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安永2(1773)年4月、秀の懐妊 ~御誕生御用掛に将軍・家治附の御客会釈の大崎が選ばれ、一橋家に派される~
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萬壽姫が歿するや、萬壽附の奥女中は唯一の上臈年寄の梅田や御年寄の小枝を筆頭に一旦、将軍・家治附へと「吸収」された。
御台所の倫子が歿した折にはその姫君―、娘の萬壽が存していたので、倫子附の奥女中は直ぐには家治附として「吸収」されることはなく、それどころか倫子の一回忌を迎えるまでは皆、萬壽に仕え、そして一回忌を過ぎてから、ある者は―、例えば上臈年寄の花薗と飛鳥井の2人は将軍・家治附の上臈年寄へと異動、横滑りを果たし、またある者は―、同じく上臈年寄の梅田と御年寄の小枝、それに秀を除いた中年寄は皆、引続き萬壽に仕え続けた。
だがその姫君の萬壽までも喪った今の本丸大奥にては奥女中が仕えるべき主君と言えば、それは将軍・家治を措いて外にはいなかった。
無論、西之丸に目を向ければ次期将軍の家基やその母堂、生母の於千穂の方が君臨しており、そこで萬壽附の奥女中には家基や、その母親の於千穂の方に仕えるという選択肢もあった。
しかしそれも今直ぐに、という訳にはゆくまい。
一回忌が過ぎるまでは本丸大奥から西之丸大奥への異動は控えるのが大奥の仕来りだからだ。死者に対する礼からである。
かくして萬壽に仕えていた奥女中は皆、萬壽が歿後には将軍・家治に仕える様になった。
尤も、中年寄として仕えていた者は、即ち、大崎と高橋は将軍・家治附の、一方、類津と山野は家基附の、夫々、御客会釈に配属された。
これは中年寄という役職は御台所や姫君といった謂わば「女附」だけのそれであり、将軍や次期将軍といった「男附」の奥女中の役職の中には中年寄というそれは存在しない。
その代わりという訳でもないが、御客会釈は「男附」、将軍や次期将軍に附属する奥女中だけの役職であり、且つ、中年寄に相当するのが、所謂、
「カウンターパート」
それがこの御客会釈であり、斯かる次第で萬壽に中年寄として仕えていた大崎たちは将軍・家治附の御客会釈に異動したのであった。
さて、萬壽姫の薨去、死から2ヵ月後の4月、秀が懐妊した。
そこで本丸大奥より「御誕生御用掛」が選ばれることになった。
将軍家―、将軍の家族たる御三卿に懐妊があったならば、本丸大奥より奥女中が「御誕生御用掛」としてその御三卿の屋敷へと派される。
若君に母乳を与える「御差」と、その後の養育を担う乳母である「乳持」の選定に当たらせる為である。
それ故、その「御誕生御用掛」を仰せ付けられる奥女中と言えば高級女中、具体的には一生奉公である御錠口以上の奥女中から選ばれるのが通例であった。
そして秀の場合、つまりは一橋家の嫡子の場合、将軍・家治附の御客会釈の大崎がこの「御誕生御用掛」に選ばれ、一橋家へと派された。4月16日のことであった。
大崎は一橋家に派されるや、老女―、一橋家老女の岡村や梅尾、藤嶋とも相談しながら「御差」と「乳持」の選定に当たった。
その結果、母乳を与える「御差」については本丸書院番士の谷口内蔵助正熈が妻女の克を充てることにした。
谷口と言えば、治済が祖母、久の実家であり、谷口内蔵助はその久の甥に当たる。
否、実際には谷口内蔵助は血の繋がりのない義理の甥に過ぎない。
