天明奇聞 ~たとえば意知が死ななかったら~

ご隠居

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家基、毒殺の危機 ~将軍・家治は弟の清水重好の進言に従い、家基の警備体制を確かめるべく、西之丸へと赴くことに~

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治済はるさだめは…、おのがこの家治いえはるってわろうと…、将軍しょうぐんになるべく、この家治いえはる血筋ちすじ根絶ねだやしにすべく、そこで萬壽ますをかけたともうすか?」

 家治いえはるおそおそるといったていで、重好しげよしたしかめるようたずねた。

御意ぎょい…、いえ、姫君様ひめぎみさまだけではのうて、その…」

 重好しげよしが言いよどんでいると、家治いえはるわってこたえた。

御台みだいも…、倫子ともこ治済はるさだめがにかけられたともうすのだな?」

御意ぎょい…、されば、そのうち一人ひとり…、治済はるさだ使嗾しそうされ、実際じっさい御台所みだいどころさま一服いっぷくりし一人ひとりひでではないかと…」

成程なるほど…、ひで倫子ともこぜん毒見どくみにないし中年寄ちゅうどしよりであったからのう…」

「そしてその…、それが…、御台所みだいどころさま毒殺どくさつが、治済はるさだ身請みうけされる条件じょうけんではなかったかと…」

身請みうけ、とな?」

御意ぎょい…」

「そは…、さしずめ持参金じさんきんということか?倫子ともこ毒殺どくさつすれば、めかけにしてやると…、治済はるさだめはひで左様さよう持掛もちかけたともうすか?」

御意ぎょい…、ひでたしか…、ねやおり兄上あにうえ不興ふきょうわれたとのはなし…」

 家治いえはる以前いぜん重好しげよしにそのはなしをしたおぼえがあり、「ああ…」とおうじた。

「さればひで上様うえさま不興ふきょうってしまってはこのさき、ここ本丸ほんまる大奥おおおくにてはおのれ立場たちばはない…、斯様かようさとり、それよりは、と…」

治済はるさだめがめかけとしてきることをえらび、そのためには倫子ともこ毒殺どくさつせねばならなかったともうすのか?」

御意ぎょい…、いまがた兄上あにうえおおせになられました持参金じさんきんとして…」

ゆるせぬ…」

御意ぎょい…、なれどいま時点じてんではその…」

かくたるあかしはない、ともうすのであろう?」

御意ぎょい…」

「それはこの家治いえはるとてかっておる…、さればすべては推量すいりょういきぞ…、推量すいりょういきいま、この段階だんかいにては治済はるさだめをただすことは出来できぬと、左様さようもうすのであろう?」

御意ぎょい…」

「それはそのとおりであろうが…、なれどこのままこまねいているわけにも…」

御意ぎょい…、されば先手せんてつことが肝要かんようかと…」

先手せんてとな?」

御意ぎょい…、かりにこの重好しげよし筋通スジどおりだとして、つぎ治済はるさだめがねらうは大納言だいなごんさまではないかと…」

家基いえもとを…」

御意ぎょい…、無論むろん治済はるさだめは最終的さいしゅうてきには兄上あにうえ…、上様うえさまをもがいたてまつるつもりでありましょうが、そのまえにまず大納言だいなごんさまがいし…、それもやはりおそらくは一服いっぷくり、兄上あにうえ多大ただいなる打撃だげきを…、精神的せいしんてき追詰おいつめるはらもりではないかと…」

 重好しげよしのその「スジみ」に家治いえはるうなずかされると、

「スクっと…」

 立上たちあがっていた。西之丸にしのまるおもむためである。

 重好しげよしにもそれはさっせられたので、家治いえはるつづいて立上たちあがると、

西之御丸にしのおまるへとあしはこばれる所存しょぞんで?」

 家治いえはるたしかめるようたずね、家治いえはるうなずかせた。

「さればこの重好しげよしともつかまつりまする…」

 重好しげよしはそうこたえ、こうして家治いえはる重好しげよししたがえて用之間ようのまると、二人ふたりして西之丸にしのまるへと押掛おしかけることにした。いま家基いえもと警備けいび体制たいせいこと毒見どくみ体制たいせいしかとこの見届みとどけるためである。

