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1巻
1-2
しおりを挟む「……私がここに居る理由なんて、もうないわ」
冷たいシーツの感触が私の混乱した頭を少しだけ冷やしてくれる。
もうヴィクターを支える気も……妹のために生きるつもりもない。
でも、ただ黙って出て行く気はない。すでにヴィクターへの恋情や、妹への慈悲など消えている。
不思議と、一度絶望まで落ちると吹っ切れる事が出来るようだ。
だから……
「どうせなら、何も残さずに出て行ってあげるわよ。ヴィクター、シャイラ……」
これから私は、自分の人生を好きに生きていくと決めた。
そして貴方達のために捧げた全てを返してもらおう。
私の資産も、権利も、残さず全て持って出て行くのだ。
貴方達をもう、家族だなんて思わない。
◇◇◇
ヴィクターとシャイラの関係を知った三日後、屋敷に私の両親が訪れた。
両親を出迎えれば、彼らは笑みを浮かべたまま相も変わらぬ言葉を吐く。
「久々だなナターリア。少し肥えたな」
「ちゃんと身だしなみを整えなさいね? ヴィクター様の隣に相応しい姿でいないと」
私を罵倒する言葉が出てくるのはいつも通りだ。幼き頃から、両親が私を少しでも褒めたと感じると、シャイラは癇癪を起こす。だから両親は自然と、私を罵倒する癖が身についている。
「お父様! お母様!」
「シャイラ! 美しくなったな」
「寮生活で離れて心配だったけど、ヴィクター様に愛してもらっていて安心したわ」
妹との再会を喜ぶ両親はすでにシャイラとヴィクターのことを知っているようだ。
やっぱり説得は難しいだろう。
……まぁ、元々説得する気もないのでいいのだけれど。
彼らをヴィクターの待つ客室へと招けば、彼が仰々しく礼をした。
「ヘルリッヒ子爵家夫妻。急にお呼びたてして申し訳ない」
「ヴィクター様、こちらこそナターリアがご迷惑をおかけしています」
「いえ、問題ありませんよ」
私が迷惑をかけている認識の両親と、それを否定しないヴィクターにはうんざりする。
「しかし、ヴィクター様。えらく出世されましたね。王太子殿下の護衛など大変でしょう?」
私の父――フォンド・ヘルリッヒの言葉に、ヴィクターは首を横に振る。
「いえいえ、フォンド殿の過去の実績に比べれば僕などまだ青二才です」
ヴィクターの言う通り、父は過去に魔法学者として魔法を研究し、子爵家の地位を得た。
研究者としては高い実績を残しているとされている。
だが今となってはその研究が頓挫して、稼ぎ口を失った挙句私に仕送りを要求しているのだ。
父もその事が後ろめたいのか、さりげなく話を逸らす。
「私などよりも、騎士と当主の務めを両立させているヴィクター様のほうが御立派ですよ」
「光栄です。苦労も多いですが、なんとか成し遂げています」
当主の仕事は、ほぼ私がやっているのだけど……
照れたように顎に手を当てるヴィクターを白々しい目で見てしまう。まあ、口を挟めば本題に入るのが遅くなりそうなので今は静観していると、ヴィクターと父がちらりとこちらに向いた。
「それでは、ナターリアの説得をしましょうか。フォンド殿」
「ええ、そうですな」
はぁ……議題は不倫の是非のはずが、もう私の説得にすり替わっている。
席を勧めて、ようやく私達は机を囲んだ。
「ナターリア、どうして妹を大切にしてやらないんだ。お前が受け入れれば全て丸く収まるだろう」
早速、父がそう切り出す。
今更心の中を隠すつもりもない。だからキッパリと本音を告げよう。
「私はもうシャイラと一緒に暮らす気も、世話をする気もないの」
「酷い、お姉様……なんで突き放すの?」
シャイラが分かりやすく狼狽えて立ち上がると、私に詰め寄ってくる。
すぐに両親も立ち上がり、涙を浮かべた妹の隣に立つと、彼女の頭を撫でて慰める。
そして私を責めるように睨むヴィクター。
……世間一般的に酷いのは、不貞行為を働いた貴方達のはずでは?
