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第二部 初恋輪舞 大正十二年文月~長月《夏》
初恋の自覚と口づけの練習 02
しおりを挟むかさついた彼の唇が自分のそれに重なっているだけだというのに、過去に翔んでから一度もふれられていなかったから、それだけで官能への扉がひらけてしまう。ましてやいまの音寧は敷布一枚身体に巻きつけただけの無防備な姿。契約という名の愛の告白を過去の夫に持ちかけられた心は揺らぎ、もっとこの接吻より先にある刺激を求めている。
彼の言う契約内容は無茶苦茶だ。けれども拒んだら軍を巻き込んでしまう。それならば資とこの未熟で甘やかな契約を進めた方が良いに違いない。
未来の夫を愛する嫁を、過去の夫が身も心も奪おうと必死になっている。この口づけだってその気持ちの現れの一つ。ならば自分も応えよう。女性を――愛する妻を満足させられるだけの夫に育てるため。
――このまま舌を差し込んで、唾液を絡ませたら、彼方は応えてくれますか……?
言葉より早く、音寧は資の唇を己の舌先でこじ開けて一息に口腔へと攻め込んでいく。両の手で彼のあたまを抱え込んで、逃さないように。
音寧の行動に驚いたものの、資は彼女を拒まない。捕まえたと思ったはずの彼女に逆に捕まえられているにも関わらず。ふたりの身体がぎしっという音を立てながら寝台に沈む。
資の長い舌が音寧のそれに絡み合う。唇をぶつけ合っていただけの接吻と比べたらはるかに湿り気のある、深みのある口づけ。
「っぷは」
「……鼻で息をなさるのです、資さま」
「――あ、ああ」
「んっ……お上手です、資さま」
呼吸の仕方すらままならない彼の接吻を受け止めて、音寧は資の名を繰り返し口にする。有弦と呼ばないように、何度も、何度も。
「あぁ……資さま」
「口づけとは、こんなにも気持ちの良いものなのだな……」
舌先を互いに突き合わせるように口腔内で戯れに興じながら、蕩けるような表情を浮かべて資の名を繰り返す音寧を前に、彼もまた恍惚そうな笑みを浮かべていた。
自ら舌を差し出すだけで精一杯だった音寧は、歯列をなぞったり歯の裏の気持ちいい場所を伝えるまであたまが働かない。もっと資の舌を感じたかったが、彼が満足そうに唇をはなしたので、音寧も素直に接吻を止める。
「初めての接吻を、貴女とすることができて嬉しい」
「……は、はじめて?」
「心に決めた女性としか、したいと思わなかったから……」
なぜか当たり前のように告げられて、音寧はきょとんとする。はなれた資の唇の端からたらりと銀色の糸が垂れて音寧の頬を涙のように濡らしていく。顔を赤らめたまま慌てて涎を拭う資を見つめていた音寧が何か言わなくてはと口をひらいたそのとき。
――くうううぅ! という腹の虫がふたりの甘やかな沈黙を破壊した……
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