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第96話 あなたを想うひと
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私は歌える。
言葉を失ったとしても、私にはまだ歌がある。
私の人生の内、言葉を重ねた時間と歌を紡いだ時間を天秤に置けば、多分歌の方に傾くだろう。
それぐらい私の人生は歌と共にあるのだから。
それにルドルフさまは恩のある大切な人だ。歌ってみせる。
――君は僕に似ている――
私はグラジオスへの想いを、グラジオスからの想いを拒絶していた。
でも今はそれが無駄な事だと知っている。
私の中で膨らんだ想いは、もうどうしようもないくらいに膨れ上がってしまい、私自身を押しつぶしてしまったのだから。
私と同じように誰かを愛することを止めてしまったルドルフさまにもその事を知って欲しかった。
だってその隣にあれだけ想ってくれる人が居るのだから。
お願い、気付いて。
必死になって私は思いを伝える。
でも――。
「止めるんだ、キララ。私は違う、そうじゃないっ。君だって私と同じだろう!?」
ああ、そうだ。同じだった。
同じだったから、ルドルフさまにも変わって欲しいのだ。
ルドルフさまならきっと気付いてくれるはずだから。
何故グラジオスを拒絶するのか、私から遠ざけようとするのか。
私を愛さないのならば、グラジオスを拒絶する理由はない。
その明らかな矛盾の意味する答えは……。
「やめろっ!」
ルドルフさまはとうとうたまらなくなったのか、私の前まで来ると、
「もう……歌うんじゃないっ!!」
私に手をあげた。
頬を強く打たれた私は、たまらず後ろにのけぞり――、グラジオスが抱き留めてくれる。
「殿下!」
グラジオスが非難の声を上げたが、ルドルフさまは自分のしたことが信じられないとでもいうかの様に呆然と自らの手を見つめていて全く反応をしなかった。
――大丈夫。
私はグラジオスの服を握りしめて立ち上がると、再び息を吸い込んで歌い出す。
止めるわけにはいかなかった。
ルドルフさまの為にも。
「違う。私は君を愛してなどいない。そんな汚らわしい感情など持ってはいない……!」
その言葉で確信する。
やっぱり私と同じだったって。
ルドルフさまは愛するのが怖いんだ。愛されるのが怖いんだ。
だから人の心を読んで、理解した気になって、自分は人と人の心の輪から外れているんだと思い込んでいた。
そうやって自分を保っていたんだ。
――大丈夫。ルドルフさまも……。
私はルドルフさまに向かって両手を差し伸べる。
だがルドルフさまはそんな私に怯えるかのように一歩後退った。
――私も教えてもらったばかりだけれど、拒絶しても苦しいだけですよ。
だから、ね。受け入れてください。貴方の心を。
私はそのまま一歩、一歩と前に進んでいき、ルドルフさまの正面に立つ。
そしてルドルフさまの手を、私の手で包み込んだ。
ルドルフさまの手は、色を失い、驚くほど強張り、冷たくなっていた。
さらには狼を前にした子羊のごとく小刻みに震えている。
いや、手だけではなく全身が。
無垢な魂を晒すことを、恐れているのだ。
私はルドルフさまの手を私の頬に触れさせる。
歌う事で熱を持った私の頬が、ルドルフさまの手に熱を移していく。本当なら抱きしめて差し上げたかったけれど、それは私がしていい事ではない。
それが出来るのはきっと、この世界でナターリエただ一人。
真実の愛をただひたすらに捧げて来た彼女だけだ。
「…………」
私は声にならない言葉でそれを伝える。
ナターリエの名前を。
「ナターリエがなんだっ。私は……私はただキララの歌が欲しかった……それだけなん……」
ルドルフさまの言葉は、最後まで聞く事が出来なかった。
私がルドルフさまに抱きしめられていたから。
