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安永のトリカブト殺人事件 ~家基、花見を楽しむべく、田沼家、並びに清水家所縁の者を率いて御殿山へと向かう~
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正午となり、家基一行は昼餉を摂ることに相成った。
その昼餉だが、東海寺が御膳所に選ばれていた。
鷹狩りの場合、鷹場に近い寺が御膳所に選ばれるのが仕来りであり、ここ新井宿においては東海寺が最も近い。
さて、その東海寺において昼餉を摂る訳だが、本堂にて昼餉を摂ることが出来るのは家基を筆頭に、従六位布衣役以上の役人に限られ、無位無官の、例えば平の番士は境内にて茣蓙を敷いて昼餉を摂る。
一方、本堂にては従六位布衣役以上の諸役人が家基を囲んでいた。
その家基の御前には鷹狩りにおいて手柄を立てた日根野一學・左京父子の外に西之丸書院番は4番組に属する長谷川平蔵の姿まであった。
日根野一學・左京父子にしろ長谷川平蔵にしろ、無位無官の平の番士である為に本来ならば本堂への「昇殿」は許されぬ筈であった。
だが彼等は鷹狩りにて手柄を立てた為に格別に「昇殿」が許されたのだ。
鷹狩りという、謂わば戦場において手柄を立てれば、その者が仮令、無位無官の番士であったとしても、御膳所において将軍、或いは次期将軍への拝謁が許され、のみならず昼餉の相伴に預かることも出来た。
ところで日根野一學・左京父子は供弓として手柄を立てたのに対して、長谷川平蔵は一体、如何なる手柄を立てたのかと言うと、それは拍子木役としてであった。
今日の鷹狩りにおいて、勢子を指揮する拍子木役には長谷川平蔵が任じられ、結果、平蔵は見事なる采配を振るい、家基を大いに満足させたのであった。
家基がここでも日根野一學・左京父子とそれに長谷川平蔵、この3人の手柄、言うなれば武功を褒めそやしたところで、小笠原信喜は新見正則に目配せした。
小笠原信喜が西之丸御側御用取次ならば、新見正則は西之丸小納戸頭取であり、共に従五位下諸太夫役、それ故、当然にここ本堂への「昇殿」が許されていた。
さて、新見正則は小笠原信喜の目配せを受けて家基にここ東海寺とは目と鼻の先、直ぐ隣の御殿山において花見を勧めた。
「御殿山の櫻は今が丁度、見頃なれば…」
正則にそう勧められた家基は頷いてみせた。
御殿山は本日の鷹場である新井宿の道中にあり、家基も御殿山に櫻が咲いていたことは、それも今が見頃であることは承知していた。
家基は種姫のこともあり、花見に大いに心そそられた。
するとそうと察した平御側の大久保忠翰が、「是非ともそう為されませ…」と正則の提案を後押しした。
正則にしろ忠翰にしろ、信喜との事前の「打合わせ」による、もっと言えば信喜、否、一橋治済が書下ろした「脚本」に沿ったまでである。
さて、次いで口を開いたのは小納戸、それも毒見担当の御膳番の石谷次郎左衛門であり、相役の三浦左膳と共に花見の為の「御重」を拵えてきたことを打明けたのだ。
これは小笠原信喜が「オリジナル」の「脚本」であり、同じく御膳番小納戸の石場弾正と坪内五郎左衛門もそれに続いて、「御重」を拵えてきたことを打明けたのだ。
家基としては、こうまで迫られては花見に行くしかあるまい。
そこで家基が腰を上げると、小笠原信喜はその場に陪席していた西之丸若年寄の鳥居忠意と奏者番の井伊直朗、それに西之丸書院番頭の水谷勝久と大目付の伊藤忠勸にも花見への扈従を勧めた。
その殆どが、清水家、或意は田沼家所縁の者たちである。
鳥居忠意と水谷勝久は清水家とも田沼家とも所縁はないものの、しかし鳥居忠意は信喜が、それに佐野茂承もそうであるに違いない、目障りな大久保忠翰が実兄であり、一方、水谷勝久は一橋治済が目障りに思う家老の水谷勝富が縁者であった。
