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ギルド本部殴り込み

27.俺は生派なんだが

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翌朝、なかなか起きないエリサを蹴り起こし、急いで船着き場に向かう。

港町の料理が美味く、酒が進んでしまった所為なんだが。エリサに飲ませてみたらろくな事にならなかったので、今後アホ犬に酒を飲ますのだけは止めようと思った。
港町だけあって、王都とは違い魚介料理が豊富なのがまた新鮮で良かった。王都ではなかなか食べられない料理に、ついつい調子に乗ってしまったわけだ。

「お、あの船だぞ。」
「なんか・・・気持ち悪い・・・」
身体が受け付けなかったのだろう。グラス1杯も飲んでなかった筈なんだが。
「酒なんか飲むからだ。」
「飲ませたのは、ご主人、だぞ・・・」
「知らん。」
「酷いぞ・・・」
気持ち悪そうにするエリサの手を掴んで、出発間際の船に乗った。かなり大きな船で、割り当てられた船室も窮屈ではなかった。ベッドは2段ベッドだったで、上か下かは後で話し合いだろう。
俺は下がいい。落ちたら嫌だから。

「飯食おうぜ。」
何も食わずに宿屋を出て来たので、腹が減った俺はエリサに言う。
「あたしは、いい・・・」
食い意地の張ったエリサが飯を拒否するとは・・・
「あのな、酒で気持ち悪い時は、ちゃんと飯を食って水分を取ると、早く楽になりやすいぞ。」
「そうなのか、じゃぁ食う。」
部屋に鍵を掛け、渋々頷くエリサを連れ俺は食堂に向かった。食堂の雰囲気はあれだ、言うまでもない。木製の床、木製のテーブル、木製の椅子と、ファンタジーで出て来そうな典型的なやつだ。
生前の豪華客船のような見た目だったら驚きだが、そもそも技術的に考えても無理だろうな。

エリサは軽めにパンと、魚介からとったスープに焼き魚を食っていた。俺もスープは貰ったが、ブイヤベースみたいなものだろう。
それよりも、揚げた魚を挟んだパンが美味い。衣は着いて無いが、それでもタルタルがあったらなお良かったな。
もっとも、この世界にそんなものはないだろうが。卵はあるから何とかなりそうなものだが、マヨネーズは無い。どうやって酸味を出すか、というところだろうが、料理知識の無い俺には無理じゃねぇか。

「ちょっと元気出て来たぞ。」
飯を食った後、甲板に出て風に当たっていると、エリサが言った。
「だろ。」
そういや、生前は船になんて乗った事はなかったな。こんな海の上で、大きな船に乗って風を感じるなんて、それこそテレビの中の話しだ。
だが、これは悪く無い。
「風の匂いが全然違うぞ。」
風に匂いはねぇだろ。
風は匂いを運ぶもんだ。
まぁ、言いたい事は分かるからいいか。
「だなぁ。俺も初めてだよ、こんな風は。」
そう思うと、船で一泊の旅も良いものだと思い始めていた。夜にはまた、魚介料理を楽しみながら飲めるだろう。生前で考えると、贅沢な内容だ。
ただ、惜しい事に空も快晴とはいかず、曇り空だ。海の天気は変わりやすいとか言うし、この世界もそうなんじゃないか?

この場合、ファンタジーだとあれだな。旅路の途中で船に乗ると、モンスターに襲われるのが定番じゃないか?天候の崩れた時に、襲われるんだよな。
そうなると海の生物か空を飛んでる魔物だな。クラーケンとかありがちだろ。空からだと、ハーピーとかワイバーンあたりが定番か?


船に乗ってみりゃ、苦難に遭遇
望んでねぇっての、困難な境遇

逃げ場のない船上
やるしかない戦闘
目が合った船長
と思わず共闘
血が飛び交う惨状
船員たちと奮闘

戦い終わってみりゃ、混沌と静寂
血生臭ぇっての、根性で清掃

「ご主人、何してんだ?」
・・・
ふぅ、つい年甲斐もなくアホな事をしてしまったぜ。声には出していないが、身体は動いていたらしい。
「風が気持ちいいな。」
「雨だぞ。」
・・・
どうやら考えている間に、天候は悪化したらしい。そんな汚点は流してやるとばかりに降り始めやがった。俺が何をしたってんだよ!
「強くなって来たぞ。」
・・・
俺に対する嫌がらせとしか思えないな。
「はぁ、中に入ろうぜ。」
「そだな。」