「私の下に来てくれ、キララ。私は君を愛さないけれど、この世で一番君の事を大切にしよう。君の望みならどんなことだってかなえてあげるよ。どんな物だってあげよう。だから……」
ルドルフさまの零した涙が私の頬に落ちる。
その涙は、あれほど冷たかった手とは正反対に、火傷しそうなほど熱かった。
「君一人だけでいいんだ。君一人だけ欲しいんだ。私はそれ以外いらない。何もいらないっ」
何故だろう。ルドルフさまにこれほど想われるだけの何かをした覚えはない。
でも、私にこれだけの想いをくれる。
とてもありがたかった。
――私にそれを受け取る事は出来ないけれど。
私の心はグラジオスへの想いでいっぱいだから。
もう、私が愛する人は決まってしまったから。
私は、ルドルフさまの胸にそっと手を当てて、力を籠める。
ルドルフさまが私を抱きしめるのと比べれば、ずっと弱い力だったけれど、私の意思を伝えるには十分だった。
腕から力が抜け、私はルドルフさまから解放される。
体を放してから見たルドルフさまの瞳は、悲しみに揺れていた。
――ごめんなさい。私はまた人を傷付けてしまった。
本当に私は最低だ。
人を惑わせ、勘違いさせて、こうして新たな傷を生んでしまった。
私の心が悲鳴を上げるが、私はそれを意志の力でねじ伏せる。
今は私が苦しむ時間じゃない。目の前に居る私が傷つけた人を気にするべき時だから。
――ごめんなさい。
私は口の動きでルドルフさまに謝罪を伝える。
――あなたを心から愛してくれる人は、私じゃありません。
「だから愛なんかいらないっ。私の傍で君が歌ってくれればいいんだっ」
頑なにルドルフさまは自らの気持ちを認めようとしない。
何が彼をそうさせるのか、それは分からない。
でも私では出来ないのだ。
中身のない歌では、満たされることなど決してないのだから。
私は頭を振ってもう一度口を開き――。
「……もう、いいよ」
私の想いは断ち切られた。
「グラジオス殿」
ふらっと、幽鬼の様にルドルフさまが傾《かし》ぐ。
その瞳に宿っていたのは……狂気の光。
ルドルフさまは、暴君の目をしていた。
見るだけで背筋が凍るような笑みを向けられる。
「私はキララを奪う事に決めたよ」
「……どういう、意味ですか?」
それまで事の成り行きを黙って見ていたグラジオスが私の背後に立ち、守る様に私の肩を抱く。
グラジオスの手はとても大きく、強い。たったそれだけで温かいものが私の胸の内に溢れて来た。
そんな私達に、ルドルフさまは氷の視線を飛ばす。
「言葉通りの意味さ。力づくで、奪う。この国を踏みつぶしてね」
私のせいで……まさか……。
最悪の未来が頭をよぎり、私は息を飲む。
信じられなかった。信じたくなかった。まさかルドルフさまがそんな事をするだなんて。
でも、ルドルフさまの目は、冗談や脅しには見えなかった。
「キララ。私の所に来たくなったらいつでもおいで。私は待っているよ」
「ま、待ってください。私とキララが共に……」
食い下がろうとするグラジオスに向けて、ルドルフさまがピッと指を立てる。
「君は、要らないんだ。聞いてなかったのかな?」
ルドルフさまはいつも通りの笑みを浮かべる。
いつも通り、冷酷で容赦のない笑みを。
グラジオスに向けて。
「で、ですが……」
言いかけてグラジオスは首を振った。
そして口調を変え、表情と態度を王のものへと切り替える。
「だが、アルザルド王国は他国と連合を行っている。貴国と我々が戦うとなれば、周りの国が黙ってはいないぞ」
「そ。でも内戦には手出しできないだろう?」
内戦。その言葉が意味するのは一つしかない。
そしてアルザルド王国には、まだ解決されていない問題が一つだけ残っていた。
グラジオスの手に力が籠る。
そこにあるのは、焦りと緊張。
カシミールが生きていたことに対する喜びは無かった。
「弟は、帝国に身を寄せていたのか?」
「君の弟君から売って来たんだよ、この国を。私は別に要らなかったんだけど……まさかキララを買う事になるなんて思わなかったなぁ」
――やめて……やめてぇ!
