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明和8(1771)年6月 本丸大奥 ~将軍・家治の嘆息と御三卿・一橋治済の「スカウト」~
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大奥への足取りが重かった。出来れば大奥になど渡りたくはなかった。
が、将軍ともなると、そうもゆくまい。
徳川家治は征夷大将軍、それも10代将軍であり、そうであれば大奥に渡るのは義務であった。
否、家治とて大奥に渡ること自体は吝かではない。
例えば大奥には歴代将軍の位牌が祀られている御仏間があり、朝はそこで位牌に向かって拝むのが将軍の仕事、否、義務であった。
元より、家治は信心深く、位牌を拝むのは苦ではない。
それどころか四六時中、拝んでいたい程だ。
また大奥には、それもここ本丸の大奥には御台所の倫子と姫君の萬壽が暮らしていた。
倫子は家治の愛妻であり、萬壽は家治が愛妻の倫子との間に生したこれまた愛娘である。
大奥における倫子と萬壽との語らいも家治にとっては欠かせない「楽しみ」であり、やはり、
「四六時中…」
語らいたい程であった。
にもかかわらず、家治に大奥への足取りを重くさせていたのは偏に、将軍たる己に起因する。
即ち、将軍附の老女、御年寄の梅田の存在が家治の足取りを重くさせていたのだ。
梅田は己が世話親を務める中臈の秀を家治に抱かせるべく必死であった
つまりは秀を抱いてくれと、梅田が家治にせっつくのであった。
梅田がそこまで必死になるのは家治も分からぬではない。
梅田は将軍・家治附の老女としては四番手に位置していた。
筆頭は上臈年寄の松嶌、二番手は高岳であり、三番手はその高岳の「子飼い」の瀧川で、梅田はその瀧川の下に位置付けられていた。
梅田も松嶌同様、その身は上臈年寄、つまりは公家系の老女であった。
松嶌が公卿の櫻井兼供の娘ならば、梅田も同じく公卿、綾小路俊宗の娘である。
櫻井家も綾小路家も共に羽林の家格、しかも松嶌が父、櫻井兼供が正三位、それも非参議で終わったのに対して梅田が父、綾小路俊宗はと言うと正二位権大納言まで登り詰めたのだ。そうであれば、
「本来、老女の筆頭は己であろうに…」
それが梅田の思いに違いなく、事実、家治のこの「読み筋」は正しかった。
公卿の娘で占められる公家系の上臈年寄は本来、武家のそれで占められる御年寄の上に位置付けられる。
と言っても、それは格式上に過ぎず、実権は武家系の御年寄にあった。
とは言え、松嶌の場合、己が「世話親」を務めた品が家治の目に留まり、品は家治との間に貞次郎という若君を生した。
尤も、この時、家治には既に竹千代、今は家基という歴とした嫡子に恵まれており、貞次郎自身も夭逝してしまった。
が、それでも松嶌は品を家治に差出したことで、
「名実共…」
単に格式が高いだけではない、実権をも兼備えた老女の筆頭に躍り出た。
それは高岳にしても同様で、高岳もまた於千穂の方を家治に差出し、結果、於千穂の方は家治との間に家基という嫡子を生したことから、それまで「子飼い」の瀧川と共に梅田の下に位置付けられていたものが、瀧川共々、梅田の上に位置する様になったのだ。
これでは梅田もまた、松嶌や高岳同様、
「己が世話せし秀を上様に…」
そう考えてもおかしくはなかった。否、むしろそれが自然な感情と言えよう。
だが家治にしてみれば堪ったものではなかった。
そもそも大奥の老女の序列についてはあくまで大奥の専権事項、大奥が決め、将軍はそれを追認するに過ぎないのだ。
梅田が高岳や瀧川の下に位置付けられたのもやはり大奥が決めたことであり、家治が決めたことではなかった。