皆、私が間違っているという態度を変えない様子に説得など出来そうにない。
私は、さっさと本題へと移ろう、とシャイラから視線を外してヴィクターを睨み返した。
「ヴィクター、離婚したい気持ちは本気なのですね?」
「シャイラは僕の子供を身ごもっている。だから……妻の座を、彼女に渡してあげてほしい」
「そして私が側室となり、これまで通りに貴方を支えろと?」
こんな事が許されていいはずない。
なのに周囲は私が悪いと責め続けて、意見を曲げない。
「僕は、君もシャイラも愛したい。これからは妹と一緒に幸せになればいいだけだろ?」
「お願いお姉様。私だってヴィクターを愛したいの!」
「どうして分かってくれない。君が納得するだけで、皆が幸せになるのに!」
「ナターリア、受け入れなさい。お前は姉として、シャイラの将来を大切に……」
「お姉様。私だってお姉様の傍にいたいの。受け入れてよ……お願い」
私が生きてきた二十三年。
何度も、何百も、何千も聞いた妹からの『お願い』という言葉。
不倫して私の生活を壊してまで、貴方達は『お願い』を繰り返すのね。
――もう、付き合っていられない。
私は自然と口元を緩めながら立ち上がり、迷う事なく本心を伝えた。
「それなら、私がここを出て行きます」
「「「…………え?」」」
途端に、彼らは動きを止めて固まる。
私が出て行くなど、まるで想像していなかった?
いつものように、愛想笑いで受け入れると思ったの?
あいにく、もう自分を殺して生きていく気はない。私は硬直した彼らを置いて、自分の部屋から荷物と、何枚かの書類を持ってきて机にたたきつけた。
「すでに荷物はまとめております。そして、これを見てください」
「ま、まて。ナターリア……」
机に置いたのは、権利関係の書類だ。
私の対応に焦りを見せるヴィクターの言葉を無視しつつ、書類の大事な部分を指でなぞる。
「まず、私が稼いでいた資産は当然ながら、貴方達のもとには残しません」
「なにを……待て。待ってくれ」
「そして、私が今まで当主代理として仕事していた分の対価も頂きます。これは我が国での労働に対する正当な権利です」
「何を言っている、ナターリア、待て。落ち着け」
両親が来るまでのこの三日間、出て行く前提で準備していたのだ。
もう、何を言われても止まらない……いや、止められない。
私が持ち出せる権利は、全て取り戻して去るつもりだ。私はゆったりと微笑んで、両親とシャイラに視線を移す。
「お父様やシャイラ達も同様です。子爵家の共有資産から私の分は引き出しておきましたから、来年度分のシャイラの学費は、ご自身達で捻出してください」
徹底的に、私という痕跡を消すように……全てを持っていく。
「ナターリア! 落ち着け。混乱しているのだろう?」
両親達が、慌てたように視線を泳がせる。シャイラは呆然と「なんで……」と呟き、涙を浮かべていた。けど、もう心配の言葉をかけるつもりはない。
動揺している様子のヴィクターに、胸に秘めた怒りをぶつけた。
「何を驚いているの? 築き上げてきた関係を裏切り、私にこの決断をさせたのは……貴方よ」
「待ってくれ。どうして僕のお願いを聞いてくれないんだ。分かり合うまで話をさせてくれ!」
「ふふ、都合がいいのね。ずっと、ずっと……貴方は私の言葉を聞いてくれなかったのに」
こんな時に限って、ヴィクターは私を見て……話をしようと懇願する。
でもね。
「もう、遅いのよ」
覚悟を決めた私はすでに行動を始めている。
動揺する皆の前に、私はいよいよ最後の書類を出した。
「皆様の望む通りに、離婚申請書を持ってきました。すでに私の名前は書いてあります」
事実上、離婚を告げる書類。それを見せた途端に、ヴィクターは私の傍へと近寄った。
「考えを改めるんだ。こんな形で出て行けば後悔するのは君だ。家族を失うぞ」
「離婚は貴方達が望んでいた事ではないですか」
「こんなやり方は止めるに決まっている! このままでは君は妹を見捨てたのも同然だぞ!」
「私の人生を利用して生きる貴方達の面倒なんて、いつまでも見てられないのよ」
そう告げて、さっさと家を出て行こうと踵を返す。
だが、父が怒りの形相で私の前に立ちふさがった。
「ナターリア、なぜ分からない。シャイラを受け入れるだけで皆が幸せになれるのだぞ」
「その幸せになる『皆』とやらに、私が含まれていないからです」
シャイラが耐えきれないとばかりに泣き出し、父がさらに表情を険しくして私の腕を掴む。
「お姉様……どうして私を嫌うの? 酷い……私はこんなにお姉様が好きなのに」