「キララ。争うのが嫌なら、君が一人で僕の下に来ることだよ」
じゃあねと軽く言い残すと、ルドルフさまは去っていってしまう。
私は、どうすることも出来ずにその場に佇んでいる事しかできなかった。
言葉を失ったとしても、私にはまだ歌がある。
私の人生の内、言葉を重ねた時間と歌を紡いだ時間を天秤に置けば、多分歌の方に傾くだろう。
それぐらい私の人生は歌と共にあるのだから。
それにルドルフさまは恩のある大切な人だ。歌ってみせる。
――君は僕に似ている――
私はグラジオスへの想いを、グラジオスからの想いを拒絶していた。
でも今はそれが無駄な事だと知っている。
私の中で膨らんだ想いは、もうどうしようもないくらいに膨れ上がってしまい、私自身を押しつぶしてしまったのだから。
私と同じように誰かを愛することを止めてしまったルドルフさまにもその事を知って欲しかった。
だってその隣にあれだけ想ってくれる人が居るのだから。
お願い、気付いて。
必死になって私は思いを伝える。
でも――。
「止めるんだ、キララ。私は違う、そうじゃないっ。君だって私と同じだろう!?」
ああ、そうだ。同じだった。
同じだったから、ルドルフさまにも変わって欲しいのだ。
ルドルフさまならきっと気付いてくれるはずだから。
何故グラジオスを拒絶するのか、私から遠ざけようとするのか。
私を愛さないのならば、グラジオスを拒絶する理由はない。
その明らかな矛盾の意味する答えは……。
「やめろっ!」
ルドルフさまはとうとうたまらなくなったのか、私の前まで来ると、
「もう……歌うんじゃないっ!!」
私に手をあげた。
頬を強く打たれた私は、たまらず後ろにのけぞり――、グラジオスが抱き留めてくれる。
「殿下!」
グラジオスが非難の声を上げたが、ルドルフさまは自分のしたことが信じられないとでもいうかの様に呆然と自らの手を見つめていて全く反応をしなかった。
――大丈夫。
私はグラジオスの服を握りしめて立ち上がると、再び息を吸い込んで歌い出す。
止めるわけにはいかなかった。
ルドルフさまの為にも。
「違う。私は君を愛してなどいない。そんな汚らわしい感情など持ってはいない……!」
その言葉で確信する。
やっぱり私と同じだったって。
ルドルフさまは愛するのが怖いんだ。愛されるのが怖いんだ。
だから人の心を読んで、理解した気になって、自分は人と人の心の輪から外れているんだと思い込んでいた。
そうやって自分を保っていたんだ。
――大丈夫。ルドルフさまも……。
私はルドルフさまに向かって両手を差し伸べる。
だがルドルフさまはそんな私に怯えるかのように一歩後退った。
――私も教えてもらったばかりだけれど、拒絶しても苦しいだけですよ。
だから、ね。受け入れてください。貴方の心を。
私はそのまま一歩、一歩と前に進んでいき、ルドルフさまの正面に立つ。
そしてルドルフさまの手を、私の手で包み込んだ。
ルドルフさまの手は、色を失い、驚くほど強張り、冷たくなっていた。
さらには狼を前にした子羊のごとく小刻みに震えている。
いや、手だけではなく全身が。
無垢な魂を晒すことを、恐れているのだ。
私はルドルフさまの手を私の頬に触れさせる。
歌う事で熱を持った私の頬が、ルドルフさまの手に熱を移していく。本当なら抱きしめて差し上げたかったけれど、それは私がしていい事ではない。
それが出来るのはきっと、この世界でナターリエただ一人。
真実の愛をただひたすらに捧げて来た彼女だけだ。
「…………」
私は声にならない言葉でそれを伝える。
ナターリエの名前を。
「ナターリエがなんだっ。私は……私はただキララの歌が欲しかった……それだけなん……」
ルドルフさまの言葉は、最後まで聞く事が出来なかった。
私がルドルフさまに抱きしめられていたから。
「私の下に来てくれ、キララ。私は君を愛さないけれど、この世で一番君の事を大切にしよう。君の望みならどんなことだってかなえてあげるよ。どんな物だってあげよう。だから……」
ルドルフさまの零した涙が私の頬に落ちる。
