24 / 43
逮捕状執行
しおりを挟む
【午後1時29分】
東京地裁は特捜部の求めに応じて、警視庁本部の警備部警護課第一警護・警護管理係長の田島康裕警部と草壁忍の両名に対して虚偽告訴容疑での逮捕状を発付、また高島平警察署の刑事組織犯罪対策課の青木文夫巡査部長に対しては公文書偽造容疑での逮捕状を発付した。
それと同時に、渋谷区松濤にある田島の自宅の捜索差押許可状も発付され、さらに驚くべきは隼町にある警視総監公舎の捜索差押許可状までが発付されたのであった。もっとも、さすがに令状係の裁判官も警視総監公舎の捜索差押許可状の発付を求められた時には難色を示したそうだが、そこは自ら令状請求に当たった押田部長がその名に違わず、熱意でもって令状係の裁判官を説き伏せて押し切ったらしい。
警視総監公舎の捜索は言うまでもない、そこで確かに田島とその部下と思しき近野、杉山、そして草壁忍を交えて浅井事務官を痴漢冤罪で嵌めるべく、そのための謀議が行われた証拠を見つけ、押収するためであった。
具体的には総監公舎の門に設置されている監視カメラの映像の押収、及び公舎内における毛髪や指掌紋の採取であった。
監視カメラの映像の押収は他でもない、草壁忍の供述によれば田島と共に総監公舎の門を潜り、そして公舎内では既に近野と杉山なる刑事が田島と草壁忍を待ち受けていたとのことであり、そうであれば…、草壁忍の供述通りだとすれば、まず近野と杉山が公舎の門を潜る映像が残されているはずであり、続いて田島と草壁忍が公舎の門を潜る映像が残されているはずであるので、その二つの映像を押収することで、草壁忍の供述の信用性をさらに補強する。
また公舎内における毛髪や指掌紋の採取についても同様であり、田島たちが公舎内で浅井事務官を痴漢冤罪で嵌めるための謀議が行われていたのだとすれば、必ずやどこかにその痕跡が、すなわち毛髪や指掌紋が残されているはずであり、それら…、田島たちの毛髪や指掌紋が採取されればやはりこれも草壁忍の供述の信用性を補強する材料となる。
ともあれ、総監公舎の捜索は田島の逮捕、及び田島宅の家宅捜索とそれに青木文夫の逮捕と同時に執行されることとなった。それが午後1時29分のことであった。
まず田島の逮捕だが、その勤務先である警視庁本部で執行することになり、そこで押田部長が自ら警視庁本部に乗り込むことにした。無論、部下の検事や事務官らを引き連れてであり、それは正しく「討ち入り」であった。
警視庁本部の正面玄関には当然、制服警察官が目を光らせており、押田部長ご一行の突然の登場にその制服警察官もまさか特捜部長だとは気付かずに当然、身構えたものの、しかし、押田部長が身分証と共に、田島のために用意した逮捕状までその制服警察官にかかげてみせたので、制服警察官もその二つが決して偽造されたものでないことは職業的な直感からすぐに分かったので、結果、押田部長ご一行を警視庁本部庁舎内へとお通しするより他になかった。
そうして警視庁本部庁舎内へと立ち入った押田部長ご一行は当然、庁舎内においても多くの者たち…、そこで働く刑事たちの目を惹いた。だが守衛を務める制服警察官が通した以上、刑事たちにしても押田部長たちを引き止める権利はなかった。
押田部長ご一行は刑事たちの好奇な視線に晒されながら、まずは受付で警備部のフロアがある階を尋ねた。無論、そこでも押田部長は自分の身分を証した上で、警備管理係長の逮捕状まで呑んでいることをそれとなく匂わせたのであった。
すると受付の制服警察官も当然、驚いたものの、しかし相手が天下の東京地検特捜部の元締めとも言うべき部長であり、しかも逮捕状まで呑んでいるとあっては素直に教えないわけにはゆかず、押田部長に対して警備部が16階にあることを教えたのであった。田島が働く警備部は16階にあり、しかも一番奥まったところに警備管理係があることも教えたのであった。
