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第19話 私は傍に居るよ
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「グラジオス……」
私は思わずグラジオスの背中に向けて彼の名前を呟いていた。
一応、エマさんからグラジオスがこのように叱責されるであろうことは聞いて予想していた。でも、頭の中のシミュレーションと現実はあまりにも違い過ぎた。
現実の怒鳴り声は本当に怖くて、理不尽で、一方的だった。
何かしてあげたい。支えになってあげたい。そう思っても、声をかける事も、動くことも出来ない状況ではどうしようもなかった。
「貴様は……! 本当に……どうしようもない愚図だ!」
王は罵倒し続けたことで体力を消耗してしまったか、肩で息をしている。
そんな王の肩に、すっと手が置かれた。
「父上、兄上も努力はしたのでしょう。それに仕方のない状況だってあります。怒りをお納めください」
誰あろう、グラジオスの弟カシミールが助け舟を出す。もしかしたら、この中で唯一グラジオスの味方なのか、そう私は思ったのだが……。
「おお、カシミールよ。お前は優しすぎるのだ」
王は相好を崩してカシミールを見る。その態度はグラジオスとは天と地ほどの差があった。
「いえ、私はただ兄上には荷が勝ち過ぎていたのではないかと……。帝国軍は強大ですから」
「それでも抗うくらいできるはずだ、まったく。お前の半分の剣の腕があれば、このでくの坊も最低限、戦働きが出来たであろうに……」
「そんな、私の腕など大したものでは」
「謙遜するでない。お前の才は『ワシ』がよく知っておる」
カシミールの目的はグラジオスを助ける事では無かった。いい子ぶって父親から寵愛を受け、王にグラジオスを嬲らせて、自らの自尊心を満足させることだった。
その証拠にカシミールは謙遜に似合わない笑みを湛えていた。
「さて、グラジオス。貴様に言っておかねばならんことが後二つある。心して聞け」
「はっ」
「貴様が帰ってきてから遊び惚けていたことなどは……もう責める気にもならん。貴様には元から期待しておらんからな」
「申し訳……ありません」
グラジオスにはあの寒々しい私室しかなく、カシミールのような執務室すらないのだ。自分たちでシステムの外にはじき出しておいて、仕事をしないなどとよくもまぁぬけぬけと言えたものである。
もしかしたら三日前に戦線から帰ってきたことすら忘れているのかもしれなかった。
「今、帝国と交渉を進めている。お前はこの交渉の補佐をしてこい」
「はいっ。汚名返上の機会を与えていただき、ありがたき幸せにございます」
私達が出会ってから砦まで三週間。更に砦から馬に乗って一週間。都合一か月かかった道のりを、たった三日で逆戻りすることになるとは思ってもみなかった。
きっと、私達を送り出してくれたモンターギュ侯爵も驚くことだろう。
「奴らには一握の土も、一枚の銅貨も一つの首もくれてやるつもりはない。この意味が分かるな?」
「はっ。鋭意努力いたします」
グラジオスが参加した戦は、負け戦である。捕らえられた貴族も沢山いるだろう。そんな彼らは普通ならば大量の身代金を支払って取り戻すものであるし、場合によっては領土の割譲などもありうるのだ。
それを一切認めない。無条件で全てを取り戻してこいと、王は言っているのだ。あまりに無茶振りが過ぎる。そんな事は不可能だ。
でもグラジオスにそれを拒否する権利はない。
無理を承知で受けて、出来ずにまた叱責されるのだろう。
今までの事は私に分かりようがない。しかし、これを見ていればどのような扱いを受けていたかなんとなく察することが出来た。
「そしてもうひとつだが……」
王はパキンッと指を打ち鳴らした。それを合図にして、横合いから二人の兵士がやってくる。彼らは手に持っていた物を、グラジオスの正面にぶちまけて見せた。
「これ……は……」
苦しそうにグラジオスが呻く。
投げ出されたもの。それはグラジオス部屋の中に置いてあった持って帰ったばかりのリュートや、大切に隠し持っていた楽器や楽譜の数々であった。
「これはお前の物だそうだな」
