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賢夫人・寶蓮院
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安永3(1774)年9月7日、田安家当主の大蔵卿治察が愈々、危篤に陥り、将軍・家治は御側衆の巨勢伊豆守至忠を田安家へと差遣わした。
巨勢至忠は家治より、鯨の干物に鱚の干物を夫々、一箱ずつ託されていた。
将軍・家治からの見舞いの品であり、いずれも愈々、危篤の際に贈られる品であった。
果たしてその翌日の9月8日、治察は終に歿した。行年21、あと一月後で数で22を迎えようとしての無念の死であった。
治察はこの日の未の上刻、即ち昼八つ(午後2時頃)に歿し、その直前、西之丸老中の阿部豊後守正允が家治からの見舞いの使者として派され、その死を看取った。
その翌日の9月9日は五節句の一つ、重陽に当たり、本来ならば将軍が大名や旗本らに逢う日であった。恒例の月次御礼と同じく、
「主従の絆の再確認」
それが目的であり、しかも五節句でもあるので大名、旗本らは普段は身に着けることが許されぬ長袴を着用して将軍に拝謁出来るとあって、いつもの月次御礼よりも「特別感」が増すというものだる。
だが今回は、今日の重陽は治察の死の翌日ということもあり、将軍への拝謁は取止めとなった。
この日は正しく、中陰、治察の四十九日の最中であり、そうであれば諸事穏便、慶事などは慎まねばなるまい。
そこで代わりに老中が大名や旗本らに逢った。
更にその翌日の10日、意次は「不快」、つまりは病気を理由に欠勤、御城に登城しなかった。
尤も、本当に「不快」ではなく、それはあくまで仕事を休む為の口実に過ぎず、意次は朝から田安家へと足を運んだ。
登城前對客、朝の陳情客の処理は息・意知に任せて、裏口から密かに、それも供も付けずに屋敷を脱出ると、その足で田安家へと向かった。
意次は田安家の屋敷の門前に着くなり、門を預かる番頭配下の組頭に寶蓮院への取次を頼んだ。
これで意次でなければ、その様な取次を頼んだところで跳ね付けられるのがオチであろう。
正体不明の男に天下の御三卿、それも筆頭の田安家当主の実母に逢わせる組頭はいまい。
だが意次の場合は別である。
それと言うのも意次は寶蓮院によって田安家と田沼家―、意次との仲を引裂かんと欲した一橋治済の陰謀が粉砕されてからというもの、田安家と親しく付合うべく、心を砕いてきた。
この田安家を守る番方、武官である番頭は元より、その直属の部下である組頭とも「顔馴染み」となったのもの、その「努力」の「賜物」であった。
さて、その組頭だが、竹中惣蔵等雄なる者で、番頭の中でも常見文左衛門直與配下であるので、そこで竹中惣蔵は相手が意次その人だと認識するや、まずは意次を門番所へと招じ入れた上で、自身は直ちに直属の上司である常見文左衛門の許へと急いだ。無論、意次の訪問を伝える為である。
すると今度は間もなくして、意次が予期した通り、番頭の常見文左衛門が門番所にて待つ意次の許に姿を見せた。
「ツイている…」
意次はそう思った。姿を見せたのが番頭の中でも常見文左衛門であることに対して、である。
それと言うのも、意次はここ田安家においては番頭の中ではこの常見文左衛門と一番親しく付合っていたからだ。
それ故、常見文左衛門配下の組頭、竹中惣蔵に当たった時から意次は、
「ツイている…」
そう思ったものである。これで常見文左衛門に取次いで貰えることはほぼ間違いなかったからだ。
さて意次は常見文左衛門の案内により田安大奥の廣敷向へと足を踏み入れた。
