天明奇聞 ~たとえば意知が死ななかったら~

ご隠居

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次期将軍・家基の死に疑いを抱く者の死 ~最後の犠牲者、平賀源内~ 源内、一万両の「大博打」 前篇

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 平賀ひらが源内げんない池原いけはら良明よしあきらったのはそれから一週間いっしゅうかんった4月17日のことであった。

 4月10日をさかい源内げんない良明よしあきら連絡れんらくれなくなり、そのあんじていた。

 本来ほんらいならば良明よしあきら屋敷やしき出向でむいて、その無事ぶじたしかめたいところであったが、良明よしあきら生死せいしからぬうち源内げんないとしても迂闊うかつにはあしはこべなかった。

 一橋ひとつばし治済はるさだの「内偵ないてい」について良明よしあきらちち良誠よしのぶには打明うちあけておらず、源内げんないにもそのむね良明よしあきらからつたいており、

ちちには内聞ないぶんに…」

 だまっていてくれるよう口止くちどめされていたのだ。

 かる次第しだい源内げんないとしては良明よしあきら生死せいしについてちち良誠よしのぶたずねるわけにはまいらなかった。

 それでは源内げんない如何いかにして良明よしあきらったのかと言うと、それは田沼たぬま意知おきともからおしえてもらったからである。

 池原いけはら良明よしあきらちちにしていま本丸奥ほんまるおく医師いし重職じゅうしょくにある池原良誠いけはらよしのぶ意次おきつぐしたしいことは周知しゅうち事実じじつであり、

田沼たぬまさまなれば、良明よしあきら殿どのがこと、父上ちちうえ良誠殿よしのぶどのよりなにいておるやもれぬ…」

 源内げんないはそうかんがえ、良明よしあきら消息しょうそく不明ふめいになってから一週間後いっしゅうかんごの4月17日に神田橋かんだばし門内もんないにある田沼家たぬまけ上屋敷かみやしきへとあしはこんだのだ。

 今月こんげつ4月は老中ろうじゅうにおいては松平まつだいら康福やすよし月番つきばんであった。

 すなわち、月番つきばん老中ろうじゅうとして屋敷やしきおとずれる陳情ちんじょうきゃく相手あいてをしてやらなければならず、もととは言え、意知おきとも岳父がくふであるとの事情じじょう手伝てつだい、康福やすよし屋敷やしき陳情ちんじょうきゃくあふれていた。

 そして月番つきばんではない意次おきつぐ屋敷やしき神田橋かんだばし門内もんないにある田沼家たぬまけ上屋敷かみやしきもまた、康福やすよし屋敷やしき同様どうよういや、それ以上いじょうの「にぎわい」をせていた。

門前市もんぜんいちす…」

 誇張こちょうでもなければ比喩ひゆでもなく、実際じっさい門前もんぜん陳情ちんじょうきゃくあふかえっていた。これで意次おきつぐ下城げじょうするであろう昼八つ(午後2時頃)ぎともなれば、神田橋かんだばし御門ごもんにまで陳情ちんじょうきゃくれつ出来できる。

 いまはまだ、意次おきつぐ下城げじょうまえ帰邸きていまえということもあり、陳情ちんじょうきゃくもそれほどれつではなく、上屋敷かみやしき白塀際しろべいぎわにとぐろをいているだけであった。

 それでもこれだけの陳情ちんじょうきゃくれつしているのはほかでもない、意知おきとも目当めあてであった。

 源内げんないとしては意次おきつぐから池原いけはら良明よしあきらの「消息しょうそく」についておしえてもらうつもりであったが、そく意知おきともでもかまわず、ともあれ陳情ちんじょうきゃく一人ひとりとして行列ぎょうれつ最後尾さいこうびならんだ。

 源内げんない意知おきともえたのはひつじ下刻げこく、つまりひるの九つ半(午後1時頃)を四半しはんとき(約30分)もぎたころであった。

 この刻限こくげんではまだ意次おきつぐ帰邸きていおよんではおらず、そこで源内げんない意知おきともから良明よしあきらの「消息しょうそく」について聞出ききだすことにした。