「……はい」
血を絞り出すようなか細い声でグラジオスが答える。その様子は今までとは比較にならないほど苦しそうだった。
当然だ。今目の前に投げ出された数々の品は、グラジオスにとって魂そのものであるのだから。
「何度言えば分かる! 貴様は使う立場の人間だ! それが使われる立場の人間のまねごとをするだと!? 貴様は我々の高貴な血を何だと思っている! 人の上に立ち、人を統べるために我々は在るのだ。下賤な連中と同じ行動をするなど断じて許されないっ!!」
この先が見えているからだろう。グラジオスは油のような汗を流し、唇をかみしめて必死にこみ上げてくる何かと戦っていた。
そして、私も……。
「グラジオス。それを貴様の手で破壊しろ」
「…………」
「破り捨て、火を点けよ。これは命令だ」
王の言葉と共に、別の兵士が火の点いた松明を持ってくる。
グラジオスは、魂の抜けたような目でそれを見つめていた。
「早くしろっ」
私はだれか助けになってくれないのかと周囲に目を走らせる。だが、誰もが嫌らしい笑みを浮かべ、この趣味の悪いショーを楽しんでいる様だった。
助けは無い。
この場には絶望しかなかった。
グラジオスは幽鬼のように立ち上がると、たいまつに向かって歩き出した。
そこで私の腹は決まった。
もう、いい。どうなってもいい。
私は歌が好きだ。音楽が好きだ。だからグラジオスの気持ちが嫌というほど分かる。
今、グラジオスは自分を殺そうとしていた。
私はそれが絶対に許せなくて……
「待ってください!」
私は立ち上がった。そして一歩踏み出す。
周囲に居た兵士が気色ばみ、腰の剣へと手を伸ばしたが、そんな事で私は止まらなかった。
更にもう一歩、もう一歩と進み、楽器たちの下へとたどり着く。
「……貴様は何者だ」
「私はグラジオス様に命を救われた者です。そして……」
私は臆することなく王の目を真正面から見据えて答えると、グラジオスのリュートを拾い上げた。
私はギターの演奏はあまりうまくない。ましてや使い慣れていないリュートならばもっとだろう。でも、やるしかない。
決心した私は、リュートをかき鳴らしながら歌い始めた。
――My Song――
この歌はバラード調で静かに進む。でも、奥底には燃える様な熱い情熱が籠められている。
なにせこの歌は反抗の為の歌だからだ。
作中では作曲者が歌わせまいとする教師たちの手を掻い潜って逃げ、追い詰められてもこの歌を歌って自らの意志を示した。
だから私も、抗うためにこの歌を、グラジオスと共にこの世界の言葉へと翻訳したこの歌を、この場所で、王の前で歌うのだ。
抗うために。私とグラジオス、二人の意思を示すために。
突然始まった歌に、最初の内こそ人々は驚きを隠しきれずに戸惑っていた。
でも、歌の力はそんな彼らの迷いなど吹き飛ばして、心に直接響いていく。いつしかその場に居る人達全員が私の歌に聞き入っていた。
私の歌が終わり、言の葉の残響が、グラジオスの涙と共に零れ落ちた。
「ほぅ……」
王が満足そうなため息をつく。
王も歌の得意な妻を愛するだけあって音楽そのものは嫌いではないのだろう。
グラジオスにさせたくないだけなのだ。だから私はそこを突く。
「陛下。私はこういう存在であります」
「なるほど、異国人の歌姫か。我々の知る歌と違うが、なかなか良いものだ」
違うはずだろう。きっとこの世界にはベートーベンが居ないのだから当たり前だ。この世界では、音楽はまだ宗教や権威を示すための道具でしかない。
人の心や感情を表現するための道具になったのは、ベートーベンが始めたことだ。彼こそが、音楽を権力者の手から取り上げて、全ての人のものにしたのだ。
だからこの音楽は、この世界にとっての未知の存在であり、未来の音だ。
「ありがとうございます」
今のうちにせいぜい楽しんでおくといい。この歌は、いずれその心臓を貫く槍となるのだから。
「して、貴様は何故余に対して無礼な口を利いた。事と次第によっては……」
王の言葉を察して兵士たちが慌てて腰の剣に手をかける。でも、もう吹っ切れてしまった私にそんな脅しは無意味だった。
私に剣を向けるより、楽器や楽譜に向けた方がまだ効果的だろう。
「申し訳ございません、陛下。ですが、ひとつだけ訂正したかったのです」