谷口内蔵助は実際には牧野越前守成凞が七男ではあるものの、しかしその実母、つまり牧野成凞が妻女の梅は治済に既に取込まれていた上臈年寄の梅田が実の叔母に当たり、それ故、谷口内蔵助はその梅の実子ということで、梅田とは従姉弟の間柄であり、そうであれば血の繋がりがないとは申せ、治済にとって谷口内蔵助は最早、身内も同然にて、その妻女の克であれば、
「治済も、そして秀も安心して…」
我が子への授乳を任せられよう。
大崎たちは斯かる次第で克に「御差」を命ずることにした。
一方、養育担当の「乳持」であるが、これは一橋家若年寄の飯嶋に任せることにした。
飯嶋が「乳持」に選ばれた理由であるが、治済の要求による。
治済が飯嶋を「乳持」に望んだのは「個人的」な理由による。
即ち、飯嶋は治済がもう一人の愛妾である喜志が実の叔母であるのだ。
治済は飯嶋を抱くことこそしなかったものの、それでも才智に溢れ、若年寄として活躍していた。
そうであれば成程、「乳持」にはうってつけであろう。
かくして「乳持」には一橋家若年寄の飯嶋が選ばれたのであった。
その頃、本丸中奥にある将軍の秘密部屋とも称される御用之間においては部屋の主とも言うべき将軍・吉宗とその弟の清水重好が向かい合っていた。
事の起こりは―、御用之間において家治と重好が向かい合うに至ったのは家治附の中臈・美代にあった。
この美代もまた、以前は萬壽附の中臈であり、萬壽歿後には家治附の中臈へと異動、横滑りを果たしていたのだが、美代は萬壽の「死因」に疑惑を抱いていた。
何しろ萬壽は実母の倫子が歿するまでは健康そのものであり、それが倫子が歿した後、まるで倫子の後を追うかの如く、急に体調を悪化させたからだ。
それでも竹姫こと淨岸院に仕えていた山野が中年寄に、要は毒見役に加わってから萬壽の体調は快復したものの、それも束の間に過ぎず、萬壽は再び体調を悪化させ、終に歿してしまった。
萬壽が一時的に体調を快復させてから亡くなるまで凡そ2ヶ月余り、その間、山野が常に外の相役、同僚の中年寄と共に萬壽の食事の毒見を担ってきた。
これで仮に萬壽が病死ではなく、一服盛られたことによる死だとして、その場合、下手人の筆頭に挙げられるのは中年寄として常に毒見を担ってきた山野を措いて外にはいない。
そして仮にを重ねるならば、山野一人の「仕業」ではあるまい。
山野を萬壽毒殺へと駆立てさせた「黒幕」がいるに違いなく、それは一橋治済を措いて外には考えられなかった。
美代は勘の鋭い女子である。それも「政治勘」に優れており、直ぐに一橋治済の顔を思い浮かべたものである。
山野は清水家臣―、可愛い弟の重好に仕える家臣、大河原喜三郎良寛が実姉ということで、家治は盲目的に信じた様だが、しかし真実それだけか―、つまりは一橋治済との所縁はないのか、美代はそれを調べるべく、兄・人見甚四郎思義を頼った。
美代は実兄にして公儀儒者、人見七之助稱を宿元、身元保証人としていたが、もう一人の兄、人見七之助が実弟でもある甚四郎思義もまた、大河原喜三郎同様、清水家臣であるのだ。
しかも大河原喜三郎が小十人組頭であるのに対して、人見甚四郎はと言うと近習番、主君・重好との「距離」という点においては人見甚四郎の方が大河原喜三郎よりも、
「遥かに…」
主君・重好に近かった。
そこで美代は兄・人見甚四郎を介して清水重好に山野・大河原喜三郎姉弟の「身元調査」、それも、
「一橋治済との所縁について…」
それを重点的に調べてくれる様、依頼したのであった。
山野・大河原喜三郎姉弟に一橋治済の「影」がないのか、それを調べてくれる様にと、美代は兄・人見甚四郎に宛てて文を遣わし、すると甚四郎もこれを受けてその旨、主君・重好に進言したのであった。
