天明奇聞 ~たとえば意知が死ななかったら~

ご隠居

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一橋治済は西之丸奥医師として次期将軍・家基に仕える法眼の小川玄達子雍とその甥である山添宗允直辰をも籠絡、家基暗殺計画の共犯者に仕立てていた。

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 はなし一昨年おととしの安永5(1776)年5月にまでさかのぼる。

 安永5(1776)年5月、家基いえもと麻疹はしか罹患かかり、そこで西之丸にしのまるおく医師いし小川おがわ子雍たねやすおなじく西之丸にしのまるおく医師いし山添宗允直辰やまぞえそういんなおときとも療治りょうじたった。

 これは小川おがわ子雍たねやす山添直辰やまぞえなおときの2人が、

是非ぜひとも大納言だいなごんさま療治りょうじたらせていただたく…」

 西之丸にしのまるおく医師いしのリーダー、法印ほういん吉田よしだ桃源院善正とうげんいんよしまさ名乗なのたことによる。

 じつ小川おがわ子雍たねやす山添直辰やまぞえなおときの2人はじつ叔父おじおい関係かんけいにあり、子雍たねやす実姉じっし小普請こぶしん医師いしであった山添宗積直之やまぞえそうせきなおゆきとのあいだにもうけたのが直辰なおときであった。

 それゆえ西之丸にしのまるおく医師いしチームなかでも、小川おがわ子雍たねやす山添直辰やまぞえなおときじつ叔父おじおい関係かんけいからいつも仲良なかよツルんでおり、そんな2人が家基いえもと治療ちりょうたらせてしいと、西之丸にしのまる医師いしチームのリーダー、吉田よしだ善正よしまさ売込うりこんだんも至極しごく当然とうぜんながれと言えた。

 ここで家基いえもと見事みごと快復かいふくみちびくことが出来できれば、法眼ほうげんから法印ほういんへの昇格しょうかくみちひらかれるからだ。

 家基いえもと麻疹はしか罹患かかった安永5(1776)年の時点じてん小川おがわ子雍たねやす山添直辰なおときの2人はすで法眼ほうげんであり、さら法印ほういんへと昇格しょうかくすることをのぞんでおり、そのためには医師いしとしての実力じつりょくがあることを証明しょうめいしなければならない。

 そこで小川おがわ子雍たねやす山添直辰やまぞえなおときの2人は西之丸にしのまるおく医師いしチームのリーダーである吉田よしだ善正よしまさ家基いえもと治療ちりょうをさせてしいと、おのれ売込うりこんだのだ。

 これにたいして吉田よしだ善正よしまさ小川おがわ子雍たねやす山添直辰やまぞえなおときのその「思惑おわもく」もとい野心やしんには即座そくざ気付きづいたものの、それ自体じたいめられるべきものではなかった。

 幕府ばくふ医官いかんならば、それも上昇じょうしょう志向しこうつよければ、法印ほういんになりたいと、そう野心やしんつのが普通ふつうであり、吉田よしだ善正よしまさからしてそうであった。

 吉田よしだ善正よしまさはそれゆえ医師いしとしてのうでみがき、ほか医官いかん切磋琢磨せっさたくま結果けっか家基いえもとつかえるおく医師いしチームのリーダーにまでのぼめたのだ。

 吉田よしだ善正よしまさはそれゆえに、小川おがわ子雍たねやす山添直辰やまぞえなおときの2人の野心やしん

法印ほういんになりたい…」

 その野心やしん理解りかい出来できたので、そこで子雍たねやす直辰なおときの2人に家基いえもと治療ちりょうまかせることにした。

 将軍しょうぐんにしろ、次期じき将軍しょうぐんにしろ、どの医師いし治療ちりょうまかせるかは法印ほういんゆだねられていた。

 西之丸にしのまる場合ばあい法印ほういん当時とうじいま吉田よしだ善正よしまさ唯一人ただひとりであり、善正よしまさにその「決定権けっていけん」があった。

 かくして小川おがわ子雍たねやす山添直辰やまぞえなおときの2人が家基いえもと麻疹はしか治療ちりょうたるわけだが、しかし結果けっか惨憺さんたんたるものであった。

 表向おもてむきこそ、小川おがわ子雍たねやす山添直辰やまぞえなおときの2人が家基いえもと麻疹はしか治療ちりょうたり、結果けっか治療ちりょうこうそうして、子雍たねやすには褒美ほうびくだされたものの、実際じっさいには本丸奥ほんまるおく医師いし池原良誠いけはらよしのぶ治療ちりょう賜物たまものであった。