私は一度小さく深呼吸をすると、
「これらは全て、楽士である私の持ち物なのです」
堂々と嘘を言い切った。
私は思わずグラジオスの背中に向けて彼の名前を呟いていた。
一応、エマさんからグラジオスがこのように叱責されるであろうことは聞いて予想していた。でも、頭の中のシミュレーションと現実はあまりにも違い過ぎた。
現実の怒鳴り声は本当に怖くて、理不尽で、一方的だった。
何かしてあげたい。支えになってあげたい。そう思っても、声をかける事も、動くことも出来ない状況ではどうしようもなかった。
「貴様は……! 本当に……どうしようもない愚図だ!」
王は罵倒し続けたことで体力を消耗してしまったか、肩で息をしている。
そんな王の肩に、すっと手が置かれた。
「父上、兄上も努力はしたのでしょう。それに仕方のない状況だってあります。怒りをお納めください」
誰あろう、グラジオスの弟カシミールが助け舟を出す。もしかしたら、この中で唯一グラジオスの味方なのか、そう私は思ったのだが……。
「おお、カシミールよ。お前は優しすぎるのだ」
王は相好を崩してカシミールを見る。その態度はグラジオスとは天と地ほどの差があった。
「いえ、私はただ兄上には荷が勝ち過ぎていたのではないかと……。帝国軍は強大ですから」
「それでも抗うくらいできるはずだ、まったく。お前の半分の剣の腕があれば、このでくの坊も最低限、戦働きが出来たであろうに……」
「そんな、私の腕など大したものでは」
「謙遜するでない。お前の才は『ワシ』がよく知っておる」
カシミールの目的はグラジオスを助ける事では無かった。いい子ぶって父親から寵愛を受け、王にグラジオスを嬲らせて、自らの自尊心を満足させることだった。
その証拠にカシミールは謙遜に似合わない笑みを湛えていた。
「さて、グラジオス。貴様に言っておかねばならんことが後二つある。心して聞け」
「はっ」
「貴様が帰ってきてから遊び惚けていたことなどは……もう責める気にもならん。貴様には元から期待しておらんからな」
「申し訳……ありません」
グラジオスにはあの寒々しい私室しかなく、カシミールのような執務室すらないのだ。自分たちでシステムの外にはじき出しておいて、仕事をしないなどとよくもまぁぬけぬけと言えたものである。
もしかしたら三日前に戦線から帰ってきたことすら忘れているのかもしれなかった。
「今、帝国と交渉を進めている。お前はこの交渉の補佐をしてこい」
「はいっ。汚名返上の機会を与えていただき、ありがたき幸せにございます」
私達が出会ってから砦まで三週間。更に砦から馬に乗って一週間。都合一か月かかった道のりを、たった三日で逆戻りすることになるとは思ってもみなかった。
きっと、私達を送り出してくれたモンターギュ侯爵も驚くことだろう。
「奴らには一握の土も、一枚の銅貨も一つの首もくれてやるつもりはない。この意味が分かるな?」
「はっ。鋭意努力いたします」
グラジオスが参加した戦は、負け戦である。捕らえられた貴族も沢山いるだろう。そんな彼らは普通ならば大量の身代金を支払って取り戻すものであるし、場合によっては領土の割譲などもありうるのだ。
それを一切認めない。無条件で全てを取り戻してこいと、王は言っているのだ。あまりに無茶振りが過ぎる。そんな事は不可能だ。
でもグラジオスにそれを拒否する権利はない。
無理を承知で受けて、出来ずにまた叱責されるのだろう。
今までの事は私に分かりようがない。しかし、これを見ていればどのような扱いを受けていたかなんとなく察することが出来た。
「そしてもうひとつだが……」
王はパキンッと指を打ち鳴らした。それを合図にして、横合いから二人の兵士がやってくる。彼らは手に持っていた物を、グラジオスの正面にぶちまけて見せた。
「これ……は……」
苦しそうにグラジオスが呻く。
投げ出されたもの。それはグラジオス部屋の中に置いてあった持って帰ったばかりのリュートや、大切に隠し持っていた楽器や楽譜の数々であった。
「これはお前の物だそうだな」
「……はい」
血を絞り出すようなか細い声でグラジオスが答える。その様子は今までとは比較にならないほど苦しそうだった。