その後部屋に戻り、昼にはまた飯を食いに行き、雨が止んだのでまた甲板に出て、そんな事をしているうちに夜になった。はっきり言って、暇すぎる。たまには良いかもな、なんて思ったがそんなのは最初だけだ。
みんなどうしてんだろうな。

「ご主人、でかい魚だぞ!」
何!?
エリサが指さしている方を見ると、カウンターに丸太のような魚が乗っていた。その横に恰幅のいい髭面をしたおっさんがクソ長い包丁を持って立っている。
もしかして、解体ショーか?
「これから解体すんのか?」
「おぉ!そうだ。なかなか見られないぞ。」
生前、たまにそんなイベントやっているところがあるのは知っていたが、見に行った事など無い。面倒だからだ。そのための日程調整や移動をしなければないないなら、見に行く必要はないと思っていたから。
「あぁ、初めて見るよ。ちなみに食えるのか?」
「勿論だ。お前たちは運がいいぞ、たまたま上がったらこうして振舞っているんだ。今日はなかなか大物が上がったからな。」
へぇ、気の利いたサービスじゃねぇか。
「それ、貰えるのか?」
「らしい。」
「む・・・食いきれる自信が無いぞ。」
いやお前が全部食おうとすんなよアホ犬。
「がはは!面白い奴だな。だがこれは、乗客全員で分けるんだ。」
「そうか、ちょっと残念だぞ。」

「ところで、焼きか?」
「焼きもあるが、煮たり揚げたりどんどん作っていくから、好きなのを取っていけばいい。」
そうか。
やはり、生は文化なんだよなぁ。もう刺身は食えないと思うと、寂しい気もするな。
「俺のお勧めは生なんだがな。誰も食いたがらねぇ。」
「なんだって!?」
無理かと思った瞬間、まさかの一言を吐きやがった。髭面のくせに。
「いや、だからな、誰も食いたがらないんだ。」
「そっちじゃねぇよ。」
「何?まさか、生に興味があるのか?」
「まぁな。」
いいぞ。
刺身が食えるなんて思ってもみなかった。いや、刺身なんて日本の文化だから、ここでどんな食べ方をするのかは分からないが。
「そうかそうか!初めてだぞ、興味を示した奴は。」
「ちなみにどうやって食うんだ?」
「あぁ、切り取った部分を丸齧りだ。」
・・・
原始的だな。
仕方が無い、ここは俺の出番じゃないか?
「そりゃダメだな。美しくない。」
「魚の食い方に美しいも糞もあるか。残さず食べてやるのが俺たちの矜持だ。」
それは当たり前の事だろうが。そんなものを矜持とか言うな、アホが。
「ちょっと俺にやらせてみろ。」
「そんな細腕で出来るのか?」
あぁ・・・
「ちょっとこれくらいの大きさに切ってくれ。」
俺は手で、四角いブロックに切ってくれと伝える。
「我儘なガキだな。」
うっせぇ。
そもそも魚のさばき方なんか知らねぇよ。

それから髭面が魚を解体するのをぼんやりと眺めていたが、隣では既に涎を垂らしているアホ犬が居た。
俺は解体された部分から、腹身部分と、トロにあたる部分付近をブロックで貰う。いや、なんかマグロに見えるんだよ、魚が。
「良いところを取りやがって・・・まてよ、旨いところは分かってるのか?」
やっと気付いたか。
「まぁ、見てろ。とりあえず醤油くれ。」
「ショーユ?」
・・・
無いんだよな。大豆から作るのは日本特有だっけか。
「じゃ、塩。」
その間に、俺はブロック部分を切って並べていく。
「なんだ、一口で食べれるようにしたいなら、そう言ってくれれば切ったのに。」
そうじゃねぇんだよ。この形がいいんだよ。お前らに任せたらサイコロステーキよろしく出て来そうだから俺がやったんじゃねぇか。
「この切り身に、塩を少しまぶして食う。」
うめぇっ!!
こいつは、味で言うとほぼマグロじゃねぇか。しかも脂も乗って、まさしくトロだな。この甘味、とろけ具合から言えば中トロあたりか。そうなると、もう一つ回収した腹身のところは大トロっぽいな。
「ご主人、あたしも!」
「おう、食って見ろ。」
塩を軽く振ってやると、エリサは1枚掴んで口に放り込んだ。
「ぉ、お、おぉっ・・・」
よく分からん反応だな。
「とろけるぞご主人。これ魚か?川魚とは大違いだぞ!」
川魚と一緒にすんなよ。だが、どうやら気に入ってくれたようで良かった。
「どれ、俺も食ってみるか。」
続いて髭面が真似をして食べると、目を見開いた。ふふん。

