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前編

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「ステラ・ロングワース男爵令嬢、僕と、結婚していただけますか?」


 魔石灯がロマンチックに照らす王宮庭園の一角。
 まるで物語の一場面のように片膝をつき、純白のオペラグローブをはめた手を取って、銀髪翠眼の貴公子、アーサー・クィントン公爵令息は最愛の女性ひとこいねがった。
 その純粋に輝く瞳は、彼女からの承諾の返事を疑いもしていない。
 だがそのお相手であるステラ・ロングワース男爵令嬢が口にしたのは、彼の想いとは真逆の答えだった。


「申し訳ございません、アーサー卿。わたくしには、求婚をお受けする資格がございません。失礼致します。」


 アーサーの手からオペラグローブの小さな手がすり抜ける。
 彼は愕然としながら、踵を返したステラを見つめていた……。




 ◇◇◇



 ステラの生まれたロングワース男爵家は貴族とは名ばかりの貧乏男爵家だった。
 この王国では十年に一度、魔獣が溢れるスタンピードが起こる。
 海を隔てた遥か向こうの大地に瘴気の流れ出る場所があるらしく、普段は魔獣を生み出す瘴気がこの国まで流れてくることはないのだが、何故か十年毎に強風を伴う嵐が瘴気を乗せて王国を襲い、魔獣の大量発生が起こっていた。

 ステラの曽祖父がそのスタンピードの魔獣討伐で功績をあげたらしく、褒美として爵位と小さな領地を賜ったのだが、ただの猟師一族だったロングワース家の領地経営が上手くいくはずもなく、ステラの家はずっとギリギリの経済状況だった。


 ステラがアーサーと出会ったのは、彼女が十三歳、アーサーが十六歳の時。
 スタンピードが起こったこの年、一年かけて国中で魔獣討伐が行われ、無事に魔獣の出現が終わったと思われていた冬のこと。
 王都の貴族学院から冬の休暇で領地に戻るアーサーを乗せた馬車が、ロングワース領を抜けていた時、まだ残っていた魔狼に襲われたのだ。
 ロングワース家の討伐隊がすぐに駆け付け、そのひどく凶暴化していた魔狼をなんとか倒したが、アーサーは既に深手を負ってしまっていた。
 大急ぎで男爵家に担ぎ込まれた瀕死の彼を助けたのは、ステラの治癒魔法。

 だが一命は取り留めたものの、まだ成人前で未熟な彼女の魔法では少しずつの治癒しか出来ず、ステラは毎日必死にアーサーへと魔法をかけ続けた。
 そして十日後。アーサーの怪我は微かな痕すら残らずに完治し、献身的な治療を受けた彼の心には、確かな恋が芽生えていたのだった。


 それから──。
 この国の成人は十六歳。
 アーサーはステラの成人を心待ちにしながら、夏と冬の休暇には男爵領を訪れ、二人で想いを育んできた……と、少なくともアーサーはそう思っていたのだ。
 出会ってから三年目となる今年、ステラが十六歳になって王都で貴族学院に入学すると、彼は休日のたびに彼女をデートに誘い、社交界デビューの舞踏会にはドレスを贈ってエスコートもした。


 ステラはそのたびに「私には分不相応です。どうかお気持ちだけで」などと困ったようにはにかんでいたが、アーサーはそんな彼女を優しさで包み込み、全てをかけて尽くしてきた。


 だから、遠慮する彼女を半ば強引に誘い連れてきた王家の夜会で、これ以上ないほどのロマンチックなシチュエーションの中伝えた一世一代のプロポーズを、まさか拒否されるなど、アーサーは微塵も思っていなかったのだ。




 ◇◇◇



「ステラ!待って!お願いだ、待ってくれ!」


 庭園の端まで来たところでアーサーに呼び止められ、ステラは仕方なく立ち止まると静かに振り返った。
 クィントン公爵家の跡継ぎの言葉を、一介の男爵令嬢であるステラが無下にするわけにもいかなかったからだ。

 アーサーはステラがこちらを向いてくれたことにホッと息をき、再び彼女の手を取って両手で包み込む。


「頼む。僕のプロポーズを断るというのなら、せめて理由を聞かせてくれ。」
「……卿、理由ならば先程申し上げました。」
「ステラ、卿だなんて、そんな呼び方……。僕たちはこんなよそよそしい会話をする仲じゃないはずだ。そうだろう?愛してるんだ、ステラ。お願いだよ、本当の理由を教えて?」


 彼の翡翠の双眸は、ただただ純粋に、愛情のすべてを込めてステラを見つめていた。
 だから……だからこそ、彼女の夜に溶けてしまいそうな艶やかな漆黒の瞳は悲しそうに揺らめいていく。


「貴方が私に理由を問う……それが答えなのです、アーサー様……。」
「それは、どういう……。」
「本当におわかりになりませんか?今、国中の高位貴族の方々が集まるこの夜会で、場違いな男爵家の娘がクィントン公爵家のご令息を名前で呼んだなんて場面を見られでもしたら、どんなことになるのか?」
「………っ………。」


 彼女の言葉に目を見開き固まるアーサーに、ステラは淡々と問いかけ続けた。


「私だって、アーサー様が向けて下さる好意が本当に嬉しかった。お慕いしているんです、貴方を。でも、この貴族社会で、それはなんの意味も持たないでしょう?」
「ステラ……。」
「貴族にとって、爵位による立場は絶対です。アーサー様は愛だけを貫いて結婚したあと、私が針のむしろに座り続けることをお望みですか?」
「そんな!そんなことにはさせないっ、絶対に!僕が君を守ってみせるから!」
「………それは、一体、どうやって?」
「え?」


 やるせなく笑ったステラの目から、ポロポロと涙がこぼれ落ちる。


「アーサー様は本当にわかっていますか?私は貴族として何の力も素養もない、貧乏男爵家の娘です。貴方が連れ出して下さる煌びやかな世界は、私には無縁な世界で……どれだけ私が辛い思いをしてきたか……。」
「っ、ステラ、そんな!?」
「アーサー様が私を特別にして下さるたび、学園では憎悪の対象にされ、私の居場所は入学してたった数ヶ月でどこにもなくなってしまいました。……私は……自分は強い人間のつもりでいました。でも、もう、本当に……無理なんです……。」
「……………。」
「お願いです、私をもう、アーサー様と貴族社会との板挟みから解放して下さい……。アーサー様はお優しい素敵な方です。でも、優しいだけの貴方とでは、身分差を乗り越えた結婚など、破綻の未来しか見えません。」
「………優しい、だけ……。」


 愕然と言葉を繰り返したアーサーの手から、彼女の温もりがそっと離された。


「アーサー様は私の初恋でした。どうか、貴方に相応しいご令嬢と幸せな結婚をなさって下さい。ロングワース家がいただいたご恩は、時間がかかっても必ずお返しします。今まで、本当にありがとうございました。……さようなら、アーサー様……。」
「………………。」



 楽団が奏でる華やかな音楽がボールルームから流れて来る……。
 泣きながら走り去ったステラの背中に投げ掛けられたアーサーの呟きは、ストリングスの音色に消えていく……。


「僕は、諦めないよ、ステラ。……優しいだけだなんて、次は言わせないから……絶対に……。」







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