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二人ただよし ~本丸若年寄の酒井忠休は一橋治済の命により、田沼意次に怨みを抱く本多忠可と共に、反・田沼連合の形成に動く~
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「されば…、本多忠可と手を取合い、帝鑑間において反・田沼の戦線を作るが良かろう…」
治済がそう口にした途端、別間の襖が開かれ、すると忠休も見覚えのある宍粟山﨑藩主の本多肥後守忠可が姿を見せたのであった。
治済は今日の酒井忠休との「会見」、もとい懐柔の場に本多忠可をも招いていたのだ。
一方、忠休は何故にこの場に本多忠可がいるのか分からぬらしく、怪訝な表情を浮かべた。
治済はそうと察するや、「無理もない…」と思いつつ、忠休に対して、忠可と田沼意次との「因縁」について解説した。
それは実際には「逆怨み」と言うべきものであり、忠可が実の叔父である兵庫頭忠由は嘗ては相良藩の世嗣であり、その養父・本多長門守忠央は歴とした相良藩主にして、寺社奉行、そして西之丸若年寄まで勤めていたにもかかわらず、当時は御側御用取次であった意次が審理を主導した郡上騒動により改易の憂目に遭い、しかも今、相良の地には意次が入封し、あまつさえ城まで築いている始末であった。
本多忠央・忠由養親子が意次を逆怨みしているのは元より、忠由の実の甥に当たる忠可にまでその「逆怨み」が感染していた。
治済のその解説により忠休も合点がいった。
「さればその…、本多殿も…」
家基暗殺計画の一味であるのかと、忠休は治済に暗にそう尋ねると、治済も「その通り」だと言わんばかりに頷いた。
「成程…、それで本多殿とこの忠休とで帝鑑間を…」
反・田沼で取り纏めれば良いのだなと、忠休は治済に確かめる様に尋ねると、治済は頷いた。
「いや…、忠可は今日にも国許へと帰国の途に着かねばならぬ故、忠休と忠可とが…、どちらも、ただよし、だがのう…、二人が手を携えるとしても、それは江戸留守居を介してのことと相成ろうが…」
夫々の江戸留守居を介して、協力して「反・田沼」で帝鑑間を取り纏めて貰いたいと、治済は忠休と忠可、さしずめ「二人ただよし」にそう示唆した。
すると忠休と忠可は同時に「ははぁっ」と応じた。
「うむ…、さればまずはそなたらが足許を堅めるが良かろう…」
「足許、でござりまするか?」
忠休の方がそう聞返したので、治済は「左様…」と応ずるや、
「されば酒井家と本多家は共に、帝鑑間詰が多い故にな…」
酒井家、並びに本多家を「反・田沼」で取り纏めることから始めて欲しいのだと、忠休にそう説明し、「成程…」と忠休を頷かせた。
「いや、忠可には既に、その線で動いて貰うておる故にな、されば忠休よ、そなたは意次めを目障りに思うてくれているらしい、酒井左衛門尉家、その当主の忠徳を皮切りに、酒井家を…」
「反・田沼で取り纏めれば宜しいのでござりまするな?」
忠休が先回りして応えたので、治済も満足気に「左様…」と応えた。
「いや、酒井家には雁間詰もおろうが、兎も角、酒井家全体が反・田沼で纏まれば、この治済としても非常に心強い…」
「ははっ、畏まりましてござりまする…」
忠休は確と承知するや、翌日より早速にも動き出した。即ち、月次御礼に当たる7月朔日のこの日、酒井左衛門尉家を訪ねたのであった。
酒井左衛門尉家の当主、忠徳は既に参府に及び、それも田安賢丸定信の養父となる松平越中守定邦と同じく先月の6月25日に将軍・家治に参観の挨拶を済ませていた。
