天明奇聞 ~たとえば意知が死ななかったら~

ご隠居

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江戸留守居、奔る。~帝鑑間詰の諸侯に仕える江戸留守居による「反・田沼」、「親・一橋」の呼びかけ~

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 たして酒井大炊さかいおおい忠順ただとし酒井さかい忠休ただよし約束やくそくしたとおり、あに忠徳ただあり月次御礼つきなみおんれいえて帰宅きたくするや、

はん田沼たぬま連合れんごう形成けいせい…」

 忠休ただよしからの「言伝ことづて」をそのままつたえたのであった。

 すると忠徳ただありはこれに、

いちもなく…」

 飛付とびついたのであった。

 実際じっさい忠徳ただありおのれ上屋敷かみやしきそびえるかのごとく、上屋敷かみやしきかまえる意次おきつぐうとましくてならなかった。

 かくして忠徳ただありあらためて江戸留守居えどるすいに「はん田沼たぬま連合れんごう形成けいせい」をめいじたのであった。

 その翌日よくじつ―、安永2(1773)年7月2日、この平日へいじつということもあり、平日登城へいじつとじょうゆるされていない大廊下詰おおろうかづめ大広間詰おおひろまづめ帝鑑間詰ていかんのまづめ柳間詰やなぎのまづめ菊間詰きくのまづめといった諸侯しょこうつかえる江戸留守居えどるすい所謂いわゆる、「城使しろづかい」が彼等かれら主君しゅくん成代なりかわり、御城えどじょうへと登城とじょうしては表向おもてむきにある蘇鉄之間そてつのまめ、そこで情報収集じょうほうしゅうしゅうつとめる。

 たとえば、今年ことしは「御手伝普請おてつだいぶしん」があるのか、あるとして、これをまぬがれるべく老中ろうじゅう奥右筆おくゆうひつ、そして御側御用取次おそばごようとりつぎには如何程いかほどの「モノ」をつつめばいのか、かる情報収集じょうほうしゅうしゅうつとめるのだ。

 江戸留守居えどるすい平日登城へいじつとじょう禁止きんし解禁かいきん繰返くりかえしであり、いまいたる。

 すなわち、平日登城へいじつとじょうゆるされている溜間詰たまりのまづめ雁間詰がんのまづめ、このりょう諸侯しょこうつかえる江戸留守居えどるすいのぞく、つまりは平日登城へいじつとじょうゆるされていない諸侯しょこうに|仕《つか える江戸留守居えどるすいかぎり、主君しゅくん成代なりかわり、平日登城へいじつとじょうゆるされるにいたった。

 かくして今日きょうよう平日へいじつには殿中でんちゅう表向おもてむき蘇鉄之間そてつのまには江戸留守居えどるすいくされているわけだが、さらいくつかのグループかれていた。

 すなわち、大広間詰おおひろまづめ諸侯しょこうつかえる江戸留守居えどるすい同士どうしあるいは帝鑑間詰ていかんのまづめ諸侯しょこうつかえる江戸留守居えどるすい同士どうし、といった具合ぐあいいくつかのグループかれていたのだ。

 そしてこのなかでもまた、さらにまたいくつかのグループかれており、これを「同席組合どうせきくみあい」ともしょうする。

 帝鑑間詰ていかんのまづめ諸侯しょこうつかえる江戸留守居えどるすいれいるならば、

宍戸藩ししどはん糸魚川藩いといがわはん廣瀬藩ひろせはん母里藩もりはん親藩組合しんぱんくみあい

白河藩しらかわはん松平家まつだいらけ桑名藩くわなはん松平家まつだいらけ豊前中津ぶぜんなかつはん奥平家おくだいらけ大和やまと郡山藩こおりやまはん柳澤家やなぎさわけ越後高田えちごたかだはん榊原家さかきばらけ豊前小倉ぶぜんこくらはん小笠原家おがさわらけ鶴岡藩つがおかはん酒井家さかいけ小田原藩おだわらはん大久保家おおくぼけ信州しんしゅう松代藩まつしろはん眞田家さなだけ大垣藩おおがきはん戸田家とだけの10家組合くみあい

越前丸岡藩えちぜんまるおかはん有馬家ありまけ出羽でわ新庄藩しんじょうはん戸澤家とざわけ陸奥むつ中村藩なかむらはん相馬家そうまけ播磨龍野はりまたつのはん脇坂家わきさかけ近江おうみ水口藩みなぐちはん加藤家かとうけ陸奥むつ三春藩みはるはん秋田家あきたけ信濃しなの高嶋藩たかしまはん諏訪家すわけ御取立譜代おとりたてふだい7家組合くみあい