そこは中奥を兼ねた大奥と表向との境目、田安大奥の廣敷役人、つまりは男子役人のスペースであり、常時廣敷用人とその配下の廣敷用達が詰めていた。
今は廣敷用人の中でもその一人、杉浦猪兵衛良昭が詰めており、この杉浦猪兵衛とも意次は「顔馴染み」であったので、杉浦猪兵衛は意次を前にして平伏しようとしたので、それを制した。
「この意次、公方様でもなければ、大納言様でもない故、左様に畏まるには及ばず…」
意次は杉浦猪兵衛の前に腰を下ろすと、猪兵衛と同じ目線でそう告げた。
尤も、意次は確かに将軍でもなければ次期将軍でもないものの、しかし老中である。意次からそう言われても恐縮するばかりであった。
さて、番頭の常見文左衛門も膝を折ると、意次が寶蓮院への面会を希望している旨、伝えた。
杉浦猪兵衛は直ちに腰を上げると、寶蓮院の許へと、即ち、中奥を兼ねた大奥である御殿向へと急いだ。
杉浦猪兵衛は寶蓮院に意次の来訪、並びに面会希望を伝えるや、寶蓮院はこれを諒承したので、これを受けて再び、意次と常見文左衛門の待つ廣敷向へと戻ると、意次に寶蓮院が逢う旨、伝えた。
陪席していた常見文左衛門はそれを聞いて「御役御免」、表向にある番頭の詰所へと戻り、一方、杉浦猪兵衛は寶蓮院の待つ座敷へと意次を案内した。
そこで意次は寶蓮院と向かい合うと、まずは平伏して不意の来訪の無礼を詫びた。
「意次殿なれば、当家は…、少なくともこの通子はいつにても大歓迎…」
通子とは寶蓮院の謂わば諱であり、通子こと寶蓮院が平伏する意次に対してそう声をかけたことから、意次を益々、恐縮させた。意次は丁度、先程の杉浦猪兵衛と同じ立場に置かれた。
「ささっ、意次殿、面を上げられよ…、身は上様でもなければ、大納言様でもない故に…」
寶蓮院もまた、先程、意次が杉浦猪兵衛にかけたのと同じ言葉を意次その人にかけたものである。
ともあれ意次はここで漸くに頭を上げ、寶蓮院とまともに向かい合った。
それから意次はまずは治察が歿したことへの悔やみを述べ、
「これは些少ではござりまするが…」
そう言いつつ懐中より紫の袱紗、それも随分と重みのある袱紗を取出すと、寶蓮院の手許へとその袱紗を滑らせた。
「何卒、お納めの程を…」
意次は寶蓮院に叩頭しつつ、その紫の袱紗を、つまりは香典を受取って欲しいと、願ったのだ。
香典は切餅2つ、25両の包が2つの50両であり、寶蓮院もその紫の袱紗の膨らみ具合からそうと察した。
香典としては些か法外であり、さしもの寶蓮院も戸惑いを覚えた。
だが、突っ返す訳にもゆかず、
「鄭重なる御挨拶、痛み入りまする…」
寶蓮院はそう応じて、香典を受取ることにした。
するとそこへ侍女が茶菓子を運んで来たので、寶蓮院はその侍女に命じて香典を治察の霊前に供えさせた。
「して…、本日の御用向は…」
寶蓮院は侍女が香典を抱えて立去るなり、意次にそう切出した。
まさかに「お悔やみ」を述べる為だけに足を運んだ訳ではあるまいと、寶蓮院は意次に示唆した。
正しくその通りであり、
「されば…、僭越ながら、田安様の御相続につきまして…」
それこそが意次がここ田安家へと足を運んだ理由であった。
即ち、当主の治察が嫡子を生さぬまま歿した今、田安家の相続人、田安家を継ぐ有資格者は治察とは腹違いとは申せ、舎弟の賢丸定信を措いて外にはない。
だがその賢丸定信は白河松平家、その当主たる越中守定邦との養子縁組が既に内定しており、松平定邦もそのつもりで養嗣子・賢丸定信を迎える準備をしており、このままでは田安家を継げまい。
そこで意次としては賢丸が、と言うよりはその養母である寶蓮院や、何より実母の登耶が望むならば、松平定邦との養子縁組を解消して、田安家を相続出来る様、取計らう旨、寶蓮院に伝えたのであった。
