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新たな出発

10.そんな約束は知らないんだが

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2023年5月16日(火曜日)PM5:07 惨劇前

「今回で最後にしてよね、ほんと。困るんだから・・・」
小坂部 茉莉(19歳)は、顔に嫌悪を滲ませながら言った。
「分かっているよ、そのつもりで呼んだんだ。」
栁谷は俯きながら言う。小坂部はそんな栁谷を見て、顔を逸らす。その嫌悪に染まった表情の目は、蔑むような色を見せていた。
「で、何よ、渡したい物って?私これからデートなんだからね。」
「あぁ、うん。直ぐ終わるよ。」
鞄の中に手を入れた栁谷の瞳は、既に色を失い闇に染まっていた。栁谷は鞄から手を引き抜くと、横一線に振り抜く。小坂部には一瞬、一筋の銀光が目に映ったが、それが何かは認識出来なかった。

刹那の静寂。夕方の混雑する有楽町の雑踏、行きかう人の話し声、幾重にも重なる車の走行音、そのすべが止んだ。
目の前には赤く染まっていく栁谷の姿。
血?
小坂部がそう認識した瞬間、止まっていた音が一気に脳内に溢れ出し脳を揺さぶった。発せられる悲鳴が混じる絶叫は、引き裂かれた喉から空気が漏れるだけで届かず、脳の中ですべての音を掻き消して響き渡って行った。




-王都ミルスティ 貧民街-

(何処よ、ここ。なんで私、こんなところで寝ていたの?)
小坂部は目が覚めると、肌寒さを感じて両手で両腕を摩る。周囲を見渡すと、綺麗とは言えない木造の家が並んでいた。
(何?・・・これ・・・)
道路を見ると、アスファルトではなく剥き出しの地面。
(やだ、汚れるじゃない!)
慌てて立ち上がると、衣服から土を叩き落とす。
(え、何この服!?ボロボロじゃない!)
解れて縫い合わせのある服を見て、小坂部は驚いた。いつ洗濯したのか分からないほどの汚れに、嫌悪感を抱く。

「よぅマーレ、今日もしけた面をしてんな。」
「人生がしけてんだから、そうもなるよ。」
「ははは、違いねぇ。」
(なにこいつら?マーレ?)
目の前に現れた青年らしき3人に、小坂部は良い予感がしなかった。何故なら、その3人の表情は明らかに人を馬鹿にしたような雰囲気だったからだ。
そのうちの一人が小坂部に右手を伸ばしてくる。小坂部は恐怖に身を竦めるが、相手の表情が優しく微笑んでいる事に、戸惑い立ち竦む。
「マーレ、シャツの襟が曲がってるよ。それじゃぁ余計に印象が悪くなっちまう。」
動く事も出来ずに、小坂部は相手の手がシャツに掛かるのを黙って見ていた。
「こうしておけば、気にする事もなくなるぜ。」
次の瞬間、相手の手が下まで一気に振り下ろされる。布が裂ける音が響き、小坂部の胸元から腹部までが露わになった。
「いやぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
小坂部はアヒル座りになりながら全力で悲鳴を発し、両手で両腕を抱き胸元もを隠した。何故突然こんな暴行を受けなければならないのか、その考えにすら至らずに、現状が把握できずただただ悲鳴を上げる。
「お、おい、なんかマーレの奴気持ち悪いぜ。」
「あぁ、これじゃまるで女じゃねぇか。」
(やだ、何こいつら、いきなり強姦!?頭おかしい、何なのこいつら。)
「誰か!警察呼んで!」
小坂部は必死に叫んでみるが、周囲にいる人間は殆ど見えず、家から顔を出す人間も居ない。
「誰か!助けてよ!」
その必死な小坂部の姿に、3人も困惑した。
「なぁ、ケーサツってなんだ?」
「俺が知るかよ。」
「マーレの奴、イカレちまったんじゃねぇのか?」
「かもな、これ以上関わらない方がいいかもな。」
「だな。もう行くか。」
3人は口々に小坂部の状態に戸惑いを漏らしながら去って行った。

(良かった、あいつら居なくなった・・・。だけど、何で誰も助けてくれないのよ。こんな昼間に女性が襲われていたら、普通誰か来るでしょ。)
少し落ち着いた小坂部は、そう思いながら視線を巡らす。だが、周囲を見渡しても、小坂部に興味を示す人間すら居ない。
(胸を隠さなきゃ何も出来ないじゃない。)
そう思って、腕で隠した胸元を見る。
(え・・・誰?)
本来在るべき筈の膨らみ無い事に、小坂部はまた困惑した。
(私、こんなに痩せこけてないし、何で無いの・・・)
はだけた胸元を触ってみるが、どう見ても女性の身体とは思えなかった。
(え・・・男?・・・えぇぇぇぇぇぇっ!)
自分の身体の異変に気付いた小坂部は、心の中で叫んで、暫し放心状態になったのだった。





「俺は王都に引っ越すぜ。」
「うん、前から言ってたよね。」
そうなのか?

