静かなふたり

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 ジュリエットを執事のリーブスと一緒にオデルが部屋へ案内する。
 自室は二階にあり、オデルの後ろを付いて階段を登るジュリエットの姿を見送る使用人たちの心境は複雑だった。
 二人揃って歩く姿勢がそっくりなのだ。
 笑顔もなく言葉もなく、無表情で背筋の伸びた長身の男女が前後で階段を登っていくのだ。
 
「奥様は、緊張しているのかな?」
 
 従者のステファンが行方を見守りながらつぶやく。
 そうだといいけど、違ったら厄介な方が来てしまった。が他の使用人たちの総意だ。
 
 ジュリエットは部屋に着くとゆっくりと無言のまま見まわした。
 広い部屋には寛げるソファーセットにドレッサーとキングサイズの大きなベッドがあり、グリーンとグレーを基調に揃えられた部屋は落ちついた雰囲気だ。
 ベッドの奥にあるドアはオデルの部屋と繋がっている。反対側にあるドアはクローゼットと浴室に繋がっていて、すでに届いているジュリエットの荷物はきちんと片付けられてあり今日持ってきた荷物は下僕のジョージが運んで部屋の隅に置いた。
 黙って見渡し終わるとオデルを向き最初の挨拶以来、屋敷に入って初めてジュリエットが口を開いた。

「気に入りました」
 単語だ。
「そうか」
 返事も単語だ。
 
 そのままふたりは変わらない無表情のまま黙っているので、いたたまれないリーブスが紹介を待たずに挨拶をした。
 
「執事のリーブスでございます。何か必要なものがございましたらお声がけください」
 
 礼をしてから顔を上げると、ジュリエットが視線だけで見ていた。
 首を動かさず視線だけリーブスに向け、返事は小さく頷くだけだった。
 既視感は間違いではなかったとリーブスは思った。
 旦那様とまったく同じ種族の奥様だと。
 
「マリリン」
 
 リーブスの緊張を横に、ジュリエットが女性の名前を呼ぶ。
 この部屋にはオデルとジュリエット、リーブスしかいないはず……ではなかった。
 長身のジュリエットの影に隠れていたのか、ひょっこりと三人の目の前に現れたのは小さな女の子だった。
 黒のお仕着せに赤茶の天然カールのチリチリ髪を頭の天辺で団子にして纏めているのだが、その団子の高さを合わせても百四十五センチあるかないかの低い身長。茶色く真ん丸の眼、丸くて低い鼻。どう見ても子供、小さな女の子だ。
 
「エルフか?」
 
 最初に口を開いたのはオデルだった。
 視線だけで小さなそれを文字通り見下ろしてつぶやいたのだ。
 少女はそのオデルに驚いたように真ん丸の眼を見開いて見上げる。
 
「失礼ね。わたしの侍女です」
「マ、マリリンと申します。これからお世話になります。よろしくお願いします」
 
 幼い顔を生真面目に戻して、オデルに向かって大きく頭を下げる。
 オデルは黙ったままでマリリンに頷いた。
 続いてリーブスにも頭を下げるこの少女はいったいいくつなのか?
 リーブスと同じ疑問を持ったのか、オデルが視線だけで見下ろしたまま聞く。
 
「小さいな。いくつだ」
「はい。十五歳になりました」
 
 一生懸命背筋を伸ばし返事をするマリリンは十五歳にはとても見えない。幼女という形容詞がピッタリすぎる娘だ。
 
「問題ありますか?」
 
 侍女を連れてくることはリーブスも聞いていたし、オデルも知っている。
 
「いや、問題はない」
 
 問題はないがジュリエットで驚きマリリンで驚く、対照的過ぎる異様なコンビだ。
 言い方は悪いが、主人と愛玩用ペット。魔法使いと子飼いのエルフ。
 
「奥様のお茶を用意したいのでキッチンへ行ってきてもいいですか? ほかの使用人の先輩たちにもご挨拶してきます」
 
 マリリンがジュリエットを見上げて言うと、ジュリエットは視線だけでマリリンを見下ろし、小さく頷いた。
 唖然としていたリーブスだったが、仕事に熱心なエルフ、いや侍女のおかげで自分の仕事を思い出す。
 
