天明奇聞 ~たとえば意知が死ななかったら~

ご隠居

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二人ただよし ~本丸若年寄の酒井忠休は一橋治済の命により、田沼意次に怨みを抱く本多忠可と共に、反・田沼連合の形成に動く~

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「されば…、本多ほんだ忠可ただよし取合とりあい、帝鑑間ていかんのまにおいてはん田沼たぬま戦線せんせんつくるがかろう…」

 治済はるさだがそうくちにした途端とたん別間べつまふすまひらかれ、すると忠休ただよし見覚みおぼえのある宍粟しそう山﨑藩主やまざきはんしゅ本多ほんだ肥後守ひごのかみ忠可ただよし姿すがたせたのであった。

 治済はるさだ今日きょう酒井さかい忠休ただよしとの「会見かいけん」、もとい懐柔かいじゅう本多ほんだ忠可ただよしをもまねいていたのだ。

 一方いっぽう忠休ただよし何故なにゆえにこの本多ほんだ忠可ただよしがいるのかからぬらしく、怪訝けげん表情ひょうじょうかべた。

 治済はるさだはそうとさっするや、「無理むりもない…」とおもいつつ、忠休ただよしたいして、忠可ただよし田沼たぬま意次おきつぐとの「因縁いんねん」について解説レクチャーした。

 それは実際じっさいには「逆怨さかうらみ」と言うべきものであり、忠可ただよしじつ叔父おじである兵庫頭ひょうごのかみ忠由ただよしかつては相良さがらはん世嗣せいしであり、その養父ようふ本多ほんだ長門守ながとのかみ忠央ただなかれきとした相良さがら藩主はんしゅにして、寺社じしゃ奉行ぶぎょう、そして西之丸にしのまる若年寄わかどしよりまでつとめていたにもかかわらず、当時とうじ御側御用取次おそばごようとりつぎであった意次おきつぐ審理しんり主導しゅどうした郡上騒動ぐじょうそうどうにより改易かいえき憂目うきめい、しかもいま相良さがらには意次おきつぐ入封にゅうぶし、あまつさえしろまできずいている始末しまつであった。

 本多ほんだ忠央ただなか忠由ただよし養親子おやこ意次おきつぐ逆怨さかうらみしているのはもとより、忠由ただよしじつおいたる忠可ただよしにまでその「逆怨さかうらみ」が感染かんせんしていた。

 治済はるさだのその解説レクチャーにより忠休ただよし合点がてんがいった。

「さればその…、本多ほんだ殿どのも…」

 家基暗殺計画いえもとあんさつけいかく一味いちみであるのかと、忠休ただよし治済はるさだあんにそうたずねると、治済はるさだも「そのとおり」だと言わんばかりにうなずいた。

成程なるほど…、それで本多ほんだ殿どのとこの忠休ただよしとで帝鑑間ていかんのまを…」

 はん田沼たぬままとめればいのだなと、忠休ただよし治済はるさだたしかめるようたずねると、治済はるさだうなずいた。

「いや…、忠可ただよし今日きょうにも国許くにもとへと帰国きこくかねばならぬゆえ忠休ただよし忠可ただよしとが…、どちらも、ただよし、だがのう…、二人ふたりたずさえるとしても、それは江戸留守居えどるすいかいしてのことと相成あいなろうが…」

 夫々それぞれ江戸留守居えどるすいかいして、協力きょうりょくして「はん田沼たぬま」で帝鑑間ていかんのままとめてもらいたいと、治済はるさだ忠休ただよし忠可ただよし、さしずめ「二人ふたりただよし」にそう示唆しさした。

 すると忠休ただよし忠可ただよし同時どうじに「ははぁっ」とおうじた。

「うむ…、さればまずはそなたらが足許あしもとかためるがかろう…」

足許あしもと、でござりまするか?」

 忠休ただよしほうがそう聞返ききかえしたので、治済はるさだは「左様さよう…」とおうずるや、

「されば酒井家さかいけ本多家ほんだけともに、帝鑑間詰ていかんのまづめおおゆえにな…」

 酒井家さかいけならびに本多家ほんだけを「はん田沼たぬま」でまとめることからはじめてしいのだと、忠休ただよしにそう説明せつめいし、「成程なるほど…」と忠休ただよしうなずかせた。