またも勝手に、朝上がり込んで朝食を用意していたアニタに言うと、知ってたけど今更何?みたいな態度で返された。
「だからお金貯めてるんでしょ?」
知らねぇ。
むしろ金の場所を教えてくれ。
未だに何処に金が置いてあるのか分からねぇんだ。まぁ、ちゃんと探してもいないが。日々の生活なら薬を売っている金で賄えているのが、探すのを億劫にさせている。
「その金、何処にあるんだ?」
「いや、私に聞かれてもねぇ・・・」
だよなぁ。
「あ、でも寝室に置いてある・・・と言っていたような?」
本当かよ。何だその曖昧な物言いは。
「しょうがねぇ、後で探してみるか。」
そう思ったところで、エリサが目に入る。居たよ、何でもっと早く気が付かなかったんだ。探知犬が居るじゃねぇか。
「おいエリサ。」
「何だご主人?」
「これの臭い、分かるか?」
俺はエリサの方に銀貨を放り投げた。
「お駄賃か、ありがとうご主人!」
このクソ犬・・・
「誰がやると言ったこの駄犬が!銀貨の臭いが分かるか聞いてんだよ。」
「犬じゃない!けど、分からない事もないぞ。」
と言ってエリサはニヤリと笑った。ほう、それは駆け引きのつもりか?飼い主を試そうなんざいい度胸してやがるな。
「俺の部屋で、そいつの在る場所を見付けたら、その銀貨はくれてやる。」
「えぇ、これは今貰ったんだぞ。成功報酬を要求する。」
クソ犬の分際で賢しい真似をするじゃねぇか。
「しょうがねぇな。まさか金の稼ぎ方まで覚えるとは、流石だなエリサ。」
「ふふん、あたしは賢いのだ。」
ムカつくが今は我慢だ。探し当てた後に見てろよ。

「あんまり苛めないでよ。」
話しを聞いていたアニタが、朝食並べながらそんな事を言った。どこをどう見たら俺が苛めているんだ。
「仕事の話しだよ、なぁエリサ。」
「そうだぞアニタ、あたしは苛められてなんかいないぞ。これは立派な取引だ!」
おう、良く言った。
「リア、悪い顔してるわよ。」
「そうか?」
まぁ、そうなんだが。

そんなわけで、食後早速探させたんだがあっさり見つかった。単にベッドの下に仕舞ってあっただけのようだ。気付かない俺も俺だが。
「目標の半分くらいって少し前に聞いたけど、結構あるわね。」
ベッドの下から引きずり出した木箱に、半分くらいの大きい銀貨が詰め込んであった。結構というか、大金?
まぁ、家を買う事を考えれば、それなりの金額が必要なんだろうが。
「ところで、家の相場ってどれくらいなんだ?」
「買おうと思った事が無いから、私も分からないわ。」
使えねぇな。
メイニなら知ってそうだが、聞いておけば良かったな。
「なぁなぁ、報酬は?」
うるせぇな。
そう思いながら俺は箱から銀貨を1枚取り出す。
「おぉ!大きいヤツだ!」
目を輝かせながらエリサが声を大にする。
「エリサも自分で稼ぐようになったわけだ。」
「おう。」
「受け取る前に一つ言っておく事がある。自分で稼げるという事は、自分で生活できるって事だ。つまり、これを受け取ったら今後飯は全部自分で調達するんだぞ。」
俺は笑顔で言って銀貨を差しだす。
「え・・・」
エリサの目から輝きが失われた。
「どうした、要らないのか?正当な報酬じゃないか。」
さらに銀貨を近づけ、目の前で振ってやると、エリサは頬を膨らませ俺を睨んで来た。
「ご主人は意地悪だ!」
そう言い残してダイニングへと去って行った。