「ほう…、意次殿が賢丸の為に…、この田安家を継げる様、取計ろうてくれまするか?」
「ははっ…、一介の…、それも末席に位置せし老職の分際にて斯かることを申上げまするは出過ぎた振舞いとは重々承知しておりまするが…」
「いえいえ…、意次殿が御志、この寶蓮院、嬉しく思いまする…」
寶蓮院はそう応じると、暫し思案の後、
「誰かある…」
侍女を呼付けるや、登耶と賢丸を連れて来る様、その侍女に命じた。
侍女が登耶と賢丸の2人を連れて来るまでの間、寶蓮院は意次に対して、
「今の話、登耶と賢丸にも今一度…」
話してやって欲しいと頼んだのであった。
意次はそれで寶蓮院が賢丸には松平定邦との養子縁組を解消させてまで、この田安家を継がせたいのだと、そう誤解した。
意次はその誤解を前提に、
「これで定邦と賢丸との養子縁組を解消し、その上で賢丸にはこの田安家を相続させてやれば…、その様に取計らえば、寶蓮院や賢丸に多大な恩を売ることが出来る…」
そんな算盤もとい皮算用を弾いた。
さて、登耶と賢丸が寶蓮院と意次の前に姿を見せたので、意次は寶蓮院から命じられていた通り、
「松平定邦と賢丸との養子縁組解消、その上での賢丸の田安家相続…」
それについて改めて登耶と賢丸に語って聞かせた。
それに対して登耶と賢丸はと言うと、好対照な反応を示した。
即ち、賢丸が如何にも嬉しげな様子を覗かせたのに対して、登耶はと言うと、至って冷静そのものであった。
意次はここでも「誤解」をした。登耶が至って冷静なのは、
「賢丸の様に素直に喜びの感情を面に出せば、はしたないと、そう思っているからであろう…」
つまりは登耶も内心では賢丸同様、我が子・賢丸が田安家を相続出来ることを喜んでいるに違いないと、そう「誤解」をしたのであった。
寶蓮院は意次のそんな「誤解」を余所に、
「今の意次殿からの御申出、如何に…」
登耶と賢丸の両名に尋ねた。
真先に反応したのは賢丸であり、
「真実に以て有難い御申出…」
賢丸は少年らしく素直に応えた。
「うむ…、されば登耶殿は如何?」
寶蓮院は登耶を指名した。
「されば…、この登耶も有難い御申出とは思いまするが、なれど…」
「なれど、何じゃな?」
寶蓮院は登耶に先を促した。
「ははっ…、さればここで我が子可愛さから、白河松平家との養子縁組を解消して田安家を相続させましては上様の御威光に瑕をつけることになるかと…」
登耶は意次が予期せぬことを言出したものだから、意次を驚かせた。
一方、寶蓮院にとっては登耶のその反応は実に満足のいくものであったらしく、何度も頷いた。
「登耶殿、良くぞ申された…」
寶蓮院はそう切出したかと思うと、
「畏れ多くも上様が御許しあそばされし白河松平家との養子縁組をここで我が子可愛さから…、賢丸にこの田安家を相続させたいが為に解消させては、上様の御威光に瑕をつけると申すものにて…、何より将軍家たる三卿が、それも筆頭たるこの田安家が斯様に私利を優先したとあっては天下の御政道は立ち行くまいて…」
敢然と、そして凛とした口調でそう言切った。
すると登耶も「正しく…」と応じた。
寶蓮院は登耶に頷いてみせると、賢丸の方を向き、
「賢丸よ、斯かる次第でそなたにはこの田安家を継がせる訳にはゆかぬのです。この儀、聞分けてくれまするな?」
賢丸を諭す様にそう告げたのであった。
すると賢丸も登耶の血を引いているだけあって、それに加えて寶蓮院の薫陶を受けているだけに即座に己が田安家を継げないことを聞分けると、「はい」とこれまた素直に応じた。
意次はその様を目の当たりにして、余計に賢丸に田安家を継いで貰いたいと思った。