 小川おがわ子雍たねやす山添直辰やまぞえなおときの2人は家基いえもと麻疹はしか治療ちりょうおおかったはいものの、元来がんらい、2人はともうで未熟みじゅくであり、益体やくたいもないくすり家基いえもと投与とうよつづけ、結果けっか深刻しんこく事態じたい引起ひきおこしたのだ。

 すなわち、吉田よしだ善正よしまさですらほどこようがないほど家基いえもと容態ようだい悪化あっかさせてしまったのだ。

 ちなみにこの時点じてん家基いえもとんでいれば、治済はるさだよごさずに次期じき将軍しょうぐんしょくれられていたやもれぬ。

 だが、さいわいにも―、治済はるさだにしてみれば生憎あいにくと、そうはならなかった。

 吉田よしだ善正よしまさ小川おがわ子雍たねやす山添直辰やまぞえなおときの2人に罵声ばせいびせてただちに家基いえもと治療ちりょうからろすと、ただちに本丸奥ほんまるおく医師いし法眼ほうげん森雲禎當定もりうんていまささだ相談そうだん持掛もちかけた。

大納言だいなごんさま治療ちりょう小川おがわ子雍たねやす山添直辰やまぞえなおときの2人の莫迦ばかまかせたはいものの、この莫迦バカども大納言だいなごんさま益体やくたいもない、それどころか麻疹はしかにはがいとなるくすり投与とうよし、この善正よしまさほどこようがないほど大納言だいなごんさま症状しょうじょう悪化あっかさせてしまった…、まだ上様うえさまには、それに近侍きんじせし御側御用取次おそばごようとりつぎや、あるいは老中ろうじゅうらには気付きづかれてはいないものの、なれどこのことがあきらかとならば、大納言だいなごんさま御命おいのち危険きけんさらした子雍たねやす直辰なおときの2人の莫迦バカ無論むろんのこと、そんな莫迦バカ2人に大納言だいなごんさま治療ちりょうまかせてしまったこの善正よしまさとて無事ぶじではまぬ…、そこでだ、森殿もりどのだれ本丸ほんまるにて名医めいいはおらぬか…」

 吉田よしだ善正よしまさ森當定もりまささだにそう相談そうだん持掛もちかけた、と言うよりはたすけをもとめたのだ。

 ところで吉田よしだ善正よしまさ何故なにゆえ森當定もりまささだたすけをもとめたのかと言うと、それは善正よしまさ実弟じっていにして田安家臣たやすかしん石寺いしでら伊織いおり章貞あきさだ森當定もりまささだ長女ちょうじょめとっていたからだ。

 その森當定もりまささだだが、本丸奥ほんまるおく医師いし取立とりたてられてあさい、池原良誠いけはらよしのぶげたのであった。

 池原良誠いけはらよしのぶは安永4(1775)年11月に田沼たぬま意次おきつぐ推挙すいきょによりおく医師いし取立とりたたてられたばかりであるが、しかし医師いしとしての実力じつりょくというてんでは本丸奥ほんまるおく医師いしどころか、すべての医官いかんなかでも一頭地いっとうちいていた。

 それは本丸奥ほんまるおく医師いしチームのリーダーである法印ほういん河野こうの仙壽院通頼せんじゅいんみちよりみとめるところであった。

 それゆえ池原良誠いけはらよしのぶ本丸奥ほんまるおく医師いし取立とりたてられたばかりだと言うに、河野こうの通頼みちより強力きょうりょく推挙すいきょもあって、その翌年よくねん日光社参にっこうしゃさん扈従こしょうすることがゆるされたのだ。

 吉田よしだ善正よしまさ森當定もりまささだから池原良誠いけはらよしのぶ名医めいいぶりについてかされるや、この池原良誠いけはらよしのぶ至急しきゅう家基いえもと治療ちりょうたらせてもらよう取計とりはからってもらいたいと、當定まささだ懇願こんがん泣付なきついた。

 こときゅうようす―、家基いえもといのちかっており、そこで森當定もりまささだ早速さっそくにも本丸奥ほんまるおく医師いしチームのリーダーである法印ほういん河野こうの通頼みちよりにこのけん上申じょうしんおよんだ。

 すると河野こうの通頼みちより森當定もりまささだからの上申じょうしんけて、将軍しょうぐん家治いえはるたいして、家基いえもと治療ちりょう池原良誠いけはらよしのぶをも召加めしくわえてもらいたいと、懇願こんがんしたのだ。