「見ろ‼ シャイラを傷つけて心が痛まないのか!」
ぽろぽろ涙をこぼすシャイラを見て、目を剥く父。私を軽蔑するよう見つめる母。
そして諌める目線を送るヴィクターという、あまりに予想通りの対応に呆れてしまう。
「ナターリア。貴族令嬢なら家族の利益を最優先で考えろ」
父は私を押さえつけながら、ヴィクターへと視線を向けた。
「ヴィクター様。この屋敷に鍵付きの部屋はありますか?」
「ええ。地下にあります」
「なら、そこに一時ナターリアを閉じこめます」
「分かりました。今の彼女は冷静な判断が出来ていない。時間を置いて説得しましょう」
父の言葉に、ヴィクターはあっさりと了承の言葉を返す。
私が閉じこめられる事に、少しも罪悪感はないようだ。
「ナターリア。僕らから全てを奪うような……こんな離婚なんて受け入れられない!」
ヴィクターは離婚申請書を手に持って引き裂いた。
ビリビリに破かれたソレを見て、思わず呟いてしまう。
「ヴィクター……分かっていますか。貴方がその選択をしたのよ」
「なにを言っている。君は家族のために少し頭を冷やせ、地下室で考え直すんだ!」
彼らが話を聞かず、私を無理やり押さえ込む事は分かっていたので、この後の対策もばっちりだ。
だから、今は抵抗しない。それどころか、もの言いたげにヴィクター達を見つめる使用人達にこっそり首を横に振って問題ないと伝える。全て予想通りで思わず頬が緩むのを我慢しながら。
どうやらヴィクターは気付いていないのね、離婚申請書を自ら破いた意味を……
その後、私は突き飛ばされるようにして地下の部屋へと入れられた。座敷牢のような場所だ。明かり取りのような穴がぽつんと開いていて、そこだけがほのかに明るい。
ひんやりとした石造りの部屋の寒さを感じていると、ガチャリと鍵がかけられる。
「ナターリア、ちゃんと聞いてくれ」
鍵のかかった扉の外から、ヴィクターの声がした。
「僕は本当に君のために、シャイラを迎えたつもりだ」
思わぬ言葉に顔を顰める。
「私のため?」
「ああ。君は僕の母と暮らすのは居心地が悪そうだった。だから……君が大切にしていた家族が近くに居る方が安心するだろうと思ったんだ。本当に君の幸せのために行動していたんだ」
……それが私のためだと、本気で言っているのならやめてほしい。
不貞を――恥を綺麗事で塗り替えて正当化しないで。
そもそも話も聞かない身勝手な優しさなど、必要ないのだから。
「貴方が不倫した理由を後付けで美化しただけ。聞いていられないわ」
「どうして、分かってくれないんだ。僕は本気で君とシャイラを幸せにしたいのに」
「その身勝手な優しさなんていらないの。今の私を見て? 幸せだと思う?」
ドレス一枚で、こんなに寒い部屋に入れられているのよ、と続けると、ヴィクターは黙り込んだ。
そして、「そこで頭を冷やせ、君が分かってくれるまで話し合うから」と捨て台詞を残して去っていく。あまりにもつまらない反応だった。
「残念ながら、もう話し合う機会はないわ。ヴィクター」
誰にも聞かせぬ呟きと共に、私は石造りの壁に背を預ける。
ここまで全てが考えていた通りに進んでいる。
今はまだヴィクター達が、私を警戒して監視しているだろうが、じきに緩むだろう。
なにせ私の事を気にかけてくれる人など、この家にはいないのだから。
そう思いつつ、私は壁に背を預けながら時間が過ぎるのを待った。
どれだけ時間が過ぎただろうか。
正確には分からないが、明かり取りの窓から日の光が消え、もう夜になった事は分かる。
「そろそろ……かしら」
私は地下室の扉に向けて手をかざす。
――集中しろ、あの魔法学書のページを思い出せ。
そう念じながら手に魔力を込めていけば……ガシャリと音を立てて、扉の鍵が開いた。
「やった!」
彼らには私が魔法を使えると知らせていなかったのが功を奏した。
魔法書から独学で学んだだけだけれど、解錠の魔法は上手く作動してくれた。
ちなみに、あえて魔法を使ったが、他に出る方法はいくらでもあった。なにせこの屋敷の改修費用を出したのは私なのだ。地下室の予備鍵だって閉じ込められる事を前提にこの部屋に隠している。
「まぁ、今回はまず魔法を試してみたけど……魔法学書通りいってよかったわ」
意気揚々と地下室から出ると、やはりどこにも監視は居ない。
当然だ。この伯爵家に、軟禁した妻を監視できるような他人を雇う貯蓄などない。
彼ら自身が見張りに立つことがないとも分かっていた、なにせ私に否定されて悲しむシャイラから離れればさらに癇癪を起こすのは分かり切っている。彼女から目を離す事はできないだろう。