その為、酒井忠徳は今日の月次御礼には参加することが出来、それも参府後、初めての正式なる月次御礼ということで、まだ帰宅していなかった。
外の帝鑑間詰の諸侯と旧交を温めたりして、帰宅するのが延びていたのだ。
それ故、この江戸は神田橋御門内にある酒井左衛門尉家の上屋敷には忠徳の姿はまだなく、代わりに江戸留守居の姿があった。
即ち、石原亘理、石原勘右衛門、そして山本源兵衛の3人がそうであり、この3人は平日は毎日、平日登城が許されていない主・忠徳に成代わり、交代で登城し、情報収集に努めていた。
それは主・忠徳が、在府中、帰国中の別なく、であり、忠徳が帰国中の今も江戸留守居の3人は毎日、交代で登城しており、しかし今日は恒例の月次御礼、平日登城が許されていない主君・忠徳も、
「将軍・家治との主従の絆を再確認すべく…」
登城が許されていたので、その場合、江戸留守居は登城に及ぶ必要はなく、この石原亘理をはじめとする3人の江戸留守居は今日は正しく「お留守番」であった。
「御若年寄様が自らの御運び、畏れ入りまする…」
奥座敷へと通された忠休はまずは石原亘理よりそう鄭重なる挨拶を受け、その真横に控えていた石原勘右衛門と山本源兵衛の2人も亘理の口上の直後、忠休に平伏して見せた。
「いや、ここは御城に非ずして、酒井左衛門尉様が御邸なれば、左様に畏まるには及ばず…、何しろ、この忠休、元を正せば酒井左衛門尉様が家臣の生まれなれば、そなたらとは同じ立場…」
如何にも忠休は酒井左衛門尉家臣の酒井圖書直隆が倅であり、これで出羽松山酒井家に養嗣子として迎え入れられていなかったならば、今頃はこの3人の江戸留守居に傅いていたやも知れぬ。
その為、忠休は3人の江戸留守居に畏まらずとも良いと、つまりは楽にするよう勧めたのであった。
いやいやと、3人の江戸留守居が口を揃えて忠休のその「心遣い」を拝辞したその直後、
「全くその通りだぜ…」
不意に不躾な声が忠休の耳を襲った。
その不躾な声は廊下から聞こえた。
即ち、ここ奥座敷の下座に居並ぶ3人の江戸留守居の背後に、
「いつの間に…」
立っていた男から発せられたものであり、3人の江戸留守居は同時に不躾な声のした背後へと振向いた。
「あっ、これは忠順様…」
石原亘理が不躾な声の主の諱を口にしたことから、忠休もそれが酒井忠徳が舎弟の大炊忠順であると察した。
忠休がここ酒井左衛門尉家に仕える酒井圖書直隆の一介の小倅より、出羽松山酒井家の養嗣子へと、
「華麗なる転身…」
それを果たしたのは享保17(1732)年のことであり、酒井大炊忠順が生まれたのはそれから21年後の宝暦3(1753)年のことであった。
つまり忠休が酒井左衛門尉家の上屋敷より、それも家臣の一家が住まう組屋敷より出羽松山酒井家の上屋敷へと引き移ってから21年後、酒井大炊忠順が酒井左衛門尉家の上屋敷にて産声を上げた次第である。
それ故、忠休は酒井大炊忠順の顔を知らず、これが初対面であった。
否、酒井大炊は大名家の次男、大名家においては次男、三男までは将軍に拝謁出来るので、
「若しかしたら…」
大炊忠順も将軍に拝謁すべく一度ぐらいは御城へと登城したことがあるやも知れず、その際、忠休はこの大炊忠順と擦違ったことがあるやも知れぬ。
が、仮にそうだとしても忠休にはその記憶はなく、してみるとこれが事実上の初対面と言えた。
「忠順様、何卒、御控あれ…」
大炊忠順をそう諫めたのは後から姿を見せた附人の志賀惣右衛門であった。
志賀惣右衛門は大炊忠順の附人として、大炊の後を追って、ここまで駆けてきたのであった。
だが酒井大炊は一向に控える様子がなかった。
それどころか忠休を見下しさえした。
「なに、ここに仕えていた家臣の倅だろ?」
大炊忠順はそう嘯いて憚らなかった。