 源内げんない意知おきともかいうなり早速さっそく池原いけはら良明よしあきらについてたずねた。

 無論むろん二人ふたりして家基暗殺いえもとあんさつ、それも毒殺どくさつ事件じけんについて探索たんさくしていたことにはれずに、である。

池原殿いけはらどのとは二人ふたり図鑑ずかん作成さくせいたっていたのですが…」

 あくまでその「名目めいもく」により、丁度ちょうど一週間前いっしゅうかんまえより消息しょうそく不明ふめいとなった良明よしあきらについて意知おきともたずねたのだ。

 すると意知おきとも源内げんないのそのいかけに表情ひょうじょうくもらせ、それを看取かんしゅした源内げんないはその時点じてん池原いけはら良明よしあきら生存せいぞん絶望ぜつぼうであることをさとった。

 たして源内げんない予期よきしたとおり、池原いけはら良明よしあきらは4月10日に急死きゅうししたことが意知おきともくちよりかたられた。

急死きゅうし…、それは病死びょうしで?」

 源内げんない念押ねんおしするよう意知おきともたずねた。

表向おもてむきは…」

表向おもてむきともうされますと…」

 源内げんないこえふるわせた。

「これからもうすことは他言無用たごんむよう…」

 意知おきともはそう前置まえおきしたのち池原いけはら良明よしあきらの「真相しんそう」についてかたした。

 意知おきともかたるところによれば、池原いけはら良明よしあきら向築地むこうつきじにある一橋家ひとつばしけ下屋敷しもやしきしのみ、書院しょいん手文庫てぶんこより金子きんす50両をかすり、げようとしたところで家臣かしんつかり手討てうちったというのである。

 源内げんない意知おきともよりそうかされるなり、おもわず「莫迦ばかなっ!」とてていた。

 それは意知おきともにしても同感どうかんであり、いま源内げんないの「唾棄だき」にうなずいた。

「なれど…、池原殿いけはらどのらしき御仁ごじん一橋家ひとつばしけ下屋敷しもやしきへとみずかあしはこばれる姿すがた多数たすう目撃もくげきされており、しかも池原殿いけはらどの懐中かいちゅうよりはそれな金子きんす50両がかかえられてあったとなれば、もうどうにも…」

「それは目附めつけ調しらべにて?」

無論むろんのこと…、池原殿いけはらどのは…、良明殿よしあきらどのこそいま幕臣ばくしん官医かんいではないものの、御父君ごふくん良誠殿よしのぶどのおく医師いしなれば…」

 一橋家ひとつばしけより目附めつけへと届出とどけでがなされたそうで、目附めつけ池原いけはら良明よしあきら屍体したいあらためると同時どうじに、良明よしあきらった一橋ひとつばし家臣かしんより事情じじょう聴取ちょうしゅ、その一橋ひとつばし家臣かしん供述きょうじゅつもとづき、一橋家ひとつばしけ下屋敷しもやしきへといた道中どうちゅう聞込ききこみもしたところ、池原いけはら良明よしあきららしきもの姿すがた目撃もくげきしたものてきたので、そこで一橋ひとつばし家臣かしん供述きょうじゅつが、すなわ池原いけはら良明よしあきら泥棒目的どろぼうもくてき一橋家ひとつばしけ下屋敷しもやしきへとしのんだのであろうとの供述きょうじゅつ裏付うらづけられたとのことであった。

 だが源内げんない意知おきともからそうかされても、やはり良明よしあきら泥棒目的どろぼうもくてき一橋家ひとつばしけ下屋敷しもやしきしのんだ、などとはしんじられなかった。

良明殿よしあきらどの天野あまのめのあとをつけて一橋家ひとつばしけ下屋敷しもやしきへと…、それもおそらくは門前もんぜんまでつけてたところで、一橋ひとつばし家臣かしん取囲とりかこまれ、そして…」