重好は近習番の中でも学識ある人見甚四郎を寵愛しており、その甚四郎からの願出であらばと、その進言を受容れ、早速、山野・大河原喜三郎姉弟の、実際には家臣の大河原喜三郎の「身元調査」に乗出したのであった。
と言っても、「お坊ちゃん」の重好が自ら調べられる筈もなく、そこで家臣の名簿を管理する右筆を頼った。
清水家右筆の中でも黒川久左衛門盛宣が名簿を管理しており、そこで重好はこの黒川久左衛門に命じて大河原喜三郎の身元を徹底的に、それこそ、
「隈なく…」
調べさせた。
その結果、ある事実が判明した。
即ち、山野は嘗て、竹姫こと淨岸院に若年寄として仕えていた時分、共に淨岸院に、それも小姓として仕えていた岩なる女子を養女として育てた。
この岩なる女子は実際には鷹匠組頭の三橋藤十郎盛壽が次女であるのだが、岩は実際には共に淨岸院に仕える、それも上司に当たる山野に育てられ、成長後には養母・山野の口利きで本丸小姓組番士の橋本喜平太敬賢が後添いに迎えられ、喜平太との間に田なる長女をもうけたのだが、その田は何と、西之丸目附の岩本内膳正正利の養女に迎えられていたのだ。
岩本正利と言えば、一橋治済が側妾として望んだ―、そして今、治済の子を身篭った秀の実父であり、美代も大奥にいてはその程度のことは存じていた。
無論、山野がまだ淨岸院に仕えていた頃の話、つまりは萬壽附の中年寄に着任する前の話であり、だとするならば山野は岩本正利を介して一橋治済との繋がりが、「所縁」が出来たとも考えられる。
そして治済との「所縁」と言えば今一人、類津にしてもそうであった。
類津もまた清水家臣を縁者に持つ。即ち、川崎十兵衛正武である。
類津は小普請組頭の川崎平八郎正方が末娘であり、宿元―、身元保証人もこの父、川崎平八郎が務めているのだが、平八郎には川崎十兵衛正武なる実弟がおり、彼者が清水家臣であり、類津とはつまりは叔父と姪の間柄であった。
美代もやはりそのことは承知しており、そこで念の為、この類津についてもやはり、兄・人見甚四郎を介して清水重好に調査を依頼、重好もそれを受けて、これまたやはり黒川久左衛門に調査させたところ、もう何度目かの、
「やはり…」
であった。
類津までも治済との「所縁」が発見されたのである。
即ち、川崎平八郎には今一人、並河を稱する兵蔵正央なる実弟がおり、彼者は何と一橋家臣であるのだ。
それもただの家臣ではない。小姓として治済に仕えているのだ。
この並河兵蔵は清水家臣の川崎十兵衛にとってはもう一人の兄に当たり、類津にとってももう一人の叔父に当たる。
しかも更に問題なのが、この一橋家臣の並河兵蔵・清水家臣の川崎十兵衛兄弟の実姉こそが、誰あろう花川なのである。
花川と言えば、嘗ては御台所の倫子に中年寄として仕え、倫子の歿後にはその一回忌を迎えるまでは姫君の萬壽に中年寄として仕え続けたものの、倫子の一回忌を迎えるや、家基附の御客会釈への異動を希望、これが認められ、今、花川は西之丸大奥にて家基附の御客会釈として勤めている訳だが、御客会釈と言えば、将軍、或いは次期将軍が大奥にて食事を摂る際にその毒見役を務める。
その御客会釈に、それも家基附の御客会釈へと自ら希望するとは、どうにもキナ臭い。
とても花川一人の考えとは思われず、その背後に一橋治済の影が見え隠れする。
つまりは花川は治済に使嗾、嗾けられて家基附の御客会釈への異動を願出たに相違なく、その目的たるや、
「家基の暗殺…」
それも毒殺を企んでいるからと、そうとしか考えられなかった。
重好はその「調査結果」を直接、将軍、否、腹違いの兄・家治に伝えるべく本丸中奥へと登城すると、秘密部屋である御用之間にて家治と面会することを願ったのであった。
