「はい。……あの日のわたくしの記憶を、教皇猊下に受け渡したのです」
(受け渡す……?)
復唱してしまわないよう、口を引き結んで思考を内に巡らす。
――記憶を受け渡す? 物語や小説でよく見る「テレパシー」みたいなものか……?
「……今回君を招いたのは、君に聞きたいことがあったからなんだ」
「私に……? 一体、何でしょうか」
「うん。首謀者のイリアス・トロンヘイムのことを……」
「!」
「聖女リタの記憶と、セルジュの話によれば……司祭イリアスは光の塾の司教"ロゴス"であったと言う。過去、光の塾の下位組織に属していたことがあり……君は彼の同輩。間違いないね?」
「…………はい」
「そうか……」
俺の返答を聞いて、教皇は窓の方を遠い目で見つめる。
「……彼は昔、私の従者だったんだ」
「え?」
「……私が司教だった頃にね。私の元に来たのは、17年ほど前――彼が15の時だったかな。ひどく虚ろな目をしていて……てっきり、戦争や災害でああなったものだと思って何も聞かずにいたのだが……」
「…………」
「私はあの子の心の根底を見抜くことも、理解することも、道を示すことも出来なかった。……残念だ」
「…………」
黙って聞いているしかできない。
口を開くと要らない言葉だけを言ってしまいそうだ。
『だから何だ』『それがどうした』――そんな気持ちしか抱けない。
なぜ俺が、奴の過去なんかを聞かなければいけない?
……どうでもいいんだ、そんなこと。
教皇はこちらに向き直り、俺の目をまっすぐに見据えて微笑を浮かべた。
そこには企みや蔑みの意図は見られないが、何か心を見透かされているようで気分が悪い。
「……すまない。君も彼に思うことはたくさんあるだろうが……どうか、光の塾にいた頃のあの子のことを聞かせてほしい。私はそれを知る必要がある。……あの子が、朽ち果てる前に」
「……朽ち果てる?」
「うん。……禁呪をたくさん使ったからね。ひと月と経たないうちに肉体は腐り果て……あの子は現世から消えるだろう」
「………………」
「私が見抜けなかった、救えなかったイリアス・トロンヘイムを知ることこそが、私の罪となる。グレン・マクロード君……どうか、お願いだ。教皇ワシリイ2世としてではなく、ミハイール・モロゾフ個人として、彼のことを知りたいんだ」
「………………、分かり、ました」
「……ありがとう」
教皇はまたニコリと笑う。
――本当は嫌でたまらない。
あの出来事はイリアスを壊したばかりでなく、俺にとっても強烈な心的外傷となって残っている。
今でも俺は、モノ作りに類することをほとんど全くできない。
話すことで、過去の事実と心の傷と向き合わなければいけなくなる。
それにあの過去を話せば、皆イリアスに憐憫の情を抱くだろう。
だが奴は俺を殺し、カイルも殺した。今俺達が生きているのは、偶然が重なり合った結果でしかない。
光の塾の子供をたくさん殺して"血の宝玉"にした。キャプテンを怪物のように変えたのもおそらく奴だ。
いくら悲惨な過去を抱えていても許すことはできない。あいつは宿敵だ。
憐れみも同情も、抱いてやる必要はない。
"憎い"以外の感情は、いらないんだ――。
「…………」
「ど、どうしたの、何何……」
帰って早々、キッチンに立っているレイチェルをガバッと抱きしめた。
身を離してから唇を合わせ「ただいま」と言うと、真っ赤な顔で「うん……」とつぶやいてうつむく。
もう一度抱きしめると彼女も同じように手を回してきた。彼女は香水をつけないが、いつも良い香りがする。
「お帰り、なさい……」
「うん」
カイルの一連の出来事のあとから、レイチェルは俺のアパートで寝泊まりしている。
『色々とありすぎて不安だし怖い』と言うので、少しでも安心させられればと思ってそうした――もちろん彼女の両親の承諾は得ている。
元々彼女が卒業後に家を探して2人で暮らすつもりだったので、それが前倒しになっている形だ。
妙な奴が寄りつかないように転移魔法で学校まで送り迎えをしているが、今日は教皇との謁見があったためできなかった。
「……疲れた」
「……教皇猊下ですもんね……」
「ああ……それはまあ、最初からそのつもりだったからいいんだが」
「?」
再び身を離して、脱いだ上着とベストを乱雑にソファに放り投げ、倒れるように座り込んだ。
その隣にレイチェルが腰掛ける。
「……突然王太子が現れて」
「お、王太子!? って、あの……リュシアン王子、ですか!?」
「ああ……」
『突然来てしまってすまない。私の名はリュシアン。リュシアン・デュランベルジェ・フォンセ・ド・ロレーヌ――と名乗れば、全て分かってもらえるだろうか』
……そんな風な名乗りだった。
ロレーヌ王家は彼の他に何人か王子と王女がいるが、名前に「ロレーヌ」と付くのは立太子した者だけ。
名乗れば確かに、彼の身分も立場も何もかも分かる。しかし……。
「な……何をしに来られたんでしょう……」
「セルジュ卿とは昔なじみの友人らしい。だから、『セルジュを助けてくれてありがとう』『どうしても礼を言いたかった』……と」
「……お、恐れ多い……」
「ああ。俺達は何もしていないしな」
「全部聖女様のおかげですもんね」
「俺もそう言ったんだが、さわやかな笑顔で『謙遜せずともよい』とか言われてしまった」
「さわかやかに……。あっ、それで、教皇猊下のお話しって一体……?」
「ああ、それは……」
「はっ! ごめんなさい、やっぱり待って。飲み物入れます!」
「ん? ああ、そうだな。じゃあ……」
立ち上がりキッチンに向かおうとすると、レイチェルが『グレンさんは服着替えててください』と言うので従うことに。
着替えてソファーに戻ってくると、ちょうど彼女が飲み物を持ってくるところだった。
ローテーブルに置かれたのは、ココアと彼女の分のコーヒー。
俺はコーヒーを飲まないので、コーヒーの粉は彼女が買ってきたもの。
そして並べられた真新しいマグカップは、2人で雑貨屋に行った時に揃いで買ったものだ。
何もない部屋に、何かが少しずつ増える。ただそれだけのことなのに自然と心があたたかくなる。
だが、これから話す内容は穏やかなものではない……。
「それで、さっきの話の続きなんだが……」
◇
王太子が俺達にねぎらいの言葉をかけたあと。
「……お時間を頂きありがとうございます、猊下。私の話は終わりです」
「はい」
王太子が再度教皇の右側に控え、その後教皇が口を開いた。
「グレン・マクロード殿、ベルナデッタ・サンチェス嬢。よく来てくれました……ああ、どうか、楽にしてほしいよ」
見た目は穏やかな老人だ。だが、気のせいだろうか? 何か血の匂いと気配を感じる……。
禁呪に使われた魂は視えないが……戦いに身を置いていたことでもあるのだろうか?