賢丸こそがこの田安家の当主に相応しいと、そう思わずにはいられなかった。
同時に意次は一時でも寶蓮院や登耶が己の申出を喜ぶものと、そう誤解したことを恥ずかしく思い、すると平伏せずにはいられなかった。
「意次殿、何故に左様に平伏なされる…」
寶蓮院は意次が急に平伏したことで、明らかに戸惑っており、それは登耶・賢丸母子にしても同様であった。
そこで意次は素直に「自白」に及んだ。
「されば…、寶蓮院様に斯かる申出を致しますれば、寶蓮院様は必ずやお喜びあそばされ、晴れて賢丸君にこの田安家を継がしめれば、寶蓮院様や賢丸君、それに賢丸君の御母堂にあらせられし香詮院様にも恩を売ることが出来…、などと、斯かる、はしたないことを思うておりました…」
香詮院とは登耶の院号である。
意次の実に素直なこの「自白」に、寶蓮院と登耶は二人して、
「カラカラと…」
これまた素直に笑ったものである。
「その程度の思惑がなければ御老中という重職は務まりますまいて…」
寶蓮院がそうフォローしたかと思うと、登耶も「左様…」とこれに続いて、
「この登耶とて、本音を申さば意次様からの御申出、大いに惹かれたものにて…、いえ、きっぱりと断りし今でも後ろ髪を引かれる思いにて…」
冗談めかしてそうフォローしたのであった。
巨勢至忠は家治より、鯨の干物に鱚の干物を夫々、一箱ずつ託されていた。
将軍・家治からの見舞いの品であり、いずれも愈々、危篤の際に贈られる品であった。
果たしてその翌日の9月8日、治察は終に歿した。行年21、あと一月後で数で22を迎えようとしての無念の死であった。
治察はこの日の未の上刻、即ち昼八つ(午後2時頃)に歿し、その直前、西之丸老中の阿部豊後守正允が家治からの見舞いの使者として派され、その死を看取った。
その翌日の9月9日は五節句の一つ、重陽に当たり、本来ならば将軍が大名や旗本らに逢う日であった。恒例の月次御礼と同じく、
「主従の絆の再確認」
それが目的であり、しかも五節句でもあるので大名、旗本らは普段は身に着けることが許されぬ長袴を着用して将軍に拝謁出来るとあって、いつもの月次御礼よりも「特別感」が増すというものだる。
だが今回は、今日の重陽は治察の死の翌日ということもあり、将軍への拝謁は取止めとなった。
この日は正しく、中陰、治察の四十九日の最中であり、そうであれば諸事穏便、慶事などは慎まねばなるまい。
そこで代わりに老中が大名や旗本らに逢った。
更にその翌日の10日、意次は「不快」、つまりは病気を理由に欠勤、御城に登城しなかった。
尤も、本当に「不快」ではなく、それはあくまで仕事を休む為の口実に過ぎず、意次は朝から田安家へと足を運んだ。
登城前對客、朝の陳情客の処理は息・意知に任せて、裏口から密かに、それも供も付けずに屋敷を脱出ると、その足で田安家へと向かった。
意次は田安家の屋敷の門前に着くなり、門を預かる番頭配下の組頭に寶蓮院への取次を頼んだ。
これで意次でなければ、その様な取次を頼んだところで跳ね付けられるのがオチであろう。
正体不明の男に天下の御三卿、それも筆頭の田安家当主の実母に逢わせる組頭はいまい。
だが意次の場合は別である。
それと言うのも意次は寶蓮院によって田安家と田沼家―、意次との仲を引裂かんと欲した一橋治済の陰謀が粉砕されてからというもの、田安家と親しく付合うべく、心を砕いてきた。
この田安家を守る番方、武官である番頭は元より、その直属の部下である組頭とも「顔馴染み」となったのもの、その「努力」の「賜物」であった。