 それにたいして家治いえはるなん疑念ぎねんたずに池原良誠いけはらよしのぶをも家基いえもと治療ちりょうチームくわえたのだ。

 その池原良誠いけはらよしのぶたいしては森當定もりまささだより「真実しんじつ」がつたえられた。

 すなわち、前任者ぜんにんしゃとも言うべき小川おがわ子雍たねやす山添直辰やまぞえなおとき両名りょうめいによる「医療いりょうミス」の所為せい家基いえもと重態じゅうたいおちいっており、そこで池原良誠いけはらよしのぶうでなんとか、家基いえもといのちすくってやってしいと、そう森當定もりまささだより良誠よしのぶへとげられたのだ。

 かくして池原良誠いけはらよしのぶいそ西之丸にしのまるへと乗込のりこむと、小川おがわ子雍たねやす山添直辰やまぞえなおときの2人を退けて家基いえもと治療ちりょうたりはじめ、すると家基いえもと良誠よしのぶ治療ちりょう甲斐かいあって、危機ききだっし、快復かいふくしたのだ。

 こうして池原良誠いけはらよしのぶには褒美ほうびくだされたのだが、しかし同時どうじ小川おがわ子雍たねやすにも褒美ほうびくだされた。

 将軍しょうぐん家治いえはるもとより、御側御用取次おそばごようとりつぎ稲葉いなば正明まさあきらたちも、家基いえもと麻疹はしか治療ちりょうし、快復かいふくへとみちびいたのは池原良誠いけはらよしのぶともに、小川おがわ子雍たねやす山添直辰やまぞえなおときの2人の医師いしであると、そうしんじてうたがわなかったからだ。

 そこで家治いえはる小川おがわ子雍たねやす山添直辰やまぞえなおとき、そして池原良誠いけはらよしのぶの3人に褒美ほうびくだそうとした。

 家治いえはるは、それに側近そっきん御側御用取次おそばごようとりつぎ老中ろうじゅうらも家基いえもと快復かいふくしたこの時点じてんにおいても、家基いえもと治療ちりょうたったのは、それも快復かいふくみちびいたのは小川おがわ子雍たねやす山添直辰やまぞえなおとき、そして池原良誠いけはらよしのぶの3人であると、そうしんじてうたがわなかった。

 だが、「現場げんばレベル」においてはそれは猛反発もうはんぱつまねいた。

 すなわち、実際じっさいには池原良誠いけはらよしのぶ一人ひとり家基いえもと治療ちりょうたずさわったことをっている、それも西之丸にしのまるおく医師いしチームのリーダーである吉田よしだ善正よしまさからの要請ようせいもとづいて池原良誠いけはらよしのぶ西之丸にしのまるへとした本丸奥ほんまるおく医師いしチームのリーダーである河野こうの通頼みちよりや、吉田よしだ善正よしまさからの要請ようせい河野こうの通頼みちよりへと取次とりついだ森當定もりまささだ猛反発もうはんぱつした。

 家基いえもと実際じっさい快復かいふくへとみちびいた池原良誠いけはらよしのぶだけでなく、それとはぎゃくに、家基いえもと一時いっとき快復かいふく不能ふのうなまでに重篤じゅうとくにさせた、まさ医療いりょう過誤ミス仕出しでかした小川おがわ子雍たねやす山添直辰やまぞえなおときにまで褒美ほうびくだされることに猛反発もうはんぱつしたのだ。

 とりわけ森當定もりまささだ猛反発もうはんぱつした。

 それと言うのも森當定もりまささだ吉田よしだ善正よしまさ縁者えんじゃであるばかりでなく、池原良誠いけはらよしのぶ縁者えんじゃでもあったからだ。

 すなわち、森當定もりまささだ嫡子ちゃくしにして、おなじく本丸奥ほんまるおく医師いし雲悦當光うんえつまさみつ池原良誠いけはらよしのぶ三女さんじょめとっており、しかも家基いえもと麻疹はしか罹患かかるより前年ぜんねん、つまりは3年前ねんまえの安永4(1775)年には吉五郎きちごろう當寛まさひろなる嫡子ちゃくしまでもうけていた。

 森當定もりまささだにとっては吉五郎きちごろう當寛まさひろ嫡孫ちゃくそんであり、池原良誠いけはらよしのぶにとっても大事だいじむすめんだというわけ外孫そとまごたる。

 かる次第しだい森當定もりまささだ吉田よしだ善正以上よしまさいじょう池原良誠いけはらよしのぶとはふと紐帯ちゅうたいむすばれていると言っても過言かごんではなく、それゆえ池原良誠いけはらよしのぶ一人ひとり褒美ほうびくだされるべきだと主張しゅちょう将軍しょうぐん家治いえはるにそのむね上申じょうしんしようとし、森當定もりまささだ池原良誠いけはらよしのぶ直属ちょくぞく上司じょうしたる本丸奥ほんまるおく医師いしチームのリーダーである法印ほういん河野こうの通頼みちより森當定もりまささだ支持しじした。