「いや、忠可ただよしにはすでに、そのせんうごいてもろうておるゆえにな、されば忠休ただよしよ、そなたは意次おきつぐめを目障めざわりにおもうてくれているらしい、酒井さかい左衛門尉さえもんのじょう、その当主とうしゅ忠徳ただあり皮切かわきりに、酒井家さかいけを…」

はん田沼たぬままとめればよろしいのでござりまするな?」

 忠休ただよし先回さきまわりしてこたえたので、治済はるさだ満足気まんぞくげに「左様さよう…」とこたえた。

「いや、酒井家さかいけには雁間詰がんのまづめもおろうが、かく酒井家さかいけ全体ぜんたいはん田沼たぬままとまれば、この治済はるさだとしても非常ひじょう心強こころづよい…」

「ははっ、かしこまりましてござりまする…」

 忠休ただよししか承知しょうちするや、翌日よくじつより早速さっそくにもうごした。すなわち、月次御礼つきなみおんれいたる7月朔日ついたちのこの酒井さかい左衛門尉さえもんのじょうたずねたのであった。

 酒井さかい左衛門尉さえもんのじょう当主とうしゅ忠徳ただありすで参府さんぷおよび、それも田安たやす賢丸定信まさまるさだのぶ養父ようふとなる松平まつだいら越中守えっちゅうのかみ定邦さだくにおなじく先月せんげつの6月25日に将軍しょうぐん家治いえはる参観さんかん挨拶あいさつませていた。

 そのため酒井さかい忠徳ただのり今日きょう月次御礼つきなみおんれいには参加さんかすることが出来でき、それも参府後さんぷごはじめての正式せいしきなる月次御礼つきなみおんれいということで、まだ帰宅きたくしていなかった。

 ほか帝鑑間詰ていかんのまづめ諸侯しょこう旧交きゅうこうあたためたりして、帰宅きたくするのがびていたのだ。

 それゆえ、この江戸えど神田橋御門内ごもんないにある酒井さかい左衛門尉さえもんのじょう上屋敷かみやしきには忠徳ただあり姿すがたはまだなく、わりに江戸留守居えどるすい姿すがたがあった。

 すなわち、石原いしはら亘理わたり石原いしはら勘右衛門かんえもん、そして山本やまもと源兵衛げんべえの3人がそうであり、この3人は平日へいじつ毎日まいにち平日登城へいじつとじょうゆるされていないあるじ忠徳ただあり成代なりかわり、交代こうたい登城とじょうし、情報収集じょうほうしゅうしゅうつとめていた。

 それはあるじ忠徳ただありが、在府中ざいふちゅう帰国中きこくちゅうべつなく、であり、忠徳ただあり帰国中きこくちゅういま江戸留守居えどるすいの3人は毎日まいにち交代こうたい登城とじょうしており、しかし今日きょう恒例こうれい月次御礼つきなみおんれい平日登城へいじつとじょうゆるされていない主君しゅくん忠徳ただありも、

将軍しょうぐん家治いえはるとの主従しゅじゅうきずな再確認さいかくにんすべく…」

 登城とじょうゆるされていたので、その場合ばあい江戸留守居えどるすい登城とじょうおよ必要ひつようはなく、この石原いしはら亘理わたりをはじめとする3人の江戸留守居えどるすい今日きょうまさしく「お留守番るすばん」であった。

おん若年寄わかどしよりさまみずからの御運おはこび、おそりまする…」

 奥座敷おくざしきへととおされた忠休ただよしはまずは石原いしはら亘理わたりよりそう鄭重ていちょうなる挨拶あいさつけ、その真横まよこひかえていた石原いしはら勘右衛門かんえもん山本やまもと源兵衛げんべえの2人も亘理わたり口上こうじょう直後ちょくご忠休ただよし平伏へいふくして見せた。