酒井忠休当人を前にして、である。
大炊忠順のその無礼、非礼極まりない態度に忠休は内心、腸が煮え繰返ったものの、それを表情に出すことはしなかった。
それと言うのも、忠休としては大炊忠順が実兄に当たる酒井忠徳にはこれから、この江戸に着いてからだが、
「帝鑑間を反・田沼で取り纏めて貰う…」
それを頼まねばならず、そうである以上、忠徳が実弟の大炊忠順から無礼、非礼な態度を取られたからと言って、それに一々、腹を立てる訳にはゆかなかった。
無論、抗議の声を上げるなど論外である。
それに大炊忠順という男、
「利用価値があるやも知れぬ…」
忠休はそう考えた。
実際、酒井忠徳と同じく帝鑑間詰の諸侯を「反・田沼」で取り纏めるべく、忠徳にその「反・田沼」の旗を振って貰うとしても、実際に旗振り役を務めるのはまずは江戸留守居クラスであった。
今、忠休の目の前に控える3人の江戸留守居―、忠徳に仕える3人の江戸留守居が外の、帝鑑間詰の諸侯に仕える江戸留守居と「連絡」を取り、江戸留守居同士で誼を通じ、それから次の「段階」へと進む。
つまりは、「反・田沼」で組もうと、そういう流れになり、ここで漸くに、大名同士の「御対面」となる。
即ち、忠徳が外の帝鑑間詰の諸侯と直に会い、そこで「反・田沼」で組もうではないかと、切出して貰うことになる。
その際、忠徳が舎弟、実弟である大炊忠順をも随伴させていたならば、帝鑑間詰の諸侯としては、
「それだけこの俺を重んじてくれているのか…」
そう思うに違いない。
帝鑑間詰の諸侯は「古来御譜代」とも称せられているだけあり、何よりも「面子」を重んじる。
だが裏を返せば、「面子」さえ慰撫してやれば、極めて御し易い相手とも言えた。
それ故、仮に酒井忠徳が当人のみならず、その実弟である大炊忠順まで伴い、帝鑑間詰の諸侯を訪ね、
「反・田沼で組もうではあるまいか…」
帝鑑間詰の諸侯にそう持掛ければ、帝鑑間詰の諸侯も忠徳のその「慰撫」に大いに感じ入り、結果、「反・田沼」の「一味」として取込めることが期待出来た。
それは今、目の前にいる酒井大炊忠順とて、その例外ではあるまい。
忠休はそう悟るや、
「如何にも忠順様が仰せの如く、この忠休、元を正さば、この酒井左衛門尉家に仕えし身、家臣の子なれば、酒井左衛門尉家は今でもこの忠休にとりましては主筋にて…」
大炊忠順にそう返すや、上座より脇へと退き、
「ささっ、こちらへ…」
大炊忠順に今まで己が座っていた上座を勧めたのであった。
忠休のこの対応には流石に大炊忠順も面喰った様子を覗かせた。
それでも大炊忠順は忠休の言葉を真に受け、
「ズカズカ…」
上座へと進んだ。
無論、附人の志賀惣右衛門などは、大炊忠順を制したものである。
だが大炊忠順はそれを無視して上座へと進み、そして腰を下ろしたのであった。
忠休は内心、「この莫迦めが…」と大炊忠順を罵ったものの、しかし表向きはあくまで、大炊忠順を持上げることに終止した。
それ故、大炊忠順とは正反対に、世間というものを良く知る3人の江戸留守居や、それに附人の志賀惣右衛門などは申訳なさから汗顔の体であった。
さて、忠休は大炊忠順を上座へと座らせ、
「一通り…」
持上げてみせると、愈愈、本題に入った。
即ち、「反・田沼」の件を切出したのであった。
するとこれには酒井大炊忠順は元より、3人の江戸留守居や附人の志賀惣右衛門も大いに反応した。
田沼家上屋敷が目の前に聳えていることに、それも田沼家とは正反対に、
「由緒正しき…」
血筋を持つ酒井左衛門尉家よりも大手御門、つまりは千代田の御城の近くに上屋敷を構えていることに、酒井左衛門尉家の一族郎党、許し難いものがあり、そこを忠休に上手く衝かれた。