そして家治自身、家基という嫡子を、それも於千穂の方という側室との間にもうけたからには、最早、新たに外の女子を、中臈を抱く気にもなれなかった。
こうして家治は足取り重く、大奥へと出向いた。朝の総触を受ける為であった。
朝の総触とは御台所以下、御年寄や御客会釈、中年寄や中臈といった上級女中から挨拶を受ける行事のことであり、そこには勿論、梅田や秀の姿もあった。
また梅田から秀を抱いてくれと頼まれるのかと、家治は上御鈴廊下を歩きながらそう思った。
実際、その通りであり、今回は更にそこに愛妻の倫子と倫子附の老女、唯一の武家系の年寄である小枝がそれに加わった。
梅田が泣きついたからに外ならない。
ともあれ「愛妻家」の家治としては小枝に加えて、「愛妻」の倫子からも、
「何卒、秀にも、お情を…」
秀を抱いてやってくれと頼まれれば、これに応じぬ訳にはゆかなかった。
そこで家治は厭々ではあるが、一度だけ秀を抱くこととし、その夜、秀を抱いたのだが、それが失敗だと気付かされるのに、そう時間はかからなかった。
秀はこの「一度」で懐妊を決めてみせるとばかり、家治の腰を抜かせる程に激しく家治を責立てたのだ。
馬車馬とは正にこのことであり、家治は心底、秀という女子に嫌気が差し、
「もっ、もういい加減に止めよっ!」
途中で秀をそう叱り付け、遂に止めさせたのであった。
途中で止めるなど前代未聞であり、秀にとってはこの上ない屈辱であっただろうが、家治としては己の身の方が大事であり、とても秀を気遣う余裕はなかった。
これは普段は他者を思い遣ることの出来る家治にしては珍しいことであったが、しかし家治はそこまで秀に追詰められた訳で、これでは如何に家治と雖も秀を思い遣ることなど出来様筈もなく、そこまで家治を追詰めた秀の「自業自得」と言えた。
それでも秀にしてみれば内心、深く傷付き、それは秀の「世話親」の梅田にしても同様であった。
尤も、秀の場合は心が傷付いたのに対して梅田はと言うと、
「これで老女の筆頭になるというこの梅田が目算も狂うてしもうたわ…」
あくまで打算、皮算用に傷が付いたに過ぎない。
御三卿の一つ、一橋家の当主、治済が本丸大奥へと渡ったのはそんな時であった。
御三卿は将軍家、将軍の家族ということで、成人男子でも大奥に渡ることが許されており、治済もその一人であった。
そしてこの治済が大奥に渡った際、接遇に務めるのは梅田であった。
本来、御三卿が大奥に渡った際、これを接待するのは将軍附の御客会釈であった。
だが殊、一橋治済に限って言えば、上臈年寄の梅田が接待に努めた。
それは治済と梅田の所縁による。
即ち、梅田が叔母、実父・綾小路俊宗が実妹の梅は旗奉行を勤めた牧野越前守成熈に嫁ぎ、九男二女に恵まれ、その内の七男、内蔵助正熈は旗本、谷口新十郎正乗が養嗣子として迎えられた訳だが、この谷口新十郎が実姉は一橋宗尹が母堂の久であり、治済にとっては祖母に当たる。
また梅田が実妹は福井藩家老、本多内蔵助副紹の許へと嫁いでおり、福井藩と言えば治済が実兄の重富が越前守として藩主を勤めていた。
斯かる所縁により、治済が大奥に渡った際には梅田がその接待役を務めるのが慣わしとなり、梅田は大奥での日々の出来事について治済に「告口」するのがこれまた慣わしと化していた。
その日もそうであり、治済に秀の件を打明けるや、治済は大いに興味をそそられたらしく、秀に逢いたいと願った。
そこで梅田は秀を治済の許へと連れて来ると、治済はそこで秀を「スカウト」したのであった。
「この治済が天下獲りに協力してはくれぬか…」
治済は秀に、そして梅田にもそう囁いた。
秀が将軍・家治附の中臈から御台所・倫子附の中年寄への異動を願出たのはそれから数日後のことであった。
家治に身体を拒まれたのがショックであり、今は家治の顔を見るのも辛く、そこで御台所の倫子付の中年寄に異動したいと、それが秀の「転属理由」であった。
