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第一章
19 決意(Side エルネス)
しおりを挟む「ハヤトが倒れただと!?」
宰相府の王太子執務室──。
アントンからその報せを受けたのは、先日のトッドの件がやっと片付き、ハヤトに会えると思っていた矢先のことだった。
「今日は、ルナスコラに行っていたはずだろう!?」
「予定を少し変更し、孤児院へ行かれたようなのです。」
「孤児院?」
「はい。そこでハヤト様が黒龍病の子供を癒やされ、お倒れになったと。」
「唄を使ったのか!?」
「そのようでございます。」
今までに、こんなにも頭が真っ白になったことがあっただろうか?
私はフラフラと立ち上がり、ドアへと向かって歩きだした。
「ハヤトは今どこだ……?すぐに、行かないとっ……!」
唄を使った結果、倒れたと言う事実。その事が何を意味するのか……。
それを考えた瞬間、一気に恐怖と後悔が襲ってくる。
十日もの間、私はハヤトを放って何をしていたんだ!側にいると、そう伝えたのにっ……!
「……殿下……、お待ち下さい……。」
何故かジャニスの声が遠くに聞こえた。
今、目の前で私の肩を掴んでいるのに……。
「しっかりしろ!エルネス!!」
身体を大きく揺さぶられ、普段声を荒げる事などない彼の怒鳴り声を聞き、ハッと我に返る。
「殿下、指示を。」
そうだ。ジャニスの言う通りだ。
私はあの時、ハヤトを守る覚悟を決めたんだ。
「アントン。ここに来るまでに誰かに気付かれたか?」
「いえ、大丈夫かと。」
アントンが慌てて駆け込むような真似をするはずもないな。
「それで、ハヤトが【癒やし】を施した子供は?無事か?」
ルナスコラの孤児院で黒龍病を患っていたと言えば……。
「確か、シエルだったな。後遺症が残っていた。」
「左様です。シエルは無事です。それどころか、あの子は光を取り戻したそうでございます。」
「本当か!?あぁ、良かった……。」
あの場所は、まだ私が幼い頃、各地の孤児院のあまりに悲惨な現状を嘆かれたルートヴェート殿下が、自ら子供達の保護と養育の在り方を示すために作られた。兄上を亡くされた殿下にとって、大切な場所だ。
そんな王妃殿下の直轄ということもあり、私もあの孤児院へは何度も足を運んでいる。
そして、親を失くし子供達は辛い境遇の筈なのに、いつも力を貰っていたのは私の方だった。
「その場に居たのは何人だ?」
「子供がシエルを含め五人、皆、就学前の子供達です。他にリケットとユリーシュ、ハヤト様のお付きでフィン、ドミニク、オリヴァーです。」
「後はルナスか…。」
「それと、ソルネス様もご一緒でした。診察が早く終わり、ルナスコラで合流されていたそうです。」
ハヤト付きの者はもちろん、リケットも頭のいい男だ。
ハヤトが倒れたなどと公になった場合の影響は、すぐに分かるはず。
「ユリーシュとはあまり話したことがない。彼は……。」
「彼は、本当に子供達を愛している純粋な子ですよ。信じてよろしいかと。」
ジャニスが私の言葉を引き継ぐように言った。
「問題は子供達か。……ソルネスが居たのなら……。」
私のその言葉にジャニスが頷く。
「では、孤児院の方は私が収めます。」
「アントン、くれぐれも目立たぬようにな。必要ならレオの隠密班を使え。」
「承知致しました。」
アントンがいつも通りの優雅な仕草で退室すると、ジャニスがドアを施錠し、パスを使って再び部屋に遮音を施した。
「ルナスに結界魔法を込めておいて貰って正解でしたね。」
「ああ。」
「……殿下?」
「すまなかった、ジャニス。情けないところを見せてしまった……。」
私のその言葉に、ジャニスはわざとらしく嘆息する。
「何を今更……。貴方に完璧な王子など望んでいませんよ。」
「ジャニス……。」
彼は片眼鏡を外しポケットにしまうと、その優しい色を宿すワインレッドの双眸で私をしっかりと見据えた。
「弱くて情けないただの人間である貴方だからこそ、皆ついてきているんです。……痛みや辛さ知って、それでもなお真っ直ぐ進むのが、エルネスだろ?」
「情けなくてもいいと言われるのは、王太子として複雑だな……。」
「エルネスは立派に役目を果たしてる。小さい頃はあんなに泣き虫で私の後をついてきてたのに……。」
「いつの話をしてるんだっ。」
遠い目をして懐かしんでいるジャニスが、ワシワシと私の髪を撫でる。
「さあ、殿下。ここからどう動きますか?」
一つ気持ちを切り替えて、私は丁寧に頭の中を整理した。
