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腐れ大学生の物見遊山編
第38話 答えは沈黙
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「イナバさまは、Liú Kèになる前……ええと、あちらの世界では、一体何をされていたんですか?」
何杯目かの茶を飲んだ時、ケンネからそのような質問が飛んできた。
私は、すぐに答えられなかった。
大学に入学したはいいものの、学業はおろそかにし、サークルは途中で自然脱退し、恋愛は無惨に破局。
何一つとして、自慢げに語れるものがないのである。
「……特に、何も。強いて言うなら、文学を学んでいた」
実態のところは、卒業論文のテーマすら決めていなかったが、文学部に所属し、専攻も日本文学だったので嘘はついていないはずである。
「それって、」
しかし、私の返答に対し、バイリィは目を輝かせていた。
「Yóu Shìって、こと?」
未履修の固有名詞だったので、私が答えあぐねていると、ケンネが横から補足した。
「Yóu Shìというのは、符を記しながら、世界中を歩いて回る自由人のことですね」
吟遊詩人みたいなものか。
「いや、違う。建物があって、私は、そこに毎日通って、学んでいた。あちらの世界じゃ、そこまで珍しくもない。普通の人だよ」
「なんだー。違うのかー」
バイリィは背もたれにずるると寄りかかって、肩を落とした。
私が当惑していると、またもケンネが補足する。
「バイリィさまは、歩き始めた頃から、Yóu Shìに憧れていらっしゃるのです」
「だって、世界を見て回りながら、作品書けるのって、良いじゃん」
「それが君の、いずれ達成したい目的なのか」
「そ。でも、家も、ケンネも駄目って言うの。ひどいよね」
「しょうがないじゃありませんか。バイリィさまはシューホッカ家の、ただ一人の世継ぎなのですから」
「私には、私のやりたいことがあるのにさぁ。ケンネが、代わりに継いでよ」
「私では、お館さまのお勤めは果たせませんよ。こればかりは、才能のお話ですから」
そこまで辛気臭い雰囲気は感じなかったので、私は踏み込むことにした。
「お勤めって、一体何をするんだ?」
案の定、特に躊躇もなく、バイリィが答えた。
「水の管理だよ。この街の」
なるほど。治水か。
「我々の生活に、水は欠かすことができないものです。ここら一帯は、そこまで水の通りが良いワケではありませんから、お館さまのお勤めがなくては、まともに生活することもできないのです。そして、そのお勤めには、とてつもない魔術の才能が必要になります」
この街の至る所で、水路が見られた。そこに流れる水は、手ですくって飲むことにいささかの躊躇も感じないくらいには透き通っていたことを思い出す。
それはどうやら、体系的に組まれた治水構造によるものではなく、優れた一家の魔術によって為される、換えの効かない大仕事によるものらしい。
確かに、バイリィの両親やケンネの立場になってみれば、その大仕事の跡継ぎとなるバイリィを、おいそれと街の外へ放流するワケにはいかんな。
バイリィの夢を追いたい気持ちもわかるが、ケンネの想いもよくわかる。
迂闊に口を出すことは悪手となる話題であったので、私は静かに茶を口に運んだ。
時間の経過のせいか、風味が落ちてきているような気がした。
「これが、最後の一杯ね」
バイリィが出涸らしのお茶を、自分の茶器へと注いでそう言った。
「イナバ。これ飲んだら、外に出ようよ。街、案内してあげる」
その提案に、私は手のひらを見せて同意した。
何杯目かの茶を飲んだ時、ケンネからそのような質問が飛んできた。
私は、すぐに答えられなかった。
大学に入学したはいいものの、学業はおろそかにし、サークルは途中で自然脱退し、恋愛は無惨に破局。
何一つとして、自慢げに語れるものがないのである。
「……特に、何も。強いて言うなら、文学を学んでいた」
実態のところは、卒業論文のテーマすら決めていなかったが、文学部に所属し、専攻も日本文学だったので嘘はついていないはずである。
「それって、」
しかし、私の返答に対し、バイリィは目を輝かせていた。
「Yóu Shìって、こと?」
未履修の固有名詞だったので、私が答えあぐねていると、ケンネが横から補足した。
「Yóu Shìというのは、符を記しながら、世界中を歩いて回る自由人のことですね」
吟遊詩人みたいなものか。
「いや、違う。建物があって、私は、そこに毎日通って、学んでいた。あちらの世界じゃ、そこまで珍しくもない。普通の人だよ」
「なんだー。違うのかー」
バイリィは背もたれにずるると寄りかかって、肩を落とした。
私が当惑していると、またもケンネが補足する。
「バイリィさまは、歩き始めた頃から、Yóu Shìに憧れていらっしゃるのです」
「だって、世界を見て回りながら、作品書けるのって、良いじゃん」
「それが君の、いずれ達成したい目的なのか」
「そ。でも、家も、ケンネも駄目って言うの。ひどいよね」
「しょうがないじゃありませんか。バイリィさまはシューホッカ家の、ただ一人の世継ぎなのですから」
「私には、私のやりたいことがあるのにさぁ。ケンネが、代わりに継いでよ」
「私では、お館さまのお勤めは果たせませんよ。こればかりは、才能のお話ですから」
そこまで辛気臭い雰囲気は感じなかったので、私は踏み込むことにした。
「お勤めって、一体何をするんだ?」
案の定、特に躊躇もなく、バイリィが答えた。
「水の管理だよ。この街の」
なるほど。治水か。
「我々の生活に、水は欠かすことができないものです。ここら一帯は、そこまで水の通りが良いワケではありませんから、お館さまのお勤めがなくては、まともに生活することもできないのです。そして、そのお勤めには、とてつもない魔術の才能が必要になります」
この街の至る所で、水路が見られた。そこに流れる水は、手ですくって飲むことにいささかの躊躇も感じないくらいには透き通っていたことを思い出す。
それはどうやら、体系的に組まれた治水構造によるものではなく、優れた一家の魔術によって為される、換えの効かない大仕事によるものらしい。
確かに、バイリィの両親やケンネの立場になってみれば、その大仕事の跡継ぎとなるバイリィを、おいそれと街の外へ放流するワケにはいかんな。
バイリィの夢を追いたい気持ちもわかるが、ケンネの想いもよくわかる。
迂闊に口を出すことは悪手となる話題であったので、私は静かに茶を口に運んだ。
時間の経過のせいか、風味が落ちてきているような気がした。
「これが、最後の一杯ね」
バイリィが出涸らしのお茶を、自分の茶器へと注いでそう言った。
「イナバ。これ飲んだら、外に出ようよ。街、案内してあげる」
その提案に、私は手のひらを見せて同意した。
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