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第二部 初恋輪舞 大正十二年文月~長月《夏》
幸せの終焉と別れのとき 02
しおりを挟む綾音以外はどうでもいいと、当たり前のように口にする傑に圧倒されて、資は何も言えなくなる。傑は綾音と音寧の異能をつかって赤き龍を討伐できると思っているようだ。半神、半分の神様……破魔のちからで赤き龍を倒すと言っていた綾音と似たような異能を持つ音寧がちからを合わせれば、きっと魔物を討伐するのも楽になる、それは資にも理解できる。
そしてきっと音寧もそのことに気づいている。
「いままで資が彼女を護ってくれたから、綾音よりも姫が適任なんだ。赤き龍は清らかな乙女を好むからね」
「清らか……?」
資の訝しげな声を無視して、傑はうっとりした表情でつづける。
「彼女は綾音のようにさまざまな男の精を体内に摂取していないじゃないか。姫と呼ばれるだけのことはある、唯一の精愛を身体に注がれたことで花開いた希少な異能持ちなんだから」
資の知らない音寧を知る傑は、困惑する異母弟を気の毒そうに見つめながらも、軽やかな口調でつづける。
「彼女なら、赤き龍を呼び寄せる囮として充分役に立つ。綾音の不足分を補ってくれる。それゆえ軍も彼女の協力要請を正式に決定した」
「囮だと……」
「愛する女性を魔物の囮にするのは忍びないとでも? 俺は常に綾音が魔物との戦いに駆り出されるのを黙って指を咥えて見送ることしかできなかったんだよ?」
お前も同じ目に遭えばいい、と暗に言いたそうな表情の傑に、資の榛色の瞳が曇る。
「資がなんと言おうが、覆されることはない。彼女もそのことを理解している。そうだろう?」
傑がふいに視線をずらし、扉の前で佇む双子に微笑みかければ、綾音が無言で頷き、音寧の背中をぽんと押す。
露草色の涼しげなワンピースを着た音寧が、無表情の資に向かって、言葉を放つ。
「資さま――いままでありがとうございました」
身も心も結ばれた今だから、離れ難いのは痛いほど理解している。
けれども音寧はこのまま迎賓館で資に愛される日々に溺れつづけるわけにはいかないのだ。
あれから何度も抱かれ、精を注がれた。
破魔のちからを綾音から受け取るだけの器は完成している。
あとは、赤き龍を綾音とともに葬ったのちにちからを受け取って、未来で待っている有弦のもとへ帰るだけ。
もう、資の護衛は必要ないのだ。
資は裏切られたと思うだろう。それでいい。叶わぬ初恋として、姫という女性と過ごした想い出が微かに残れば、時空の歪みに影響は出ないはずだから。
「すでに第参陸軍からの退役扱いになっているお前を留めていた山縣将校から、『本日をもって異能持ちの姫の護衛を終了する』旨を受け取っている。資、お前がその軍服を着る必要はなくなった。とっとと脱いで、迎賓館から出ていけ」
「な」
「まぁ、後任が来るまでまだ時間はあるから。せいぜい愛しい姫と最後のときを過ごせばいい……彼女が許してくれればだけど、な」
「異母兄上……っ」
「言っただろう? これは決定事項だって」
飄々とした傑の言動に、資の顔が紅潮する。
憤る彼の視線は、物言わぬ音寧に注がれている。
「姫……うそだろ」
「退役された資さまに機密事項をお話することはできませんから」
澄ました表情で言い返せば、資は握りしめていた拳をふるふる震わせている。
護衛の任を解かれた資は、日本橋本町の実家に戻らず、西ヶ原の洋館に隠居している三代目有弦の元へ向かうだろう。失恋の痛みを堪えながら異母兄と綾音の結納を見届け、そのまま震災の日を迎えて――……
「資さまの精をたくさん受け止めることができたから、わたしは戦えます……彼方との未来を勝ち取るために」
露草色に月白の水玉模様が染め抜かれたワンピースを着た綾音と音寧が手を繋いで並んでいる。
瓜二つの同じ顔をしていながら、薔薇の花に喩えられる綾音と、百合の花に喩えられる音寧。
ほんの一瞬、資はどっちがどっちだか、わからなくなってしまった。
そんな彼の動揺を見抜いた綾音は、無表情のまま、傑へ声をかける。
「――傑。あたしたちは軍の方たちのお迎えに参りましょう。姫は、部屋に戻って」
「ああ。資、姫を部屋まで送ってこい。お前がこの建物を出ていく前の、最後の仕事だ」
視線を合わせることなく告げられた傑の意味深長な言葉に、資はもはや怒ることもできない。
素直に従う資に腕をとられた音寧は、凍りついた表情の彼を見ていられず、その場で項垂れるしかなかった。
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