大奥サイドより秀の転属願いを聞かされた家治としても、それは大歓迎、望むところであった。
倫子附の中臈への横滑りではなく、中年寄への異動というのも家治の歓迎するべきところであった。
それは最早、家治には抱かれる気はない、との主張に外ならないからだ。
そこで家治は大奥サイドに秀の転属願いを聞届ける様、伝えたのであった。
転属願いと言えば今一つ、梅田も家治附の上臈年寄から倫子附の上臈年寄への異動、横滑りを願ったのだ。
「この梅田が世話親を務めし秀が御台様附の中年寄に遷るからには、秀が世話親たるこの梅田も御台様附の上臈年寄へと遷り度…」
梅田は秀の世話親としての「責任」から転属を願ったのだ。
家治にとってこの転属願いもまた、歓迎すべきものであった。
またぞろ梅田から別の中臈を勧められるのではないかと、家治は内心、それを恐れていたからだ。
だが御台所の倫子附の上臈年寄へと異動してくれれば、その恐れもなくなる。
否、御台所の倫子を介して勧めるという「ルート」は残されていたが、しかしそれなら―、この先も中臈を勧めるつもりであるならば、態々、御台所附の上臈年寄への異動、横滑りを願ったりはしないだろう。今のまま、将軍・家治附の上臈年寄に留まる方が遥かに勧め易いからだ。
それを御台所附の上臈年寄へと異動、横滑りを果たしたいと望んでいるとは、
「最早、上様に中臈を勧めるつもりはありませぬ…」
更に論を進めれば、
「この梅田が勧めし中臈を上様に抱かせることで、己の権勢を高め様などとは…、松嶌の上に立とうなどとは、最早、思いませぬ…」
大奥の頂点に立とうとする野望は捨去りましたと、そう言っているに等しく、家治としては大いに歓迎すべきものであった。
そこで家治は梅田のこの転属願いをも許したのであった。
かくして梅田は将軍・家治附の上臈年寄から御台所・倫子附の上臈年寄へと異動、横滑りを果たし、秀も同じく将軍・家治附の中臈から御台所・倫子附の中年寄へと異動を果たしたのであった。明和8(1771)年6月の初旬のことである。
が、将軍ともなると、そうもゆくまい。
徳川家治は征夷大将軍、それも10代将軍であり、そうであれば大奥に渡るのは義務であった。
否、家治とて大奥に渡ること自体は吝かではない。
例えば大奥には歴代将軍の位牌が祀られている御仏間があり、朝はそこで位牌に向かって拝むのが将軍の仕事、否、義務であった。
元より、家治は信心深く、位牌を拝むのは苦ではない。
それどころか四六時中、拝んでいたい程だ。
また大奥には、それもここ本丸の大奥には御台所の倫子と姫君の萬壽が暮らしていた。
倫子は家治の愛妻であり、萬壽は家治が愛妻の倫子との間に生したこれまた愛娘である。
大奥における倫子と萬壽との語らいも家治にとっては欠かせない「楽しみ」であり、やはり、
「四六時中…」
語らいたい程であった。
にもかかわらず、家治に大奥への足取りを重くさせていたのは偏に、将軍たる己に起因する。
即ち、将軍附の老女、御年寄の梅田の存在が家治の足取りを重くさせていたのだ。
梅田は己が世話親を務める中臈の秀を家治に抱かせるべく必死であった
つまりは秀を抱いてくれと、梅田が家治にせっつくのであった。
梅田がそこまで必死になるのは家治も分からぬではない。
梅田は将軍・家治附の老女としては四番手に位置していた。
筆頭は上臈年寄の松嶌、二番手は高岳であり、三番手はその高岳の「子飼い」の瀧川で、梅田はその瀧川の下に位置付けられていた。
梅田も松嶌同様、その身は上臈年寄、つまりは公家系の老女であった。
松嶌が公卿の櫻井兼供の娘ならば、梅田も同じく公卿、綾小路俊宗の娘である。
櫻井家も綾小路家も共に羽林の家格、しかも松嶌が父、櫻井兼供が正三位、それも非参議で終わったのに対して梅田が父、綾小路俊宗はと言うと正二位権大納言まで登り詰めたのだ。そうであれば、