 家基いえもと実際じっさい快復かいふくへとみちびいた本丸奥ほんまるおく医師いし池原良誠いけはらよしのぶだけでなく、それとは正反対せいはんたい家基いえもところしかけた西之丸にしのまるおく医師いし小川おがわ子雍たねやす山添直辰やまぞえなおときにまで褒美ほうびくだされては、本丸奥ほんまるおく医師いしチーム沽券こけんにかかわるからだ。

 だがとう本人ほんにんである池原良誠いけはらよしのぶがそれをせいした。

「ここで、この良誠よしのぶ一人ひとり褒美ほうびくだされましては、小川おがわ殿どの山添殿やまぞえどの大納言だいなごんさま療治りょうじにはなんやくにもたなかったと、左様さよう天下てんがさらすも同然どうぜんにて…」

 良誠よしのぶ将軍しょうぐん家治いえはるへの上申じょうしんという過激かげき行動こうどうようとする森當定もりまささだや、それを支持しじするリーダーの河野こうの通頼みちよりたいして、おのれ一人ひとり褒美ほうびくだされることを拝辞はいじしたのだ。

 いや実際じっさい小川おがわ子雍たねやす山添直辰やまぞえなおとき家基いえもと治療ちりょうにはなんやくなかったどころか、家基いえもところしかけた。

 それでもここは、

穏便おんびんに…」

 良誠よしのぶだけでなく、小川おがわ子雍たねやす山添直辰やまぞえなおときにも褒美ほうびくだされるのが懸命けんめいであると、良誠当人よしのぶとうにんがそう主張しゅちょうしたのだ。

 成程なるほど、ここで河野こうの通頼みちより森當定もりまささだ一時いっとき感情かんじょう激情げきじょうながされて将軍しょうぐん家治いえはる真実しんじつをぶちまければ、本丸奥ほんまるおく医師いしチーム西之丸にしのまるおく医師いしチームとのあいだ亀裂きれつしょうじさせることにもなりかねず、それはけっしてこのましいことではなかった。

 そこで本丸奥ほんまるおく医師いしチームのリーダー、河野こうの通頼みちより池原良誠いけはらよしのぶ拝辞はいじもあり、良誠よしのぶだけでなく、小川おがわ子雍たねやす山添直辰やまぞえなおときにも褒美ほうびくだされることを承知しょうちしたのだが、すると今度こんどはやはり池原良誠いけはらよしのぶ家基いえもとすくったことを西之丸にしのまるおく医師いしチーム吉田よしだ善正よしまさが、

「それでは池原良誠いけはらよしのぶ申訳もうしわけなく…」

 小川おがわ子雍たねやす山添直辰やまぞえなおときのどちらか一方いっぽうにだけ褒美ほうびくだされれば充分じゅうぶんと、河野こうの通頼みちよりにその意向いこうしめしたのだ。

 そこで河野こうの通頼みちより年長者ねんちょうじゃ小川おがわ子雍たねやすえらび、

大納言だいなごんさま実際じっさい平癒へいゆへとみちび申上もうしあげましたるは、小川おがわ子雍たねやす池原良誠いけはらよしのぶの2人にて、山添直辰やまぞえなおときは2人をたすけたにぎず…」

 そこで小川おがわ子雍たねやす池原良誠いけはらよしのぶの2人にだけ御褒美ごほうびをと、家治いえはるにそう上申じょうしんしたのだ。

 すると家治いえはる河野こうの通頼みちよりからのこの上申じょうしんけ、そこで小川おがわ子雍たねやす池原良誠いけはらよしのぶの2人にだけ家基いえもと見事みごと治療ちりょう快復かいふくへとみちびいたことにたいする褒美ほうびくだしたのであった。

 これですべてがまるく、おさまるべきところにおさまったかのようおもわれたが、しかし森當定もりまささだだけはおさまらず、こと次第しだい本丸ほんまるおもてばん医師いしにだけ内報リークおよんだのだ。

 そこには勿論もちろんおもてばん医師いし一人ひとりである天野あまの敬登たかなり峯岸瑞興みねぎしよしおきふくまれており、そこでこの2人はこれを治済はるさだへとさら内報リークおよんだ。

 このときすで天野あまの敬登たかなり峯岸瑞興みねぎしよしおき治済はるさだ取込とりこまれていたからだ。のみならず、家基暗殺計画いえもとあんさつけいかくの「共犯者きょうはんしゃ」に成下なりさがっていた。