「いや、ここは御城えどじょうあらずして、酒井さかい左衛門尉さえもんのじょうさま御邸おやしきなれば、左様さようかしこまるにはおよばず…、なにしろ、この忠休ただよしもとただせば酒井さかい左衛門尉さえもんのじょうさま家臣かしんまれなれば、そなたらとはおな立場たちば…」

 如何いかにも忠休ただよし酒井さかい左衛門尉さえもんのじょう家臣かしん酒井圖書さかいずしょ直隆なおたかせがれであり、これで出羽でわ松山まつやま酒井家さかいけ養嗣子ようししとしてむかれられていなかったならば、今頃いまごろはこの3人の江戸留守居えどるすいかしずいていたやもれぬ。

 そのため忠休ただよしは3人の江戸留守居えどるすいかしこまらずともいと、つまりはらくにするようすすめたのであった。

 いやいやと、3人の江戸留守居えどるすいくちそろえて忠休ただよしのその「心遣こころづかい」を拝辞はいじしたその直後ちょくご

まったくそのとおりだぜ…」

 不意ふい不躾ぶしつけこえ忠休ただよしみみおそった。

 その不躾ぶしつけこえ廊下ろうかからこえた。

 すなわち、ここ奥座敷おくざしき下座げざ居並いならぶ3人の江戸留守居えどるすい背後はいごに、

「いつのに…」

 っていたおとこからはっせられたものであり、3人の江戸留守居えどるすい同時どうじ不躾ぶしつけこえのした背後はいごへと振向ふりむいた。

「あっ、これは忠順様ただとしさま…」

 石原いしはら亘理わたり不躾ぶしつけこえぬしいみなくちにしたことから、忠休ただよしもそれが酒井さかい忠徳ただのり舎弟しゃてい大炊おおい忠順ただとしであるとさっした。

 忠休ただよしがここ酒井さかい左衛門尉さえもんのじょうつかえる酒井圖書さかいずしょ直隆なおたか一介いっかい小倅こせがれより、出羽でわ松山まつやま酒井家さかいけ養嗣子ようししへと、

華麗かれいなる転身てんしん…」

 それをたしたのは享保17(1732)年のことであり、酒井大炊さかいおおい忠順ただとしまれたのはそれから21年後ねんごの宝暦3(1753)年のことであった。

 つまり忠休ただよし酒井さかい左衛門尉さえもんのじょう上屋敷かみやしきより、それも家臣かしん一家いっかまう組屋敷くみやしきより出羽でわ松山まつやま酒井家さかいけ上屋敷かみやしきへとうつってから21年後ねんご酒井大炊さかいおおい忠順ただとし酒井さかい左衛門尉さえもんのじょう上屋敷かみやしきにて産声うぶごえげた次第しだいである。

 それゆえ忠休ただよし酒井大炊さかいおおい忠順ただとしかおらず、これが初対面しょたいめんであった。

 いや酒井大炊さかいおおい大名家だいみょうけ次男じなん大名家だいみょうけにおいては次男じなん三男さんなんまでは将軍しょうぐん拝謁はいえつ出来できるので、

しかしたら…」

 大炊おおい忠順ただとし将軍しょうぐん拝謁はいえつすべく一度いちどぐらいは御城えどじょうへと登城とじょうしたことがあるやもれず、そのさい忠休ただよしはこの大炊おおい忠順ただとし擦違すれちがったことがあるやもれぬ。