その涙は、あれほど冷たかった手とは正反対に、火傷しそうなほど熱かった。
「君一人だけでいいんだ。君一人だけ欲しいんだ。私はそれ以外いらない。何もいらないっ」
何故だろう。ルドルフさまにこれほど想われるだけの何かをした覚えはない。
でも、私にこれだけの想いをくれる。
とてもありがたかった。
――私にそれを受け取る事は出来ないけれど。
私の心はグラジオスへの想いでいっぱいだから。
もう、私が愛する人は決まってしまったから。
私は、ルドルフさまの胸にそっと手を当てて、力を籠める。
ルドルフさまが私を抱きしめるのと比べれば、ずっと弱い力だったけれど、私の意思を伝えるには十分だった。
腕から力が抜け、私はルドルフさまから解放される。
体を放してから見たルドルフさまの瞳は、悲しみに揺れていた。
――ごめんなさい。私はまた人を傷付けてしまった。
本当に私は最低だ。
人を惑わせ、勘違いさせて、こうして新たな傷を生んでしまった。
私の心が悲鳴を上げるが、私はそれを意志の力でねじ伏せる。
今は私が苦しむ時間じゃない。目の前に居る私が傷つけた人を気にするべき時だから。
――ごめんなさい。
私は口の動きでルドルフさまに謝罪を伝える。
――あなたを心から愛してくれる人は、私じゃありません。
「だから愛なんかいらないっ。私の傍で君が歌ってくれればいいんだっ」
頑なにルドルフさまは自らの気持ちを認めようとしない。
何が彼をそうさせるのか、それは分からない。
でも私では出来ないのだ。
中身のない歌では、満たされることなど決してないのだから。
私は頭を振ってもう一度口を開き――。
「……もう、いいよ」
私の想いは断ち切られた。
「グラジオス殿」
ふらっと、幽鬼の様にルドルフさまが傾《かし》ぐ。
その瞳に宿っていたのは……狂気の光。
ルドルフさまは、暴君の目をしていた。
見るだけで背筋が凍るような笑みを向けられる。
「私はキララを奪う事に決めたよ」
「……どういう、意味ですか?」
それまで事の成り行きを黙って見ていたグラジオスが私の背後に立ち、守る様に私の肩を抱く。
グラジオスの手はとても大きく、強い。たったそれだけで温かいものが私の胸の内に溢れて来た。
そんな私達に、ルドルフさまは氷の視線を飛ばす。
「言葉通りの意味さ。力づくで、奪う。この国を踏みつぶしてね」
私のせいで……まさか……。
最悪の未来が頭をよぎり、私は息を飲む。
信じられなかった。信じたくなかった。まさかルドルフさまがそんな事をするだなんて。
でも、ルドルフさまの目は、冗談や脅しには見えなかった。
「キララ。私の所に来たくなったらいつでもおいで。私は待っているよ」
「ま、待ってください。私とキララが共に……」
食い下がろうとするグラジオスに向けて、ルドルフさまがピッと指を立てる。
「君は、要らないんだ。聞いてなかったのかな?」
ルドルフさまはいつも通りの笑みを浮かべる。
いつも通り、冷酷で容赦のない笑みを。
グラジオスに向けて。
「で、ですが……」
言いかけてグラジオスは首を振った。
そして口調を変え、表情と態度を王のものへと切り替える。
「だが、アルザルド王国は他国と連合を行っている。貴国と我々が戦うとなれば、周りの国が黙ってはいないぞ」
「そ。でも内戦には手出しできないだろう?」
内戦。その言葉が意味するのは一つしかない。
そしてアルザルド王国には、まだ解決されていない問題が一つだけ残っていた。
グラジオスの手に力が籠る。
そこにあるのは、焦りと緊張。
カシミールが生きていたことに対する喜びは無かった。
「弟は、帝国に身を寄せていたのか?」
「君の弟君から売って来たんだよ、この国を。私は別に要らなかったんだけど……まさかキララを買う事になるなんて思わなかったなぁ」
――やめて……やめてぇ!
「キララ。争うのが嫌なら、君が一人で僕の下に来ることだよ」
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