 もっとも、実際じっさいには家治いえはる重好しげよしの2人だけで西之丸にしのまるへとあしはこわけにはまいらなかった。

 まず、それまで家治いえはる重好しげよし密談みつだんわしていた用之間ようのま出入口でいりぐち外廊下そとろうかにては小姓こしょうしゅう一人ひとり新見しんみ大炊頭おおいのかみ正徧まさゆきひかえていた。

 この新見しんみ正徧まさゆき用之間ようのまへと家治いえはる重好しげよし案内あんないしたからだ。

 重好しげよし家治いえはる用之間ようのまでの密談みつだんもとめたのは休息之間きゅうそくのま下段げだんにおいてであった。

 そのとき家治いえはる休息之間きゅうそくのま下段げだんにおいてそば用取次ようとりつぎやその見習みならい相手あいて政務せいむ最中さなかであった。

 家治いえはる重好しげよしねがい聞届ききとどけるや、小姓こしょう新見しんみ正徧まさゆき休息之間きゅうそくのま下段げだんへと呼寄よびよせ、この正徧まさゆき用之間ようのまへの案内あんないめいじたのであった。

 将軍しょうぐん秘密ひみつ部屋べやともしょうせられる用之間ようのまへは将軍しょうぐんほかには小姓頭取こしょうとうどりか、あるいは腹心ふくしん小姓こしょうしかあしれられず、それどころか近付ちかづくことすらゆるされず、それはここ中奥なかおく最高さいこう長官ちょうかんたるそば用取次ようとりつぎいえどもその例外れいがいではなかった。

 そば用取次ようとりつぎ本来ほんらい、ここ中奥なかおく最高さいこう長官ちょうかんとして中奥役人なかおくやくにん頂点トップ位置いちし、中奥役人なかおくやくにん一人ひとりである小姓頭取こしょうとうどり小姓こしょうをも支配しはいする立場たちばにある。

 だがそのそば用取次ようとりつぎさえも将軍しょうぐんゆるしがなくば、用之間ようのまへとあしはこぶことはゆるされてはいなかった。

 そこが小姓頭取こしょうとうどり小姓こしょうとの、それも腹心ふくしん小姓こしょうとのちがい、最大さいだいちがいと言えよう。

 小姓頭取こしょうとうどりや、あるいは腹心ふくしん小姓こしょう上司じょうしとも言うべきそば用取次ようとりつぎにはゆるされていない、用之間ようのまへの出入でいりが格別かくべつゆるされていたのだ。

 家治いえはるはそのなかでも、小姓頭取こしょうとうどり松平まつだいら圖書頭ずしょのかみ忠寄ただより小姓こしょう新見しんみ正徧まさゆき寵愛ちょうあいしており、今日きょう松平まつだいら忠寄ただより宿直とのいということで今時分いまじぶんはまだ出仕しゅっしおよんでおらず、そこで日勤にっきんであった新見しんみ正徧まさゆき呼寄よびよせて用之間ようのまへの案内あんないめいじた次第しだいであった。

 かる経緯いきさつから新見しんみ正徧まさゆき家治いえはる重好しげよし用之間ようのまにて密談みつだんわしている最中さなか殿しんがりよろしくその用之間ようのま出入口でいりぐち外廊下そとろうかにてひかえては立聞たちぎきせぬものがいないかどうか、それにひからせていたのだ。

