天明奇聞 ~たとえば意知が死ななかったら~

ご隠居

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賢夫人・寶蓮院

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 安永3(1774)年9月7日、田安家たやすけ当主とうしゅ大蔵卿おおくらきょう治察はるあき愈々いよいよ危篤きとくおちいり、将軍しょうぐん家治いえはるそばしゅう巨勢こせ伊豆守いずのかみ至忠ゆきただ田安家たやすけへと差遣さしつかわした。

 巨勢こせ至忠ゆきただ家治いえはるより、くじら干物ひものきす干物ひもの夫々それぞれ一箱ひとはこずつたくされていた。

 将軍しょうぐん家治いえはるからの見舞みまいのしなであり、いずれも愈々いよいよ危篤きとくさいおくられるしなであった。

 たしてその翌日よくじつの9月8日、治察はるあきつい歿ぼっした。行年ぎょうねん21、あと一月ひとつきかぞえで22をむかえようとしての無念むねんであった。

 治察はるあきはこのひつじ上刻じょうこくすなわち昼八つ(午後2時頃)に歿ぼっし、その直前ちょくぜん西之丸にしのまる老中ろうじゅう阿部あべ豊後守ぶんごのかみ正允まさちか家治いえはるからの見舞みまいの使者ししゃとしてされ、その看取みとった。

 その翌日よくじつの9月9日は五節句ごせっくひとつ、重陽ちょうようたり、本来ほんらいならば将軍しょうぐん大名だいみょう旗本はたもとらにであった。恒例こうれい月次御礼つきなみおんれいおなじく、

主従しゅじゅうきずな再確認さいかくにん

 それが目的もくてきであり、しかも五節句ごせっくでもあるので大名だいみょう旗本はたもとらは普段ふだんけることがゆるされぬ長袴ながばかま着用ちゃくようして将軍しょうぐん拝謁はいえつ出来できるとあって、いつもの月次御礼つきなみおんれいよりも「特別感とくべつかん」がすというものだる。

 だが今回こんかいは、今日きょう重陽ちょうよう治察はるあき翌日よくじつということもあり、将軍しょうぐんへの拝謁はいえつ取止とりやめとなった。

 このまさしく、中陰ちゅういん治察はるあき四十九日しじゅうくにち最中さなかであり、そうであれば諸事しょじ穏便おんびん慶事けいじなどはつつしまねばなるまい。

 そこでわりに老中ろうじゅう大名だいみょう旗本はたもとらにった。

 さらにその翌日よくじつの10日、意次おきつぐは「不快ふかい」、つまりは病気びょうき理由りゆう欠勤けっきん御城えどじょう登城とじょうしなかった。

 もっとも、本当ほんとうに「不快ふかい」ではなく、それはあくまで仕事しごとやすため口実こうじつぎず、意次おきつぐあさから田安家たやすけへとあしはこんだ。

 登城前とじょうまえ對客たいきゃくあさ陳情ちんじょうきゃく処理よりそく意知おきともまかせて、裏口うらぐちからひそかに、それもともけずに屋敷やしき脱出ぬけでると、そのあし田安家たやすけへとかった。

 意次おきつぐ田安家たやすけ屋敷やしき門前もんぜんくなり、もんあずかる番頭ばんがしら配下はいか組頭くみがしら寶蓮院ほうれんいんへの取次とりつぎたのんだ。

 これで意次おきつぐでなければ、そのよう取次とりつぎたのんだところでけられるのがオチであろう。

 正体しょうたい不明ふめいおとこ天下てんが御三卿ごさんきょう、それも筆頭ひっとう田安家たやすけ当主とうしゅ実母じつぼわせる組頭くみがしらはいまい。

 だが意次おきつぐ場合ばあいべつである。

 それと言うのも意次おきつぐ寶蓮院ほうれんいんによって田安家たやすけ田沼家たぬまけ―、意次おきつぐとのなか引裂ひきさかんとほっした一橋ひとつばし治済はるさだ陰謀いんぼう粉砕ふんさいされてからというもの、田安家たやすけしたしく付合つきあうべく、こころくだいてきた。