それにしても警護課第一警護の警護管理係と言えばさすがに筆頭課であるだけに、16階のフロアの中でも一番奥まったところにあるようだった。
それから押田部長ご一行はエレベーターを使わずに階段を使った。16階まで一気に駆け上がるのは御年51の押田部長の体には堪えるものがあったが、しかし、用心するに越したことはない。迂闊にエレベーターに乗ったが最後、急にエレベーターが「故障」するとも限らないからだ。そうなれば特捜部にとっては正に、
「死刑台のエレベーター」
となってしまう。そこで大変でも階段を使うしかなかった。
そうして一気に16階まで駆け上がった時にはさすがに押田部長も、それに配下の検事や事務官も皆、息も絶え絶え、であり、階段の踊り場で一休みした後、呼吸を整えると、押田部長ご一行は気を取り直して最終目的地である警備部警護課第一警護の警護管理係へと一直線に向かった。
そこでもやはり多くの、いや、すべての刑事たち、それも警備部の刑事たちの目を惹いた。その中にはテレビのニュースでもお目にかかったことのあるSPも含まれていた。
ともあれそうして一番奥まった場所にある警護管理係のスペースに足を踏み入れた押田部長ご一行は係長席へと足を向け、そして係長席の前で立ち止まった。
一方、係長席に座っていた田島は既に受付から連絡でももらっていたのか、内心、覚悟ができていたようで、押田部長ご一行が係内に姿を見せてもさほど驚きもせず、また逃げるそぶりすら見られなかった。
さて、係長席の前で立ち止まった押田部長は配下の検事や事務官らを背後に従えて、係長席に陣取っていた田島に対して逮捕状をかかげたのであった。
「田島康裕、虚偽告訴の被疑事実により東京地裁よりの逮捕状が発付されましたので今から執行します…」
押田部長はそう告げると腰に手を当てて、そして手錠を取り出した。
【午後1時29分】
高島平警察署刑事組織犯罪対策課強行犯捜査係の青木文夫巡査部長の逮捕は志貴と村野事務官の二人で当たることになった。検事と事務官が二人で逮捕に当たるなど、まるでドラマそのものであった。通常はこんな少人数で逮捕に当たるなどあり得なかった。
だが、田島の逮捕とさらに田島宅の家宅捜索、何より警視総監公舎の家宅捜索に多くの人員、それも特捜部の人間が割かれてしまったために、青木文夫の逮捕は志貴と村野事務官の二人で当たるより他になかった。本来ならば刑事部に応援を求めるべきところであったが、何しろ相手が相手である。下手をしたら地検刑事部から警視庁本部へと情報漏れの恐れがあり、それゆえ特捜部単体でことに当たるより他になかったのであった。
さて、高島平警察署の刑事組織犯罪対策課は1階にあった。やはり志貴と村野事務官が受付でそれぞれ身分を証した上で刑事組織犯罪対策課のフロアのある階を尋ねたのであり、幸いにもと言うべきか、受付と同じく1回にそれはあった。
もっとも警視庁本部ほどにはガードが固くなく、受付の制服警察官は相手が地検特捜部の検事とその事務官であると確かめただけで、特捜検事の志貴と村野事務官が一体、何の用件かと尋ねることもせず、すぐに志貴の求めに応じる格好で刑事組織犯罪対策課がこの1階にあること、さらに志貴と村野事務官が強行犯捜査係に用件があると聞くや、強行犯捜査係は出口に一番近い場所にあることもあわせて教えたのであった。