 そして密談みつだんえた家治いえはる重好しげよし用之間ようのまからたので、新見しんみ正徧まさゆきはまずは平伏へいふくしてこれを出迎でむかえ、それからあたまげるや、

「おはなしわりましたので?」

 家治いえはるにそういかけた。

「うむ…、さればこれよりただちに重好しげよし二人ふたり西之丸にしのまるへとのぼる…」

 家治いえはるがそうこたえたことから、新見しんみ正徧まさゆきはまずは仰天ぎょうてんさせられ、いでぐに、

「さればこの新見しんみ正徧まさゆきめも…」

 とも申出もうしでたのであった。まさかに天下てんが将軍しょうぐんとそのおとうとにして三卿さんきょうの2人だけで警備けいびけずにそと出歩であるかせるわけにはまいらなかった。

 仮令たとえ、ここ本丸ほんまるから西之丸にしのまるまでのわずかな距離きょりいえども、まんいち、ということもありたからだ。

 そこで新見しんみ正徧まさゆきともを、ようは「SP」を申出もうしでたのであった。家治いえはる小姓こしょうとしてつかえるであれば当然とうぜん申出もうしでと言えよう。家治いえはるもこれをゆるした。ここで家治いえはる新見しんみ正徧まさゆき申出もうしで拒否きょひしたところで、正徧まさゆき家治いえはるさからってでもともを、西之丸にしのまるへとついてるにちがいなかったからだ。

 かくして家治いえはる重好しげよし新見しんみ正徧まさゆき案内あんないにより西之丸にしのまるへとあしはこぶことになったのだが、しかしそれではまなかった。

 ここ用之間ようのまから西之丸にしのまるへとおもむくにはまず、わたり廊下ろうかとおり、いで小座敷之間こざしきのま上段じょうだんから下段げだんにかけての入側いりがわつたって、さら休息之間きゅうそくのま上段じょうだんから下段げだんにかけての入側いりがわとおらねばならず、しかしその休息之間きゅうそくのま下段げだんには将軍しょうぐん家治いえはるの「かえり」を待受まちうけていたそば用取次ようとりつぎとその見習みならいひかえていた。

 家治いえはる重好しげよし新見しんみ正徧まさゆき案内あんないによりその休息之間きゅうそくのま下段げだんめんした入側いりがわ差掛さしかかるや当然とうぜん彼等かれらそば用取次ようとりつぎやその見習みならいまり、彼等かれらみな家治いえはる入側いりがわより下段げだんへとはいってくるものとばかりおもっていた。

 ところが実際じっさいには家治いえはる下段げだんにははいらずに、重好しげよし正徧まさゆきともさらにそのさき萩之御廊下はぎのおろうかへとすすもうとしたことから、彼等かれらそば用取次ようとりつぎとその見習みならいおどろき、あわてて休息之間きゅうそくのま下段げだんからると、家治いえはる重好しげよし先立さきだちをつとめる新見しんみ正徧まさゆきまえへとまわみ、

「あの、一体いったい、どこへ?」

 そば用取次ようとりつぎ一人ひとり稲葉いなば越中守えっちゅうのかみ正明まさあきら一座いちざを、用取次ようとりつぎ代表だいひょうしてたずねた。

 家治いえはるはそれゆえに、「西之丸にしのまるへとのぼる」と新見しんみ正徧まさゆき寄越よこしたのとおなこたえを寄越よこした。

 すると稲葉いなば正明まさあきら新見しんみ正徧まさゆきとはことなり、その理由わけたずねた。

 一橋ひとつばし治済はるさだ愛息あいそく家基いえもと暗殺あんさつ毒殺どくさつたくらんでいるやもれず、そこで家基いえもと近侍きんじするもの、とりわけ毒見どくみになものだれなのか、それをたしかめ、場合ばあいによっては、それもいささかでも一橋ひとつばし治済はるさだとの所縁ゆかりがあれば、ただちにそのもの毒見どくみやくからはずし、ほかの、それも治済はるさだとは一切いっさいいささかも所縁ゆかりのないもの交代こうたいさせる―、それが家治いえはる重好しげよしとも西之丸にしのまるへと登城とじょう押掛おしかける理由わけであったが、しかしいま、このにて、