 屋敷やしきないへと連込つれこまれ、そこでられたに相違そういあるまいと、源内げんない確信かくしんした。

 だがそれを裏付うらづけるものはなにもなかった。

一橋ひとつばしさまこと穏便おんびんませたいと…」

 このまま「事件じけん」の「真相しんそう」があかるみになれば、将軍しょうぐん家治いえはる近侍きんじするちち池原良誠いけはらよしのぶのそのおく医師いしとしての立場たちばきずがつき、ひいてはかる盗人ぬすっとせがれようじんおく医師いし取立とりたてた将軍しょうぐん家治いえはる権威けんいにもきずがつきかねないと、

一橋様ひとつばしさま検屍けんしたられし目附めつけ斯様かようおおせられたそうで、病死びょうしとして処理しょりしたとのこと…」

 これはちち意次おきつぐよりかされたことと、意知おきとも付加つけくわえた。

「それで御父君ごふくん…、池原良誠様いけはらよしのぶさま納得なっとくされたので?」

 大事だいじせがれられたというに、病死びょうしとして処理しょりされることに異論いろんはなかったのかと、源内げんない意知おきともせまった。

良誠殿よしのぶどのむねうちまではこの意知おきともにもからぬ…、いやちちとしてはせがれ病死びょうしとして処理しょりされることには納得なっとく出来できぬところであろうが、なれど…」

 すべての状況じょうきょう良明よしあきら不利ふりである―、良明よしあきら泥棒目的どろぼうもくてき一橋家ひとつばしけ下屋敷しもやしきしのんだことを物語ものがたっている以上いじょう良誠よしのぶとしては断腸だんちょうおもいではあろうが、せがれ病死びょうしとして処理しょりせざるをなかったのであろうと、意知おきとも源内げんない打明うちあけたのであった。

 源内げんないとしては今直いますぐにでも、「それはちがうっ!」とこえげたいところであった。

一橋ひとつばし治済はるさだおのつみ―、家基公いえもとこう毒殺どくさつしたことを良明殿よしあきらどのあばかれるのをおそれるあまりに良明殿よしあきらどのにかけたのだ―、それも泥棒どろぼうつみかぶせて―」

 源内げんないいまにもそうさけびたいところであったが、しかしそれはおもとどまった。

 それと言うのも源内げんない意知おきともこそ信頼しんらい信用しんようしていたが、そのちち意次おきつぐのことはそこまで―、そく意知おきともほどには信頼しんらい信用しんようしていなかったからだ。

 成程なるほど意次おきつぐ源内げんないの「後援者こうえんしゃ」としてられており、それゆえ周囲しゅうい一般いっぱんには意次おきつぐ源内げんないとはしたしいとおもわれがちであった。

 無論むろん源内げんないとて意次おきつぐには感謝かんしゃしており、けっして敵対てきたいするものではなかったが、さりとて周囲しゅうい一般いっぱんおもように、

「ベタベタした…」

 そのよう関係かんけいではなく、あくまで「ビジネスライク」な付合つきあいであった。

 そこで源内げんないとしては意知おきともたいして、池原いけはら良明よしあきら真相しんそうについてこえげるのをひかえたのだ。

 意知おきともにそれを打明うちあければ、意知おきともかいしてちち意次おきつぐへとつたわるやもれず、そうなれば意次おきつぐはそれを「ネタ」にして一橋ひとつばし治済はるさだなんらかの「取引とりひき」をするやもれなかったからだ。

 それはこれから治済はるさだと「取引とりひき」をしようと、よう治済はるさだからかねしぼることを目論もくろんでいた源内げんないにはきわめて都合つごうわるいことであった。

 意次おきつぐ場合ばあい源内げんないとはことなり、治済はるさだからかねしぼろうなどとはかんがえないであろう。おそらくは高度こうど政治的せいじてきな「取引とりひき」にちがいない。

 ともあれ意次おきつぐ治済はるさだとのあいだかる「裏取引うらとりひき」が成立せいりつしたあとで、源内げんない治済はるさだったところで、治済はるさだ源内げんないなど相手あいてにしないであろう。