今はあの妹のワガママぶりに感謝したい。
私は、彼らに離婚を持ち掛けた段階で、自分がこの部屋に押し込められることを想定していた。
ただ出て行けば、話し合いもせず資産を持ち逃げした妻になってしまう。
その不名誉を避けるため、こちらから離婚を切り出したのだ。
結果は予想通り。離婚調停で進めようとした妻を、彼らは力ずくで閉じこめた。
この事実を、この屋敷に働いている使用人は確かに見ていた。
「あの離婚申請書は、私からの最後の慈悲だったのよ。ヴィクター」
私はちゃんと離婚の機会を作ったのに、彼は自らその機会を断ち切った。
現状、私とヴィクターの婚姻関係は維持されている。つまり、シャイラとの関係が周囲に広まれば、ヴィクターは不貞を認めざるを得ない。
学生であるシャイラと、王太子殿下の護衛であるヴィクターによる不貞がどんな評判を生み、二人をどう追い詰めるかは想像に容易い。
私は全てが明るみに出た後、堂々と再度離婚を申し出るだけだ。
――今度は、慰謝料だってしっかりと取れるだろう立場で。
足音を殺して、私室へと向かって準備していたトランクを持ち出す。
屋敷を出ると、ヴィクターとシャイラが熱い口付けを交わしている姿が窓の外から垣間見えて笑ってしまった。
「私を閉じこめていると思って完全にいつも通りね。相変わらず吞気だわ」
私に当主としての仕事を任せた夫。
そして、なんでも要求すれば叶うと思っている妹。
この二人が繋がる未来など、私からしてみれば不安しかない。
両親も、義母も……二人を止められるだろうか。
まぁ、無理だろう。
「でも私にはもう、関係ないことね」
妹に人生を捧げて、ヴィクターの隣で愛を求めていた生き方に終わりを告げよう。
私はこれから過去を断ち切り、自由に人生を生きていくんだ!
「さようなら、みんな」
自由という身になった途端、驚くほどに軽やかな足取りで歩いていける。
やりたい事を考えながら、私は自分の人生の一歩を踏み出した。
第二章 私、好きに生き始めます
そんな訳で屋敷を飛び出してきた私は……
「うぅ~、よく寝たぁ……」
旅馬車の荷台の上で、大きく伸びをしていた。我ながら吞気に過ごしている。
抜け出した私がこれだけ良く眠れたのは、夜通しいくつもの旅馬車を乗り継いで最短でクロエル伯爵領を抜け出したからだ。領地を出れば、簡単には見つからない。
その安心感から一気に睡魔に襲われたのだ。今は久々の快眠のおかげで清々しい気分だ。
今までろくに眠れぬ日々だったが、睡眠は偉大だと改めて思える。
「起きたか嬢ちゃん」
旅馬車を走らせる御者がこちらに振り返る。私はにこりと微笑んで、彼に手を振った。
「おはようございます。快適な揺れで、よく眠れましたよ」
「はは、今日の客は嬢ちゃん一人で、話し合う客がいなくて暇なんだ。起きてくれて助かったよ」
「私も久々にたっぷり眠れて気分がいいので、話し合いたい気分です」
馬車に荷物や客を乗せて、王国の各街を巡っている旅馬車。彼はそのベテランだそうで、私の返答を聞くと嬉しそうにいろんな話をしてくれた。
数多の客を相手にしてきただけあって接しやすく、思わず声をあげて笑ってしまう。
そんな彼はひとしきり話してから、物珍しそうに私を見た。
「さて。聞いていいか分からんが……深夜から馬車を乗り継いでいたなら、夜逃げか?」
御者は同業から、私が深夜から旅馬車を乗り継いだのを聞いたのか、首をかしげて問いかける。
だがすぐに、訂正するように手を横に振った。
「すまない、爛れた話が好きでな。話したくなければ言わなくていい。客に余計な事を聞いちまうのは俺の悪い癖なんだ」
一応、御者と客という領分は弁えて、無理強いはしないのだろう。
話さなくてもいいと言って、改めて手綱を握る御者に、私ははっきりと答えた。
「お察しの通りです。昨晩夫の家を出てきたんですよ」
「っ‼ へぇ、それは興味深いな」
私の返事を聞いた途端、御者は身体を半分こちらに向ける。いかにも興味津々といった表情に、私は包み隠さずに全てを伝えていく。
御者にとっては面白い話だったのだろう、彼はずっと上機嫌に相槌を重ねていた。
「――と、いうわけで。伯爵家の屋敷を出て来たんです」
「なんとまぁ……思い切った選択をしたんだなあ」
「ええ、でもこれで自由になれました」
御者は全て聞いた後に、含み笑いを浮かべて私へ問いかけた。