「そんな事だと思ったわよ。もう、意地悪なんだから。」
「そんな事は無いさ。」
俺の言葉に、アニタは怪訝な顔をする。
「俺に何かあった時、あいつは野良に戻ってまた盗みをするのか?」
「それは・・・」
「世の中そんなに甘くはねぇ。」
「だったらそう素直に教えればいいじゃない。」
「やなこった。」
俺は笑って言うと、銀貨を箱に戻してダイニングに戻る。
「捻くれてんだから。」
続いてアニタも苦笑しながらそう言った。捻くれてるかどうかは知らないが、そんなつもりは無い。エリサは人間の汚さを知らなさ過ぎる、ただそう思っただけだ。



それから店を開けるからとアニタを追い出し、銀貨は要らないというエリサを宥めて最初の銀貨はくれてやった。
(はぁ、しかし、なかなか読み減らねぇな・・・)
店の半分を占める本棚に目をやって溜息を吐く。読んでいくと当たり前の事だが、全てが新しい内容、というわけにもいかない。内容によっては重複している部分も出て来る。
それは読み飛ばしてしまえばいいので、残りのペースは上がっていくだろう。そんな事を思いながら、本棚から読みかけの本に視線を戻す。
戻したところで、鈴の音と共に扉が開いた。
(まぁ、邪魔が入らなければ、だが。)

入って来たのは3人ほど。どうやら剣士っぽい二人に、ローブを着た女性。さっそく胸を確認したがあまり無い。
残念だ。
何か冒険者みたいな身形だな。
「ここかぁ。」
「思ったより小さいけど、薬の種類は豊富そうだよ。」
「本欲しい。」
入って来るなり店主を前に好き勝手に言ってくれるが、本は売りもんじゃねぇ。
「あんたがリアちゃんか?」
知らん奴にちゃん付で呼ばれる筋合いはねぇ。しかも男なら尚更だ。
「そうだが。」
「俺ら、メイニから雇われた冒険者なんだが、これからゴブリン退治に行くんだ。それを伝えてくれって言われたから寄っただけなんだ。」
メイニから?
何故俺にゴブリン退治の報告なんか・・・
そういう事か。えげつねぇ。

メイニから聞いたサイナスの悪事だが、積み荷に保険を掛けてゴブリンに襲わせていたらしい。積み荷はゴブリンへの報酬になり、サイナスは保険で小遣いを手に入れるという、何ともせこい詐欺だった。
その小遣い稼ぎすら潰しにかかったんだろう。
やっぱ敵に回さなくて良かったな。
それともあれか、敵に回れば徹底的に潰すという警告だろうか。どっちにしろ、回る気は無いが。
「そうか。わざわざありがとうよ。」
「何、良いって事よ。行くついでだからな。」

「傷薬とか買ってく?」
「ゴブリン程度なら、要らないんじゃない?」
怪我に塗る薬ならあるが、こいつらが求めてるのはそういうのじゃない気がするな。勝手なイメージだが。
「ポーションなら無ぇぞ。」
「ぽーしょん?それは何だ?」
・・・
うっかり。ゲームじゃねぇってのな。いやでも、在ったかもしれねぇじゃねぇか。
「傷への塗り薬くらいないら在るが?」
「それは助かる、買おう。」
「そうか、毎度あり。」
そんなんでいいのか。

彼らは薬を買うと、さっさと店を出て行った。メイニからの言伝の為だけに寄り、薬まで買っていった。俺にとって良い奴らだったよ。
いや、まともだったと言うべきか?
よくよく考えると、変わった奴らしか周りに居ねぇよな。
類友?
うるせぇ!俺はまともだ!

「ねぇリア、価格調べてきたよ!」
一人で突っ込みをしていると、アニタが嬉しそうに戻って来た。こいつ、普段何をやっているんだろう?
「そうか。どうだった?」
「この家と同程度なら、このセルアーレで大銀貨200くらい。王都ミルスティなら1.5倍から2倍くらいが相場なんだってさ。」
「そこそこの値段だな。」
箱の中に在った銀貨じゃちょっと足りないな。200枚くらだったから、確かに半分と言える。だが、この広さじゃ手狭だから、もう少し広い家を買うとなると、全然足りねぇ。
「そうねぇ、後二部屋は欲しいから、600くらいは必要?」
何故お前が間取りを決める?
「勝手に人の家を決めるな。」
「だって私とエリサの部屋が必要じゃない?」
・・・
待て待て。
何を前提にしているんだこのアホ女。
「何でお前まで入ってんだよ!」
「王都に引っ越すときは一緒に住もうねって約束したでしょ!」
知るかバカヤロー!
誰だ勝手にそんな約束をした奴は!
・・・
俺、なんだろうな・・・
そういう約束だったんなら仕方がねぇ。給仕係の部屋を用意するだけで給金が発生しないと考えれば、将来的に得か?