そうして強行犯捜査係のあるスペースへと足を踏み入れた志貴と村野事務官はそこで青木文夫の名を呼びかけたのであった。居留守を使われる恐れもあった。何しろ志貴にしろ村野事務官にしろ、青木文夫の顔までは把握していなかったからだ。せいぜい、課長の石田の顔を把握している程度であり、それとて志貴だけであり、村野事務官は石田の顔は把握していなかった。
ともあれ居留守を使われるのではとのその恐れはどうやら志貴や村野事務官の杞憂に過ぎなかったようで、青木文夫は「はい…」と素直に呼びかけに応じたのであった。
志貴と村野事務官は反応のあったデスクへと、すなわち青木文夫の元へと歩み寄ると、椅子に座る青木文夫の前で二人して立ち止まると、志貴が青木文夫の逮捕状を執行した。
青木文夫は公文書偽造容疑で志貴によって手錠をかけられるといよいよ顔面蒼白となり、しかし、力強い口調で、尚且つ、課長の石田の方へと振り返って、
「俺は…、俺は石田に命じられただけなんだぁっ!石田に命じられて調書を偽造したんだぁっ!」
そう叫び声を上げたのであった。青木文夫の叫び声は強行犯捜査係、どころか刑事組織犯罪対策課のフロア中に、いや、それどころか1階全体に響き渡った。当然、刑事組織犯罪対策課内からどよめきの声が起こった。いや、叫び声が届いた受付にしても、そして受付待ちをしていた訪問者にしても同様にどよめきの声を上げたものだった。
さて、青木文夫の訴えを聞いた志貴としてはしかし、青木文夫の逮捕状執行だけで手一杯であったので、村野事務官に課長の石田を任せることにした。すなわち、石田にも任意同行を求めるのだ。青木文夫からの心からの訴えを聞いた以上、これを無視するわけにはゆかず、何より、調書の偽造という公文書偽造の罪に手を染めた青木文夫の上司は他ならぬ刑事組織犯罪対策課を束ねる課長の石田である以上、部下の青木文夫を逮捕するからには上司に当たる石田からも当然、話を聞かなければならなかった。それが青木の心の底からの叫び声によって少し早まっただけである。
だが一方、石田は青木文夫とは好対照に、素直に任意同行に応じるそぶりを見せなかった。その理由の一つには己に任意同行を求めた相手が女であったからだ。
「何でこの俺がアマから任同を求められなきゃならねぇんだっ!顔洗って出直してきやがれっ!」
石田は任意同行を求めた村野事務官に対してそう唾を飛ばしたのであった。
それでも村野事務官はあくまで丁寧に、且つ根気強く石田に対して任意同行を求めたのであった。
「課長であるあなたから調書の偽造を命じられたと、青木さんが今、そう主張されました以上はあなたからもお話をうかがわねばなりまえん…」
「んなの、青木の妄言に過ぎん。気でも触れたんだろうよ…」
石田はタバコを吹かしながら、それも目の前に立つ村野事務官に向かってタバコの煙を吹きつけながらそう反論したのであった。村野事務官はその程度の失礼な言動には慣れていたので、さして怒るそぶりも見せなかったが、しかし一方で青木文夫は気違い呼ばわりされたことで顔面を歪めさせた。
ともあれ今はまだ、刑事組織犯罪対策課長の石田が強行犯捜査係の青木文夫に対して調書の偽造を命じたとする確たる証拠はない。そうである以上、石田にはあくまで任意で同行に応じてもらうよりは、すなわち、取調べに応じてもらうより他にはなかったのだ。
そのことは誰よりも捜査のプロである石田自身が良く分かっているところであり、余裕の表情であった。
「任同なら拒否するぜ。とっとと青木の野郎を連れて特捜に戻りな。お嬢ちゃん」
石田から「お嬢ちゃん」呼ばわりされた村野事務官はさすがに不快感を隠そうともしなかったが、それでもまだ、怒る段階ではなく、黙り込んだ。
すると石田は村野事務官が黙り込んだのを良いことに、いよいよもって調子に乗った。
「聞こえなかったかっ!あっ!?帰れ、っつってんだよっ!」