 一方いっぽう治済はるさだ天野あまの敬登たかなり峯岸瑞興みねぎしよしおきからの内報リークけて早速さっそく小川おがわ子雍たねやす山添直辰やまぞえなおとき連絡コンタクトることにした。

 これで西之丸にしのまるおく医師いしとして家基いえもと近似きんじする小川おがわ子雍たねやす山添直辰やまぞえなおときの2人をも取込とりこみ、あまつさえ家基暗殺計画いえもとあんさつけいかくの「共犯者きょうはんしゃ」に仕立したげることが出来できればまさに、

おに金棒かなぼう…」

 であった。

 問題もんだい如何いかにして小川おがわ子雍たねやす山添直辰なおとき連絡コンタクトるか、であった。

 そこで名乗なのりをげたのが治済はるさだ近習きんじゅうばん相勤あいつとむる村山むらやま惣五郎そうごろう忠輔ただすけであった。

 村山むらやま惣五郎そうごろうかつて、一橋家ひとつばしけ始祖しそにして治済はるさだちち宗尹むねただにやはり近習きんじゅうばんとしてつかえていた村山むらやま藤九郎とうくろう有成ありしげ次男じなんであった。

 この村山むらやま藤九郎とうくろうには惣五郎そうごろうほかにも吉之助きちのすけ元章もとあきらなる嫡子ちゃくし長男ちょうなんがいたのだが、村山むらやま藤九郎とうくろうはその吉之助きちのすけあににして寄合よりあい医師いし村山元格元珍むらやまげんかくもとよし養嗣子ようしし差出さしだしたのだ。

 御三卿ごさんきょう家臣かしんとはもうせ、所詮しょせんいち大名家だいみょうけ陪臣ばいしん嫡子ちゃくし幕府ばくふ医官いかん養嗣子ようししとでは、幕府ばくふ医官いかん養嗣子ようししほう格上かくうえであった。

 村山元珍むらやまもとよし嫡子ちゃくしどころか子宝こだからめぐまれず、そこで2人もの男児だんじめぐまれた実弟じってい藤九郎とうくろうに、

「どちらか一人ひとり養嗣子ようししもらえまいか…」

 そう相談そうだん持掛もちかけたのであった。

 そこで村山むらやま藤九郎とうくろうは「それなれば…」と、嫡子ちゃくし吉之助きちのすけ養嗣子ようししとしてあに元珍もとよし差出さしだしたのであった。

 それが明和7(1770)年6月、村山元珍むらやまもとよし歿ぼっする直前ちょくぜんのことであり、こうして吉之助きちのすけ元章もとあきらぐに伯父おじ元珍もとよし家督かとくいで小普請こぶしん医師いしれっしたはいものの、それからぐにやまい罹患かかり、その翌年よくねんの明和8(1771)年9月に歿ぼっしてしまったのだ。まだ18であり、妻女さいじょめとってはいなかった。

 村山むらやま吉之助きちのすけ元章もとあきら歿ぼっする直前ちょくぜん養嗣子ようししむかえることとした。このまま嫡子ちゃくしもおらず、養嗣子ようししむかえずに旅立たびだっては、村山家むらやまけ無嗣むし改易かいえきとなるからだ。

 そこで村山むらやま吉之助きちのすけ直前ちょくぜんむかえたこの養嗣子ようししこそが、くだん小川おがわ子雍たねやす三男坊さんなんぼう信古のぶひさであった。

 そこで村山むらやま惣五郎そうごろうがまず、村山元古むらやまもとひさへと連絡コンタクトり、そして元古もとひさからさら実父じっぷ小川おがわ子雍たねやすへと連絡コンタクトってもらうこととした。

 治済はるさだはこの手法しゅほうもちいて、まずは小川おがわ子雍たねやす接触せっしょくはかることに成功せいこうし、いでその小川おがわ子雍たねやす紹介しょうかいにより、そのおいたる山添直辰やまぞえなおときとも接触せっしょくはかることに成功せいこうした。

 こうして治済はるさだ小川おがわ子雍たねやす山添直辰やまぞえなおときという西之丸にしのまるおく医師いしコンビ、もといじつ叔父おじおいのコンビと、

幾度いくどとなく…」

 密会みっかいかさね、まずは2人を「しん一橋ひとつばし」、「治済はるさだシンパ」に仕立したて、いで家基暗殺計画いえもとあんさつけいかくの「共犯者きょうはんしゃ」へと仕立したげたのだ。
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