天明奇聞 ~たとえば意知が死ななかったら~

ご隠居

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次期将軍・家基の死に疑いを抱く者の死 ~御医師子息・池原雲亮良明の一橋治済への「宣戦布告」~ 前篇

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 池原いけはら亮雲良明りょううんよしあきら御医師ごいし子息しそく―、官医かんいせがれなかでも一番いちばん俊才しゅんさいであった。

 それは将軍しょうぐん家治いえはるみとめるところであり、そこで家治いえはるはこの池原いけはら良明よしあきらたいして御三卿ごさんきょうへの往診おうしんみとめたのであった。

 と言っても、御三卿ごさんきょうからもとめがあれば、のはなしである。

 御三卿ごさんきょうから往診おうしん依頼いらいもないのに池原いけはら良明よしあきら御三卿ごさんきょう屋形やかたへとあしはこぶことはない。

 池原いけはら良明よしあきらはこれまで田安家たやすけ清水家しみずけには往診おうしんたのまれたことがあったが、一橋家ひとつばしけからはそれがなかった。

 田安家たやすけ毎月まいつき25日に池原いけはら良明よしあきら往診おうしんたのんでいたので、今月こんげつの3月もやはり25日に良明よしあきら往診おうしんため田安家たやすけへとあしはこんだ。

 池原いけはら良明よしあきら中奥なかおくねた大奥おおおくへとまねかれ、そこで女主おんなあるじ寶蓮院ほうれんいん登耶とやるのがつねであった。

 今日きょう、3月25日もそうであり、池原いけはら良明よしあきら寶蓮院ほうれんいん登耶とや、とりわけ登耶とや顔色かおいろすぐれぬことを看取かんしゅした。

御顔おかおいろがいつもよりもすぐれぬよう見受みうけられまするが、なに不安ふあんなことでも?」

 池原いけはら良明よしあきら登耶とやにズバリたずねた。

かるのかえ?」

 陪席ばいせきしていた寶蓮院ほうれんいんくちはさんだ。

「ははっ…」

 池原いけはら良明よしあきらたところ、登耶とやいたって健康体けんこうたい、にもかかわらず顔色かおいろえないのはそれは心因性しんいんせい、つまりはなに不安ふあんかかえているからにちがいなかった。

 池原いけはら良明よしあきらがそのてん指摘してきすると、寶蓮院ほうれんいんも「成程なるほど…」とおうじた。

差支さしつかえなくば、この良明よしあきら打明うちあけられては…」

 不安ふあん打明うちあけることですこしくはこころかるくなると、良明よしあきら登耶とやにそうすすめた。

 登耶とや池原いけはら良明よしあきらからのすすめをけ、寶蓮院ほうれんいんかおた。

池原いけはら良明よしあきら義弟ぎてい山村やまむら數馬かずま連絡れんらくがつかないことを打明うちあけてもいものか…」

 登耶とやはそううったえかけていた。

 寶蓮院ほうれんいんもそうと気付きづくと、寶蓮院ほうれんいんくちから良明よしあきらへと説明せつめいされた。

 すなわち、一橋ひとつばし治済はるさだけんせ、ただ登耶とや義弟ぎてい山村やまむら數馬かずま連絡れんらくれないことだけを打明うちあけた。

數馬かずま養父ちち勘定かんじょう奉行ぶぎょう山村殿やまむらどのによらば、數馬かずまやまいとのことでつとめを…、本丸小姓組番ほんまるこしょうぐみばんとしてのつとめをやすみ、そこで当家とうけより侍医じい高島朔庵たかしまさくあん山村殿やまむらどのもとへと差向さしむけ、數馬かずま容態ようだいたしかめさせたのだが…」

 高島朔庵久長たかしまさくあんひさなが診立みたてによれば、數馬かずまいたって健康体けんこうたいであり、それでも当人とうにん頭痛ずつうがするというので頭痛薬ずつうやく処方しょほうしたとのこと、寶蓮院ほうれんいん良明よしあきら説明せつめいした。

「それならなん問題もんだいがないようにおもわれまするが…」

 池原いけはら良明よしあきらくびかしげてみせた。

たしかに…、なれどれい書状てがみひとつもあってさそうだが、なれど數馬かずまからはいまだ、なん音沙汰おとさたがなく…」

成程なるほど…、それで御登耶おとや方様かたさま舎弟しゃていあんじておられる、と…」

 池原いけはら良明よしあきらたしかめるようたずねると、寶蓮院ほうれんいんも「左様さよう」とおうじた。

 池原いけはら良明よしあきらはそれからしばらかんがんだのち高島久長たかしまひさなが山村やまむら數馬かずまかおっているのか、そのてん寶蓮院ほうれんいんたしかめた。

 すると寶蓮院ほうれんいん即座そくざ池原いけはら良明よしあきらいまいの意味いみさとったらしく、顔色かおいろえた。

「そなた…、まさかに高島朔庵たかしまさくあんたのは山村やまむら數馬かずまではないともうすのか?」

如何いかにも…」

 高島久長たかしまひさなが山村やまむら數馬かずまかおらなければ、養父ちち山村やまむら良旺たかあきら數馬かずましょうする偽者にせものを「代役だいやく」にてたところで、気付きづかれずにみ、そのうえ數馬かずま健在けんざいであると登耶とやしんませることが出来できるというものである。