 この田安家たやすけまも番方ばんかた武官ぶかんである番頭ばんがしらもとより、その直属ちょくぞく部下ぶかである組頭くみがしらとも「顔馴染かおなじみ」となったのもの、その「努力どりょく」の「賜物たまもの」であった。

 さて、その組頭くみがしらだが、竹中惣蔵たけなかそうぞう等雄ともおなるもので、番頭ばんがしらなかでも常見つねみ文左衛門ぶんざえもん直與なおとも配下はいかであるので、そこで竹中惣蔵たけなかそうぞう相手あいて意次おきつぐそのひとだと認識にんしきするや、まずは意次おきつぐ門番所もんばんしょへとしょうれたうえで、自身じしんただちに直属ちょくぞく上司じょうしである常見つねみ文左衛門ぶんざえもんもとへといそいだ。無論むろん意次おきつぐ訪問ほうもんつたえるためである。

 すると今度こんどもなくして、意次おきつぐ予期よきしたとおり、番頭ばんがしら常見つねみ文左衛門ぶんざえもん門番所もんばんしょにて意次おきつぐもと姿すがたせた。

「ツイている…」

 意次おきつぐはそうおもった。姿すがたせたのが番頭ばんがしらなかでも常見つねみ文左衛門ぶんざえもんであることにたいして、である。

 それと言うのも、意次おきつぐはここ田安家たやすけにおいては番頭ばんがしらなかではこの常見つねみ文左衛門ぶんざえもん一番親いちばんしたしく付合つきあっていたからだ。

 それゆえ常見つねみ文左衛門ぶんざえもん配下はいか組頭くみがしら竹中惣蔵たけなかそうぞうたったときから意次おきつぐは、

「ツイている…」

 そうおもったものである。これで常見つねみ文左衛門ぶんざえもん取次とりついでもらえることはほぼ間違まちがいなかったからだ。

 さて意次おきつぐ常見つねみ文左衛門ぶんざえもん案内あんないにより田安たやす大奥おおおく廣敷向ひろしきむきへとあしれた。

 そこは中奥なかおくねた大奥おおおく表向おもてむきとの境目さかいめ田安たやす大奥おおおく廣敷役人ひろしきやくにん、つまりは男子だんし役人やくにんのスペースであり、常時じょうじ廣敷用人ひろしきようにんとその配下はいか廣敷用達ひろしきようたしめていた。

 いま廣敷用人ひろしきようにんなかでもその一人ひとり杉浦すぎうら猪兵衛いへえ良昭よしあきめており、この杉浦すぎうら猪兵衛いへえとも意次おきつぐは「顔馴染かおなじみ」であったので、杉浦すぎうら猪兵衛いへえ意次おきつぐまえにして平伏へいふくしようとしたので、それをせいした。

「この意次おきつぐ公方くぼうさまでもなければ、大納言だいなごんさまでもないゆえ左様さようかしこまるにはおよばず…」

 意次おきつぐ杉浦すぎうら猪兵衛いへえまえこしろすと、猪兵衛いへえおな目線めせんでそうげた。

 もっとも、意次おきつぐたしかに将軍しょうぐんでもなければ次期じき将軍しょうぐんでもないものの、しかし老中ろうじゅうである。意次おきつぐからそう言われても恐縮きょうしゅくするばかりであった。

 さて、番頭ばんがしら常見つねみ文左衛門ぶんざえもんひざると、意次おきつぐ寶蓮院ほうれんいんへの面会めんかい希望きぼうしているむねつたえた。

 杉浦すぎうら猪兵衛いへえただちにこしげると、寶蓮院ほうれんいんもとへと、すなわち、中奥なかおくねた大奥おおおくである御殿向ごてんむきへといそいだ。

 杉浦すぎうら猪兵衛いへえ寶蓮院ほうれんいん意次おきつぐ来訪らいほうならびに面会めんかい希望きぼうつたえるや、寶蓮院ほうれんいんはこれを諒承りょうしょうしたので、これをけてふたたび、意次おきつぐ常見つねみ文左衛門ぶんざえもん廣敷向ひろしきむきへともどると、意次おきつぐ寶蓮院ほうれんいんむねつたえた。