ハヤトの様子を確かめるのはもちろんだが、ソルネスとルナスから、直接話を聞いたほうが良さそうだ。
「今日ハヤトに会いに行く予定だったことを、秘書官達は把握しているか?」
「もちろんです。」
それを使うか。
私の執務室は、ジャニスの執務室と宰相付きの秘書官や事務官の事務室と繋がっている。
元々トッドの件が片付き、ハヤトがルナスコラから戻って時間が合えば、会いに行こうと思っていた。
「下手にジャニスの部屋から出るより、彼らに伝えて行った方が自然だな。アントンが来たことにも説明がつく。」
するとジャニスは彼らのオフィスへのドアを開け、秘書官のクリストに声をかけた。
「クリスト。今、殿下が急ぎで目を通さなきゃいけない書類は残っているかい?」
「いえ、今のところはございません。王太子宮へお戻りですか?」
「いや、ハヤト様がルナスコラから戻られたようなんだ。」
「では、離宮へ面会に?」
「ああ。」
「かしこまりました。何かありましたら離宮へご報告に参ります。」
テキパキと返事をするクリストに「頼んだ」と軽く告げたジャニスと共に、私は離宮へと急いだのだった。
ハヤトが暮らし始めてから初めて訪れた離宮。
二階の彼の寝室に入ると、そこには柔らかな表情でただベッドに横たわるだけのハヤトの姿があった。
恐る恐る指先で触れた頬は酷く冷たく、私には彼の生が感じられない。
「ソルネス、ハヤトは……。」
「生きて、おられます。」
生きている?こんな状態で?
「ご自分の鼓動を使い切る勢いで【癒やし】を施されて……。今は、深く眠っておられる状態です。」
部屋にはソルネスと、ハヤト付きを命じた者達だけだった。
「ルナスは?……ルナスの回復魔法なら音を戻せるだろう?」
「もちろん、彼はすぐに使おうとしたのです。」
「使おうとした?ハヤトに使っていないのか!?」
その刹那、苦しげに顔を歪めたソルネスを見て、私はまた自分を見失いそうなり、声を荒げてしまったことに気付く。
「……すまない、ソルネス……。」
「殿下、そのようなお言葉は……!」
「いや、私が悪かった。それで、アマレを使わなかったのには、何か理由が?」
「はい。実は、ハヤト様は魔力をお持ちではなかったのです。」
「……魔力が、ない?ハヤトは、唄を使ったんじゃないのか?」
「驚かれるのは無理もありません。私共もどういうことなのかわからないのです。ただ、ルナスが何度調べ直しても反応がなく……。無理にアマレを使うのは危険だと判断しました。」
「……そんなことが、あり得るのか……?」
私はベッドの縁に腰を掛け、ハヤトの冷たい手を取った。
「ソルネス、教えてくれ。ハヤトは……目覚めるか?」
答えを聞くのが怖い気もした。しかし聞かずにはいられなかった。
「申し訳ございません、殿下。私にも、わかりません……。」
「そうか。」
「ソルネス、ルナスは今どこに?」
「本日はルナスコラで実技試験があり、彼はそのままルナスコラに残りました。いつも通りにした方が良いかと。」
「うん、賢明な判断だ。」
ジャニスの言う通り、今はとにかくハヤトの力を知られるわけにはいかない。
「皆、少しだけでいい。ハヤトと二人にしてくれないか?」
私のその言葉に、皆が静かに礼を執り退室していく。
「殿下、遮音を施しますか?」
「いや、大丈夫だ。ありがとう、ソルネス。」
ハヤトを見つめたまま答えると、そっとドアが閉められた。
私は上掛けを少し捲りハヤトを抱き起こすと、その冷たい身体を腕の中に包み込む。
白龍の神子などと言われてはいても、私はレオのように魔力を持ち、剣の腕に優れているわけでもない。
私はただ、白銀を纏って生まれついただけで、特別な力は何もないんだ。
「すまない、ハヤト。今の私には、これくらいのことしか出来ない。」
私の鼓動を分け与えることが出来れば、どんなにいいか。
でも、ハヤトは必ず守る。王太子である自分を今使わずに、いつ使うんだ!
「だから……目を覚ましてくれ、ハヤト……。」
どれだけ彼を抱きしめていたのだろう?
遠慮がちなノックの音と共に、ルカの急いた声がドアの外から聞こえた。
「失礼致します、殿下。侍従長とレオ様が、至急お会いしたいと。」
「わかった、すぐに行く。」
ハヤトをそっと寝かせると、祈りを込めて額に口づける。
何の力もない私だからこそ……。
愛しい者を守るためなら、必死で足掻こう。
私は決意と共に強く拳を握りしめ、寝室のドアを開いたのだった。
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