「本来、老女の筆頭は己であろうに…」
それが梅田の思いに違いなく、事実、家治のこの「読み筋」は正しかった。
公卿の娘で占められる公家系の上臈年寄は本来、武家のそれで占められる御年寄の上に位置付けられる。
と言っても、それは格式上に過ぎず、実権は武家系の御年寄にあった。
とは言え、松嶌の場合、己が「世話親」を務めた品が家治の目に留まり、品は家治との間に貞次郎という若君を生した。
尤も、この時、家治には既に竹千代、今は家基という歴とした嫡子に恵まれており、貞次郎自身も夭逝してしまった。
が、それでも松嶌は品を家治に差出したことで、
「名実共…」
単に格式が高いだけではない、実権をも兼備えた老女の筆頭に躍り出た。
それは高岳にしても同様で、高岳もまた於千穂の方を家治に差出し、結果、於千穂の方は家治との間に家基という嫡子を生したことから、それまで「子飼い」の瀧川と共に梅田の下に位置付けられていたものが、瀧川共々、梅田の上に位置する様になったのだ。
これでは梅田もまた、松嶌や高岳同様、
「己が世話せし秀を上様に…」
そう考えてもおかしくはなかった。否、むしろそれが自然な感情と言えよう。
だが家治にしてみれば堪ったものではなかった。
そもそも大奥の老女の序列についてはあくまで大奥の専権事項、大奥が決め、将軍はそれを追認するに過ぎないのだ。
梅田が高岳や瀧川の下に位置付けられたのもやはり大奥が決めたことであり、家治が決めたことではなかった。
そして家治自身、家基という嫡子を、それも於千穂の方という側室との間にもうけたからには、最早、新たに外の女子を、中臈を抱く気にもなれなかった。
こうして家治は足取り重く、大奥へと出向いた。朝の総触を受ける為であった。
朝の総触とは御台所以下、御年寄や御客会釈、中年寄や中臈といった上級女中から挨拶を受ける行事のことであり、そこには勿論、梅田や秀の姿もあった。
また梅田から秀を抱いてくれと頼まれるのかと、家治は上御鈴廊下を歩きながらそう思った。
実際、その通りであり、今回は更にそこに愛妻の倫子と倫子附の老女、唯一の武家系の年寄である小枝がそれに加わった。
梅田が泣きついたからに外ならない。
ともあれ「愛妻家」の家治としては小枝に加えて、「愛妻」の倫子からも、
「何卒、秀にも、お情を…」
秀を抱いてやってくれと頼まれれば、これに応じぬ訳にはゆかなかった。
そこで家治は厭々ではあるが、一度だけ秀を抱くこととし、その夜、秀を抱いたのだが、それが失敗だと気付かされるのに、そう時間はかからなかった。
秀はこの「一度」で懐妊を決めてみせるとばかり、家治の腰を抜かせる程に激しく家治を責立てたのだ。
馬車馬とは正にこのことであり、家治は心底、秀という女子に嫌気が差し、
「もっ、もういい加減に止めよっ!」
途中で秀をそう叱り付け、遂に止めさせたのであった。
途中で止めるなど前代未聞であり、秀にとってはこの上ない屈辱であっただろうが、家治としては己の身の方が大事であり、とても秀を気遣う余裕はなかった。
これは普段は他者を思い遣ることの出来る家治にしては珍しいことであったが、しかし家治はそこまで秀に追詰められた訳で、これでは如何に家治と雖も秀を思い遣ることなど出来様筈もなく、そこまで家治を追詰めた秀の「自業自得」と言えた。
それでも秀にしてみれば内心、深く傷付き、それは秀の「世話親」の梅田にしても同様であった。
尤も、秀の場合は心が傷付いたのに対して梅田はと言うと、
「これで老女の筆頭になるというこの梅田が目算も狂うてしもうたわ…」
あくまで打算、皮算用に傷が付いたに過ぎない。
御三卿の一つ、一橋家の当主、治済が本丸大奥へと渡ったのはそんな時であった。