「初めまして。私は、ワシリイ2世……これは、ミランダ教の教皇としての名です。個としての名は、『ミハイール・モロゾフ』といいます。……覚えておいてくれると嬉しい」
「!!」
「お、お……恐れ入ります」
ベルナデッタが震える声でそう言って、またカーテシーをする。
「…………」
カイルが"クライブ・ディクソン"と名乗った時とちがい、教皇の"火"には歪みがない。
ミハイール・モロゾフという名は本当の名ということだろう。
聖女の名は封印されるというが、教皇はちがうのか?
なぜそちらを名乗った?
(……全然分からん……)
宗教に忌避感があるからと最低限の情報しか聞いてこなかった。
もう少し学習してから来るべきだった……。
「……猊下」
「うん」
王太子と反対隣に控える聖女が教皇に呼びかける。
聖女は先日は白い薄布のローブをまとっていたが、今日はベルナデッタと同じような分厚い白の法衣だ。
頭部は司祭の長い帽子に着いている白布で覆われ、口元もまた同じ素材の白布で覆い隠しており、目元しか見えない。
「……一連の出来事は、聖女リタから見せてもらったよ。大変なことになってしまったものだ」
「……見せて……?」
「はい。……あの日のわたくしの記憶を、教皇猊下に受け渡したのです」
(受け渡す……?)
復唱してしまわないよう、口を引き結んで思考を内に巡らす。
――記憶を受け渡す? 物語や小説でよく見る「テレパシー」みたいなものか……?
「……今回君を招いたのは、君に聞きたいことがあったからなんだ」
「私に……? 一体、何でしょうか」
「うん。首謀者のイリアス・トロンヘイムのことを……」
「!」
「聖女リタの記憶と、セルジュの話によれば……司祭イリアスは光の塾の司教"ロゴス"であったと言う。過去、光の塾の下位組織に属していたことがあり……君は彼の同輩。間違いないね?」
「…………はい」
「そうか……」
俺の返答を聞いて、教皇は窓の方を遠い目で見つめる。
「……彼は昔、私の従者だったんだ」
「え?」
「……私が司教だった頃にね。私の元に来たのは、17年ほど前――彼が15の時だったかな。ひどく虚ろな目をしていて……てっきり、戦争や災害でああなったものだと思って何も聞かずにいたのだが……」
「…………」
「私はあの子の心の根底を見抜くことも、理解することも、道を示すことも出来なかった。……残念だ」
「…………」
黙って聞いているしかできない。
口を開くと要らない言葉だけを言ってしまいそうだ。
『だから何だ』『それがどうした』――そんな気持ちしか抱けない。
なぜ俺が、奴の過去なんかを聞かなければいけない?
……どうでもいいんだ、そんなこと。
教皇はこちらに向き直り、俺の目をまっすぐに見据えて微笑を浮かべた。
そこには企みや蔑みの意図は見られないが、何か心を見透かされているようで気分が悪い。
「……すまない。君も彼に思うことはたくさんあるだろうが……どうか、光の塾にいた頃のあの子のことを聞かせてほしい。私はそれを知る必要がある。……あの子が、朽ち果てる前に」
「……朽ち果てる?」
「うん。……禁呪をたくさん使ったからね。ひと月と経たないうちに肉体は腐り果て……あの子は現世から消えるだろう」
「………………」
「私が見抜けなかった、救えなかったイリアス・トロンヘイムを知ることこそが、私の罪となる。グレン・マクロード君……どうか、お願いだ。教皇ワシリイ2世としてではなく、ミハイール・モロゾフ個人として、彼のことを知りたいんだ」
「………………、分かり、ました」
「……ありがとう」
教皇はまたニコリと笑う。
――本当は嫌でたまらない。
あの出来事はイリアスを壊したばかりでなく、俺にとっても強烈な心的外傷となって残っている。
今でも俺は、モノ作りに類することをほとんど全くできない。
話すことで、過去の事実と心の傷と向き合わなければいけなくなる。
それにあの過去を話せば、皆イリアスに憐憫の情を抱くだろう。
だが奴は俺を殺し、カイルも殺した。今俺達が生きているのは、偶然が重なり合った結果でしかない。
光の塾の子供をたくさん殺して"血の宝玉"にした。キャプテンを怪物のように変えたのもおそらく奴だ。
いくら悲惨な過去を抱えていても許すことはできない。あいつは宿敵だ。
憐れみも同情も、抱いてやる必要はない。
"憎い"以外の感情は、いらないんだ――。
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