 が、かりにそうだとしても忠休ただよしにはその記憶きおくはなく、してみるとこれが事実上じじつじょう初対面しょたいめんと言えた。

忠順様ただとしさま何卒なにとぞ御控おひかえあれ…」

 大炊おおい忠順ただとしをそういさめたのはあとから姿すがたせた附人つけびと志賀しが惣右衛門そうえもんであった。

 志賀しが惣右衛門そうえもん大炊おおい忠順ただとし附人つけびととして、大炊おおいあとって、ここまでけてきたのであった。

 だが酒井大炊さかいおおい一向いっこうひかえる様子ようすがなかった。

 それどころか忠休ただよし見下みくだしさえした。

「なに、ここにつかえていた家臣かしんせがれだろ?」

 大炊おおい忠順ただとしはそううそぶいてはばからなかった。

 酒井さかい忠休当人ただよしとうにんまえにして、である。

 大炊おおい忠順ただとしのその無礼ぶれい非礼ひれいきわまりない態度たいど忠休ただよし内心ないしんはらわた繰返くりかえったものの、それを表情かおすことはしなかった。

 それと言うのも、忠休ただよしとしては大炊おおい忠順ただとし実兄じつのあにたる酒井さかい忠徳ただありにはこれから、この江戸えどいてからだが、

帝鑑間ていかんのまはん田沼たぬままとめてもらう…」

 それをたのまねばならず、そうである以上いじょう忠徳ただあり実弟じつのおとうと大炊おおい忠順ただとしから無礼ぶれい非礼ひれい態度たいどられたからと言って、それに一々いちいちはらてるわけにはゆかなかった。

 無論むろん抗議こうぎこえげるなど論外ろんがいである。

 それに大炊おおい忠順ただとしというおとこ

利用りよう価値かちがあるやもれぬ…」

 忠休ただよしはそうかんがえた。

 実際じっさい酒井さかい忠徳ただありおなじく帝鑑間詰ていかんのまづめ諸侯しょこうを「はん田沼たぬま」でまとめるべく、忠徳ただありにその「はん田沼たぬま」のはたってもらうとしても、実際じっさい旗振はたふやくつとめるのはまずは江戸留守居えどるすいクラスであった。

 いま忠休ただよしまえひかえる3人の江戸留守居えどるすい―、忠徳ただありつかえる3人の江戸留守居えどるすいほかの、帝鑑間詰ていかんのまづめ諸侯しょこうつかえる江戸留守居えどるすいと「連絡コンタクト」をり、江戸留守居えどるすい同士どうしよしみつうじ、それからつぎの「段階ステージ」へとすすむ。

 つまりは、「はん田沼たぬま」でもうと、そういうながれになり、ここでようやくに、大名だいみょう同士どうしの「御対面ごたいめん」となる。

 すなわち、忠徳ただありほか帝鑑間詰ていかんのまづめ諸侯しょこうじかい、そこで「はん田沼たぬま」でもうではないかと、切出きりだしてもらうことになる。

 そのさい忠徳ただあり舎弟しゃてい実弟じつのおとうとである大炊おおい忠順ただとしをも随伴ずいはんさせていたならば、帝鑑間詰ていかんのまづめ諸侯しょこうとしては、

「それだけこのおれおもんじてくれているのか…」

 そうおもうにちがいない。

 帝鑑間詰ていかんのまづめ諸侯しょこうは「古来御譜代こらいごふだい」ともしょうせられているだけあり、なによりも「面子メンツ」をおもんじる。

 だがうらかえせば、「面子メンツ」さえ慰撫いぶしてやれば、きわめてぎょやす相手あいてとも言えた。

 それゆえかり酒井さかい忠徳ただあり当人とうにんのみならず、その実弟じつのおとうとである大炊おおい忠順ただとしまでともない、帝鑑間詰ていかんのまづめ諸侯しょこうたずね、

はん田沼たぬまもうではあるまいか…」

 帝鑑間詰ていかんのまづめ諸侯しょこうにそう持掛もちかければ、帝鑑間詰ていかんのまづめ諸侯しょこう忠徳ただありのその「慰撫いぶ」におおいにかんり、結果けっか、「はん田沼たぬま」の「一味いちみ」として取込とりこめることが期待きたい出来できた。

 それはいままえにいる酒井大炊さかいおおい忠順ただとしとて、その例外れいがいではあるまい。

 忠休ただよしはそうさとるや、

如何いかにも忠順様ただとしさまおおせのごとく、この忠休ただよしもとたださば、この酒井さかい左衛門尉さえもんのじょうつかえし家臣かしんなれば、酒井さかい左衛門尉さえもんのじょういまでもこの忠休ただよしにとりましては主筋しゅすじにて…」