一橋ひとつばし治済云々はるさだうんぬん…」

 そのくだりをくちにするわけにはゆかなかった。

 まだなん確証かくしょうもないからだ。

 そこで家治いえはるはただ、家基いえもと警備けいび体制たいせい見直みなおためだと、

たりさわりのない…」

 こたえを寄越よこしたのであった。

「されば態々わざわざおそおおくも上様うえさまおんみずか西之御丸にしのおまるへと、おはこびになられずとも、我等われらそばしゅう…、用取次ようとりつぎまかせを…」

 そのため用取次ようとりつぎであると、稲葉いなば正明まさあきらはそう反論はんろんした。

 成程なるほど平時へいじであらば家治いえはる用取次ようとりつぎ丸投まるなげしたであろう。

 だがいま非常時ひじょうじであった。そこでみずからのたしかめたいのだと、家治いえはる主張しゅちょうした。

おそれながら上様うえさまにおかせられましては…、いま大納言だいなごんさま側近そばちかくに近侍きんじせしものに…、その警衛けいえいなに不審ふしんてんでも?」

 そう切込きりこんできたのは小姓組番こしょうぐみばんがしら格奥かくおくつどめ―、そば用取次ようとりつぎ見習みならい横田よこた筑後守ちくごのかみ準松のりとしであった。

 如何いかにもそのとおりであり、そこで家治いえはる横田よこた準松のりとしのこのいかけにたいしては「左様さよう…」とこたえた。

 ここで「左様さよう…」とみとめないことには将軍しょうぐんたる家治いえはるみずから、西之丸にしのまるへとあしはこぶことに用取次ようとりつぎ納得なっとくさせられないからだ。

 すると横田よこた準松のりとし家治いえはるのそのこたえ、あるいは「覚悟かくご」をたりにすると、「ははぁっ」といてせ、そのうえで、

「されば…、場合ばあいによっては大納言だいなごんさま側近そばちかくに近侍きんじせしもの変更へんこうくわえあそばされることもありる、と?」

 家治いえはるにそうたしかめるようたずねた。

 横田よこた準松のりとしのこのいは、

毒見どくみやく交替こうたいさせることもありるのか…」

 家治いえはるには、そして重好しげよしにもだが、そう読替よみかえることが出来できまさしくそのとおりであったので、「左様さよう」と家治いえはる即答そくとうした。

「されば用取次ようとりつぎしたがわせましては…、いざ、実際じっさい大納言だいなごんさま側近そばちかくに近侍きんじせしもの変更へんこうを…、べつものへと交替こうたいさせますとならば、おそれながら上様うえさま一人ひとりでは…」

 家治いえはる一人ひとりちからでは家基いえもと側近そっきん一人ひとりえることすらむずかしいと、横田よこた準松のりとしはそう示唆しさしていた。

 これもまた如何いかにもそのとおりのはなしであり、そこには無論むろん毒見どくみやくふくまれており、これを交替こうたいさせるとなると、実務的じつむてき官僚かんりょう、それも未決みけつ人事じんじをもになそば用取次ようとりつぎちからかせなかった。

 それ以前いぜんに、いま家基いえもと警備けいび、それも毒見どくみやくになものたして一橋ひとつばし治済はるさだ所縁ゆかりのあるのかいなか、それをるにも用取次ようとりつぎちからかせない。

 家治いえはるだけで、いや、そこに重好しげよし新見しんみ正徧まさゆきをもしたがわせて西之丸にしのまるへと押掛おしかけても、いま家基いえもと毒見どくみやくくわしい経歴キャリアとくに「家族かぞく関係かんけい」についてることすらままならないかもれない。西之丸にしのまるそばしゅうからようにあしらわれる可能性かのうせいがありたからだ。

 そのてん本丸ほんまるそば用取次ようとりつぎさらにはその見習みならいまでもしたがわせて西之丸にしのまるへと押掛おしかければ、西之丸にしのまるそばしゅう家治いえはるの「本気度ほんきど」をり、おそおののき、そうなれば素直すなおしたがわせられるというものである。