さて、その組頭だが、竹中惣蔵等雄なる者で、番頭の中でも常見文左衛門直與配下であるので、そこで竹中惣蔵は相手が意次その人だと認識するや、まずは意次を門番所へと招じ入れた上で、自身は直ちに直属の上司である常見文左衛門の許へと急いだ。無論、意次の訪問を伝える為である。
すると今度は間もなくして、意次が予期した通り、番頭の常見文左衛門が門番所にて待つ意次の許に姿を見せた。
「ツイている…」
意次はそう思った。姿を見せたのが番頭の中でも常見文左衛門であることに対して、である。
それと言うのも、意次はここ田安家においては番頭の中ではこの常見文左衛門と一番親しく付合っていたからだ。
それ故、常見文左衛門配下の組頭、竹中惣蔵に当たった時から意次は、
「ツイている…」
そう思ったものである。これで常見文左衛門に取次いで貰えることはほぼ間違いなかったからだ。
さて意次は常見文左衛門の案内により田安大奥の廣敷向へと足を踏み入れた。
そこは中奥を兼ねた大奥と表向との境目、田安大奥の廣敷役人、つまりは男子役人のスペースであり、常時廣敷用人とその配下の廣敷用達が詰めていた。
今は廣敷用人の中でもその一人、杉浦猪兵衛良昭が詰めており、この杉浦猪兵衛とも意次は「顔馴染み」であったので、杉浦猪兵衛は意次を前にして平伏しようとしたので、それを制した。
「この意次、公方様でもなければ、大納言様でもない故、左様に畏まるには及ばず…」
意次は杉浦猪兵衛の前に腰を下ろすと、猪兵衛と同じ目線でそう告げた。
尤も、意次は確かに将軍でもなければ次期将軍でもないものの、しかし老中である。意次からそう言われても恐縮するばかりであった。
さて、番頭の常見文左衛門も膝を折ると、意次が寶蓮院への面会を希望している旨、伝えた。
杉浦猪兵衛は直ちに腰を上げると、寶蓮院の許へと、即ち、中奥を兼ねた大奥である御殿向へと急いだ。
杉浦猪兵衛は寶蓮院に意次の来訪、並びに面会希望を伝えるや、寶蓮院はこれを諒承したので、これを受けて再び、意次と常見文左衛門の待つ廣敷向へと戻ると、意次に寶蓮院が逢う旨、伝えた。
陪席していた常見文左衛門はそれを聞いて「御役御免」、表向にある番頭の詰所へと戻り、一方、杉浦猪兵衛は寶蓮院の待つ座敷へと意次を案内した。
そこで意次は寶蓮院と向かい合うと、まずは平伏して不意の来訪の無礼を詫びた。
「意次殿なれば、当家は…、少なくともこの通子はいつにても大歓迎…」
通子とは寶蓮院の謂わば諱であり、通子こと寶蓮院が平伏する意次に対してそう声をかけたことから、意次を益々、恐縮させた。意次は丁度、先程の杉浦猪兵衛と同じ立場に置かれた。
「ささっ、意次殿、面を上げられよ…、身は上様でもなければ、大納言様でもない故に…」
寶蓮院もまた、先程、意次が杉浦猪兵衛にかけたのと同じ言葉を意次その人にかけたものである。
ともあれ意次はここで漸くに頭を上げ、寶蓮院とまともに向かい合った。
それから意次はまずは治察が歿したことへの悔やみを述べ、
「これは些少ではござりまするが…」
そう言いつつ懐中より紫の袱紗、それも随分と重みのある袱紗を取出すと、寶蓮院の手許へとその袱紗を滑らせた。
「何卒、お納めの程を…」
意次は寶蓮院に叩頭しつつ、その紫の袱紗を、つまりは香典を受取って欲しいと、願ったのだ。
香典は切餅2つ、25両の包が2つの50両であり、寶蓮院もその紫の袱紗の膨らみ具合からそうと察した。
香典としては些か法外であり、さしもの寶蓮院も戸惑いを覚えた。
だが、突っ返す訳にもゆかず、
「鄭重なる御挨拶、痛み入りまする…」
寶蓮院はそう応じて、香典を受取ることにした。
するとそこへ侍女が茶菓子を運んで来たので、寶蓮院はその侍女に命じて香典を治察の霊前に供えさせた。