この2人も家基の花見に陪席させれば、しかもその花見のさ最中、家基が斃れたとあらば、小笠原信喜や佐野茂承、或いは一橋治済が夫々、目障りに思う大久保忠翰、水谷勝富、この両者に多大なるダメージを与えられるというものである。
殊に大久保忠翰の場合、花見の「言い出しっぺ」である以上、当然、家基の花見に付合う訳だから、兄・鳥居忠意と共に、水谷勝富以上に多大なダメージを与えられる。
ちなみに西之丸若年寄の鳥居忠意と、それに奏者番の井伊直朗は御側御用取次たる小笠原信喜よりも格上である為に、信喜はあくまで、花見への扈従を命じるのではなく、勧めるという、低姿勢を保った。
尤も、それは事実上の命令に過ぎず、何より鳥居忠意にしろ、井伊直朗にしろ元より家基の花見に付合うつもりであったので、信喜のその勧めに飛付いた。
すると家基は小笠原信喜と、それに佐野茂承、そして小姓組番頭の花房正域の3人を気遣うことを忘れなかった。
即ち、信喜と茂承、花房正域の3人も花見に誘ったのだ。
だが3人はそれを拝辞し、留守を預かることを申出たのであった。
その為、書院番頭の水谷勝久も「それなれば…」と自らも留守を買って出た。
西之丸小姓組番頭の花房正域が留守を預かる中、西之丸書院番頭たる己が家基と共に花見に興じては、正域に申訳ないと、勝久はそう感じたからだ。
西之丸の両番、小姓組番と書院番、両方の番は共に4組あった。
だが鷹狩りにはその全ての番に属する番士が扈従出来る訳ではない。
西之丸の全ての両番士が鷹狩りに扈従してしまっては西之丸の殿中警備を掌るべき両番士が「カラッポ」になってしまうからだ。
無論、西之丸には今、西之丸当番の奏者番の秋元永朝や大目付の松平忠郷が詰めてはいたものの、彼等は役方、文官である。
西之丸の警備はやはり、「本職」とも言うべき番方、武官である両番士に任せた方が良い。
そこで西之丸の盟主たる次期将軍の鷹狩りに扈従出来る両番士は4分の1、各番組につき4分の1の番士が扈従出来、残りの4分の3の両番士が交代で西之丸に詰め、殿中警備を担う。
両番の番頭とその直属の部下である組頭もそれに対応し、4分の1だけが扈従出来た。
つまり小姓組番、書院番、それぞれ1人の番頭と組頭が鷹狩りに扈従出来、やはり残り4分の3、3人の番頭と組頭で交代で殿中警備を担うことになる。
さて、そこで今日の鷹狩りだが、小姓組番よりは4番組の番頭、花房正域が扈従することになった為に、鷹狩りに扈従出来る小姓組番の與頭は必然的に正域配下、つまりは4番組の與頭ということになり、小倉忠右衛門正員であった。
一方、水谷勝久配下、書院番4番組の組頭は牟禮郷右衛門勝孟であった。
この花房正域・小倉忠右衛門、水谷勝久・牟禮郷右衛門の夫々、「コンビ」で今日の鷹狩りにおいて両番士を指揮した。
この内、花房正域と牟禮郷右衛門は一橋治済の息がかかっていた。
そこで花房正域が小笠原信喜や佐野茂承と共に留守を申出るや、牟禮郷右衛門も、
「すかさず…」
留守を申出たことから、小倉忠右衛門もそれに続いた。
書院番の組頭の牟禮郷右衛門が花見に参加せず、留守をすると申出た以上、小姓組番の與頭たる己がその牟禮郷右衛門を差置いて、花見に興ずる訳にはゆかないからだ。
実を言えば、牟禮郷右衛門もそれを―、小倉忠右衛門も留守を申出ることを期待して、留守を申出たのであった。
それと言うのも、小倉忠右衛門にも花見には参加して欲しくはなかったからだ。
小倉忠右衛門は嘗て、一橋家用人を勤めていた高林彌兵衛明慶が四男、内膳正顯を養嗣子に迎えていた。
それ故、色分けすれば一橋派ということになろうが、しかし治済の意に反して小倉忠右衛門が治済に靡くことはなかった。
治済は内膳正顯や、更には一橋家用人の杉山嘉兵衛を介して小倉忠右衛門を取込もうとした。
内膳正顯が実妹―、高林彌兵衛が末娘は一橋用人の杉山嘉兵衛が嫡子にして本丸小姓組番士を勤める杉山又四郎義制の許に嫁いでいたからだ。