 家治いえはるはそこまでかんがえて、横田よこた準松のりとし進言しんげんり、そば用取次ようとりつぎとその見習みならいをも西之丸にしのまるへとしたがわせることにした。
 
 その見習みならい横田よこた準松のりとし相役あいやくである松平まつだいら因幡守いなばのかみ康明やすあきらが「おそれながら…」とこえげると、

ひらそば津田つだ日向ひゅうがも…、日向守ひゅうがのかみ信之のぶゆきしたがたてまつらせましては如何いかがでござりましょう…」

 津田つだ信之のぶゆきにもともめいずることを提案ていあんしたのであった。

信之のぶゆきものう…」

御意ぎょい…、されば津田つだ日向守ひゅうがのかみ大納言だいなごんさまじつ叔父おじたりますれば…」

 家治いえはるじつはそれもかんがえないではなかった。

 津田つだ信之のぶゆき家基いえもと母堂ぼどう生母せいぼ於千穂おちほかた実弟じっていであり、それゆえ本丸ほんまるそばしゅう取立とりたてられたのだ。

津田つだ日向守ひゅうがのかみ大納言だいなごんさまじつ叔父おじなれば、大納言だいなごんさま身辺しんぺんのことともなれば…」

 人一倍ひといちばいになるところであろうと、松平まつだいら康明やすあきらはそう示唆しさした。

 家治いえはる康明やすあきらのこの示唆しさにはやはりうなずかされた。

 それに家治いえはる西之丸にしのまるへと登城とじょうしたならば大奥おおおくへもあしはこぶつもりでいた。

 それと言うのも将軍しょうぐんにしろ、次期じき将軍しょうぐんにしろ大奥おおおくにて食事しょくじることがあったからだ。

 普段ふだんは、それも朝餉あさげこそ中奥なかおくるものの、昼餉ひるげ夕餉ゆうげ大奥おおおくにてることがあった。

 そのさい大奥おおおくにて将軍しょうぐん次期じき将軍しょうぐん食事しょくじ毒見どくみつかさどるのは将軍しょうぐんづきあるいは次期じき将軍しょうぐんづき御客会釈おきゃくあしらいであった。

 家治いえはるとしてはそれゆえいま家基附いえもとづき御客会釈おきゃくあしらいだれであるのか、それをることも必要ひつようであり、そこで西之丸にしのまる大奥おおおくへとあしはこぶつもりであった。

 そのさい津田つだ信之のぶゆきがいれば家治いえはるとしても心強こころづよい。なんと言っても津田つだ信之のぶゆきいま西之丸にしのまる大奥おおおく君臨くんりんする於千穂おちほかた実弟じっていだからだ。

 家治いえはる重好しげよしや、この津田つだ信之のぶゆきをもしたがえて西之丸にしのまる大奥おおおくへと乗込のりこめば、西之丸にしのまる大奥おおおくもやはり、

家治いえはる本気度ほんきど…」

 覚悟かくごといったものをり、家治いえはる素直すなおしたがわせられるにちがいないからだ。

「さればさいわい、津田つだ日向守ひゅうがのかみ今日きょう宿直とのいではなく、日勤にっきんなれば…」

 松平まつだいら康明やすあきらはそう補足ほそくして、いま、この中奥なかおく津田つだ信之のぶゆきがいることを家治いえはるげた。

 そばしゅうなかでも筆頭ひっとうたる用取次ようとりつぎともなると宿直とのい免除めんじょされているのにたいしてひらそばはと言うと、宿直とのいがあり、日中にっちゅう今時分いまじぶん、まだ登城とじょうおよんでいないひらそばもいた。

 だが津田つだ信之のぶゆき今日きょう日勤にっきんということで、この中奥なかおくめていた。

 そこで家治いえはるはこの津田つだ信之のぶゆきをもしたがわせて西之丸にしのまるへとあしはこぶことにした。
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