公儀ばくふにでもなんでも、きなところにうったえるがかろう…」

 治済はるさだ意次おきつぐとの「裏取引うらとりひき」が成立せいりつしたあとではそう言って源内げんないをあしらうにちがいなかった。

 仮令たとえ、それで源内げんない池原いけはら良明よしあきらの「真相しんそう」について書状しょじょうにでもしたためて目安箱めやすばことうじ、れて将軍しょうぐん家治いえはる上聴じょうちょうたっしたとして、家治いえはるおそらく、いや間違まちがいなく意次おきつぐにも意見いけんもとめるに相違そういなく、しかし治済はるさだとのあいだで「裏取引うらとりひき」をすで成立せいりつさせていた意次おきつぐとしては、

「この平賀ひらが源内げんないなるもの誇大こだい妄想もうそうがあり、気違きちがいにてられておりまする…」

 斯様かよう意見具申いけんぐしんおよぶにちがいなかった。

 これでは源内げんないとしては「万事休ばんじきゅうす」であり、そこで意次おきつぐさきされるまえ治済はるさだと「取引とりひき」をする必要ひつようがあった。

 源内げんないはとりあえず意知おきとももと辞去じきょすると、しかしぐには一橋家ひとつばしけ上屋敷かみやしきにはかわず、まずは愛宕下あたこのした廣小路ひろこうじにある池原家いけはらけ屋敷やしきへとあしけた。

 源内げんない池原家いけはらけ屋敷やしき所在地しょざいちについては良明よしあきら生前せいぜん良明よしあきら当人とうにんよりいていたので表札ひょうさつておらずともぐにかった。

 池原家いけはらけ屋敷やしき敷地しきち面積めんせき700坪以上つぼいじょうものひろさをほこり、小泉藩こいずみはん片桐家かたぎりけ上屋敷かみやしき知行ちぎょう4520石の大身たいしんいま寄合よりあい石河いしこ右膳貞義さだのり屋敷やしきかこまれるかたちそびえていた。

 源内げんない脇門わきもんたたいて小者こもの呼出よびだすと、身分みぶん名乗たのったうえ当主とうしゅ池原良誠いけはらよしのぶへの面会めんかい希望きぼうげた。

 するとその小者こものは「しばし、おちを」と源内げんないにそうげていそおくへとえた。

 それからしばらくしてから大門おおもんひらかれ、なかから一人ひとりおとこ姿すがたのぞかせた。

 そのおとこもまた良明よしあきらおなじく医師いし身形みなりをしており、年齢とし源内げんないからて2~30だいといったところであり、

良明殿よしあきらどのおとうとか…」

 源内げんないはそうたりをつけた。

 たしてそのおとこ源内げんない予期よきしたとおり、良明よしあきらおとうとであり、

手前てまえ池原雲洞子明いけはらうんとうたねあきらにて、雲亮良明うんりょうよしあきら愚弟ぐていにて…」

 源内げんないにそう自己じこ紹介しょうかいおよんだ。

 そこで源内げんない池原いけはら子明たねあきら自己じこ紹介しょうかいし、すると子明たねあきら源内げんないちち良誠よしのぶ座敷ざしきへと案内あんないした。子明たねあきらによると今日きょう良誠よしのぶ明番あけばん宿直とのいけでやすみであった。

 さて、源内げんない座敷ざしきにて池原良誠いけはらよしのぶかいうとあらためて良誠よしのぶにも自己じこ紹介しょうかいおよび、良誠よしのぶ源内げんない挨拶あいさつおよんだ。

 それから源内げんない一切いっさい社交しゃこう辞令じれいはぶいて早速さっそく本題ほんだいはいった。

 すなわち、良明よしあきらけっして泥棒目的どろぼうもくてき向築地むこうつきじにある一橋家ひとつばしけ下屋敷しもやしきしのんだわけではないこと、良明よしあきらとは一橋ひとつばし治済はるさだつみ―、次期じき将軍しょうぐん家基いえもといのちうばったことを探索たんさくしていた過程かていで、治済はるさだくちふさがれたにちがいないことを源内げんない良誠よしのぶ打明うちあけたのだ。