そこで治済は内膳正顯は元より、杉山嘉兵衛をも「動員」して小倉忠右衛門を取込もうとしたのだが、結果は徒労に終わった。
小倉忠右衛門自身は実は京極家の血を引いていた。
小倉忠右衛門は秋霜烈日で知られた本丸書院番士、京極織部高庭が次男として生まれ、京極家と同じく両番家筋の小倉家、その当主の喜右衛門正孝が養嗣子として迎えられた。
忠右衛門は今は小倉家の跡目を継ぎ、その上、従六位布衣役である西之丸小姓組番の與頭へと昇進を遂げた訳だが、実父・京極織部譲りの秋霜烈日ぶりであり、治済からの「触手」にも決して靡くことはなかった。
かくして治済は小倉忠右衛門を取込むことを諦めたものの、しかし養嗣子の内膳正顯を介して一橋家と所縁があるのは事実であり、その小倉忠右衛門に花見に参加されては治済としては非常に困る。
花見にて家基を斃れさせようと画策した治済としては、その花見には一橋家所縁の者は一人として参加させたくはなかったからだ。
そこで治済は予め取込んでおいた書院番組頭の牟禮郷右衛門に「留守」を申出させたのであった。
秋霜烈日なる小倉忠右衛門のこと、牟禮郷右衛門が花見に参加せず、御膳所にて留守を預かると申出れば、必ずや、己だけ花見を楽しむ訳にはゆくまいと、牟禮郷右衛門に倣い留守を申出るに違いないと、治済はそう読んだ為である。
果たして治済のその「読み」は当たり、これで小倉忠右衛門を花見から「排除」することに成功した。
かくして家基は西之丸若年寄の鳥居忠意とその実弟で平御側の大久保忠翰、意次の四女にして意知の実妹を娶っている奏者番の井伊直朗、それに意次の実妹を娶っている西之丸小納戸頭取の新見正則や田沼家の重臣、三浦庄司の娘を娶っている押田藤右衛門が実父、押田岑勝、その配下の小納戸、それも毒見担当にして、やはり田沼家や清水家と所縁のある御膳番小納戸の石谷次郎左衛門や三浦左膳、石場弾正や坪内五郎左衛門らを率いて花見を楽しむべく御殿山へと向かった。それが正午は30分を回った頃であった。
河豚毒が無害化し、トリカブトの毒との拮抗が崩れるまで、つまりはトリカブトの毒が現出するまで残り30分であった。
その昼餉だが、東海寺が御膳所に選ばれていた。
鷹狩りの場合、鷹場に近い寺が御膳所に選ばれるのが仕来りであり、ここ新井宿においては東海寺が最も近い。
さて、その東海寺において昼餉を摂る訳だが、本堂にて昼餉を摂ることが出来るのは家基を筆頭に、従六位布衣役以上の役人に限られ、無位無官の、例えば平の番士は境内にて茣蓙を敷いて昼餉を摂る。
一方、本堂にては従六位布衣役以上の諸役人が家基を囲んでいた。
その家基の御前には鷹狩りにおいて手柄を立てた日根野一學・左京父子の外に西之丸書院番は4番組に属する長谷川平蔵の姿まであった。
日根野一學・左京父子にしろ長谷川平蔵にしろ、無位無官の平の番士である為に本来ならば本堂への「昇殿」は許されぬ筈であった。
だが彼等は鷹狩りにて手柄を立てた為に格別に「昇殿」が許されたのだ。
鷹狩りという、謂わば戦場において手柄を立てれば、その者が仮令、無位無官の番士であったとしても、御膳所において将軍、或いは次期将軍への拝謁が許され、のみならず昼餉の相伴に預かることも出来た。
ところで日根野一學・左京父子は供弓として手柄を立てたのに対して、長谷川平蔵は一体、如何なる手柄を立てたのかと言うと、それは拍子木役としてであった。
今日の鷹狩りにおいて、勢子を指揮する拍子木役には長谷川平蔵が任じられ、結果、平蔵は見事なる采配を振るい、家基を大いに満足させたのであった。
家基がここでも日根野一學・左京父子とそれに長谷川平蔵、この3人の手柄、言うなれば武功を褒めそやしたところで、小笠原信喜は新見正則に目配せした。
小笠原信喜が西之丸御側御用取次ならば、新見正則は西之丸小納戸頭取であり、共に従五位下諸太夫役、それ故、当然にここ本堂への「昇殿」が許されていた。