石田は目の前で相変わらず黙って立ったままの村野事務官に対して右拳を突き出した。石田としてはほんの軽い脅かし程度のパンチ、いや、石田当人の意識としては小突く程度であっただろうが、早大ボクシング部出身の村野事務官はそれをパンチとみなすと、つい意識がボクシング部時代に戻った。
すなわち、村野事務官は本能的に石田のその右ストレートを軽々とかわすと、素早く石田の右側へと回り込み、そして無防備状態の石田の右脇腹、それも不摂生のためであろう、だらしなく緩んだその右脇腹目掛けて利き腕である右でもってフックを叩き込んだのであった。それはもう見事なまでの、それこそボクシングの教則本に載せても良いほどのボディフック、それもレバーブローであり、
「ドスンっ」
という音が1階に響き渡ったほどである。その瞬間、石田は膝から崩れ落ちると同時に床一面に昼飯をすべてぶちまけ、そしてのたうち回った。
「公務執行妨害で現逮…、って立てないか…」
村野事務官は拳をおろすと石田を見下ろしながらそう呟いた。
東京地裁は特捜部の求めに応じて、警視庁本部の警備部警護課第一警護・警護管理係長の田島康裕警部と草壁忍の両名に対して虚偽告訴容疑での逮捕状を発付、また高島平警察署の刑事組織犯罪対策課の青木文夫巡査部長に対しては公文書偽造容疑での逮捕状を発付した。
それと同時に、渋谷区松濤にある田島の自宅の捜索差押許可状も発付され、さらに驚くべきは隼町にある警視総監公舎の捜索差押許可状までが発付されたのであった。もっとも、さすがに令状係の裁判官も警視総監公舎の捜索差押許可状の発付を求められた時には難色を示したそうだが、そこは自ら令状請求に当たった押田部長がその名に違わず、熱意でもって令状係の裁判官を説き伏せて押し切ったらしい。
警視総監公舎の捜索は言うまでもない、そこで確かに田島とその部下と思しき近野、杉山、そして草壁忍を交えて浅井事務官を痴漢冤罪で嵌めるべく、そのための謀議が行われた証拠を見つけ、押収するためであった。
具体的には総監公舎の門に設置されている監視カメラの映像の押収、及び公舎内における毛髪や指掌紋の採取であった。
監視カメラの映像の押収は他でもない、草壁忍の供述によれば田島と共に総監公舎の門を潜り、そして公舎内では既に近野と杉山なる刑事が田島と草壁忍を待ち受けていたとのことであり、そうであれば…、草壁忍の供述通りだとすれば、まず近野と杉山が公舎の門を潜る映像が残されているはずであり、続いて田島と草壁忍が公舎の門を潜る映像が残されているはずであるので、その二つの映像を押収することで、草壁忍の供述の信用性をさらに補強する。
また公舎内における毛髪や指掌紋の採取についても同様であり、田島たちが公舎内で浅井事務官を痴漢冤罪で嵌めるための謀議が行われていたのだとすれば、必ずやどこかにその痕跡が、すなわち毛髪や指掌紋が残されているはずであり、それら…、田島たちの毛髪や指掌紋が採取されればやはりこれも草壁忍の供述の信用性を補強する材料となる。
ともあれ、総監公舎の捜索は田島の逮捕、及び田島宅の家宅捜索とそれに青木文夫の逮捕と同時に執行されることとなった。それが午後1時29分のことであった。
まず田島の逮捕だが、その勤務先である警視庁本部で執行することになり、そこで押田部長が自ら警視庁本部に乗り込むことにした。無論、部下の検事や事務官らを引き連れてであり、それは正しく「討ち入り」であった。