 おもだったところではこの3つの「同席組合どうせきくみあい」があり、そのほかにも、

岡崎藩おかざきはん宍粟しそう山﨑藩やまざきはん菊多きくた泉藩いずみはん志賀しが膳所藩ぜぜはん河曲神戸かわのかんべはん水内みのち飯山藩いいやまはん本多ほんだグループ」

延岡藩のべおかはん湯長谷藩ゆながやはん岩舩村上藩いわふねむらかみはん擧母藩ころもはん内藤ないとうグループ」

 グループ、つまりは一族いちぞくで「同席組合どうせきくみあい」を形成けいせいしているケースもあった。

 酒井さかい忠休ただよし場合ばあい―、忠休ただよし当主とうしゅつとめる出羽でわ松山まつやま酒井家さかいけは「10家組合くみあい」にぞくする鶴岡つるがおか酒井家さかいけ分家筋ぶんけすじということもあってか、そこでおなじく「10家組合くみあい」にぞくする大名家だいみょうけ主筋しゅすじもの同士どうし組合くみあいつくっていた。すなわち、

白河藩しらかわはん松平家まつだいらけ分家筋ぶんけすじ越知おち今治藩いまばりはん松平家まつだいらけ

桑名藩くわはなん松平家まつだいらけ分家筋ぶんけすじ小諸藩こもろはん松平家まつだいらけ

郡山藩こおりやまはん柳澤家やなぎさわけ分家筋ぶんけすじ蒲原黒川藩かんばらくろかわはんならびに蒲原かんばら三日市藩みっかいちはんりょう柳澤家やなぎさわけ

小倉藩こくらはん小笠原家おがさわらけ分家筋ぶんけすじ小倉藩こくらはん新田しんでん宍粟安志しそうあんじはん棚倉藩たなくらはん大野おおの勝山藩かつやまはんかく小笠原家おがさわらけ

 彼等かれらと「同席組合どうせきくみあい」をつくっていた。

 もっとも、忠休ただよしつかえる、つまりは忠休ただよし当主とうしゅつとめる出羽でわ松山まつやま酒井家さかいけつかえる江戸留守居えどるすいいま平日登城へいじつとじょうゆるされていない。

 それと言うのも主君しゅくん忠休ただよし本丸ほんまる若年寄わかどしよりとして平日登城へいじつとじょうゆるされるるとなったからだ。

 御城えどじょうにおいては大名だいみょう基本的きほんてきには家臣かしんともない、殿中でんちゅうがることはゆるされていないためだ。

 御城えどじょう殿中でんちゅうにおいては大名だいみょうはあくまで、一人ひとりでの行動こうどうとなる。

 おおくの家臣かしんかしずかれる立場たちば大名だいみょうも、御城えどじょうにおいては将軍しょうぐん一家臣いちかしんぎない、このことを大名だいみょうからせるべく、殿中でんちゅうにおいては一人ひとりでの行動こうどう義務付ぎむづけられるのだ。

 それゆえたとえば帝鑑間詰ていかんのまづめとして平日登城へいじつとじょうゆるされぬであったとしても、奏者番そうじゃばんやその筆頭ひっとう寺社じしゃ奉行ぶぎょうあるいは若年寄わかどしよりさらには老中ろうじゅうといった幕府ばくふ御役おやく取立とりたてられたがため平日登城へいじつとじょうゆるされるようになると、その途端とたん江戸留守居えどるすい平日登城へいじつとじょう禁止きんしされる。

 御城えどじょう殿中でんちゅうにおいては大名だいみょうはあくまで、一人ひとりでの行動こうどう―、その大原則だいげんそく抵触ていしょくすることになるからだ。

 忠休ただよし当主とうしゅつとめる出羽でわ松山まつやま酒井家さかいけつかえる江戸留守居えどるすい御城えどじょう登城とじょう出来できないのはそのためであった。

 もっとも、御城えどじょう登城とじょう出来できなくなったからと言って、それで「同席組合どうせきくみあい」からけたわけではない。

 出羽でわ松山まつやま酒井家さかいけつかえる江戸留守居えどるすい御城えどじょう登城とじょう出来できなくなったいまでも「同席組合どうせきくみあい」、さしずめ「10家組合くみあい」の分家筋ぶんけすじからなる、その分家筋ぶんけすじつかえる江戸留守居えどるすい構成こうせいされる「同席組合どうせきくみあい」の一員いちいんでありつづけ、それどころかたよりにされていた。