そこはそれでいいか。
「ところで、これだったらどれくらいあればいい?」
俺は手元にあった大きい金貨を放り投げる。慌ててアニタが掴み、金貨を見た瞬間驚きに目を見開いた。
「だ・・・大金貨じゃない!どうしてリアがこんな大金持ってるのよ!?普通の人は持つことなんて稀なのよ!」
お、おぅ。凄いテンションだな。
やはり、予想通り大金だったか。金持ちってのは当たり前のように持ってるんだな、一般人が持って無いものを。
それを30枚もその場の勢いで出すメイニは、そうとうな資産家なんだろう。是非とも、今後もお付き合いしたいものだ。本人を見るだけでも気分は高揚するしな。
「いや、仕事で手に入れたんだって。」
「凄いじゃないリア、これがあれば王都に家を買うのも近いんじゃない?」
「だからどれくらいあればいいんだよ。」
「多分、30枚くらい?」
はっきりしねぇな・・・だがそうなると、大銀貨10枚程度の価値か。
あれ、もう買えるんじゃね?
ガリオスから10枚、サイナスから28枚、メイニから26枚・・・64枚。
!!
来てるな俺!
これは俺の時代到来じゃないか!?

くっくっく、早速明日にでも王都に行って、物件探しするかぁ。

「何笑ってんのよ、気持ち悪いわよ?」
黙れ庶民が。
「何でもねぇ。ただ、王都引っ越しも見えてきたなと思ってさ。」
うっかり口を滑らせないようにしないとな。
「まぁね、楽しみだね。」
その事情は知らず、俺の夢が叶う事が自分の事のように、アニタは嬉しそうに微笑んでそう言った。




-神都ヴァルハンデス-

「此処に居たかクソ駄神。」
その声に身体がびくっとしたレアネは、声のした方を恐る恐る振り向く。そこには冷酷な眼差しで見下しているソアの姿があった。
(怖いよぉ・・・しかもクソ神と駄神が融合してるし・・・)
「貴様の犠牲になった人間と、その原因であろう事が判明したぞ。」
「ほんと?」
「ほんと?じゃねぇだろ!自分の不始末だろうが!」
「はい・・・」
ソアは言うと、新たに持ってきた羊皮紙をレアネに見せつける。レアネは内容を確認すると、ソアに顔を向けて、怖いので逸らした。
「確かに、私がやった人間だけど・・・」
「こっちが本来、殺人鬼が入る身体だ。よく見ろ。」
レアネは見るも、首を傾げただけだった。
「ようし、頭の先から爪先まで分るように教えてやるこのクソ駄神!」
「ひぇ・・・」
ソアは前回渡した羊皮紙を1枚取ると、レアネの眼前に突きつける。
「名前を読み上げろ。」
「マール・・・」
「声が小さい!」
「マールです!!」
「次はこっちだ。」
続いて、先ほど持ってきた羊皮紙を、ソアは同様にレアネに突きつけた。
「あ、こっちもマールですね。」
「おい貴様、何故を目を逸らす。」
「もう見る必要がないからですよ。」
「もう一回名前を言って見ろ。」
「マールです。だからきっと、間違えたんですねぇ。」
ソアはそっぽを向くレアネの顎を掴むと、自分へと向けさせた。
「さては貴様、間違えたのを知っていて、後から適当な人間をこのマーレに入れたな?」
「や、やだなぁソア君、そんなわけ、ないでしょ。」
「じゃぁ何故俺の目を見ようとしない?」
「きょ、今日はそんな気分なんですよ。」
「分かった。」
ソアは投げるようにレアネの顎から手を外すと、背中を向ける。
「分かってくれた?」
ほっとしたレアネは笑顔を作り言うが、顔だけ向けたソアの目は酷く冷たかった。
「アーリーヴェル6神による審問神廷を要請する。その場で貴様は、同じ事を言ってみるがいい。」
「え・・・待って、待ってよ・・・」
捨て台詞のように吐いたソアは、その場から直ぐに立ち去った。慌てて止めようとするレアネの声は、届く事はなかった。

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