極上御曹司は仮面の怪盗令嬢の素顔を暴きたい

ささゆき細雪

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chapter,3

03. 恋と呼ぶには遠い




 藤堂の残していった資料の束を机に置いたと同時に、九条はため息をつく。
 報告書の内容よりも――いや、内容そのものよりも、それを更紗に見せたときの彼女のわずかな表情の揺れが、胸の内で不意に引っかかっていた。

 ――監視対象、霧島更紗。

 気品と理性に包まれた、どこから見ても完璧な令嬢だ。きっと鍵小野宮の末裔が生きていたら、こんな感じなのだろう。
 藤堂から提出してもらった調査書には彼女の履歴がしっかり記されていた。警察が彼女を疑っているのは間違いないだろう。
 もともと資産家だった霧島家だが、彼女の祖父が美術品に現を抜かして没落している。その際なぜか美術商だった森鍵錠太郎の弟と意気投合したらしく、お互いの息子と娘を娶らせた結果、更紗が生まれたらしい。霧島の息子が早世したため更紗は母子家庭で育ったとされるが、森鍵からの援助もあり、生活に苦労したという記載はない。
 けれども時折、誰にもふれさせまいとする“痛み”のような影がその瞳を曇らせている。大伯父で創業者でもあった森鍵錠太郎が亡くなり森鍵社内での後ろ盾を失ったことで立ち位置が不安定なのだろう。もしかしたら新蔵が美術品の闇取引を行っていることも知っているのかもしれない。
 藤堂と対面した瞬間にのぞいたあの微かな震えを、揺れた睫毛を、九条は見逃せなかった。

 ――彼女は何をおそれているのだろう。

 彼女の変化にこんなにも敏感になる理由は、説明がつかない。書類を指先で整えながら苦笑する。
 九条の理性では「取引先の学芸員」であり、「展示会のキーパーソン」でしかないはずなのに、彼女が不安げに視線を伏せただけで胸がざらつくのだ。
 本来なら、距離など置くまでもない立場の自分が、あの静かな気配を守りたいと思ってしまった。彼女はそのようなことを望んでいるはずがないのに。

「あ」

 机に置いたスマホがぶるぶると小刻みに震える。慌てて手に取り、確認する。
 画面に浮かぶのは先ほど送った進捗資料への既読通知だった。

『警察との連携について了承しました。森金連城の子どもたち展東京展示会について引き続き警備をお願いします』

 返信はどこか他人行儀で、九条を避けているような硬い文面だったが、彼女の言葉を受け止められて安堵している自分がいた。
 これを恋と呼ぶにはまだ遠い。それでも誰かを想ってしまうとき特有の“理由のない願い”が九条の意識を塗りつぶしている。

 ――まったく……俺らしくもない。

 だがその戸惑いすら、悪くないと思えてしまうのだから重症だ。
 気づかぬうちに、彼女のことを考える時間が増えている……その事実が、いまもなお胸の奥でひっそり密かに熱を灯していた。


   * * *


 九条本社での勤務にもずいぶん慣れてきた。まさかこんなに早く警察の人間が介入することになるのは想定外だったけれど。
 定時で退勤のタイムカードを切ろうとした更紗は、夕陽が入り込むオフィスの窓のひかりの反射を見て苦笑する。血のように赤い夕焼けを見ると、従兄の剣人と鉱石について語ったことを思い出す。血のように赤い辰砂――硫化水銀中毒を起こしかねない危険な”虹”のひとつで、彼が海外に飛ばされるきっかけになった”連城鉱石”だった。闇ルートに流された辰砂を取り戻すため怪盗キャリコになった更紗を庇って、彼は父と対立してしまったのだ。

 ――たまには剣人さんに連絡してみようかな。

 いまの森鍵で自分にとって唯一の味方である剣人がこの場にいたら、更紗が重責に押しつぶされそうになることもなかったはずだ。
 けれど、彼は新蔵のやり方に口を出したことで海外に飛ばされている。そう簡単に日本に戻って来るとは思えない。それに、彼が戻ってきたら来たで、錠太郎を慕っていた部下たちから結婚を迫られる可能性がある。お互い兄と妹のようなものと誤魔化してはいるけれど、いっそのこと結婚してしまえば新蔵を黙らせることはできるだろう。だが、流されてしまった”虹”を回収するための打算的な婚姻がそう簡単に成立するとは思えない。

 ――それに剣人さんが選んだのはわたしじゃない。

 チクリと胸が痛む。彼には心に決めた女性がいるのだ。彼女もまた、更紗と同じで森金連城の負の遺産を封じるため剣人の傍で戦っている。自分がしゃしゃり出る幕はない。

「霧島さん?」
「……九条さん。まだ残られていたのですか?」

 憂鬱そうな表情を隠して更紗は声がした方へ顔を向ける。取締役室で別れて以降、顔を合わせていなかった九条はあの後もずっと部屋に籠って作業をしていたらしい。

「書類を片づけるのに夢中になっていたせいで、時間を忘れてました。……霧島さんこそ、大丈夫ですか?」
「なにが、ですか?」

 思いがけず声が尖ってしまった。九条はあくまで森鍵新蔵の依頼で企画展の美術品を守る存在で、怪盗キャリコとは敵対している人間だ。
 弱みなど見せず、彼らを期日までに欺くのが更紗の”虹”を守るための役目。こんなところで弱みなど見せたらいけない。キッ、と睨みつけるように瞳を眇めた更紗は、対する九条の表情を見て困惑する。

「もし……話せることがあるなら。聞きますよ」

 柔らかな声音に、更紗は泣きたくなる。なぜ彼は疑わしい更紗のことをこんなにも気にかけてくれるのだろう。
 逡巡した後、更紗は彼から視線を背ける。これ以上情けない姿を見られたくない、その一心で、搾りだすように言葉を紡ぐ。

「……ありがとうございます。でも、本当に大したことではないので」
「ならいいんですけど――危ない」
「っ!」

 距離を詰められて、後ずさりをしたところで隅に置かれていた机に足を引っかけてしまう。慌てて躓いた身体を持ち上げようとして、九条に腕を取られ、視線が絡む。ほんの一瞬の出来事に、沈黙が落ちる。

「――し、失礼しました」
「ほんとうに、大丈夫ですか?」

 九条の漆黒の瞳に見つめられて、更紗は顔を赤くする。こんな風に近づかれると、対処に困る。非常に、困る。
 対する九条はそんな更紗の腰に自然と腕を回して引き寄せてくる。女性の扱いに慣れてそうなスマートな彼の動きに更紗は顔を真っ赤にする。

「九条さん……」
「……こんなかわいい顔もなさるのですね」
「九条さん……近い、です……」
「わざと近づいているんですよ。あなたのことが気になるから……お嫌なら、離れますよ」

 数センチの距離に逃げ出したい気持ちと、このまま彼に身を投げ出したい気持ちが混ざり合う。
 どうしよう、イヤじゃない。むしろ――……。

「わたし――もっと、九条さんのことを知りたい」

 どうせ敵対しているのなら、彼の懐に潜り込んでしまえばいいと……更紗のなかのキャリコが悪魔のように囁いていた。
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