 なにしろ出羽でわ松山まつやま酒井家さかいけ当主とうしゅたる忠休ただよしいま本丸ほんまる若年寄わかどしよりだからだ。

 本丸ほんまる若年寄わかどしよりともなると、幕政ばくせい枢機すうき参画さんかくする立場たちばであり、よう機密事項きみつじこうれる機会チャンスめぐまれているというわけで、その立場たちばにある忠休ただよしつかえる江戸留守居えどるすいともなると、ほか江戸留守居えどるすいにしてみれば、なにかとたよりになる。

 ことに「仲間なかま」とも言うべき江戸留守居えどるすいはそうだ。

 出羽でわ松山まつやま酒井家さかいけつかえる江戸留守居えどるすい加入かにゅうする「同席組合どうせきくみあい」、その一員いちいんであるほか江戸留守居えどるすいたとえば越智おち今治いまばり松平家まつだいらけ小諸こもろ松平家まつだいらけあるいは柳澤家やなぎさわけ小笠原家おがさわらけといった、「10家組合くみあい」の分家筋ぶんけすじたる諸侯しょこうつかえる江戸留守居えどるすいは、やはり「10家組合くみあい」の分家筋ぶんけすじにして、しかし主君しゅくん若年寄わかどしよりいたために、御城えどじょう登城とじょう出来できなくなった出羽でわ松山まつやま酒井家さかいけつかえる江戸留守居えどるすい料理りょうり茶屋ちゃやまねいては幕政ばくせい情報じょうほうようとつとめていた。

 つまり、出羽でわ松山まつやま酒井家さかいけつかえる江戸留守居えどるすいは「同席組合どうせきくみあい」のなかでも、ほか江戸留守居えどるすいよりも優位ゆうい立場たちばきずいていた。

 そこで出羽でわ松山まつやま酒井家さかいけつかえる江戸留守居えどるすいすなわち、拇野とがの八右衛門はちえもん主君しゅくん忠休ただよしめいけ、「同席組合どうせきくみあい」の家々いえいえめぐった。

 勿論もちろん、「はん田沼たぬま連合れんごう形成けいせいため足場あしばがためである。

 一橋ひとつばし治済はるさだ酒井さかい忠休ただよし本多ほんだ忠可ただよし両名りょうめいたいして、

足許あしもとかためよ…」

 そうめいじた。

 酒井家さかいけ本多家ほんだけとも帝鑑間詰ていかんのまづめものおおゆえに、そうめいじたものとゆる。

 成程なるほど酒井家さかいけにおいては左衛門尉家さえもんのじょうけこと鶴岡つるがおか酒井家さかいけとその分家筋ぶんけすじたる出羽でわ松山まつやま酒井家さかいけほかに、雅樂頭家うたのかみけこと姫路ひめじ酒井家さかいけとその分家筋ぶんけすじ姫路ひめじ新田しんでん酒井家さかいけ帝鑑間詰ていかんのまづめであった。

 この酒井さかい4家を「はん田沼たぬま」にまわらせることが出来できれば成程なるほど、「天下てんが」をうかが治済はるさだにしてみれば、

真実まこともって…」

 心強こころづよいことであろう。

 こと雅樂頭家うたのかみけいまでこそ帝鑑間詰ていかんのまづめではあるものの、幕府ばくふ政治顧問せいじこもんとして溜間たまりのまめられる有資格者ゆうしかくしゃでもあった。

 その雅樂頭家うたのかみけを「はん田沼たぬま」にまわらせることが出来できれば、うらかえせば「しん一橋ひとつばし」に仕立したげることが出来できれば、治済はるさだの「天下てんがり」に一歩いっぽ近付ちかづく。