当然だ。今目の前に投げ出された数々の品は、グラジオスにとって魂そのものであるのだから。
「何度言えば分かる! 貴様は使う立場の人間だ! それが使われる立場の人間のまねごとをするだと!? 貴様は我々の高貴な血を何だと思っている! 人の上に立ち、人を統べるために我々は在るのだ。下賤な連中と同じ行動をするなど断じて許されないっ!!」
この先が見えているからだろう。グラジオスは油のような汗を流し、唇をかみしめて必死にこみ上げてくる何かと戦っていた。
そして、私も……。
「グラジオス。それを貴様の手で破壊しろ」
「…………」
「破り捨て、火を点けよ。これは命令だ」
王の言葉と共に、別の兵士が火の点いた松明を持ってくる。
グラジオスは、魂の抜けたような目でそれを見つめていた。
「早くしろっ」
私はだれか助けになってくれないのかと周囲に目を走らせる。だが、誰もが嫌らしい笑みを浮かべ、この趣味の悪いショーを楽しんでいる様だった。
助けは無い。
この場には絶望しかなかった。
グラジオスは幽鬼のように立ち上がると、たいまつに向かって歩き出した。
そこで私の腹は決まった。
もう、いい。どうなってもいい。
私は歌が好きだ。音楽が好きだ。だからグラジオスの気持ちが嫌というほど分かる。
今、グラジオスは自分を殺そうとしていた。
私はそれが絶対に許せなくて……
「待ってください!」
私は立ち上がった。そして一歩踏み出す。
周囲に居た兵士が気色ばみ、腰の剣へと手を伸ばしたが、そんな事で私は止まらなかった。
更にもう一歩、もう一歩と進み、楽器たちの下へとたどり着く。
「……貴様は何者だ」
「私はグラジオス様に命を救われた者です。そして……」
私は臆することなく王の目を真正面から見据えて答えると、グラジオスのリュートを拾い上げた。
私はギターの演奏はあまりうまくない。ましてや使い慣れていないリュートならばもっとだろう。でも、やるしかない。
決心した私は、リュートをかき鳴らしながら歌い始めた。
――My Song――
この歌はバラード調で静かに進む。でも、奥底には燃える様な熱い情熱が籠められている。
なにせこの歌は反抗の為の歌だからだ。
作中では作曲者が歌わせまいとする教師たちの手を掻い潜って逃げ、追い詰められてもこの歌を歌って自らの意志を示した。
だから私も、抗うためにこの歌を、グラジオスと共にこの世界の言葉へと翻訳したこの歌を、この場所で、王の前で歌うのだ。
抗うために。私とグラジオス、二人の意思を示すために。
突然始まった歌に、最初の内こそ人々は驚きを隠しきれずに戸惑っていた。
でも、歌の力はそんな彼らの迷いなど吹き飛ばして、心に直接響いていく。いつしかその場に居る人達全員が私の歌に聞き入っていた。
私の歌が終わり、言の葉の残響が、グラジオスの涙と共に零れ落ちた。
「ほぅ……」
王が満足そうなため息をつく。
王も歌の得意な妻を愛するだけあって音楽そのものは嫌いではないのだろう。
グラジオスにさせたくないだけなのだ。だから私はそこを突く。
「陛下。私はこういう存在であります」
「なるほど、異国人の歌姫か。我々の知る歌と違うが、なかなか良いものだ」
違うはずだろう。きっとこの世界にはベートーベンが居ないのだから当たり前だ。この世界では、音楽はまだ宗教や権威を示すための道具でしかない。
人の心や感情を表現するための道具になったのは、ベートーベンが始めたことだ。彼こそが、音楽を権力者の手から取り上げて、全ての人のものにしたのだ。
だからこの音楽は、この世界にとっての未知の存在であり、未来の音だ。
「ありがとうございます」
今のうちにせいぜい楽しんでおくといい。この歌は、いずれその心臓を貫く槍となるのだから。
「して、貴様は何故余に対して無礼な口を利いた。事と次第によっては……」
王の言葉を察して兵士たちが慌てて腰の剣に手をかける。でも、もう吹っ切れてしまった私にそんな脅しは無意味だった。
私に剣を向けるより、楽器や楽譜に向けた方がまだ効果的だろう。
「申し訳ございません、陛下。ですが、ひとつだけ訂正したかったのです」
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