「これは驚いた。丸齧りと全然違うじゃねぇか。」
「だろ。」
「こいつは良い!しかし嬢ちゃん、こんな食べ方何処で知ったんだ?」
「我が家に伝わる秘伝だ。」
嘘だけどな。
「おいおい、そんなものを簡単に教えちまっていいのかよ。」
「今回は特別だ。残さないのも大事だが、見た目も良く、美味しく食ってやったらもっと良いだろ。」
と、良さそうな事を言っておく。
「うむ、その通りだ嬢ちゃん。まさか、こんな嬢ちゃんに大事な事を教わるとはな。」
言いながら髭面が俺の頭を撫でて来る。撫でて来るんだが、力が強すぎてわしゃわしゃにされた。
「触んな!」
「お、おう、すまん。で、そっちも同様に食うのか?」
「いや、ちょっと待て。」
腹身は脂が多い。ここはやっぱ炙りだろ。ただ、バーナーも無いからな、ブロックのまま炙ってから切るしかないな。
「ちょっと火使わせてくれ。」
「いいぞ。」

高火力で表面の脂が焦げるくらいにさっと炙り、水に晒す。氷水がいいのだが、流石に氷は無いので水で我慢するしかない。粗熱が取れたら、表面の水分を取って切るだけだ。
料理は出来ないが、こんな事くらいならなんとかなる。
炙ったこっちの方が塩向きだな。
「ご主人・・・これ、溶けてなくなるぞ。」
「表面の香ばしさがいいな。」
うむ。我ながら良い出来だ。二人とも感動したようだが、何より俺自身が久々に食べた刺身に感動している。
「よし!今日は生も並べてみよう。」
髭面が嬉しそうに言う。今まで誰も食べなかったから、食べる奴が居て嬉しかったのかもしれない。
「いいねぇ、酒のつまみには最高だぞ。」
「俺もちょうどそう思っていたところだ。いやぁ、今日は良い日だ、嬢ちゃんには俺から酒のサービスをしてやろう。」
「お、話しが分かるじゃねぇか。」
しかし、もしかすると俺は、この世界で刺身を広めた人物として歴史に残るんじゃねぇか?この世界に名前を刻んでしまうんじゃねぇか?
それには料理名が必要だな。
「この料理な、一応名前があるんだ。」
「丁度いいや、なんて呼ぼうか迷っていたところだ。」
「刺身だ。」
「サシミ?」
「あぁ。」

その晩、刺身という名前で大トロの炙りと、中トロの刺身がセットで皿に乗せられ振舞われた。もちろん、いつも通りの焼きなども用意されて。
これでこの世界の1ページに、俺の名前が刻まれるな。
周りの様子を見ると、怪訝な顔をしながら食べる者も居たが、それでも少数だった。多くが生で食べられるんだと感心しつつも、敬遠していたが。
「エリサ。」
「ん?」
多めに回してもらった刺身を頬張るエリサを見て、一つ思い出した事がある。
「生は消化が良くないから、食い過ぎると気持ち悪くなるぞ。」
が、頷くだけで止める気配は無かった。
まぁ、いいけどよ。消化器官が違うのかもしれないし。
昔、刺身が美味しくて大量に用意したら、途中から食うのに飽きて来るし、胃が重くなった事がある。何事も、適量ってのは重要だなと痛感したっけな。美味しく食べられる量が、丁度いいんだよ。



「ご主人、なんかお腹が重いというか、気持ち悪いぞ・・・」
死ね。
クソ犬。
「俺は昨日言ったよな?」
翌朝、起きて食堂に朝飯を食いに行こうとしたらこれだ。聞きもしないでなった奴の事なんか知るか。
「うん、ごめん・・・」
「もう知らねぇ。」
「次から聞くから、だから薬を。」
「いやな・・・」
待てよ。普段やられているからな、今度は俺の番じゃねぇか。
「胃腸薬は銀貨2枚だ。」
「う・・・ケチだ。」
「お前がいつもやってる事じゃねぇか。」
と言ったら顔を逸らしやがった。
「・・・我慢する。」
あっそ。
「じゃ、俺は美味しい朝食でも食いに行くかな。」
「意地悪だ・・・」
恨めしそうな眼を向けて、それでも着いて来るエリサと食堂へ向かう。