幸いにも一橋治済は今日は登城してはいなかった。
秀が懐妊したということで、各方面から祝いの使者が一橋家を訪れ、治済はそれへの対応に追われて登城どころではなかった。
一方、家治はいつもとは様子の異なる弟の重好の姿を目の当たりにして、重好の望み通り、御用之間にて向き合った。
こうして重好は家治と二人きりで向かい合ったところで、これまでの経緯について説明したのだ。
家治は当然、仰天すると同時に山野や、更には一橋治済への憤怒が沸上がった。
「されば大崎めも治済が息がかかっていたとしたならば…、治済が大崎を御誕生御用掛に願い奉りしも頷けまする…」
重好はそう漏らした。
大崎が「御誕生御用掛」に選ばれたのは今、重好が漏らした通り、治済の希望による。
だとしたら大崎も既に治済の息がかかっており、「御誕生御用掛」は萬壽毒殺の「御褒美」とも考えられなくもなかった。
否、大崎だけではない。相役の高橋や、更には御年寄の小枝までが治済の息がかかっている可能性が高まった。
何しろ山野は常に、高橋、大崎、或いは一橋家臣の縁者の類津と「ペア」で萬壽の食事の毒見を担い、そこには毒見の監視役としてやはり常に小枝が立会っていたからだ。
萬壽の死が毒殺だとしたならば、それも治済の陰謀によるものだとしたら、山野の外に小枝を囲い込む必要があり、外に「ペア」で毒見を担う大崎たちも囲い込む必要が欠かせない。
真実、そうまでして萬壽を毒殺したとしたら、治済という男、家治にしてみれば当然、許せぬ。
が、分からぬこともある。
それは動機であった。
だがそれも重好があっさりと解明かしてしまった。
「治済めは…、もしや上様…、いえ、兄上が御血筋を根絶やしにして、己に取って代わろうとしているのではござりますまいか?」
御台所の倫子が歿した折にはその姫君―、娘の萬壽が存していたので、倫子附の奥女中は直ぐには家治附として「吸収」されることはなく、それどころか倫子の一回忌を迎えるまでは皆、萬壽に仕え、そして一回忌を過ぎてから、ある者は―、例えば上臈年寄の花薗と飛鳥井の2人は将軍・家治附の上臈年寄へと異動、横滑りを果たし、またある者は―、同じく上臈年寄の梅田と御年寄の小枝、それに秀を除いた中年寄は皆、引続き萬壽に仕え続けた。
だがその姫君の萬壽までも喪った今の本丸大奥にては奥女中が仕えるべき主君と言えば、それは将軍・家治を措いて外にはいなかった。
無論、西之丸に目を向ければ次期将軍の家基やその母堂、生母の於千穂の方が君臨しており、そこで萬壽附の奥女中には家基や、その母親の於千穂の方に仕えるという選択肢もあった。
しかしそれも今直ぐに、という訳にはゆくまい。
一回忌が過ぎるまでは本丸大奥から西之丸大奥への異動は控えるのが大奥の仕来りだからだ。死者に対する礼からである。
かくして萬壽に仕えていた奥女中は皆、萬壽が歿後には将軍・家治に仕える様になった。
尤も、中年寄として仕えていた者は、即ち、大崎と高橋は将軍・家治附の、一方、類津と山野は家基附の、夫々、御客会釈に配属された。
これは中年寄という役職は御台所や姫君といった謂わば「女附」だけのそれであり、将軍や次期将軍といった「男附」の奥女中の役職の中には中年寄というそれは存在しない。
その代わりという訳でもないが、御客会釈は「男附」、将軍や次期将軍に附属する奥女中だけの役職であり、且つ、中年寄に相当するのが、所謂、
「カウンターパート」
それがこの御客会釈であり、斯かる次第で萬壽に中年寄として仕えていた大崎たちは将軍・家治附の御客会釈に異動したのであった。