警視庁本部の正面玄関には当然、制服警察官が目を光らせており、押田部長ご一行の突然の登場にその制服警察官もまさか特捜部長だとは気付かずに当然、身構えたものの、しかし、押田部長が身分証と共に、田島のために用意した逮捕状までその制服警察官にかかげてみせたので、制服警察官もその二つが決して偽造されたものでないことは職業的な直感からすぐに分かったので、結果、押田部長ご一行を警視庁本部庁舎内へとお通しするより他になかった。
そうして警視庁本部庁舎内へと立ち入った押田部長ご一行は当然、庁舎内においても多くの者たち…、そこで働く刑事たちの目を惹いた。だが守衛を務める制服警察官が通した以上、刑事たちにしても押田部長たちを引き止める権利はなかった。
押田部長ご一行は刑事たちの好奇な視線に晒されながら、まずは受付で警備部のフロアがある階を尋ねた。無論、そこでも押田部長は自分の身分を証した上で、警備管理係長の逮捕状まで呑んでいることをそれとなく匂わせたのであった。
すると受付の制服警察官も当然、驚いたものの、しかし相手が天下の東京地検特捜部の元締めとも言うべき部長であり、しかも逮捕状まで呑んでいるとあっては素直に教えないわけにはゆかず、押田部長に対して警備部が16階にあることを教えたのであった。田島が働く警備部は16階にあり、しかも一番奥まったところに警備管理係があることも教えたのであった。
それにしても警護課第一警護の警護管理係と言えばさすがに筆頭課であるだけに、16階のフロアの中でも一番奥まったところにあるようだった。
それから押田部長ご一行はエレベーターを使わずに階段を使った。16階まで一気に駆け上がるのは御年51の押田部長の体には堪えるものがあったが、しかし、用心するに越したことはない。迂闊にエレベーターに乗ったが最後、急にエレベーターが「故障」するとも限らないからだ。そうなれば特捜部にとっては正に、
「死刑台のエレベーター」
となってしまう。そこで大変でも階段を使うしかなかった。
そうして一気に16階まで駆け上がった時にはさすがに押田部長も、それに配下の検事や事務官も皆、息も絶え絶え、であり、階段の踊り場で一休みした後、呼吸を整えると、押田部長ご一行は気を取り直して最終目的地である警備部警護課第一警護の警護管理係へと一直線に向かった。
そこでもやはり多くの、いや、すべての刑事たち、それも警備部の刑事たちの目を惹いた。その中にはテレビのニュースでもお目にかかったことのあるSPも含まれていた。
ともあれそうして一番奥まった場所にある警護管理係のスペースに足を踏み入れた押田部長ご一行は係長席へと足を向け、そして係長席の前で立ち止まった。
一方、係長席に座っていた田島は既に受付から連絡でももらっていたのか、内心、覚悟ができていたようで、押田部長ご一行が係内に姿を見せてもさほど驚きもせず、また逃げるそぶりすら見られなかった。
さて、係長席の前で立ち止まった押田部長は配下の検事や事務官らを背後に従えて、係長席に陣取っていた田島に対して逮捕状をかかげたのであった。
「田島康裕、虚偽告訴の被疑事実により東京地裁よりの逮捕状が発付されましたので今から執行します…」
押田部長はそう告げると腰に手を当てて、そして手錠を取り出した。
【午後1時29分】
高島平警察署刑事組織犯罪対策課強行犯捜査係の青木文夫巡査部長の逮捕は志貴と村野事務官の二人で当たることになった。検事と事務官が二人で逮捕に当たるなど、まるでドラマそのものであった。通常はこんな少人数で逮捕に当たるなどあり得なかった。
だが、田島の逮捕とさらに田島宅の家宅捜索、何より警視総監公舎の家宅捜索に多くの人員、それも特捜部の人間が割かれてしまったために、青木文夫の逮捕は志貴と村野事務官の二人で当たるより他になかった。本来ならば刑事部に応援を求めるべきところであったが、何しろ相手が相手である。下手をしたら地検刑事部から警視庁本部へと情報漏れの恐れがあり、それゆえ特捜部単体でことに当たるより他になかったのであった。