船旅は順調で、魔物に襲われるなんて妄想が現実になる事もなく、夕方にはアズ・オールディア大陸の港町、ロエングリに到着した。
船を降りようとすると、夕べの髭面が橋の前に立っている。
「なんだ、見送りか?」
「乗客を見送るのも船長の仕事だからな。」
船長かよ!?
ただのおっさんかと思ってたぜ。
「そうか、世話になったな。」
「いや、こっちこそ。嬢ちゃんはこの大陸の住人か?」
「いや、ギルド本部に用があるだけだ。終わったら帰るよ。」
「だったら、秘伝を教えてもらった礼だ、帰りもサービスしてやるぞ。」
秘伝効果すげぇな。
「そりゃありがたい。期待しているぜ。」
「あぁ。それじゃ、道中気を付けてな。」


船から降りると、街に向かって宿屋を確保する。生前は予約しなければならなかったが、通信手段の無いこの世界では突撃するしかない。
そう考えると、この世界の旅は不便かも知れないな。宿屋が空いてなかったら野宿するしかないんじゃないか?
とは思ってしまうが、生前の世界だって初めからそんなものがあったわけじゃない。だが現代でも、敢えてその旅を楽しむという酔狂な奴も居るんだろうが。この世界では楽しむ楽しまないに拘わらず、選択肢が無いのは事実だ。


船旅前と同様で、宿屋を確保した俺とエリサは夕食を食べに行った。今回はエリサに酒を飲ませるのは止めたが。
料理は多少の差はあれ、そこまでの変化はない。今のうちに海産物は食べておこうと思った。王都に戻ったら食べる機会も激減するからな。


「なんか、久しぶりにすっきりした気がするぞ!」
そうかい、俺は二日酔いだよ。
翌朝、と言ってももう昼に近いため朝と言っていいか疑問だが、城塞都市フェルブネス行の馬車乗り場で元気そうなエリサに恨めしい目を向ける。
一応、胃薬は飲んだのだが、そんな直ぐには回復しない。
「そりゃ良かったな。」
この状態で馬車に揺られて、俺は耐えられるんだろうか・・・
「新しい街、楽しみだなぁ。」
「夕方には着くだろう。」
「移動と寝てばっかりだね。」
「だなぁ。」
本当に何もする事が無ぇ。馬車で半日って事は、徒歩でも野宿1回くらいで着くんじゃねぇか?って気もするが、それはそれで面倒だ。
「あ、馬車来たよ。」
エリサが指を差す方向を見ると、こちらに向かって来る馬車が見える。その作りから、ケツが痛くなるのは間違いないだろうなと思った。



「壁しかないぞ・・・」
ケツ痛ぇ・・・
「城塞都市なんだから、そんなもんだろ。」
やっと終わった馬車の後遺症にうんざりしながら、フェルブネスの街を囲む壁を見上げる。何を想定してこれだけの壁で街を囲んだのかは不明だが、高く聳える壁を見ると物々しい雰囲気に感じてしまう。
「とりあえず、中に入るか。」
「うん。だけどこの街の人は、閉じ込められているのか?」
防衛のための壁なんだろうが、なるほど、そういう発想もあるのか。
「どうだろうな。入ってみりゃ分かるだろ。」
「そだな。」
違うとは言い切れずに、入ってみる事にする。エリサの言う事を否定出来る根拠は、俺には無い。その可能性だって、あるかもしれないからだ。

「出入りは自由っぽいな。」
「うーん。好きな場所で出入り出来ないのは面倒だぞ。」
大きな観音開きの扉を抜けて街の中に入ると、特に変わったところの無い街だった。俺が居る王都と別に変ったところは見当たらない。
エリサの言う通り、壁に囲われているので出入りの場所は限られているのは確かに面倒だ。門には兵士が見張りなのか立っていたが、特に通る分には問題なかった。それでも、監視されている様であまりいい気分ではない。
「よし、宿を探すぞ。」
「またかぁ。」
「まただ。野宿したいなら止めないが。」
「イヤだ!」
「だったら探せ。それが終わったら、本部の場所を確認しながら飯にしようぜ。」
「うん。」