さて、新見正則は小笠原信喜の目配せを受けて家基にここ東海寺とは目と鼻の先、直ぐ隣の御殿山において花見を勧めた。
「御殿山の櫻は今が丁度、見頃なれば…」
正則にそう勧められた家基は頷いてみせた。
御殿山は本日の鷹場である新井宿の道中にあり、家基も御殿山に櫻が咲いていたことは、それも今が見頃であることは承知していた。
家基は種姫のこともあり、花見に大いに心そそられた。
するとそうと察した平御側の大久保忠翰が、「是非ともそう為されませ…」と正則の提案を後押しした。
正則にしろ忠翰にしろ、信喜との事前の「打合わせ」による、もっと言えば信喜、否、一橋治済が書下ろした「脚本」に沿ったまでである。
さて、次いで口を開いたのは小納戸、それも毒見担当の御膳番の石谷次郎左衛門であり、相役の三浦左膳と共に花見の為の「御重」を拵えてきたことを打明けたのだ。
これは小笠原信喜が「オリジナル」の「脚本」であり、同じく御膳番小納戸の石場弾正と坪内五郎左衛門もそれに続いて、「御重」を拵えてきたことを打明けたのだ。
家基としては、こうまで迫られては花見に行くしかあるまい。
そこで家基が腰を上げると、小笠原信喜はその場に陪席していた西之丸若年寄の鳥居忠意と奏者番の井伊直朗、それに西之丸書院番頭の水谷勝久と大目付の伊藤忠勸にも花見への扈従を勧めた。
その殆どが、清水家、或意は田沼家所縁の者たちである。
鳥居忠意と水谷勝久は清水家とも田沼家とも所縁はないものの、しかし鳥居忠意は信喜が、それに佐野茂承もそうであるに違いない、目障りな大久保忠翰が実兄であり、一方、水谷勝久は一橋治済が目障りに思う家老の水谷勝富が縁者であった。
この2人も家基の花見に陪席させれば、しかもその花見のさ最中、家基が斃れたとあらば、小笠原信喜や佐野茂承、或いは一橋治済が夫々、目障りに思う大久保忠翰、水谷勝富、この両者に多大なるダメージを与えられるというものである。
殊に大久保忠翰の場合、花見の「言い出しっぺ」である以上、当然、家基の花見に付合う訳だから、兄・鳥居忠意と共に、水谷勝富以上に多大なダメージを与えられる。
ちなみに西之丸若年寄の鳥居忠意と、それに奏者番の井伊直朗は御側御用取次たる小笠原信喜よりも格上である為に、信喜はあくまで、花見への扈従を命じるのではなく、勧めるという、低姿勢を保った。
尤も、それは事実上の命令に過ぎず、何より鳥居忠意にしろ、井伊直朗にしろ元より家基の花見に付合うつもりであったので、信喜のその勧めに飛付いた。
すると家基は小笠原信喜と、それに佐野茂承、そして小姓組番頭の花房正域の3人を気遣うことを忘れなかった。
即ち、信喜と茂承、花房正域の3人も花見に誘ったのだ。
だが3人はそれを拝辞し、留守を預かることを申出たのであった。
その為、書院番頭の水谷勝久も「それなれば…」と自らも留守を買って出た。
西之丸小姓組番頭の花房正域が留守を預かる中、西之丸書院番頭たる己が家基と共に花見に興じては、正域に申訳ないと、勝久はそう感じたからだ。
西之丸の両番、小姓組番と書院番、両方の番は共に4組あった。
だが鷹狩りにはその全ての番に属する番士が扈従出来る訳ではない。
西之丸の全ての両番士が鷹狩りに扈従してしまっては西之丸の殿中警備を掌るべき両番士が「カラッポ」になってしまうからだ。
無論、西之丸には今、西之丸当番の奏者番の秋元永朝や大目付の松平忠郷が詰めてはいたものの、彼等は役方、文官である。
西之丸の警備はやはり、「本職」とも言うべき番方、武官である両番士に任せた方が良い。
そこで西之丸の盟主たる次期将軍の鷹狩りに扈従出来る両番士は4分の1、各番組につき4分の1の番士が扈従出来、残りの4分の3の両番士が交代で西之丸に詰め、殿中警備を担う。
両番の番頭とその直属の部下である組頭もそれに対応し、4分の1だけが扈従出来た。