忠休が話を終えるや、
「成程…、兄貴だけじゃなく、この俺も加われば、反・田沼連合を形成するのに役立つ、ってことだな?」
大炊忠順がそう纏めた。どうやら丸っきりの莫迦という訳ではないようで、忠休は安堵した。
これで大炊忠順が真性の莫迦であれば、如何に忠徳による「反・田沼」の説得に資するとは申せ、とても伴わせられない。
しかし実際には大炊忠順には人並みの知性は備えていた様なので、忠休も安堵した次第である。
「して…、如何でござろう。忠順様…」
反・田沼連合の形成に力を貸してくれるかと、忠休は大炊忠順にそう迫った。
すると大炊忠順は「いいぜ」と即答した上で、
「何なら、兄貴にも今の話を俺から伝えておくぜ…」
兄・忠徳が帰宅したならば「反・田沼」の形成に協力するよう説得してやるとも請合ってくれたのであった。
大炊忠順からのその申出は忠休にしてみれば、
「願ってもない…」
正に渡りに船で、それ故、忠休は「ははぁっ」と大炊忠順に平伏することで謝意を示した。
治済がそう口にした途端、別間の襖が開かれ、すると忠休も見覚えのある宍粟山﨑藩主の本多肥後守忠可が姿を見せたのであった。
治済は今日の酒井忠休との「会見」、もとい懐柔の場に本多忠可をも招いていたのだ。
一方、忠休は何故にこの場に本多忠可がいるのか分からぬらしく、怪訝な表情を浮かべた。
治済はそうと察するや、「無理もない…」と思いつつ、忠休に対して、忠可と田沼意次との「因縁」について解説した。
それは実際には「逆怨み」と言うべきものであり、忠可が実の叔父である兵庫頭忠由は嘗ては相良藩の世嗣であり、その養父・本多長門守忠央は歴とした相良藩主にして、寺社奉行、そして西之丸若年寄まで勤めていたにもかかわらず、当時は御側御用取次であった意次が審理を主導した郡上騒動により改易の憂目に遭い、しかも今、相良の地には意次が入封し、あまつさえ城まで築いている始末であった。
本多忠央・忠由養親子が意次を逆怨みしているのは元より、忠由の実の甥に当たる忠可にまでその「逆怨み」が感染していた。
治済のその解説により忠休も合点がいった。
「さればその…、本多殿も…」
家基暗殺計画の一味であるのかと、忠休は治済に暗にそう尋ねると、治済も「その通り」だと言わんばかりに頷いた。
「成程…、それで本多殿とこの忠休とで帝鑑間を…」
反・田沼で取り纏めれば良いのだなと、忠休は治済に確かめる様に尋ねると、治済は頷いた。
「いや…、忠可は今日にも国許へと帰国の途に着かねばならぬ故、忠休と忠可とが…、どちらも、ただよし、だがのう…、二人が手を携えるとしても、それは江戸留守居を介してのことと相成ろうが…」
夫々の江戸留守居を介して、協力して「反・田沼」で帝鑑間を取り纏めて貰いたいと、治済は忠休と忠可、さしずめ「二人ただよし」にそう示唆した。
すると忠休と忠可は同時に「ははぁっ」と応じた。
「うむ…、さればまずはそなたらが足許を堅めるが良かろう…」
「足許、でござりまするか?」
忠休の方がそう聞返したので、治済は「左様…」と応ずるや、
「されば酒井家と本多家は共に、帝鑑間詰が多い故にな…」
酒井家、並びに本多家を「反・田沼」で取り纏めることから始めて欲しいのだと、忠休にそう説明し、「成程…」と忠休を頷かせた。
「いや、忠可には既に、その線で動いて貰うておる故にな、されば忠休よ、そなたは意次めを目障りに思うてくれているらしい、酒井左衛門尉家、その当主の忠徳を皮切りに、酒井家を…」
「反・田沼で取り纏めれば宜しいのでござりまするな?」
忠休が先回りして応えたので、治済も満足気に「左様…」と応えた。