さて、萬壽姫の薨去、死から2ヵ月後の4月、秀が懐妊した。
そこで本丸大奥より「御誕生御用掛」が選ばれることになった。
将軍家―、将軍の家族たる御三卿に懐妊があったならば、本丸大奥より奥女中が「御誕生御用掛」としてその御三卿の屋敷へと派される。
若君に母乳を与える「御差」と、その後の養育を担う乳母である「乳持」の選定に当たらせる為である。
それ故、その「御誕生御用掛」を仰せ付けられる奥女中と言えば高級女中、具体的には一生奉公である御錠口以上の奥女中から選ばれるのが通例であった。
そして秀の場合、つまりは一橋家の嫡子の場合、将軍・家治附の御客会釈の大崎がこの「御誕生御用掛」に選ばれ、一橋家へと派された。4月16日のことであった。
大崎は一橋家に派されるや、老女―、一橋家老女の岡村や梅尾、藤嶋とも相談しながら「御差」と「乳持」の選定に当たった。
その結果、母乳を与える「御差」については本丸書院番士の谷口内蔵助正熈が妻女の克を充てることにした。
谷口と言えば、治済が祖母、久の実家であり、谷口内蔵助はその久の甥に当たる。
否、実際には谷口内蔵助は血の繋がりのない義理の甥に過ぎない。
谷口内蔵助は実際には牧野越前守成凞が七男ではあるものの、しかしその実母、つまり牧野成凞が妻女の梅は治済に既に取込まれていた上臈年寄の梅田が実の叔母に当たり、それ故、谷口内蔵助はその梅の実子ということで、梅田とは従姉弟の間柄であり、そうであれば血の繋がりがないとは申せ、治済にとって谷口内蔵助は最早、身内も同然にて、その妻女の克であれば、
「治済も、そして秀も安心して…」
我が子への授乳を任せられよう。
大崎たちは斯かる次第で克に「御差」を命ずることにした。
一方、養育担当の「乳持」であるが、これは一橋家若年寄の飯嶋に任せることにした。
飯嶋が「乳持」に選ばれた理由であるが、治済の要求による。
治済が飯嶋を「乳持」に望んだのは「個人的」な理由による。
即ち、飯嶋は治済がもう一人の愛妾である喜志が実の叔母であるのだ。
治済は飯嶋を抱くことこそしなかったものの、それでも才智に溢れ、若年寄として活躍していた。
そうであれば成程、「乳持」にはうってつけであろう。
かくして「乳持」には一橋家若年寄の飯嶋が選ばれたのであった。
その頃、本丸中奥にある将軍の秘密部屋とも称される御用之間においては部屋の主とも言うべき将軍・吉宗とその弟の清水重好が向かい合っていた。
事の起こりは―、御用之間において家治と重好が向かい合うに至ったのは家治附の中臈・美代にあった。
この美代もまた、以前は萬壽附の中臈であり、萬壽歿後には家治附の中臈へと異動、横滑りを果たしていたのだが、美代は萬壽の「死因」に疑惑を抱いていた。
何しろ萬壽は実母の倫子が歿するまでは健康そのものであり、それが倫子が歿した後、まるで倫子の後を追うかの如く、急に体調を悪化させたからだ。
それでも竹姫こと淨岸院に仕えていた山野が中年寄に、要は毒見役に加わってから萬壽の体調は快復したものの、それも束の間に過ぎず、萬壽は再び体調を悪化させ、終に歿してしまった。
萬壽が一時的に体調を快復させてから亡くなるまで凡そ2ヶ月余り、その間、山野が常に外の相役、同僚の中年寄と共に萬壽の食事の毒見を担ってきた。
これで仮に萬壽が病死ではなく、一服盛られたことによる死だとして、その場合、下手人の筆頭に挙げられるのは中年寄として常に毒見を担ってきた山野を措いて外にはいない。
そして仮にを重ねるならば、山野一人の「仕業」ではあるまい。
山野を萬壽毒殺へと駆立てさせた「黒幕」がいるに違いなく、それは一橋治済を措いて外には考えられなかった。