 陪席ばいせきしていた常見つねみ文左衛門ぶんざえもんはそれをいて「御役御免おやくごめん」、表向おもてむきにある番頭ばんがしら詰所つめしょへともどり、一方いっぽう杉浦すぎうら猪兵衛いへえ寶蓮院ほうれんいん座敷ざしきへと意次おきつぐ案内あんないした。

 そこで意次おきつぐ寶蓮院ほうれんいんかいうと、まずは平伏へいふくして不意ふい来訪らいほう無礼ぶれいびた。

意次殿おきつぐどのなれば、当家とうけは…、すくなくともこの通子みちこはいつにても大歓迎だいかんげい…」

 通子みちことは寶蓮院ほうれんいんわばいみなであり、通子みちここと寶蓮院ほうれんいん平伏へいふくする意次おきつぐたいしてそうこえをかけたことから、意次おきつぐ益々ますます恐縮きょうしゅくさせた。意次おきつぐ丁度ちょうど先程さきほど杉浦すぎうら猪兵衛いへえおな立場たちばかれた。

「ささっ、意次殿おきつぐどのおもてげられよ…、上様うえさまでもなければ、大納言だいなごんさまでもないゆえに…」

 寶蓮院ほうれんいんもまた、先程さきほど意次おきつぐ杉浦すぎうら猪兵衛いへえにかけたのとおな言葉ことば意次おきつぐそのひとにかけたものである。

 ともあれ意次おきつぐはここでようやくにあたまげ、寶蓮院ほうれんいんとまともにかいった。

 それから意次おきつぐはまずは治察はるあき歿ぼっしたことへのやみをべ、

「これは些少さしょうではござりまするが…」

 そう言いつつ懐中かいちゅうよりむらさき袱紗ふくさ、それも随分ずいぶんおもみのある袱紗ふくさ取出とりだすと、寶蓮院ほうれんいん手許てもとへとその袱紗ふくさすべらせた。

何卒なにとぞ、おおさめのほどを…」

 意次おきつぐ寶蓮院ほうれんいん叩頭こうとうしつつ、そのむらさき袱紗ふくさを、つまりは香典こうでん受取うけとってしいと、ねがったのだ。

 香典こうでん切餅きりもち2つ、25両のつつみが2つの50両であり、寶蓮院ほうれんいんもそのむらさき袱紗ふくさふくらみ具合ぐあいからそうとさっした。

 香典こうでんとしてはいささ法外ほうがいであり、さしもの寶蓮院ほうれんいん戸惑とまどいをおぼえた。

 だが、かえわけにもゆかず、

鄭重ていちょうなる挨拶あいさついたりまする…」

 寶蓮院ほうれんいんはそうおうじて、香典こうでん受取うけとることにした。

 するとそこへ侍女じじょ茶菓子ちゃがしはこんでたので、寶蓮院ほうれんいんはその侍女じじょめいじて香典こうでん治察はるあき霊前れいぜんそなえさせた。

「して…、本日ほんじつ御用向ごようむきは…」

 寶蓮院ほうれんいん侍女じじょ香典こうでんかかえて立去たちさるなり、意次おきつぐにそう切出きりだした。

 まさかに「おやみ」をべるためだけにあしはこんだわけではあるまいと、寶蓮院ほうれんいん意次おきつぐ示唆しさした。

 まさしくそのとおりであり、

「されば…、僭越せんえつながら、田安様たやすさま相続そうぞくにつきまして…」

 それこそが意次おきつぐがここ田安家たやすけへとあしはこんだ理由わけであった。

 すなわち、当主とうしゅ治察はるあき嫡子ちゃくしさぬまま歿ぼっしたいま田安家たやすけ相続人そうぞくにん田安家たやすけ有資格者ゆうしかくしゃ治察はるあきとは腹違はらちがいとはもうせ、舎弟しゃてい賢丸定信まさまるさだのぶいてほかにはない。

 だがその賢丸定信まさまるさだのぶ白河しらかわ松平家まつだいらけ、その当主とうしゅたる越中守えっちゅうのかみ定邦さだくにとの養子ようし縁組えんぐみすで内定ないていしており、松平まつだいら定邦さだくにもそのつもりで養嗣子ようしし賢丸定信まさまるさだのぶむかえる準備じゅんびをしており、このままでは田安家たやすけげまい。