「して…、本日の御用向は…」
寶蓮院は侍女が香典を抱えて立去るなり、意次にそう切出した。
まさかに「お悔やみ」を述べる為だけに足を運んだ訳ではあるまいと、寶蓮院は意次に示唆した。
正しくその通りであり、
「されば…、僭越ながら、田安様の御相続につきまして…」
それこそが意次がここ田安家へと足を運んだ理由であった。
即ち、当主の治察が嫡子を生さぬまま歿した今、田安家の相続人、田安家を継ぐ有資格者は治察とは腹違いとは申せ、舎弟の賢丸定信を措いて外にはない。
だがその賢丸定信は白河松平家、その当主たる越中守定邦との養子縁組が既に内定しており、松平定邦もそのつもりで養嗣子・賢丸定信を迎える準備をしており、このままでは田安家を継げまい。
そこで意次としては賢丸が、と言うよりはその養母である寶蓮院や、何より実母の登耶が望むならば、松平定邦との養子縁組を解消して、田安家を相続出来る様、取計らう旨、寶蓮院に伝えたのであった。
「ほう…、意次殿が賢丸の為に…、この田安家を継げる様、取計ろうてくれまするか?」
「ははっ…、一介の…、それも末席に位置せし老職の分際にて斯かることを申上げまするは出過ぎた振舞いとは重々承知しておりまするが…」
「いえいえ…、意次殿が御志、この寶蓮院、嬉しく思いまする…」
寶蓮院はそう応じると、暫し思案の後、
「誰かある…」
侍女を呼付けるや、登耶と賢丸を連れて来る様、その侍女に命じた。
侍女が登耶と賢丸の2人を連れて来るまでの間、寶蓮院は意次に対して、
「今の話、登耶と賢丸にも今一度…」
話してやって欲しいと頼んだのであった。
意次はそれで寶蓮院が賢丸には松平定邦との養子縁組を解消させてまで、この田安家を継がせたいのだと、そう誤解した。
意次はその誤解を前提に、
「これで定邦と賢丸との養子縁組を解消し、その上で賢丸にはこの田安家を相続させてやれば…、その様に取計らえば、寶蓮院や賢丸に多大な恩を売ることが出来る…」
そんな算盤もとい皮算用を弾いた。
さて、登耶と賢丸が寶蓮院と意次の前に姿を見せたので、意次は寶蓮院から命じられていた通り、
「松平定邦と賢丸との養子縁組解消、その上での賢丸の田安家相続…」
それについて改めて登耶と賢丸に語って聞かせた。
それに対して登耶と賢丸はと言うと、好対照な反応を示した。
即ち、賢丸が如何にも嬉しげな様子を覗かせたのに対して、登耶はと言うと、至って冷静そのものであった。
意次はここでも「誤解」をした。登耶が至って冷静なのは、
「賢丸の様に素直に喜びの感情を面に出せば、はしたないと、そう思っているからであろう…」
つまりは登耶も内心では賢丸同様、我が子・賢丸が田安家を相続出来ることを喜んでいるに違いないと、そう「誤解」をしたのであった。
寶蓮院は意次のそんな「誤解」を余所に、
「今の意次殿からの御申出、如何に…」
登耶と賢丸の両名に尋ねた。
真先に反応したのは賢丸であり、
「真実に以て有難い御申出…」
賢丸は少年らしく素直に応えた。
「うむ…、されば登耶殿は如何?」
寶蓮院は登耶を指名した。
「されば…、この登耶も有難い御申出とは思いまするが、なれど…」
「なれど、何じゃな?」
寶蓮院は登耶に先を促した。
「ははっ…、さればここで我が子可愛さから、白河松平家との養子縁組を解消して田安家を相続させましては上様の御威光に瑕をつけることになるかと…」
登耶は意次が予期せぬことを言出したものだから、意次を驚かせた。
一方、寶蓮院にとっては登耶のその反応は実に満足のいくものであったらしく、何度も頷いた。
「登耶殿、良くぞ申された…」
寶蓮院はそう切出したかと思うと、