美代は勘の鋭い女子である。それも「政治勘」に優れており、直ぐに一橋治済の顔を思い浮かべたものである。
山野は清水家臣―、可愛い弟の重好に仕える家臣、大河原喜三郎良寛が実姉ということで、家治は盲目的に信じた様だが、しかし真実それだけか―、つまりは一橋治済との所縁はないのか、美代はそれを調べるべく、兄・人見甚四郎思義を頼った。
美代は実兄にして公儀儒者、人見七之助稱を宿元、身元保証人としていたが、もう一人の兄、人見七之助が実弟でもある甚四郎思義もまた、大河原喜三郎同様、清水家臣であるのだ。
しかも大河原喜三郎が小十人組頭であるのに対して、人見甚四郎はと言うと近習番、主君・重好との「距離」という点においては人見甚四郎の方が大河原喜三郎よりも、
「遥かに…」
主君・重好に近かった。
そこで美代は兄・人見甚四郎を介して清水重好に山野・大河原喜三郎姉弟の「身元調査」、それも、
「一橋治済との所縁について…」
それを重点的に調べてくれる様、依頼したのであった。
山野・大河原喜三郎姉弟に一橋治済の「影」がないのか、それを調べてくれる様にと、美代は兄・人見甚四郎に宛てて文を遣わし、すると甚四郎もこれを受けてその旨、主君・重好に進言したのであった。
重好は近習番の中でも学識ある人見甚四郎を寵愛しており、その甚四郎からの願出であらばと、その進言を受容れ、早速、山野・大河原喜三郎姉弟の、実際には家臣の大河原喜三郎の「身元調査」に乗出したのであった。
と言っても、「お坊ちゃん」の重好が自ら調べられる筈もなく、そこで家臣の名簿を管理する右筆を頼った。
清水家右筆の中でも黒川久左衛門盛宣が名簿を管理しており、そこで重好はこの黒川久左衛門に命じて大河原喜三郎の身元を徹底的に、それこそ、
「隈なく…」
調べさせた。
その結果、ある事実が判明した。
即ち、山野は嘗て、竹姫こと淨岸院に若年寄として仕えていた時分、共に淨岸院に、それも小姓として仕えていた岩なる女子を養女として育てた。
この岩なる女子は実際には鷹匠組頭の三橋藤十郎盛壽が次女であるのだが、岩は実際には共に淨岸院に仕える、それも上司に当たる山野に育てられ、成長後には養母・山野の口利きで本丸小姓組番士の橋本喜平太敬賢が後添いに迎えられ、喜平太との間に田なる長女をもうけたのだが、その田は何と、西之丸目附の岩本内膳正正利の養女に迎えられていたのだ。
岩本正利と言えば、一橋治済が側妾として望んだ―、そして今、治済の子を身篭った秀の実父であり、美代も大奥にいてはその程度のことは存じていた。
無論、山野がまだ淨岸院に仕えていた頃の話、つまりは萬壽附の中年寄に着任する前の話であり、だとするならば山野は岩本正利を介して一橋治済との繋がりが、「所縁」が出来たとも考えられる。
そして治済との「所縁」と言えば今一人、類津にしてもそうであった。
類津もまた清水家臣を縁者に持つ。即ち、川崎十兵衛正武である。
類津は小普請組頭の川崎平八郎正方が末娘であり、宿元―、身元保証人もこの父、川崎平八郎が務めているのだが、平八郎には川崎十兵衛正武なる実弟がおり、彼者が清水家臣であり、類津とはつまりは叔父と姪の間柄であった。
美代もやはりそのことは承知しており、そこで念の為、この類津についてもやはり、兄・人見甚四郎を介して清水重好に調査を依頼、重好もそれを受けて、これまたやはり黒川久左衛門に調査させたところ、もう何度目かの、
「やはり…」
であった。
類津までも治済との「所縁」が発見されたのである。
即ち、川崎平八郎には今一人、並河を稱する兵蔵正央なる実弟がおり、彼者は何と一橋家臣であるのだ。
