極上御曹司は仮面の怪盗令嬢の素顔を暴きたい

ささゆき細雪

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chapter,1

03. 雨上がりの夜、近づくふたり

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 九条による点検が終わる頃には、画廊の閉館時間が近づいていた。週のはじめの平日、あいにくの天候ということもあって客はほとんどいなかったが、そのおかげか九条はゆっくりと設備の警備状況を確認できたようだ。照明を落として展示室を出た更紗の耳に、彼の控えめな声が届く。

「霧島さん、もうお帰りですか?」
「ええ。あとは鍵をかけるだけですから」

 九条はエントランスの自動ドアの向こうを見やり、ガラス越しの外を指さす。

「雨、止みましたね」

 外には、雨上がり特有の銀色の光がうっすらと漂っていた。
 舗道に反射する街灯の明かりが、まるでガラスの粒を散らしたようにキラキラと輝いている。

「せっかくですし、少し歩きませんか?」

 突然の誘いに、更紗は言葉を失う。
 ただの業者との雑談――その範囲を、一歩だけ越えた甘さのある響きに鼓動が跳ねる。
 けれど彼の目は穏やかで、更紗の警戒を解くような温かさも含んでいた。
 まるで意識しているのは自分だけだと誤解してしまいそうで、更紗はおそるおそる言葉を紡ぐ。

「……駅までご一緒しても?」
「もちろん」

 二人並んで歩き出すと、ひんやりとした風が抜けていく。
 パンプスで水たまりを踏むたびに靴音が奏でられ、夜の街を柔らかく波打っていくのが面白い。面白いと言えば……。

「光の話、面白かったです」

 更紗がぼそりと九条に言えば、彼はどこか嬉しそうな表情を浮かべている。

「僕はあの絵の“影”の部分が気になっただけです。でも、あなたが照度を調整していなければ、気づけなかった」
「わたしなんて、ただの裏方です」
「いいえ。光を扱う人は、舞台を作る人なんです」
「九条さんは舞台のご経験が?」
「学生時代にかじっただけです。そう見えます?」
「声が、舞台に立つひとのものだと。あと、役者さんみたいにスタイル良いじゃないですか」

 更紗の言葉に目を瞠らせて、九条はぼそりと呟く。

「――俳優にスカウトされたことはありますけど、しょせん大根役者ですよ。霧島さんのほうこそお詳しい」
「曲がりなりにも学芸員として働いておりますので」

 矛先を向けられて更紗はぷい、と顔を背ける。
 さらりとした彼の言葉に嘘が混じっているとは思えなかった。
 それだけではない。更紗が持つ“もう一つの顔”まで見透かしているかのようで、落ち着かなくなる。

「ここで大丈夫です。ありがとうございました」

 駅前のパーキングに車を停めているという九条に地下鉄駅の入り口前で更紗が告げれば、彼もこくりと頷く。
 その瞬間、風が強く吹く。
 更紗の髪が揺れ、九条の腕に絡まる。ふたりの間にわずかな沈黙が生まれる。

「……また、すぐお会いできそうな気がします」

 そう言って、九条は軽く頭を下げて背を向けた。
 更紗は立ち尽くしたまま、彼の背中と、濡れた舗道を交互に見つめる。
 光と影の境界に立っているような、不思議な感覚を胸に抱きながら。


   * * *


 更紗と別れた九条は、雨ざらしになっていた車に乗り、駅前とは反対方面へ移動をはじめる。
 雨粒が残っていたのでワイパーを動かせば、静かに夜の街灯がフロントガラスに滲む。
 助手席には、仕事鞄のなかの大部分を占める現場の記録デバイスが入っている。けれど彼の記憶に新しいのは、照度計のデータではなく――彼女の横顔だった。

 霧島更紗。
 初対面のはずなのに、どこかで見たことがある気がした。
 “光の扱いを理解している人は少ない”――あの言葉は、ただの挨拶ではない。
 自分でも理由がわからず、口をついて出ていた。

 彼女の動きは静かで正確で、目線の動きひとつひとつに無駄がなかった。それは森金連城の展示物を守る者のようでありながら、同時に――厭うような、希うような者の目をしていた。

 ――森金連城が好んで描いた“金魚”の絵画群、か。

 森金連城の残した金魚の絵画は現存しているだけでも百枚以上ある。巷に出回っているものの多くは現在も流通している天然岩絵具を使って描かれているが、“キィ・フォレスト”に展示されていた作品のなかには連城鉱石を砕いて顔料としたものも含まれていた。旧鍵小野宮家の夜宴で描かれたとされる表題作“夜桜”だ。

 ――あの絵だけ、あからさまに連城鉱石が使われていたな。怪盗キャリコが喜びそうだ。

 信号に引っかかった九条は、ハンドルを握る手に力をこめる。
 あの一瞬、肩越しに香った桜の花のような匂いが、頭から離れない。
 夜桜に、金魚。理屈ではない何かが、彼を焦らせる。
 センサーやシステムよりも確かな直感が、彼女を“覚えておけ”と告げていた。いや、違う。

 ――俺はあの目を、もう一度見たいんだ。

 軽く息を吐き、車を発進させる。
 後方カメラには、まだ濡れた舗道に立つ彼女の姿が映っていた。
 街の光に包まれて、まるで絵画の一部のように。

 ……このときの九条はまだ知らない。
 自分が追い続けることになる“光”がいずれ、夜の闇を纏って現れることを。
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