 そこで意次おきつぐとしては賢丸まさまるが、と言うよりはその養母ようぼである寶蓮院ほうれんいんや、なにより実母じつぼ登耶とやのぞむならば、松平まつだいら定邦さだくにとの養子ようし縁組えんぐみ解消かいしょうして、田安家たやすけ相続そうぞく出来できよう取計とりはからうむね寶蓮院ほうれんいんつたえたのであった。

「ほう…、意次殿おきつぐどの賢丸まさまるために…、この田安家たやすけげるよう取計とりはかろうてくれまするか?」

「ははっ…、一介いっかいの…、それも末席まっせき位置いちせし老職ろうしょく分際ぶんざいにてかることを申上もうしあげまするは出過ですぎた振舞ふるまいとは重々じゅうじゅう承知しょうちしておりまするが…」

「いえいえ…、意次殿おきつぐどの御志おこころざし、この寶蓮院ほうれんいんうれしくおもいまする…」

 寶蓮院ほうれんいんはそうおうじると、しば思案しあんのち

たれかある…」

 侍女じじょ呼付よびつけるや、登耶とや賢丸まさまるれてよう、その侍女じじょめいじた。

 侍女じじょ登耶とや賢丸まさまるの2人をれてるまでのあいだ寶蓮院ほうれんいん意次おきつぐたいして、

いまはなし登耶とや賢丸まさまるにも今一度いまいちど…」

 はなしてやってしいとたのんだのであった。

 意次おきつぐはそれで寶蓮院ほうれんいん賢丸まさまるには松平まつだいら定邦さだくにとの養子ようし縁組えんぐみ解消かいしょうさせてまで、この田安家たやすけがせたいのだと、そう誤解ごかいした。

 意次おきつぐはその誤解ごかい前提ぜんていに、

「これで定邦さだくに賢丸まさまるとの養子ようし縁組えんぐみ解消かいしょうし、そのうえ賢丸まさまるにはこの田安家たやすけ相続そうぞくさせてやれば…、そのよう取計とりはからえば、寶蓮院ほうれんいん賢丸まさまる多大ただいおんることが出来できる…」

 そんな算盤ソロバンもとい皮算用かわざんようはじいた。

 さて、登耶とや賢丸まさまる寶蓮院ほうれんいん意次おきつぐまえ姿すがたせたので、意次おきつぐ寶蓮院ほうれんいんからめいじられていたとおり、

松平まつだいら定邦さだくに賢丸まさまるとの養子縁組ようしえんぐみ解消かいしょう、そのうえでの賢丸まさまる田安家たやすけ相続そうぞく…」

 それについてあらためて登耶とや賢丸まさまるかたってかせた。

 それにたいして登耶とや賢丸まさまるはと言うと、好対照こうたいしょう反応はんのうしめした。

 すなわち、賢丸まさまる如何いかにもうれしげな様子ようすのぞかせたのにたいして、登耶とやはと言うと、いたって冷静れいせいそのものであった。

 意次おきつぐはここでも「誤解ごかい」をした。登耶とやいたって冷静れいせいなのは、

賢丸まさまるよう素直すなおよろこびの感情かんじょうおもてせば、はしたないと、そうおもっているからであろう…」

 つまりは登耶とや内心ないしんでは賢丸同様まさまるどうよう賢丸まさまる田安家たやすけ相続そうぞく出来できることをよろこんでいるにちがいないと、そう「誤解ごかい」をしたのであった。

 寶蓮院ほうれんいん意次おきつぐのそんな「誤解ごかい」を余所よそに、

いま意次殿おきつぐどのからの御申出おもうしで如何いかに…」

 登耶とや賢丸まさまる両名りょうめいたずねた。

 真先まっさき反応はんのうしたのは賢丸まさまるであり、

真実まこともっ有難ありがた御申出おもうしで…」

 賢丸まさまる少年しょうねんらしく素直すなおこたえた。

「うむ…、されば登耶とや殿どの如何いかが?」

 寶蓮院ほうれんいん登耶とや指名しめいした。

「されば…、この登耶とや有難ありがた御申出おもうしでとはおもいまするが、なれど…」

「なれど、なんじゃな?」

 寶蓮院ほうれんいん登耶とやさきうながした。

「ははっ…、さればここで可愛かわいさから、白河しらかわ松平家まつだいらけとの養子ようし縁組えんぐみ解消かいしょうして田安家たやすけ相続そうぞくさせましては上様うえさま御威光ごいこうきずをつけることになるかと…」