さて、高島平警察署の刑事組織犯罪対策課は1階にあった。やはり志貴と村野事務官が受付でそれぞれ身分を証した上で刑事組織犯罪対策課のフロアのある階を尋ねたのであり、幸いにもと言うべきか、受付と同じく1回にそれはあった。
もっとも警視庁本部ほどにはガードが固くなく、受付の制服警察官は相手が地検特捜部の検事とその事務官であると確かめただけで、特捜検事の志貴と村野事務官が一体、何の用件かと尋ねることもせず、すぐに志貴の求めに応じる格好で刑事組織犯罪対策課がこの1階にあること、さらに志貴と村野事務官が強行犯捜査係に用件があると聞くや、強行犯捜査係は出口に一番近い場所にあることもあわせて教えたのであった。
そうして強行犯捜査係のあるスペースへと足を踏み入れた志貴と村野事務官はそこで青木文夫の名を呼びかけたのであった。居留守を使われる恐れもあった。何しろ志貴にしろ村野事務官にしろ、青木文夫の顔までは把握していなかったからだ。せいぜい、課長の石田の顔を把握している程度であり、それとて志貴だけであり、村野事務官は石田の顔は把握していなかった。
ともあれ居留守を使われるのではとのその恐れはどうやら志貴や村野事務官の杞憂に過ぎなかったようで、青木文夫は「はい…」と素直に呼びかけに応じたのであった。
志貴と村野事務官は反応のあったデスクへと、すなわち青木文夫の元へと歩み寄ると、椅子に座る青木文夫の前で二人して立ち止まると、志貴が青木文夫の逮捕状を執行した。
青木文夫は公文書偽造容疑で志貴によって手錠をかけられるといよいよ顔面蒼白となり、しかし、力強い口調で、尚且つ、課長の石田の方へと振り返って、
「俺は…、俺は石田に命じられただけなんだぁっ!石田に命じられて調書を偽造したんだぁっ!」
そう叫び声を上げたのであった。青木文夫の叫び声は強行犯捜査係、どころか刑事組織犯罪対策課のフロア中に、いや、それどころか1階全体に響き渡った。当然、刑事組織犯罪対策課内からどよめきの声が起こった。いや、叫び声が届いた受付にしても、そして受付待ちをしていた訪問者にしても同様にどよめきの声を上げたものだった。
さて、青木文夫の訴えを聞いた志貴としてはしかし、青木文夫の逮捕状執行だけで手一杯であったので、村野事務官に課長の石田を任せることにした。すなわち、石田にも任意同行を求めるのだ。青木文夫からの心からの訴えを聞いた以上、これを無視するわけにはゆかず、何より、調書の偽造という公文書偽造の罪に手を染めた青木文夫の上司は他ならぬ刑事組織犯罪対策課を束ねる課長の石田である以上、部下の青木文夫を逮捕するからには上司に当たる石田からも当然、話を聞かなければならなかった。それが青木の心の底からの叫び声によって少し早まっただけである。
だが一方、石田は青木文夫とは好対照に、素直に任意同行に応じるそぶりを見せなかった。その理由の一つには己に任意同行を求めた相手が女であったからだ。
「何でこの俺がアマから任同を求められなきゃならねぇんだっ!顔洗って出直してきやがれっ!」
石田は任意同行を求めた村野事務官に対してそう唾を飛ばしたのであった。
それでも村野事務官はあくまで丁寧に、且つ根気強く石田に対して任意同行を求めたのであった。
「課長であるあなたから調書の偽造を命じられたと、青木さんが今、そう主張されました以上はあなたからもお話をうかがわねばなりまえん…」
「んなの、青木の妄言に過ぎん。気でも触れたんだろうよ…」