つまり小姓組番、書院番、それぞれ1人の番頭と組頭が鷹狩りに扈従出来、やはり残り4分の3、3人の番頭と組頭で交代で殿中警備を担うことになる。
さて、そこで今日の鷹狩りだが、小姓組番よりは4番組の番頭、花房正域が扈従することになった為に、鷹狩りに扈従出来る小姓組番の與頭は必然的に正域配下、つまりは4番組の與頭ということになり、小倉忠右衛門正員であった。
一方、水谷勝久配下、書院番4番組の組頭は牟禮郷右衛門勝孟であった。
この花房正域・小倉忠右衛門、水谷勝久・牟禮郷右衛門の夫々、「コンビ」で今日の鷹狩りにおいて両番士を指揮した。
この内、花房正域と牟禮郷右衛門は一橋治済の息がかかっていた。
そこで花房正域が小笠原信喜や佐野茂承と共に留守を申出るや、牟禮郷右衛門も、
「すかさず…」
留守を申出たことから、小倉忠右衛門もそれに続いた。
書院番の組頭の牟禮郷右衛門が花見に参加せず、留守をすると申出た以上、小姓組番の與頭たる己がその牟禮郷右衛門を差置いて、花見に興ずる訳にはゆかないからだ。
実を言えば、牟禮郷右衛門もそれを―、小倉忠右衛門も留守を申出ることを期待して、留守を申出たのであった。
それと言うのも、小倉忠右衛門にも花見には参加して欲しくはなかったからだ。
小倉忠右衛門は嘗て、一橋家用人を勤めていた高林彌兵衛明慶が四男、内膳正顯を養嗣子に迎えていた。
それ故、色分けすれば一橋派ということになろうが、しかし治済の意に反して小倉忠右衛門が治済に靡くことはなかった。
治済は内膳正顯や、更には一橋家用人の杉山嘉兵衛を介して小倉忠右衛門を取込もうとした。
内膳正顯が実妹―、高林彌兵衛が末娘は一橋用人の杉山嘉兵衛が嫡子にして本丸小姓組番士を勤める杉山又四郎義制の許に嫁いでいたからだ。
そこで治済は内膳正顯は元より、杉山嘉兵衛をも「動員」して小倉忠右衛門を取込もうとしたのだが、結果は徒労に終わった。
小倉忠右衛門自身は実は京極家の血を引いていた。
小倉忠右衛門は秋霜烈日で知られた本丸書院番士、京極織部高庭が次男として生まれ、京極家と同じく両番家筋の小倉家、その当主の喜右衛門正孝が養嗣子として迎えられた。
忠右衛門は今は小倉家の跡目を継ぎ、その上、従六位布衣役である西之丸小姓組番の與頭へと昇進を遂げた訳だが、実父・京極織部譲りの秋霜烈日ぶりであり、治済からの「触手」にも決して靡くことはなかった。
かくして治済は小倉忠右衛門を取込むことを諦めたものの、しかし養嗣子の内膳正顯を介して一橋家と所縁があるのは事実であり、その小倉忠右衛門に花見に参加されては治済としては非常に困る。
花見にて家基を斃れさせようと画策した治済としては、その花見には一橋家所縁の者は一人として参加させたくはなかったからだ。
そこで治済は予め取込んでおいた書院番組頭の牟禮郷右衛門に「留守」を申出させたのであった。
秋霜烈日なる小倉忠右衛門のこと、牟禮郷右衛門が花見に参加せず、御膳所にて留守を預かると申出れば、必ずや、己だけ花見を楽しむ訳にはゆくまいと、牟禮郷右衛門に倣い留守を申出るに違いないと、治済はそう読んだ為である。
果たして治済のその「読み」は当たり、これで小倉忠右衛門を花見から「排除」することに成功した。
かくして家基は西之丸若年寄の鳥居忠意とその実弟で平御側の大久保忠翰、意次の四女にして意知の実妹を娶っている奏者番の井伊直朗、それに意次の実妹を娶っている西之丸小納戸頭取の新見正則や田沼家の重臣、三浦庄司の娘を娶っている押田藤右衛門が実父、押田岑勝、その配下の小納戸、それも毒見担当にして、やはり田沼家や清水家と所縁のある御膳番小納戸の石谷次郎左衛門や三浦左膳、石場弾正や坪内五郎左衛門らを率いて花見を楽しむべく御殿山へと向かった。それが正午は30分を回った頃であった。
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