 池原いけはら良明よしあきらがそのてん指摘してきすると、登耶とや愈々いよいよ顔色かおいろわるくさせた。

 こうなったからには山村やまむら數馬かずまかお登耶とや自身じしん山村やまむら良旺たかあきら屋敷やしき押掛おしかけるしかないようおもわれた。

 だが池原いけはら良明よしあきらがそれをせいすると、寶蓮院ほうれんいんにある提案ていあんをした。

「この池原いけはら良明よしあきらにも山村やまむら數馬かずま殿どの名乗なのもの診察しんさつをさせてはいただけませぬか?」

「それはかまわぬが、なれどそなたとて數馬かずまかおるまいて…」

たしかに…、なれどあるさくが…」

 池原いけはら良明よしあきらおもわせぶりにそう切出きりだすと、「あるさく」について寶蓮院ほうれんいん登耶とや説明せつめいした。

 寶蓮院ほうれんいん登耶とや良明よしあきらのその「さく」を名案めいあんであるとみとめ、廣敷用人ひろしきようにん呼付よびつけた。

 池原いけはら良明よしあきら寶蓮院ほうれんいん登耶とやさいには廣敷用人ひろしきようにんさえもシャットアウト、追出おいだされる。

 今日きょう、3月25日もまた、竹本又八郎たけもとまたはちろう当番とうばんであり、又八郎またはちろう寶蓮院ほうれんいんめいじられて、山村やまむら良旺たかあきらもとへとあしはこぶと、本丸奥ほんまるおく医師いし池原良誠いけはらよしのぶそく良明よしあきらもまた、山村やまむら數馬かずま診察しんさつしたいとのことであり、これをゆるしてくれるようにとの、寶蓮院ほうれんいんからの伝言でんごん山村やまむら良旺たかあきらつたえた。

 山村やまむら良旺たかあきら寶蓮院ほうれんいん意図いとからず、竹本又八郎たけもとまたはちろう寶蓮院ほうれんいん真意しんいについてたずねたものの、竹本又八郎たけもとまたはちろうにもかるはずがなく、「さぁ…」とこたえるよりほかになかった。

左様さようか…、まぁい。ここで下手へた池原いけはらなにがしなる医者いしゃ往診おうしんこばめば、寶蓮院ほうれんいん登耶とやらにいたくもないはらさぐられるやもれぬでな…」

 それをおそれた山村やまむら良旺たかあきらはあっさりと池原いけはら良旺たかあきら往診おうしん受容うけいれることにした。

 つまりはまたしても三之助さんのすけ數馬かずまふんさせて、池原いけはら良明よしあきら診察しんさつけるということであり、このことはそのうち池原いけはら良明よしあきらへとつたえられた。

 かくして池原いけはら良明よしあきらはその翌日よくじつの26日に外櫻田そとさくらだ櫻田さくらだ門外もんそとにある山村やまむら良旺たかあきら屋敷やしきへと往診おうしんまいった。

 ただし、池原いけはら良明よしあきら一人ひとりではない。もう一人ひとり医師いし見習みならいしょうする平賀ひらが源内げんない帯同たいどうさせていた。

 無論むろん山村やまむら良旺たかあきらと、その実子じっしにして山村やまむら數馬かずまふんする三之助さんのすけには平賀ひらが源内げんないはあくまで医師いし見習みならいとおした。

 さて、池原いけはら良明よしあきら山村やまむら數馬かずまもとい三之助さんのすけ診察しんさつたるあいだ平賀ひらが源内げんない三之助さんのすけかおをじっくりと観察かんさつし、そのかお脳裏のうり焼付やきつけた。

 そして池原いけはら良明よしあきらもまた頭痛薬ずつうやく処方しょほうすると、平賀ひらが源内共々げんないともども山村家やまむらけ辞去じきょし、そのあし田安家たやすけ上屋敷かみやしきへとかうと、やはり大奥おおおくにて寶蓮院ほうれんいん登耶とや対面たいめんした。

「そなたが…、平賀ひらが源内殿げんないどのかえ?」

 寶蓮院ほうれんいんかいってすわ池原いけはら良明よしあきらとなりひかえる源内げんないにそうこえをかけた。

「ははっ…」

はなし池原殿いけはらどのよりうけたまわっておる…、なんでも似絵にせえ得意とくいだとか…」

左様さよう…」

 平賀ひらが源内げんない首肯しゅこうすると、あらかじ田安家たやすけ用意よういしておいてもらった画材がざい使つかい、いまがた池原いけはら良明よしあきら診察しんさつした患者かんじゃかおえがはじめた。

 すると寶蓮院ほうれんいんとなりすわっていた登耶とやいきんだ。そのかお山村やまむら數馬かずまではなく、三之助さんのすけであったからだ。
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