「畏れ多くも上様が御許しあそばされし白河松平家との養子縁組をここで我が子可愛さから…、賢丸にこの田安家を相続させたいが為に解消させては、上様の御威光に瑕をつけると申すものにて…、何より将軍家たる三卿が、それも筆頭たるこの田安家が斯様に私利を優先したとあっては天下の御政道は立ち行くまいて…」
敢然と、そして凛とした口調でそう言切った。
すると登耶も「正しく…」と応じた。
寶蓮院は登耶に頷いてみせると、賢丸の方を向き、
「賢丸よ、斯かる次第でそなたにはこの田安家を継がせる訳にはゆかぬのです。この儀、聞分けてくれまするな?」
賢丸を諭す様にそう告げたのであった。
すると賢丸も登耶の血を引いているだけあって、それに加えて寶蓮院の薫陶を受けているだけに即座に己が田安家を継げないことを聞分けると、「はい」とこれまた素直に応じた。
意次はその様を目の当たりにして、余計に賢丸に田安家を継いで貰いたいと思った。
賢丸こそがこの田安家の当主に相応しいと、そう思わずにはいられなかった。
同時に意次は一時でも寶蓮院や登耶が己の申出を喜ぶものと、そう誤解したことを恥ずかしく思い、すると平伏せずにはいられなかった。
「意次殿、何故に左様に平伏なされる…」
寶蓮院は意次が急に平伏したことで、明らかに戸惑っており、それは登耶・賢丸母子にしても同様であった。
そこで意次は素直に「自白」に及んだ。
「されば…、寶蓮院様に斯かる申出を致しますれば、寶蓮院様は必ずやお喜びあそばされ、晴れて賢丸君にこの田安家を継がしめれば、寶蓮院様や賢丸君、それに賢丸君の御母堂にあらせられし香詮院様にも恩を売ることが出来…、などと、斯かる、はしたないことを思うておりました…」
香詮院とは登耶の院号である。
意次の実に素直なこの「自白」に、寶蓮院と登耶は二人して、
「カラカラと…」
これまた素直に笑ったものである。
「その程度の思惑がなければ御老中という重職は務まりますまいて…」
寶蓮院がそうフォローしたかと思うと、登耶も「左様…」とこれに続いて、
「この登耶とて、本音を申さば意次様からの御申出、大いに惹かれたものにて…、いえ、きっぱりと断りし今でも後ろ髪を引かれる思いにて…」
冗談めかしてそうフォローしたのであった。
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さらに、こうしたさまざまな変革を通じて、日本が主導する地球防衛軍は、巨大な星間帝国の侵略を跳ね返すことに成功する。その結果、地球人類はその星間帝国の圧政にあえいでいた多数の歴史ある星間国家の指導的立場になっていくことになる。
この中で、自らの進化の必要性を悟った人類は、地球連邦を成立させ、知能の向上、他星系への植民を含む地球人類全体の経済の底上げと格差の是正を進める。
さらには、マドンナと誠司を擁する地球連邦は、銀河全体の生物に迫る危機の解明、撃退法の構築、撃退を主導し、銀河のなかに確固たる地位を築いていくことになる。
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
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だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
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※アルファポリス限定投稿
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