御三卿は将軍家、将軍の家族ということで、成人男子でも大奥に渡ることが許されており、治済もその一人であった。
そしてこの治済が大奥に渡った際、接遇に務めるのは梅田であった。
本来、御三卿が大奥に渡った際、これを接待するのは将軍附の御客会釈であった。
だが殊、一橋治済に限って言えば、上臈年寄の梅田が接待に努めた。
それは治済と梅田の所縁による。
即ち、梅田が叔母、実父・綾小路俊宗が実妹の梅は旗奉行を勤めた牧野越前守成熈に嫁ぎ、九男二女に恵まれ、その内の七男、内蔵助正熈は旗本、谷口新十郎正乗が養嗣子として迎えられた訳だが、この谷口新十郎が実姉は一橋宗尹が母堂の久であり、治済にとっては祖母に当たる。
また梅田が実妹は福井藩家老、本多内蔵助副紹の許へと嫁いでおり、福井藩と言えば治済が実兄の重富が越前守として藩主を勤めていた。
斯かる所縁により、治済が大奥に渡った際には梅田がその接待役を務めるのが慣わしとなり、梅田は大奥での日々の出来事について治済に「告口」するのがこれまた慣わしと化していた。
その日もそうであり、治済に秀の件を打明けるや、治済は大いに興味をそそられたらしく、秀に逢いたいと願った。
そこで梅田は秀を治済の許へと連れて来ると、治済はそこで秀を「スカウト」したのであった。
「この治済が天下獲りに協力してはくれぬか…」
治済は秀に、そして梅田にもそう囁いた。
秀が将軍・家治附の中臈から御台所・倫子附の中年寄への異動を願出たのはそれから数日後のことであった。
家治に身体を拒まれたのがショックであり、今は家治の顔を見るのも辛く、そこで御台所の倫子付の中年寄に異動したいと、それが秀の「転属理由」であった。
大奥サイドより秀の転属願いを聞かされた家治としても、それは大歓迎、望むところであった。
倫子附の中臈への横滑りではなく、中年寄への異動というのも家治の歓迎するべきところであった。
それは最早、家治には抱かれる気はない、との主張に外ならないからだ。
そこで家治は大奥サイドに秀の転属願いを聞届ける様、伝えたのであった。
転属願いと言えば今一つ、梅田も家治附の上臈年寄から倫子附の上臈年寄への異動、横滑りを願ったのだ。
「この梅田が世話親を務めし秀が御台様附の中年寄に遷るからには、秀が世話親たるこの梅田も御台様附の上臈年寄へと遷り度…」
梅田は秀の世話親としての「責任」から転属を願ったのだ。
家治にとってこの転属願いもまた、歓迎すべきものであった。
またぞろ梅田から別の中臈を勧められるのではないかと、家治は内心、それを恐れていたからだ。
だが御台所の倫子附の上臈年寄へと異動してくれれば、その恐れもなくなる。
否、御台所の倫子を介して勧めるという「ルート」は残されていたが、しかしそれなら―、この先も中臈を勧めるつもりであるならば、態々、御台所附の上臈年寄への異動、横滑りを願ったりはしないだろう。今のまま、将軍・家治附の上臈年寄に留まる方が遥かに勧め易いからだ。
それを御台所附の上臈年寄へと異動、横滑りを果たしたいと望んでいるとは、
「最早、上様に中臈を勧めるつもりはありませぬ…」
更に論を進めれば、
「この梅田が勧めし中臈を上様に抱かせることで、己の権勢を高め様などとは…、松嶌の上に立とうなどとは、最早、思いませぬ…」
大奥の頂点に立とうとする野望は捨去りましたと、そう言っているに等しく、家治としては大いに歓迎すべきものであった。
そこで家治は梅田のこの転属願いをも許したのであった。
かくして梅田は将軍・家治附の上臈年寄から御台所・倫子附の上臈年寄へと異動、横滑りを果たし、秀も同じく将軍・家治附の中臈から御台所・倫子附の中年寄へと異動を果たしたのであった。明和8(1771)年6月の初旬のことである。
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