それもただの家臣ではない。小姓として治済に仕えているのだ。
この並河兵蔵は清水家臣の川崎十兵衛にとってはもう一人の兄に当たり、類津にとってももう一人の叔父に当たる。
しかも更に問題なのが、この一橋家臣の並河兵蔵・清水家臣の川崎十兵衛兄弟の実姉こそが、誰あろう花川なのである。
花川と言えば、嘗ては御台所の倫子に中年寄として仕え、倫子の歿後にはその一回忌を迎えるまでは姫君の萬壽に中年寄として仕え続けたものの、倫子の一回忌を迎えるや、家基附の御客会釈への異動を希望、これが認められ、今、花川は西之丸大奥にて家基附の御客会釈として勤めている訳だが、御客会釈と言えば、将軍、或いは次期将軍が大奥にて食事を摂る際にその毒見役を務める。
その御客会釈に、それも家基附の御客会釈へと自ら希望するとは、どうにもキナ臭い。
とても花川一人の考えとは思われず、その背後に一橋治済の影が見え隠れする。
つまりは花川は治済に使嗾、嗾けられて家基附の御客会釈への異動を願出たに相違なく、その目的たるや、
「家基の暗殺…」
それも毒殺を企んでいるからと、そうとしか考えられなかった。
重好はその「調査結果」を直接、将軍、否、腹違いの兄・家治に伝えるべく本丸中奥へと登城すると、秘密部屋である御用之間にて家治と面会することを願ったのであった。
幸いにも一橋治済は今日は登城してはいなかった。
秀が懐妊したということで、各方面から祝いの使者が一橋家を訪れ、治済はそれへの対応に追われて登城どころではなかった。
一方、家治はいつもとは様子の異なる弟の重好の姿を目の当たりにして、重好の望み通り、御用之間にて向き合った。
こうして重好は家治と二人きりで向かい合ったところで、これまでの経緯について説明したのだ。
家治は当然、仰天すると同時に山野や、更には一橋治済への憤怒が沸上がった。
「されば大崎めも治済が息がかかっていたとしたならば…、治済が大崎を御誕生御用掛に願い奉りしも頷けまする…」
重好はそう漏らした。
大崎が「御誕生御用掛」に選ばれたのは今、重好が漏らした通り、治済の希望による。
だとしたら大崎も既に治済の息がかかっており、「御誕生御用掛」は萬壽毒殺の「御褒美」とも考えられなくもなかった。
否、大崎だけではない。相役の高橋や、更には御年寄の小枝までが治済の息がかかっている可能性が高まった。
何しろ山野は常に、高橋、大崎、或いは一橋家臣の縁者の類津と「ペア」で萬壽の食事の毒見を担い、そこには毒見の監視役としてやはり常に小枝が立会っていたからだ。
萬壽の死が毒殺だとしたならば、それも治済の陰謀によるものだとしたら、山野の外に小枝を囲い込む必要があり、外に「ペア」で毒見を担う大崎たちも囲い込む必要が欠かせない。
真実、そうまでして萬壽を毒殺したとしたら、治済という男、家治にしてみれば当然、許せぬ。
が、分からぬこともある。
それは動機であった。
だがそれも重好があっさりと解明かしてしまった。
「治済めは…、もしや上様…、いえ、兄上が御血筋を根絶やしにして、己に取って代わろうとしているのではござりますまいか?」
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1853年、ロシア帝国はクリミア戦争で敗戦し、財政難に悩んでいた。友好国アメリカにアラスカ購入を打診するも、失敗に終わる。1867年、すでに大日本帝国へと生まれ変わっていた日本がアラスカを購入すると金鉱や油田が発見されて……。
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