「お茶はどちらにご用意いたしましょう?」
 リーブスがオデルに確認する。
「リビングに用意してくれ。今後のことも話をしよう」
 
 このふたりで本当にちゃんと話しが出来るのかとは思ったが、顔に出さず一礼をするとリーブスはドアを開けた。
 オデルに続いてジュリエットが部屋を出来る、その後ろをチョコチョコとマリリンが追いかけていく。
 リーブスはその後ろを歩きながら胸に去来する懸念が取り越し苦労になるように願った。
 




 リビングのソファーセットでふたりは向かい合わせで座った。
 背もたれが必要ない背筋を真っ直ぐに伸ばした正しい姿勢で、オデルの足が開いていなかったら完璧なユニゾンだ。
 視線は確実に合っているように見えるのだが、見つめ合っているという表現は違う。どちらかというと睨み合っているように傍からは見える。
 実際どのような心境でお互い見合っているのかは神のみぞ知ることだが、無表情で黙ったまま。このふたりはなにをしてここまで険悪になるのかと不安を覚える光景だが、無駄に周りの空気を悪くしているだけで何の諍いもないのは確かだ。
 オデルだけを見ればそれはいつものオデルだし、ジュリエットもそれは同じだった。
 リーブスがふたりから少し離れたところに立ち冷めた空気と精神的戦いをしているその前で、ニコニコしながら手際悪くお茶の支度をするマリリン。
 カチャカチャと音を立て、零さないように慎重に。小さな手がまさに一生懸命給仕している。
 給仕が終わるとマリリンはジュリエットを見る。ジュリエットが視線だけでマリリンを見て頷くと、マリリンが肩を揺らす。嬉しそうだ。
 あんなに音を立てて不器用に作業し茶を出したのになぜ褒められたかのように嬉しそうになれるのかは不明だが、マリリンがジュリエットを好きなのだろうということは伝わってくる。
 一方ふたりは出された茶をそれぞれ一口ずつ口に含むと、やっと会話が始まった。
 最初に口を開いたのはオデルだ。
 
「今日からは君の家でもある、自由に過ごしてくれ。欲しいものがあればリーブスが商人を呼ぶ、好きに買ってかまわないが不動産のような大きな買い物は相談してからにしてくれ」
「承知しました」
「他に聞きたいことはあるか?」
「ございません」
「そうか」
 
 会話が始まり、終了した。
 そのままの姿勢で最後まで茶を飲み干すと、オデルは『仕事に戻る』と書斎へ行き、ジュリエットもその後すぐ無言のままマリリンと自室へ戻って行った。
 見送ったリーブスは誰もいなくなったリビングで大きなため息を吐いた。
 
 
 

 *****
 
 

 
 地下にある使用人の食堂ではマリリンが興味津々で迎えられていた。
 
「改めましてマリリンと申します。十五歳です。今日からお世話になります。どうぞ色々教えてください」
 
 ピョコンと頭を下げてから満面の笑顔で起き上がる。使用人たちはこの可愛らしい小動物に目尻を下げざるを得ない。
 ひとりずつ自己紹介をすると、その度に『宜しくお願いします』と頭を下げるマリリン。
 
「ステファンだよ。二十五歳だから君より十歳お兄さんだね。旦那様の従者だよ。仲良くしようね」
「はい! ステファンさん、宜しくお願いします!」
 
 元気の良い返事にステファンの顔も自然とほころぶ。この娘とはうまくやって行けそうだ。
 さて、挨拶はここまで。
 使用人たちの興味はマリリンにもあるが、それよりもジュリエットだ。
 