「お城だぞ・・・」
一瞬間違ったかと思ったが、此の場所で合っている。という事は、エリサの言う通り城の見た目をしたこの建物が、ギルド本部という事だろう。
「あの城が、本部で間違いなさそうだ。」
外周の道と、敷地は隔てるように鉄柵で囲われている。街だけじゃなく、主要な施設は囲われているように感じた。というのも、此処まで来る途中で似たような大きい建物を幾つか見かけたからだ。当然、この本部と同様に外周は壁なり鉄柵で囲まれていた。
このフェルブネスでは、重要な施設や建物は、そうやって守るのが風習なのかも知れない。王都ミルスティでは殆ど見かけてない事から、そう思えた。
「明日は、あの城に乗り込むぞ。」
「任せろ。」
鉄扉の奥には、門番なのか分からないが、たまにこっちを見たり周囲を見回したりしている男が立っている。門は閉められているので、今日は入れそうにない。
「場所も分かったし、飯にしようぜ。」
「うん、あたしもお腹が空いたよ。」
ギルド本部の場所は分かったので、明日は迷う事なく乗り込めるだろう。後は明日に備えて、一応飲み過ぎないように注意するか。
そう思いながら、宿屋までの道すがらエリサと飯を食べる場所を探しながら移動した。





-神都ヴァルハンデス-

大神ロアーヌより幾度目かの啓示を受け取ったソアは、聞いた時の驚きかがまだ抜けいなかった。
「こんな短期間に啓示の内容が変わった事など経験が無い・・・」
それは、同様にロアーヌも口にしていた事であった。
「あのクソ駄神が引き金でアルマディ家が滅亡するまではいい。それは飽くまでクソ駄神のミスだからだ。だが何故、存続に変わってしまったのか・・・」
ソアは自室で頬杖をつきながら考え、独り呟いていた。
「これに関してはクソ駄神が何かをしたとは思えない。であれば、啓示を変える程の何かが起こったと考える方が自然だ。」
目を瞑って暫し考え込むが、その答えにソアは辿り着けもしない。

「それにもう一人、マーレとかいう男。アレも自分の境遇を嘆き、悲観し、絶望して命を絶つ存在だったはずだ。クソ駄神が間違いを誤魔化すために使われた筈なんだが、やはり何かのきっかけがある筈だ。近くにクソ駄神が居るといっても、あいつに影響力なんか欠片程も無い。」
ソアは椅子から立ち上がると、中空に水鏡の様なものを具現化させる。その中に映るレアネを見ると腹立たしくなってきたが、それでもその光景に視線を固定させた。
「現状、他に追放された神は存在しない。クソ駄神に環境を変える程の何かもない。やはり、あそこで何かしらの影響が存在するのは間違いないだろう。それに関しては、ロアーヌ様も分からないと言っていた。」
そこまで言うと顎に指を当てて熟考する。

どれくらいの時間を葛藤しただろうか、ソアはゆっくりと唇を動かした。
「やはり、もう一度確かめに行った方がいいだろう。」
変化の度合いが大きいという事は、今後もその影響が出る可能性は大いにある。それが、良い方向へ向かうのであれば問題無いが、そうでなかった時に備え、現状を把握する必要はあるだろうと。






2023年 8月3日 19:26分 都内某病院

病室で寝たきりの女性の前で、それなりに齢を重ねた夫婦が悲壮な顔をしていた。婦人の方は、どれだけ泣いたのだろうか目を赤く腫らし、今でも涙を浮かべている。女性を挟んだ向かい側には、医師と看護師が沈痛な面持ちで女性に目を向けている。

長塚 茜 32歳

有楽町での凶刃に倒れ、脳死状態となっている。
「早く結婚しろなんて、あんなに言わなければ良かった。こんな事になるなら、もっと自由に・・・」
「それすらも、もう言う事も叶わない。茜の耳に、私たちの言葉が届く事は無い・・・」
婦人が茜の手に触れ、声を震わせて言うと、夫は茜から顔を逸らして静かに言った。

「では、薬を投与します。」
「お願します。」
夫が頭を下げて言うと、医師が点滴に薬を投与する。死に向かう娘から目を背けるように、婦人は顔を逸らした。
薬の投与が終わると、看護師が茜に繋がれている管や計器から伸びた線をゆっくりと外していった。


19:41分
医師が死亡を診断すると、部屋を後にする。親子だけになった病室内には、堰を切ったように婦人の咽び泣く声が次第に大きくなり響き続けた。
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