 すると良誠よしのぶまるくし、「到底とうていにわかにはしんじられぬはなしだが…」とらした。

 当然とうぜん反応はんのうと言えよう。

 源内げんない良誠よしのぶのこの反応はんのう理解りかいしめしたうえで、

「この源内げんない良明殿よしあきらどのとその探索たんさくたり、大納言だいなごんさま御命おいのちうばったであろうどく正体しょうたいをも突止つきとめましてござる」

 良誠よしのぶにそう打明うちあけたものだから、良誠よしのぶさらまるくさせた。

「されば遅効性ちこうせいどくにて…」

遅効性ちこうせいどく…、さればきのこにて?」

 良誠よしのぶはテングタケを想像そうぞうして源内げんないにそううた。

 源内げんない良誠よしのぶもまた本草学ほんぞうがくつうじているのだなと、感心かんしんさせられた。

「いえ、きのこではのうて人工的じんこうてきに…、されば附子ぶす、トリカブトのどく河豚フグどくとを同時どうじ摂取せっしゅさせ…」

「それで遅効性ちこうせい発揮はっきすると?」

左様さよう…、この源内げんない良明殿よしあきらどのともにそれを突止つきとめ、結果けっか良明殿よしあきらどの一橋ひとつばし民部卿様みんぶのきょうさまりをかけられ…」

 源内げんない良明よしあきら生前せいぜん行動こうどう探索たんさくについてちち良誠よしのぶたいして、

包隠つつみかくさず…」

 詳細しょうさい説明せつめいした。

 良誠よしのぶおもてばん医師いし天野あまの敬登たかなり峯岸瑞興みねぎしよしおきの2人も治済はるさだ陰謀いんぼう遅効性ちこうせいどく精製せいせい関与かんよしていたらしいとらされ、最早もはや卒倒寸前そっとうすんぜんである。

「さればこれからのことを相談申上そうだんもうしあたく本日ほんじつまかしました次第しだい…」

「これからのこと、と?」

左様さよう…、されば池原殿いけはらどのそく良明殿よしあきらどのについて…、つまりは一橋ひとつばし民部卿様みんぶのきょうさまつみについて、これを白日はくじつもとさらすおつもりであれば、この源内げんない所存しょぞん…」

 源内げんない家基毒殺いえもとどくさつさらには池原いけはら良明よしあきら泥棒どろぼう仕立したててくちふさいだこと、この2つの「ネタ」でって治済はるさだからかね強請ゆするつもりであった。

 だがそれも、良明よしあきらちち良誠よしのぶせがれ無念むねんらすつもりがない場合ばあいはなしであった。

 良誠よしのぶがあくまでせがれ良明よしあきら無念むねんらすつもりであれば、つまりは治済はるさだつみ告発こくはつ追及ついきゅうするつもりであれば、源内げんないとしては治済はるさだからかね強請ゆすることはあきらめ、良誠よしのぶすつもりであった。

 源内げんない良誠よしのぶ意思いし無視むししてまで、治済はるさだからかね強請ゆすろうとはおもっていなかった。源内げんないはそこまでくさってはいない。

 さて、池原良誠いけはらよしのぶこたえだが、

良明よしあきらのことはいまでもしんじておる…、けっして屋敷やしきしのみ、あまつさえかねぬすむなどと、斯様かよう真似マネはせぬものと…、なれどそれをくつがえすだけのかくたるあかしもないのも事実じじつにて…、御公儀ごこうぎにはすでに、おとうと…、この良誠よしのぶ次男じなん子明たねあきら良明よしあきらわりてとなることではなしがついており…」

 かる状況下じょうきょうかでは波風なみかぜてたくない、つまりは治済はるさだつみ追及ついきゅうせがれ良明よしあきら無念むねんらすつもりはない、ということであった。

 それが良誠よしのぶ意向いこうであれば、源内げんないとしてはそれを尊重そんちょうするつもりであった。すでにこのにはいないせがれのことよりも御家おいえ存続そんぞく優先ゆうせんするのは当然とうぜんだからだ。

 それがいまときめくおく医師いしともなれば尚更なおさらであろう。

左様さようでござるか…」

 源内げんないはそうこたえると、身体からだあつくなるのをかんじた。

 源内げんないとしてはこれで心置こころおきなく治済はるさだからかねしぼれるというものであり、その算段さんだんをするうち自然しぜん身体からだあつくなったのだ。
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