「奥様って、どんな方?」
 
 メイドのモリーが身を乗り出してマリリンに聞くと、マリリンの顔に輝きが増す。

「それはもう!とーーーっても! お優しい方です。あたしは奥様がだーーーぁい好きです」

 輝いた顔が嬉しそうに本当に大好きだと物語っているので、使用人たちはその素直な眩しさに目を細めた。

「優しいって、どんなところが? どんなふうに? マリリンはどれくらい奥様に仕えているの?」

 ステファンが聞くと、マリリンは自分の始まりから話し出した。ジュリエットとの関係を知ってもらうには必要な件だったからだ。

 元々マリリンはジュリエットの弟、ランドリー男爵カールの両親である隠居夫妻の家のメイドだった。
 自分の両親の記憶はなく、物心ついたときにはすでに親戚だという叔父夫婦の家で子守として働いた。
 厳しく扱いの荒い夫婦だった。幼いマリリンに些細な失敗も許さなかった。
 マリリンの顔や身体にある痣を見兼ねた近所の教会の神父が気の毒に思い、夫婦を諫めマリリンを引き取ったのが十歳のときだ。
 その後神父の紹介でランドリー隠居夫妻のメイドとなり掃除洗濯やキッチンの手伝いをしていたが、ある緊急事態の発生でマリリンがジュリエットと出会うこととなる。
 離縁したジュリエットがランドリー家に戻る前日、隠居夫婦に助けて欲しいと知らせが来た。
 隠居夫婦の長男、男爵家を継いでいるカールの息子ルイがおたふくを発症したのが三日前、使用人に感染し姉のジュリエットが出戻ってくるというのに人が足りないいという内容だ。
 まさか侍女が欲しいとは思わなかった隠居夫婦は雑用要員のマリリンをランドリー家へ行かせた。
 ランドリー家では無事なメイドがひとりしかおらず妻の侍女までルイの世話をしている状況で、欲しかったのはジュリエットの侍女だった。
 当時十四歳に少し足りないマリリンを目の前にして『この娘じゃ無理だ!』と叫びそうになったカールだったが状況を見れば他にいなく、使用人が復帰するまでの間の数日だけと説明しマリリンはジュリエットの侍女になった。
 初めて接したジュリエットは表情がなく単語しか発せず、とても恐ろしく感じた。
 しかもマリリンはメイドで雑用しかしたことがなく侍女の仕事が解らなかった。
 メモを渡され書かれたことをするように言われたが、マリリンは字も読めなかった。
 そのことを伝えいらないと言われる覚悟をしたが、ジュリエットは言わなかった。
 口頭でひとずつ用事を言いやり方を説明し、素早く出来なくても黙って終わるのを待った。
 実際には待ったという表現は正しくないかもしれない。ジュリエットはただ黙って座っていただけなのだが、マリリンには待ってくれているように感じたのだ。
 四日間の侍女期間が終わり、使用人たちが復帰するというのでマリリンは隠居夫婦の家に帰るものだと思っていたが思わぬ事態が起こった。
 『マリリンでいいわ』というジュリエットの一言でマリリンは正式にジュリエットの侍女に昇格しランドリー家に残ることになったのだ。
 カールはジュリエットがマリリンのどこを気に入ったのかわからなかった。傍から見てもマリリンは優秀ではなくどちらかというとのろまで所作も悪く言葉遣いも正しいとはいい難い。
 とてもジュリエットが気に入りそうな娘ではないと思っていたのだが、ジュリエットの心中は弟のカールでもひとつもわからないのでジュリエットがいいというならそれでいい。
 
「奥様はあたしに教本を買ってくれて読み書きの勉強をさせてくれました。おかげで今では奥様がくださる本も、時間がかかるけど読めるようになったし。夜勉強したらお腹減るからって、オヤツをくれたり、あたしの服がみすぼらしいからって新しい生地もくれて一緒に作ってくだすったんです。そんなことしてもらったの、あたし初めてで。あ! 買い物も! あたしひとりでお店で買い物が出来るようになったんです! 奥様がお金の計算の仕方も教えてくだすって。嬉しかったなー。奥様が『出来たわね』って言ってくだすって……」
 
 使用人の食堂に鼻をすする音が響く。
 不幸な生い立ちも明るく元気に話したマリリンだったが、過去の境遇とジュリエットの優しさに感動し胸を打たれ涙したのだ。
 
「へー。奥様って素敵な方なんだね」
 
 下僕のマイケルが言うと、マリリンは誇らし気にささやかな膨らみしかない胸を張った。
 
「はい! 本当にお美しくてお優しくて、あたしだーーーい好きです。あまりお笑いになったりなさらないので怖そうに思うかもしれないですけど、怖くないです。お優しい方でっす!」
 
 こんな健気で素直な娘がこれだけ絶賛するのなら、きっと奥様は素敵な方に違いない。
 とてもそうは見えなかったが、初見で判断してはいけなかったと後悔までしだした。
 そんな素晴らしい奥様が旦那様と上手く行けば、そんないいことはない。
 本当に、そんないいことはないのだが……。
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