 だが、実際じっさいにはそうは問屋とんやおろさなかった。

 それと言うのも、雅樂頭家うたのかみけは、それも現当主げんとうしゅ忠以ただざねは「しん田沼たぬま」であった。

 雅樂頭家うたのかみけ上屋敷かみやしき大手おおてむこう左角ひだりかどにあり、じつ田沼家たぬまけ上屋敷かみやしきとは背中せなかわせであった。

 それゆえ酒井さかい雅樂頭家うたのかみけ田沼家たぬまけとは仕切しきりの白塀しろべい木戸きどしつらえては、往来ゆききする間柄あいだがらであった。

 こと忠以ただざねは「溜間たまりのまり」という大望たいもういており、そのためには、

将軍しょうぐん家治いえはる寵愛ちょうあいあつい…」

 意次おきつぐの「助力じょりょく」がかせず、それゆえなにかと意次おきつぐたよりとしていた。

 そのよう忠以ただざねを「はん田沼たぬま」へとまわらせるのは至難しなんわざと言えた。

 忠以ただざね意次おきつぐ裏切うらぎらせるには、一橋ひとつばし治済はるさだの「天下てんがり」の詳細しょうさい打明うちあけずばなるまい。

 だが、打明うちあけたが最期さいご

一橋ひとつばし治済はるさだ謀叛むほんこころあり…」

 忠以ただざね意次おきつぐかいして、将軍しょうぐん家治いえはるへと上申じょうしん、つまりは告口つげぐちするやもれぬ。

 いやたして成就じょうじゅするかどうかもからぬ治済はるさだの「天下てんがり」にくみするよりは告口つげぐちおよんだほうがより確実かくじつに「溜間たまりのまり」が近付ちかづくというものである。

 かる次第しだい忠休ただよしは―、忠休ただよしつかえる江戸留守居えどるすい雅樂頭家うたのかみけすことはしなかった。

 無論むろん雅樂頭家うたのかみけ分家筋ぶんけすじたる姫路ひめじ新田しんでん酒井家さかいけにしてもそうである。

 忠休ただよしにとって、忠休ただよしつかえる江戸留守居えどるすいにとっての「足場あしばがため」、すなわち、酒井さかい一族いちぞくかこみは畢竟ひっきょう主筋しゅすじにして意次おきつぐうとましくおも左衛門尉家さえもんのじょうけ、その当主とうしゅである忠徳ただありかぎられた。

 そして忠徳ただありの「かこみ」に成功せいこうしたいま、「同席組合どうせきくみあい」の「かこみ」、つまりは「はん田沼たぬま」、「しん一橋ひとつばし」で足並あしなみをそろわせるのがつぎなる「足場あしばがため」と言えた。

 忠休ただよしつかえる江戸留守居えどるすいこと拇野とがの八右衛門はちえもんはそのために、「同席組合どうせきくみあい」にぞくする家々いえいえめぐっては、

近々きんきん升屋ますやにて一席設いっせきもうたく…」

 カウンターパートとも言うべき江戸留守居えどるすいにそうさそいをかけたのであった。

 升屋ますやとは洲崎すざきにある料理茶屋りょうりちゃや升屋ますやのことであり、エロ留守居えどるすい寄合よりあい使つかわれることで有名ゆうめいであった。

 おな光景こうけい御城えどじょう蘇鉄之間そてつのまにおいても繰広くりひろげられた。

 すなわち、蘇鉄之間そてつのまめていた酒井さかい左衛門尉家さえもんのじょうけ江戸留守居えどるすい石原いしはら亘理わたりほかの、「10家組合くみあい」にぞくする江戸留守居えどるすいたいして、升屋ますやでの寄合よりあい持掛もちかけていたのだ。

 それは本多ほんだ忠可ただよしつかえる江戸留守居えどるすい磯部登平いそべとうへいにもまる。

 磯部登平いそべとうへい本多ほんだ一族いちぞくを、それも帝鑑間詰ていかんのまづめ本多家ほんだけをやはり、「はん田沼たぬま」、「しん一橋ひとつばし」に仕立したてるべく、升屋ますやでの、さしずめ「決起集会けっきしゅうかい」を持掛もちかけていたのだ。

 さいわいにも、と言うべきか、本多家ほんだけ酒井家さかいけとはことなり、殿中席でんちゅうせきべつなく、つまりは帝鑑間詰ていかんのまづめもとより、唯一ゆいいつ雁間詰がんのまづめ駿州すんしゅう田中たなか藩主はんしゅ本多ほんだ紀伊守きいのかみ正供まさともいたるまでみな

はん田沼たぬま

 であった。

 かくして升屋ますやにて帝鑑間詰ていかんのまづめ諸侯しょこうつかえる江戸留守居えどるすいによる、「はん田沼たぬま」、そして「しん一橋ひとつばし」の決起集会けっきしゅうかいひらかれることとなった。
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