「でも、それを俺に話してよかったのか? 俺が伯爵家に恩を売るために嬢ちゃんの身柄を渡すかもしれないぜ? ちょっとその無警戒っぷりじゃ逃げるのは難しいんじゃないか?」
試すような物言いに、おやと片眉を上げる。しかし、本当にそんなことをするのなら、私に言う必要もない。これはきっと、私が貴族令嬢だと知ったが故の忠告だ。
見ず知らずの人からの優しさにちょっと嬉しくなりながら、私はふふっと微笑んだ。
「確かに無警戒かもしれませんね? 客人を強引に誘拐してまで、今や資産もないクロエル伯爵家に恩を売るような酔狂な方がいれば私は終わりですから」
「……ふはっ! 確かにそんな奴は居ねぇか。それに俺だってクズの味方じゃないからな」
「それは何よりです。では話を聞いてくれたついでに、私の仕事を受けてくれません?」
「は? 仕事だって?」
もったいぶるような私の言い方に、御者は訝しげにゴクリと喉を鳴らして続く言葉を待っていた。
私は微笑んで、言葉を紡ぐ。
「簡単な事です。私が今話したことを他のお客様にも話してくださればいいんです」
「何言って……」
「先程も述べた通り、夫――クロエル伯爵家の次期当主は私の妹と不倫をしていました。その妹は妊娠中です」
御者が興味深げにさらに身を乗り出してくるので、私はさらに続ける。
「彼らにとって、私が逃げた事は想定外。すぐにでも私を見つけ出して、不倫を隠すために私と離婚したいはずです」
私から離婚を持ち出した時、ヴィクターは逆上し、資産惜しさに離婚を受け入れなかった。
つまり彼自身がまだ私と婚姻状態である事を望み、不倫関係を隠蔽する機会を逃しているのだ。
御者は私の言葉をここまで聞いてから、察したように鼻息荒く頷いた。
「なるほど、俺に不倫の事実が公になるよう吹聴してまわれってか……」
「はい。向こうの咎が公になったあとなら、悠然と離婚に向かえますから」
ヴィクター達は、私を捕らえた後に無理やり再度第二夫人として娶り、利用したいと思っているはずだ。だから今は彼らから身を隠して、不倫が公になるのを待つのが最善。
不倫の醜聞はやがて、彼らの権威や力を失墜させる。ヴィクターは王太子殿下から直々の推薦があって護衛騎士を務めているのに、不貞行為など即時失職ものだろう。
「なので、不倫の事実はどんどん公に話してくださる方が私にとっても嬉しいのです」
「ははは! こりゃ肝っ玉のいい奥さんだが……俺一人じゃどうもできないぞ?」
御者の言う通り、彼一人が噂を流した所で広まるまい。領主の醜聞を聞きたがる人間は多くても、信用できない内容であれば見向きもされないだろう。
――だけど、噂を広めるのが彼一人ではなく、多くの人々が広め始めたら?
私は御者に対して、ふたたび微笑みかけた。
「私がいくつもの旅馬車を乗り継いだのは知っておりますね。それが答えですよ」
「な……あんた、まさか」
「ええ。お察しの通り。私は乗り継いだ旅馬車の御者の方、全てにこの話を持ちかけています」
「っ……驚いたな。こりゃ」
「旅馬車には数多くの貴族も利用するので、噂を広めてもらうには最適ですよね?」
微笑んで呟いた言葉に、御者はゴクリと唾を呑み込んで頷いた。
「さっき……無警戒だと言ったけれど撤回するよ。ここまで仕込んでいるなんてな」
「ヴィクターや、シャイラ達が二度と私の人生に関われぬように徹底的に動いているだけです」
後ろ盾のない私は、ヴィクター達に捕まればその時点で終わりだ。
だから手っ取り早く、不倫の事実が少しでも早く広まるようにしておく。
私の身の安全が保障され、心置きなく自由を謳歌するために、どんな手だって使おう。
「噂を流す報酬として、今回の旅費の五倍を払います」
「こっちにとっても客との話の種になる上、金まで貰えりゃ得だらけだな。乗った!」
御者に、これからの乗客に私の身の上話と、これまでのいきさつを全て明かしてもらう事を約束してもらう。この約束を交わしたのはすでに五人目だ。
これからまだいくつも旅馬車を乗り継ぐので、噂は順調に広げられそうだ。
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2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます
*「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
※2023年8月 書籍化
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