「いや、酒井家には雁間詰もおろうが、兎も角、酒井家全体が反・田沼で纏まれば、この治済としても非常に心強い…」
「ははっ、畏まりましてござりまする…」
忠休は確と承知するや、翌日より早速にも動き出した。即ち、月次御礼に当たる7月朔日のこの日、酒井左衛門尉家を訪ねたのであった。
酒井左衛門尉家の当主、忠徳は既に参府に及び、それも田安賢丸定信の養父となる松平越中守定邦と同じく先月の6月25日に将軍・家治に参観の挨拶を済ませていた。
その為、酒井忠徳は今日の月次御礼には参加することが出来、それも参府後、初めての正式なる月次御礼ということで、まだ帰宅していなかった。
外の帝鑑間詰の諸侯と旧交を温めたりして、帰宅するのが延びていたのだ。
それ故、この江戸は神田橋御門内にある酒井左衛門尉家の上屋敷には忠徳の姿はまだなく、代わりに江戸留守居の姿があった。
即ち、石原亘理、石原勘右衛門、そして山本源兵衛の3人がそうであり、この3人は平日は毎日、平日登城が許されていない主・忠徳に成代わり、交代で登城し、情報収集に努めていた。
それは主・忠徳が、在府中、帰国中の別なく、であり、忠徳が帰国中の今も江戸留守居の3人は毎日、交代で登城しており、しかし今日は恒例の月次御礼、平日登城が許されていない主君・忠徳も、
「将軍・家治との主従の絆を再確認すべく…」
登城が許されていたので、その場合、江戸留守居は登城に及ぶ必要はなく、この石原亘理をはじめとする3人の江戸留守居は今日は正しく「お留守番」であった。
「御若年寄様が自らの御運び、畏れ入りまする…」
奥座敷へと通された忠休はまずは石原亘理よりそう鄭重なる挨拶を受け、その真横に控えていた石原勘右衛門と山本源兵衛の2人も亘理の口上の直後、忠休に平伏して見せた。
「いや、ここは御城に非ずして、酒井左衛門尉様が御邸なれば、左様に畏まるには及ばず…、何しろ、この忠休、元を正せば酒井左衛門尉様が家臣の生まれなれば、そなたらとは同じ立場…」
如何にも忠休は酒井左衛門尉家臣の酒井圖書直隆が倅であり、これで出羽松山酒井家に養嗣子として迎え入れられていなかったならば、今頃はこの3人の江戸留守居に傅いていたやも知れぬ。
その為、忠休は3人の江戸留守居に畏まらずとも良いと、つまりは楽にするよう勧めたのであった。
いやいやと、3人の江戸留守居が口を揃えて忠休のその「心遣い」を拝辞したその直後、
「全くその通りだぜ…」
不意に不躾な声が忠休の耳を襲った。
その不躾な声は廊下から聞こえた。
即ち、ここ奥座敷の下座に居並ぶ3人の江戸留守居の背後に、
「いつの間に…」
立っていた男から発せられたものであり、3人の江戸留守居は同時に不躾な声のした背後へと振向いた。
「あっ、これは忠順様…」
石原亘理が不躾な声の主の諱を口にしたことから、忠休もそれが酒井忠徳が舎弟の大炊忠順であると察した。
忠休がここ酒井左衛門尉家に仕える酒井圖書直隆の一介の小倅より、出羽松山酒井家の養嗣子へと、
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それを果たしたのは享保17(1732)年のことであり、酒井大炊忠順が生まれたのはそれから21年後の宝暦3(1753)年のことであった。
つまり忠休が酒井左衛門尉家の上屋敷より、それも家臣の一家が住まう組屋敷より出羽松山酒井家の上屋敷へと引き移ってから21年後、酒井大炊忠順が酒井左衛門尉家の上屋敷にて産声を上げた次第である。
それ故、忠休は酒井大炊忠順の顔を知らず、これが初対面であった。
否、酒井大炊は大名家の次男、大名家においては次男、三男までは将軍に拝謁出来るので、
「若しかしたら…」
大炊忠順も将軍に拝謁すべく一度ぐらいは御城へと登城したことがあるやも知れず、その際、忠休はこの大炊忠順と擦違ったことがあるやも知れぬ。
が、仮にそうだとしても忠休にはその記憶はなく、してみるとこれが事実上の初対面と言えた。
「忠順様、何卒、御控あれ…」
大炊忠順をそう諫めたのは後から姿を見せた附人の志賀惣右衛門であった。
志賀惣右衛門は大炊忠順の附人として、大炊の後を追って、ここまで駆けてきたのであった。
だが酒井大炊は一向に控える様子がなかった。
それどころか忠休を見下しさえした。
「なに、ここに仕えていた家臣の倅だろ?」
大炊忠順はそう嘯いて憚らなかった。
酒井忠休当人を前にして、である。
大炊忠順のその無礼、非礼極まりない態度に忠休は内心、腸が煮え繰返ったものの、それを表情に出すことはしなかった。
それと言うのも、忠休としては大炊忠順が実兄に当たる酒井忠徳にはこれから、この江戸に着いてからだが、
「帝鑑間を反・田沼で取り纏めて貰う…」
それを頼まねばならず、そうである以上、忠徳が実弟の大炊忠順から無礼、非礼な態度を取られたからと言って、それに一々、腹を立てる訳にはゆかなかった。
無論、抗議の声を上げるなど論外である。
それに大炊忠順という男、
「利用価値があるやも知れぬ…」
忠休はそう考えた。
実際、酒井忠徳と同じく帝鑑間詰の諸侯を「反・田沼」で取り纏めるべく、忠徳にその「反・田沼」の旗を振って貰うとしても、実際に旗振り役を務めるのはまずは江戸留守居クラスであった。
今、忠休の目の前に控える3人の江戸留守居―、忠徳に仕える3人の江戸留守居が外の、帝鑑間詰の諸侯に仕える江戸留守居と「連絡」を取り、江戸留守居同士で誼を通じ、それから次の「段階」へと進む。
つまりは、「反・田沼」で組もうと、そういう流れになり、ここで漸くに、大名同士の「御対面」となる。
即ち、忠徳が外の帝鑑間詰の諸侯と直に会い、そこで「反・田沼」で組もうではないかと、切出して貰うことになる。
その際、忠徳が舎弟、実弟である大炊忠順をも随伴させていたならば、帝鑑間詰の諸侯としては、
「それだけこの俺を重んじてくれているのか…」
そう思うに違いない。
帝鑑間詰の諸侯は「古来御譜代」とも称せられているだけあり、何よりも「面子」を重んじる。
だが裏を返せば、「面子」さえ慰撫してやれば、極めて御し易い相手とも言えた。
それ故、仮に酒井忠徳が当人のみならず、その実弟である大炊忠順まで伴い、帝鑑間詰の諸侯を訪ね、
「反・田沼で組もうではあるまいか…」
帝鑑間詰の諸侯にそう持掛ければ、帝鑑間詰の諸侯も忠徳のその「慰撫」に大いに感じ入り、結果、「反・田沼」の「一味」として取込めることが期待出来た。
それは今、目の前にいる酒井大炊忠順とて、その例外ではあるまい。
忠休はそう悟るや、
「如何にも忠順様が仰せの如く、この忠休、元を正さば、この酒井左衛門尉家に仕えし身、家臣の子なれば、酒井左衛門尉家は今でもこの忠休にとりましては主筋にて…」
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「ささっ、こちらへ…」
大炊忠順に今まで己が座っていた上座を勧めたのであった。
忠休のこの対応には流石に大炊忠順も面喰った様子を覗かせた。
それでも大炊忠順は忠休の言葉を真に受け、
「ズカズカ…」
上座へと進んだ。
無論、附人の志賀惣右衛門などは、大炊忠順を制したものである。
だが大炊忠順はそれを無視して上座へと進み、そして腰を下ろしたのであった。
忠休は内心、「この莫迦めが…」と大炊忠順を罵ったものの、しかし表向きはあくまで、大炊忠順を持上げることに終止した。
それ故、大炊忠順とは正反対に、世間というものを良く知る3人の江戸留守居や、それに附人の志賀惣右衛門などは申訳なさから汗顔の体であった。
さて、忠休は大炊忠順を上座へと座らせ、
「一通り…」
持上げてみせると、愈愈、本題に入った。
即ち、「反・田沼」の件を切出したのであった。
するとこれには酒井大炊忠順は元より、3人の江戸留守居や附人の志賀惣右衛門も大いに反応した。
田沼家上屋敷が目の前に聳えていることに、それも田沼家とは正反対に、
「由緒正しき…」
血筋を持つ酒井左衛門尉家よりも大手御門、つまりは千代田の御城の近くに上屋敷を構えていることに、酒井左衛門尉家の一族郎党、許し難いものがあり、そこを忠休に上手く衝かれた。
忠休が話を終えるや、
「成程…、兄貴だけじゃなく、この俺も加われば、反・田沼連合を形成するのに役立つ、ってことだな?」
大炊忠順がそう纏めた。どうやら丸っきりの莫迦という訳ではないようで、忠休は安堵した。
これで大炊忠順が真性の莫迦であれば、如何に忠徳による「反・田沼」の説得に資するとは申せ、とても伴わせられない。
しかし実際には大炊忠順には人並みの知性は備えていた様なので、忠休も安堵した次第である。
「して…、如何でござろう。忠順様…」
反・田沼連合の形成に力を貸してくれるかと、忠休は大炊忠順にそう迫った。
すると大炊忠順は「いいぜ」と即答した上で、
「何なら、兄貴にも今の話を俺から伝えておくぜ…」
兄・忠徳が帰宅したならば「反・田沼」の形成に協力するよう説得してやるとも請合ってくれたのであった。
大炊忠順からのその申出は忠休にしてみれば、
「願ってもない…」
正に渡りに船で、それ故、忠休は「ははぁっ」と大炊忠順に平伏することで謝意を示した。
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国民の「いいね(=精霊力)」が集まり始める。
そして宣言される、前代未聞のルール。
支持率が上がるほど、処刑は不可能になる。
処刑台は舞台へ。
断罪はエンタメへ。
悪役令嬢は、世界をひっくり返す配信者となった。
これは、
処刑されるはずだった悪役令嬢が、
“ライブ配信”で王子と王国を公開処刑する物語。
支持率100%の先に待つのは、復讐か、革命か、
それとも――自由か。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記
糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。
それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。
かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。
ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。
※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。
If太平洋戦争 日本が懸命な判断をしていたら
みにみ
歴史・時代
もし、あの戦争で日本が異なる選択をしていたら?
国力の差を直視し、無謀な拡大を避け、戦略と外交で活路を開く。
真珠湾、ミッドウェー、ガダルカナル…そして終戦工作 分水嶺で下された「if」の決断。
破滅回避し、国家存続をかけたもう一つの終戦
そしてそこから繋がる新たな近代史へ
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