 大炊おおい忠順ただありにそうかえすや、上座かみざよりわきへと退き、

「ささっ、こちらへ…」

 大炊おおい忠順ただありいままでおのれすわっていた上座かみざすすめたのであった。

 忠休ただよしのこの対応たいおうには流石さすが大炊おおい忠順ただとし面喰めんくらった様子ようすのぞかせた。

 それでも大炊おおい忠順ただとし忠休ただよし言葉ことばけ、

「ズカズカ…」

 上座かみざへとすすんだ。

 無論むろん附人つけびと志賀しが惣右衛門そうえもんなどは、大炊おおい忠順ただとしせいしたものである。

 だが大炊おおい忠順ただとしはそれを無視むしして上座かみざへとすすみ、そしてこしろしたのであった。

 忠休ただよし内心ないしん、「この莫迦バカめが…」と大炊おおい忠順ただとしののしったものの、しかし表向おもてむきはあくまで、大炊おおい忠順ただとし持上もちあげることに終止しゅうしした。

 それゆえ大炊おおい忠順ただとしとは正反対せいはんたいに、世間せけんというものをる3人の江戸留守居えどるすいや、それに附人つけびと志賀しが惣右衛門そうえもんなどは申訳もうしわけなさから汗顔かんがんていであった。

 さて、忠休ただよし大炊おおい忠順ただあり上座かみざへとすわらせ、

一通ひととおり…」

 持上もちあげてみせると、愈愈いよいよ本題ほんだいはいった。

 すなわち、「はん田沼たぬま」のけん切出きりだしたのであった。

 するとこれには酒井大炊さかいおおい忠順ただとしもとより、3人の江戸留守居えどるすい附人つけびと志賀しが惣右衛門そうえもんおおいに反応はんのうした。

 田沼家たぬまけ上屋敷かみやしきまえそびえていることに、それも田沼家たぬまけとは正反対せいはんたいに、

由緒正ゆいしょただしき…」

 血筋ちすじ酒井さかい左衛門尉さえもんのじょうよりも大手御門おおてごもん、つまりは千代田ちよだ御城おしろちかくに上屋敷かみやしきかまえていることに、酒井さかい左衛門尉さえもんのじょう一族郎党いちぞくろうとうゆるがたいものがあり、そこを忠休ただよし上手うまかれた。

 忠休ただよしはなしえるや、

成程なるほど…、兄貴あにきだけじゃなく、このおれくわわれば、はん田沼たぬま連合れんごう形成けいせいするのに役立やくだつ、ってことだな?」

 大炊おおい忠順ただとしがそうまとめた。どうやらまるっきりの莫迦バカというわけではないようで、忠休ただよし安堵あんどした。

 これで大炊おおい忠順ただとし真性しんせい莫迦バカであれば、如何いか忠徳ただありによる「はん田沼たぬま」の説得せっとくするとはもうせ、とてもともなわせられない。

 しかし実際じっさいには大炊おおい忠順ただとしには人並ひとなみの知性ちせいそなえていたようなので、忠休ただよし安堵あんどした次第しだいである。

「して…、如何いかがでござろう。忠順様ただとしさま…」

 はん田沼たぬま連合れんごう形成けいせいちからしてくれるかと、忠休ただよし大炊おおい忠順ただとしにそうせまった。

 すると大炊おおい忠順ただとしは「いいぜ」と即答そくとうしたうえで、

なんなら、兄貴あにきにもいまはなしおれからつたえておくぜ…」

 あに忠徳ただあり帰宅きたくしたならば「はん田沼たぬま」の形成けいせい協力きょうりょくするよう説得せっとくしてやるとも請合うけあってくれたのであった。

 大炊おおい忠順ただとしからのその申出もうしで忠休ただよしにしてみれば、

ねがってもない…」

 まさわたりにふねで、それゆえ忠休ただよしは「ははぁっ」と大炊おおい忠順ただとし平伏へいふくすることで謝意しゃいしめした。
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