 登耶とや意次おきつぐ予期よきせぬことを言出いいだしたものだから、意次おきつぐおどろかせた。

 一方いっぽう寶蓮院ほうれんいんにとっては登耶とやのその反応はんのうじつ満足まんぞくのいくものであったらしく、何度なんどうなずいた。

登耶とや殿どのくぞもうされた…」

 寶蓮院ほうれんいんはそう切出きりだしたかとおもうと、

おそおおくも上様うえさまゆるしあそばされし白河しらかわ松平家まつだいらけとの養子ようし縁組えんぐみをここで可愛かわいさから…、賢丸まさまるにこの田安家たやすけ相続そうぞくさせたいがため解消かいしょうさせては、上様うえさま威光いこうきずをつけるともうすものにて…、なにより将軍家しょうぐんけたる三卿さんきょうが、それも筆頭ひっとうたるこの田安家たやすけ斯様かよう私利しり優先ゆうせんしたとあっては天下てんが政道せいどうくまいて…」

 敢然かんぜんと、そしてりんとした口調くちょうでそう言切いいきった。

 すると登耶とやも「まさしく…」とおうじた。

 寶蓮院ほうれんいん登耶とやうなずいてみせると、賢丸まさまるほうき、

賢丸まさまるよ、かる次第しだいでそなたにはこの田安家たやすけがせるわけにはゆかぬのです。この聞分ききわけてくれまするな?」

 賢丸まさまるさとようにそうげたのであった。

 すると賢丸まさまる登耶とやいているだけあって、それにくわえて寶蓮院ほうれんいん薫陶くんとうけているだけに即座そくざおのれ田安家たやすけげないことを聞分ききわけると、「はい」とこれまた素直すなおおうじた。

 意次おきつぐはそのさまたりにして、余計よけい賢丸まさまる田安家たやすけいでもらいたいとおもった。

 賢丸まさまるこそがこの田安家たやすけ当主とうしゅ相応ふさわしいと、そうおもわずにはいられなかった。

 同時どうじ意次おきつぐ一時いっときでも寶蓮院ほうれんいん登耶とやおのれ申出もうしでよろこぶものと、そう誤解ごかいしたことをずかしくおもい、すると平伏へいふくせずにはいられなかった。

意次殿おきつぐどの何故なにゆえ左様さよう平伏へいふくなされる…」

 寶蓮院ほうれんいん意次おきつぐきゅう平伏へいふくしたことで、あきらかに戸惑とまどっており、それは登耶とや賢丸まさまる母子ぼしにしても同様どうようであった。

 そこで意次おきつぐ素直すなおに「自白じはく」におよんだ。

「されば…、寶蓮院様ほうれんいんさまかる申出もうしでいたしますれば、寶蓮院様ほうれんいんさまかならずやおよろこびあそばされ、れて賢丸君まさまるぎみにこの田安家たやすけがしめれば、寶蓮院様ほうれんいんさま賢丸君まさまるぎみ、それに賢丸君まさまるぎみ御母堂ごぼどうにあらせられし香詮院様こうせんいんさまにもおんることが出来でき…、などと、かる、はしたないことをおもうておりました…」

 香詮院こうせんいんとは登耶とや院号いんごうである。

 意次おきつぐじつ素直すなおなこの「自白じはく」に、寶蓮院ほうれんいん登耶とや二人ふたりして、

「カラカラと…」

 これまた素直すなおわらったものである。

「その程度ていど思惑おもわくがなければ老中ろうじゅうという重職じゅうしょくつとまりますまいて…」

 寶蓮院ほうれんいんがそうフォローしたかとおもうと、登耶とやも「左様さよう…」とこれにつづいて、

「この登耶とやとて、本音ほんねもうさば意次様おきつぐさまからの御申出おもうしでおおいにかれたものにて…、いえ、きっぱりとことわりしいまでもうしがみかれるおもいにて…」

 冗談じょうだんめかしてそうフォローしたのであった。
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