石田はタバコを吹かしながら、それも目の前に立つ村野事務官に向かってタバコの煙を吹きつけながらそう反論したのであった。村野事務官はその程度の失礼な言動には慣れていたので、さして怒るそぶりも見せなかったが、しかし一方で青木文夫は気違い呼ばわりされたことで顔面を歪めさせた。
ともあれ今はまだ、刑事組織犯罪対策課長の石田が強行犯捜査係の青木文夫に対して調書の偽造を命じたとする確たる証拠はない。そうである以上、石田にはあくまで任意で同行に応じてもらうよりは、すなわち、取調べに応じてもらうより他にはなかったのだ。
そのことは誰よりも捜査のプロである石田自身が良く分かっているところであり、余裕の表情であった。
「任同なら拒否するぜ。とっとと青木の野郎を連れて特捜に戻りな。お嬢ちゃん」
石田から「お嬢ちゃん」呼ばわりされた村野事務官はさすがに不快感を隠そうともしなかったが、それでもまだ、怒る段階ではなく、黙り込んだ。
すると石田は村野事務官が黙り込んだのを良いことに、いよいよもって調子に乗った。
「聞こえなかったかっ!あっ!?帰れ、っつってんだよっ!」
石田は目の前で相変わらず黙って立ったままの村野事務官に対して右拳を突き出した。石田としてはほんの軽い脅かし程度のパンチ、いや、石田当人の意識としては小突く程度であっただろうが、早大ボクシング部出身の村野事務官はそれをパンチとみなすと、つい意識がボクシング部時代に戻った。
すなわち、村野事務官は本能的に石田のその右ストレートを軽々とかわすと、素早く石田の右側へと回り込み、そして無防備状態の石田の右脇腹、それも不摂生のためであろう、だらしなく緩んだその右脇腹目掛けて利き腕である右でもってフックを叩き込んだのであった。それはもう見事なまでの、それこそボクシングの教則本に載せても良いほどのボディフック、それもレバーブローであり、
「ドスンっ」
という音が1階に響き渡ったほどである。その瞬間、石田は膝から崩れ落ちると同時に床一面に昼飯をすべてぶちまけ、そしてのたうち回った。
「公務執行妨害で現逮…、って立てないか…」
村野事務官は拳をおろすと石田を見下ろしながらそう呟いた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
戦場帰りの俺が隠居しようとしたら、最強の美少女たちに囲まれて逃げ場がなくなった件
さん
ファンタジー
戦場で命を削り、帝国最強部隊を率いた男――ラル。
数々の激戦を生き抜き、任務を終えた彼は、
今は辺境の地に建てられた静かな屋敷で、
わずかな安寧を求めて暮らしている……はずだった。
彼のそばには、かつて命を懸けて彼を支えた、最強の少女たち。
それぞれの立場で戦い、支え、尽くしてきた――ただ、すべてはラルのために。
今では彼の屋敷に集い、仕え、そして溺愛している。
「ラルさまさえいれば、わたくしは他に何もいりませんわ!」
「ラル様…私だけを見ていてください。誰よりも、ずっとずっと……」
「ねぇラル君、その人の名前……まだ覚えてるの?」
「ラル、そんなに気にしなくていいよ!ミアがいるから大丈夫だよねっ!」
命がけの戦場より、ヒロインたちの“甘くて圧が強い愛情”のほうが数倍キケン!?
順番待ちの寝床争奪戦、過去の恋の追及、圧バトル修羅場――
ラルの平穏な日常は、最強で一途な彼女たちに包囲されて崩壊寸前。
これは――
【過去の傷を背負い静かに生きようとする男】と
【彼を神のように慕う最強少女たち】が織りなす、
“甘くて逃げ場のない生活”の物語。
――戦場よりも生き延びるのが難しいのは、愛されすぎる日常だった。
※表紙のキャラはエリスのイメージ画です。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる