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新たに一橋家老に任じられた水谷但馬守勝富の一橋治済への「宣戦布告」、そして相役の一橋家老・山口出雲守直郷の「死」。
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「成程…、斯様なる仕儀にて民部卿様は小川子雍と山添直辰の両名をも取込みあそばされたのでござりまするか…」
正明は治済より小川子雍と山添直辰の2人を取込む「過程」を聞かされるや、感嘆した面持ちでそう漏らした。
「左様…、無論、家治めには気付かれてはいまいがな…、相変わらず、小川子雍と山添直辰の両名は家基に近侍せし、それも家基に忠実に仕え奉りし医師…、西之丸奥医師だと信じ切っておる…」
治済は己のその言葉に、クックッ、と底意地の悪い笑いを漏らしたかと思うと、
「その小川子雍と山添直辰にもここ一橋家へと往診に参らせ、そして病臥せし家老の山口出雲を診させては、と、正明よ、家治めに左様、勧めれば、家治め、愈々以て正明に信頼を寄せるであろうよ…」
正明にそう続け、正明を頷かせた。
それから正明はここ一橋家上屋敷へと随行させた天野敬登と峯岸瑞興の2人に家老の山口直郷を「診察」させ、その上で「処方箋」をも施させた。
その翌日の5月4日、正明はいつもの様に登城、中奥にある将軍の執務室である御休息之間において、家治に対し、まずは天野敬登と峯岸瑞興の「診断結果」を伝えた。即ち、
「山口直郷の衰弱は紛れもなく、病によるもの…」
天野敬登と峯岸瑞興のその「診立」てを伝えたのであった。
家治は正明が予期した通り、この「診立て」に明らかに不服顔であった。
そこで正明は治済より「アドバイス」をされていた通り、天野敬登と峯岸瑞興に加えて、西之丸奥医師の小川子雍と山添直辰の2人にも山口直郷を「診断」、そして「治療」に当たらせることを提案したのだ。
正明のその「提案」に家治は機嫌を直すと、やはり正明が、それに治済も予期した通り、正明への信頼を深めた。
家治の様子からそうと悟った正明は更に己に対する家治の信頼を深めさせるべく、
「やはり…」
治済から「アドバイス」をされていた通り、一橋家老に内定していた小納戸頭取の水谷勝富について、
「勝富には何もかも…、民部卿様による大納言様暗殺計画を阻止させんが為に一橋家老を任じるのだと、そのことを勝富に打明けられては如何でござりましょう…」
まずはそう進言した上で、
「その為に勝富には一橋上屋敷のあらゆる場所に出入り出来る様、その権限を上様より御与えあそばされましては如何でござりましょう…、如何に御三卿家老とは申しましても、上屋敷内の大奥にまでは家老と雖も足を踏み入れられず、されば民部卿様はそれを…、大奥にまでは流石に家老の目が届かないのを良いことに、大奥にて大納言様の暗殺計画を企むやも知れず…、さればそれを阻止するには家老にも…、勝富にも大奥へも足を踏み入れ、御三卿…、一橋民部卿様の一挙手一投足を監視為さしむるが肝要かと存じ奉りまする…」
そうも進言に及んだのだ。
すると家治は正明のその進言が治済の発案とも気付かずに、つまりは正明は密かに治済と通じているとも気付かずに、正明への信頼を愈々深めさせたのであった。
かくして、まずはその日より、将軍・家治の直々の命により西之丸奥医師の小川子雍と山添直辰の実の叔父と甥の「コンビ」が一橋家老の山口直郷の「治療」に携わることとなった。
小川子雍と山添直辰は家治より直々に山口直郷の「治療」を、「治療団」に加わる様命ぜられるや、その命を額面通りに受止めて直郷を救うつもりであった。
だが小川子雍と山添直辰の2人を一橋家上屋敷へと案内する役を買って出た稲葉正明がその道中、子雍と直辰の2人に直郷の「治療」の真実の意味について耳打ちした。
すると子雍と直辰の2人も正明のその耳打ちを受けて、天野敬登と峯岸瑞興の2人と共に、直郷に「治療」の名を借りて砒素を投与し始めた。
一方、水谷勝富だが、これは5月7日に人事が、本丸小納戸頭取より御三卿家老、それも一橋家老への異動を命ずる人事が発令された。
将軍の応接室とも言われる御座之間にて部屋の主とも言うべき将軍・家治より、実際には月番老中の松平武元を介してその人事は発令された。
家治は人事発令後、御座之間には水谷勝富とそれに治済による家基暗殺計画を把握する月番老中の松平武元とヒラの老中の田沼意次、そして御側御用取次の稲葉正明を残して外の者には退出を命じた。
家治はそうして、水谷勝富に対して今回の人事の真実の意味について自ら説明した。
即ち、一橋治済には家基暗殺を企んでいる節があり、それを阻止して貰うべく一橋家老に据えたのだと、家治は勝富に対して打明けたのだ。
家治はその上で、勝富にはその為―、治済による家基暗殺の企みを粉砕して貰うべく、治済の一挙手一投足に目を光らせる様にとも、勝富に命じたのだ。
そして家治はその為に勝富に一橋大奥、一橋家上屋敷は大奥の空間にまで立入る権限を与えたのであった。
水谷勝富は家治のその期待に応えるべく、早速、その日の内に一橋家上屋敷へと乗込むや、出迎えた治済に対して、
「この勝富、民部卿様が企みし、大納言様暗殺計画を阻止せんが為に一橋家老を拝命致しましでござる…」
そう「宣戦布告」に及んだのだ。
この治済に面と向かっての勝富の「宣戦布告」に、治済に扈従する格好にて勝富を出迎えた番頭の鈴木治左衛門直裕や小宮山利助長則らを驚愕させた。
その中でも用人の一人、杉山嘉兵衛美成と徒頭の一人、岩本喜内正信が「過剰反応」した。
「無礼でござろうっ!」
杉山嘉兵衛と岩本喜内はそう声を張上げた。
すると治済が余裕の表情にてそれを制すると、
「それは頼もしい限りよのう…、されば精々、この治済が大納言様暗殺などと、謀叛を企ませぬ様、確とこの治済が一挙手一投足を見届けて貰いたい…」
勝富にそう応じたものだから、これには勝富も面喰った。勝富が想定していたのとは、
「180度…」
異なる反応であったからだ。
即ち、治済に面と向かって「宣戦布告」に及べば、治済は今し方、杉山嘉兵衛や岩本喜内が見せた様な「過剰反応」を示すに違いないと、勝富はそう読んでいたのだ。
それが実際には案に相違して、治済が「過剰反応」を示すことはなく、あくまで余裕の表情を保った。
そればかりか治済は勝富に対して、
「そうそう…、この治済、普段は大奥にいる時間が長い故に勝富とやら、その方、大奥にも足を踏み入れ、確とこの治済を…、その一挙手一投足に目を光らせてくれよな?この治済に大納言様暗殺などと大それた謀叛を企ませぬ様…」
まるで先手を打つかの如く、勝富にそう持掛けたものだから、勝富を大いに困惑させた。
まさかに治済当人から一橋大奥への立入りの許可が下りるとは、さしもの勝富も予期していなかったからだ。
治済はそんな勝富の胸の内を見透かすと、自ら「案内役」を買って出た。
水谷勝富がこれから家老として暮らすことになる組屋敷、その中の家老専用の屋敷から始まり、家老の詰所や、それに番頭や用人、旗奉行や長柄奉行、物頭や郡奉行、勘定奉行らの詰所を治済自らが勝富に案内して差上げたのだ。
治済はこうして表向にある部屋を一通り、勝富に案内するや、大奥へと案内した。
治済は大奥の各部屋を案内した上で、家族をも紹介した。
「これは…、この治済が側妾にて、嫡子・豊千代が生母の秀、否、今は名を改めて富ぞ…」
治済はまずは一橋大奥の主たる秀、改め、富を紹介した。
富は一橋家の嫡子、豊千代を治済との間に生したとあって、ここ一橋大奥においては絶大なる権勢を誇っていた。
その富だが去年の安永6(1777)年には治済との間にもう一人、雄之助なる男児をも生した。
治済は勝富に豊千代をも紹介した。
治済は自ら、豊千代の手を引いて勝富の前に座らせるや、勝富に自己紹介させた。
豊千代は今年の10月で数で6つとなる。
未だ、舌足らずではあるものの、しっかりとした口調で勝富に自己紹介に及んだ。
御三卿嫡子から自ら、自己紹介して貰えるとは、思わぬ厚遇に勝富も些か戸惑った。
尤も、そこは勝富も海千山千、
「治済め…、さてはこの勝富を手厚く遇することで、取込もうとしておるのだな…」
治済の意図をそう読んだ。
成程、それはあながち間違いではなかった。
治済は勝富を取込むのは無理だと分かっていたものの、それでもこうして手厚くもてなすことで、少しでも勝富を取込める可能性が生じるならばそれに越したことはない。
だが、それが勝富をこうして大奥にて手厚くもてなす本来の目的ではなかった。
それでは本来の目的は何かと言うと、それは山口直郷に今日もまた、砒素を盛ることであった。
山口直郷は家老専用の屋敷にて病臥、今日は西之丸奥医師の小川子雍がここ一橋家上屋敷に往診に訪れては、今頃は治療に名を借りて、直郷に砒素を投与、薬と称して服ませている頃であった。
治済としては小川子雍に、
「心置きなく…」
直郷に砒素を服ませられる様、こうして勝富を大奥にて釘付け、足止めさせたのだ。
これで仮にだが、直郷の枕頭にて勝富が目を光らせている中で直郷に薬と称して砒素を服ませ様にも、秋霜烈日で鳴らす勝富のことである、
「真実、薬かどうか試してみよ…」
医師に、今日は小川子雍にそう迫るやも知れない。
そこで治済は勝富にそうさせない為に、裏を返せば小川子雍が心置きなく直郷に砒素を服ませられる様、大奥に釘付け、足止めさせたのだ。
先程、治済が直郷の住まう屋敷までは、更に言えば直郷の病床にまで勝富を案内しなかったのはその為であった。
勿論、勝富はそうとも知らずに治済の「もてなし」を受続けた。
治済はそれから寝かし付けられている雄之助をも勝富に紹介した。
さて、治済にはこの富の外にも喜志と町がいた。
喜志は旗本、小普請の丸山次左衛門政容の次女であり、上の兄二人―、丸山次左衛門が次男の勝五郎政俊はここ一橋家にて治済の小姓として仕えており、三男の鉉三郎包弘はやはり一橋家臣の野々山市郎右衛門兼驍が養嗣子であった。
この喜志もまた治済との間に2人の男児を生した。
即ち、一昨年の安永5(1776)年にまず、力之助治國を生し、その翌年、つまりは去年の安永6(1777)年には雅之助長暠をも生した。
治済は勝富にこの喜志をも紹介した上で、更にやはり寝かし付けられている力之助と雅之助をも披露した。
そして治済は最後にもう一人の側妾、町を紹介した。
町だけは治済との間に子を生してはおらず、実にあっさりとした紹介であった。
ただ旗本の娘御だと、治済は勝富にそう紹介しただけであり、勝富もそれが、治済との間には子がない為であろうと、勝手にそう解釈した。
無論、治済が勝富に対して町だけはあっさりとした紹介で終わらせたのはそれが理由ではなかった。
それと言うのも、治済としては町の存在だけは勝富に知られたくなかったからだ。
正確には町の「家族」について、である。
即ち、町の実父は西之丸廣敷番之頭の中村久兵衛信興であったのだ。
廣敷番之頭と言えば、大奥の警備部門の最高責任者である。
中村久兵衛は西之丸廣敷番之頭ということもあり、次期将軍・家基が盟主の西之丸大奥の警備部門の最高責任者であった。
それだけではない。中村久兵衛が嫡子、つまりは町の実兄の久左衛門信之は現役の庭番であった。
治済はこれらの事情を勝富には知られたくなかったので、町については実にあっさりとした紹介に止めたのだ。
さて、治済は水谷勝富の徹底的な監視下に置かれることとなった。
治済は驚くべきことに、勝富に対して大奥にて起居する様に命じた。
「この治済を徹底的に監視するとなれば、この治済と起居を共にしなくてはならぬ…」
治済からのその申出に勝富はまたしても面喰った。
「いえ…、組屋敷が用意されておりますれば…」
勝富はそう拝辞した。
だが治済は勝富のその拝辞を許さなかった。
「この治済が監視…、治済に大納言様暗殺を企ませぬ為の監視ともなれば、些かの漏れもあってはならぬ…」
治済はこうして勝富を押切り、大奥にて勝富と起居を共にする様になった。
無論、実際には勝富を相役の山口直郷に近付けさせないのが目的であった。
勝富も相役の直郷のことは気にかけてはいた。
だが御側御用取次の稲葉正明から、
「山口直郷なれば、西之丸奥医師の小川子雍と山添直辰、それに表番医師の天野敬登と峯岸瑞興が責任を以て治療に当たるによって、そなたは心配せずとも良い…」
そう説明があり、将軍・家治もそれを首肯したことから、勝富は山口直郷の存在は忘れて、治済の監視に専念することにした。
治済にとってそれは正に理想的な展開であり、それから毎日の登城を欠かさなかった。
御三卿家老の職掌である平日登城だが、家治の命により水谷勝富の前任であり、今は大目付の伊藤忠勸が担うことになっていた。
勝富に治済の監視に専念させる為である。
だが治済が登城するとなれば話は別である。
治済の監視役たる勝富も当然、登城に及ぶ。
結果、治済は平日は毎日、勝富を連れて登城に及ぶものだから、その間、一橋家上屋敷は「丸裸」とも言うべき無防備な状態に置かれることになる。
相役の直郷は病床の身で、今や留守さえも務まらぬ身にまで衰弱していたからだ。
そこでその隙を利用して小笠原信喜より一橋家用人へと家基暗殺計画の進捗状況が伝えられた。
同時に直郷には小川子雍らによって砒素を投与、服ませられ続け、それから―、水谷勝富が一橋家老に着任してから2ヵ月後の7月20日に力尽きた。
正明は治済より小川子雍と山添直辰の2人を取込む「過程」を聞かされるや、感嘆した面持ちでそう漏らした。
「左様…、無論、家治めには気付かれてはいまいがな…、相変わらず、小川子雍と山添直辰の両名は家基に近侍せし、それも家基に忠実に仕え奉りし医師…、西之丸奥医師だと信じ切っておる…」
治済は己のその言葉に、クックッ、と底意地の悪い笑いを漏らしたかと思うと、
「その小川子雍と山添直辰にもここ一橋家へと往診に参らせ、そして病臥せし家老の山口出雲を診させては、と、正明よ、家治めに左様、勧めれば、家治め、愈々以て正明に信頼を寄せるであろうよ…」
正明にそう続け、正明を頷かせた。
それから正明はここ一橋家上屋敷へと随行させた天野敬登と峯岸瑞興の2人に家老の山口直郷を「診察」させ、その上で「処方箋」をも施させた。
その翌日の5月4日、正明はいつもの様に登城、中奥にある将軍の執務室である御休息之間において、家治に対し、まずは天野敬登と峯岸瑞興の「診断結果」を伝えた。即ち、
「山口直郷の衰弱は紛れもなく、病によるもの…」
天野敬登と峯岸瑞興のその「診立」てを伝えたのであった。
家治は正明が予期した通り、この「診立て」に明らかに不服顔であった。
そこで正明は治済より「アドバイス」をされていた通り、天野敬登と峯岸瑞興に加えて、西之丸奥医師の小川子雍と山添直辰の2人にも山口直郷を「診断」、そして「治療」に当たらせることを提案したのだ。
正明のその「提案」に家治は機嫌を直すと、やはり正明が、それに治済も予期した通り、正明への信頼を深めた。
家治の様子からそうと悟った正明は更に己に対する家治の信頼を深めさせるべく、
「やはり…」
治済から「アドバイス」をされていた通り、一橋家老に内定していた小納戸頭取の水谷勝富について、
「勝富には何もかも…、民部卿様による大納言様暗殺計画を阻止させんが為に一橋家老を任じるのだと、そのことを勝富に打明けられては如何でござりましょう…」
まずはそう進言した上で、
「その為に勝富には一橋上屋敷のあらゆる場所に出入り出来る様、その権限を上様より御与えあそばされましては如何でござりましょう…、如何に御三卿家老とは申しましても、上屋敷内の大奥にまでは家老と雖も足を踏み入れられず、されば民部卿様はそれを…、大奥にまでは流石に家老の目が届かないのを良いことに、大奥にて大納言様の暗殺計画を企むやも知れず…、さればそれを阻止するには家老にも…、勝富にも大奥へも足を踏み入れ、御三卿…、一橋民部卿様の一挙手一投足を監視為さしむるが肝要かと存じ奉りまする…」
そうも進言に及んだのだ。
すると家治は正明のその進言が治済の発案とも気付かずに、つまりは正明は密かに治済と通じているとも気付かずに、正明への信頼を愈々深めさせたのであった。
かくして、まずはその日より、将軍・家治の直々の命により西之丸奥医師の小川子雍と山添直辰の実の叔父と甥の「コンビ」が一橋家老の山口直郷の「治療」に携わることとなった。
小川子雍と山添直辰は家治より直々に山口直郷の「治療」を、「治療団」に加わる様命ぜられるや、その命を額面通りに受止めて直郷を救うつもりであった。
だが小川子雍と山添直辰の2人を一橋家上屋敷へと案内する役を買って出た稲葉正明がその道中、子雍と直辰の2人に直郷の「治療」の真実の意味について耳打ちした。
すると子雍と直辰の2人も正明のその耳打ちを受けて、天野敬登と峯岸瑞興の2人と共に、直郷に「治療」の名を借りて砒素を投与し始めた。
一方、水谷勝富だが、これは5月7日に人事が、本丸小納戸頭取より御三卿家老、それも一橋家老への異動を命ずる人事が発令された。
将軍の応接室とも言われる御座之間にて部屋の主とも言うべき将軍・家治より、実際には月番老中の松平武元を介してその人事は発令された。
家治は人事発令後、御座之間には水谷勝富とそれに治済による家基暗殺計画を把握する月番老中の松平武元とヒラの老中の田沼意次、そして御側御用取次の稲葉正明を残して外の者には退出を命じた。
家治はそうして、水谷勝富に対して今回の人事の真実の意味について自ら説明した。
即ち、一橋治済には家基暗殺を企んでいる節があり、それを阻止して貰うべく一橋家老に据えたのだと、家治は勝富に対して打明けたのだ。
家治はその上で、勝富にはその為―、治済による家基暗殺の企みを粉砕して貰うべく、治済の一挙手一投足に目を光らせる様にとも、勝富に命じたのだ。
そして家治はその為に勝富に一橋大奥、一橋家上屋敷は大奥の空間にまで立入る権限を与えたのであった。
水谷勝富は家治のその期待に応えるべく、早速、その日の内に一橋家上屋敷へと乗込むや、出迎えた治済に対して、
「この勝富、民部卿様が企みし、大納言様暗殺計画を阻止せんが為に一橋家老を拝命致しましでござる…」
そう「宣戦布告」に及んだのだ。
この治済に面と向かっての勝富の「宣戦布告」に、治済に扈従する格好にて勝富を出迎えた番頭の鈴木治左衛門直裕や小宮山利助長則らを驚愕させた。
その中でも用人の一人、杉山嘉兵衛美成と徒頭の一人、岩本喜内正信が「過剰反応」した。
「無礼でござろうっ!」
杉山嘉兵衛と岩本喜内はそう声を張上げた。
すると治済が余裕の表情にてそれを制すると、
「それは頼もしい限りよのう…、されば精々、この治済が大納言様暗殺などと、謀叛を企ませぬ様、確とこの治済が一挙手一投足を見届けて貰いたい…」
勝富にそう応じたものだから、これには勝富も面喰った。勝富が想定していたのとは、
「180度…」
異なる反応であったからだ。
即ち、治済に面と向かって「宣戦布告」に及べば、治済は今し方、杉山嘉兵衛や岩本喜内が見せた様な「過剰反応」を示すに違いないと、勝富はそう読んでいたのだ。
それが実際には案に相違して、治済が「過剰反応」を示すことはなく、あくまで余裕の表情を保った。
そればかりか治済は勝富に対して、
「そうそう…、この治済、普段は大奥にいる時間が長い故に勝富とやら、その方、大奥にも足を踏み入れ、確とこの治済を…、その一挙手一投足に目を光らせてくれよな?この治済に大納言様暗殺などと大それた謀叛を企ませぬ様…」
まるで先手を打つかの如く、勝富にそう持掛けたものだから、勝富を大いに困惑させた。
まさかに治済当人から一橋大奥への立入りの許可が下りるとは、さしもの勝富も予期していなかったからだ。
治済はそんな勝富の胸の内を見透かすと、自ら「案内役」を買って出た。
水谷勝富がこれから家老として暮らすことになる組屋敷、その中の家老専用の屋敷から始まり、家老の詰所や、それに番頭や用人、旗奉行や長柄奉行、物頭や郡奉行、勘定奉行らの詰所を治済自らが勝富に案内して差上げたのだ。
治済はこうして表向にある部屋を一通り、勝富に案内するや、大奥へと案内した。
治済は大奥の各部屋を案内した上で、家族をも紹介した。
「これは…、この治済が側妾にて、嫡子・豊千代が生母の秀、否、今は名を改めて富ぞ…」
治済はまずは一橋大奥の主たる秀、改め、富を紹介した。
富は一橋家の嫡子、豊千代を治済との間に生したとあって、ここ一橋大奥においては絶大なる権勢を誇っていた。
その富だが去年の安永6(1777)年には治済との間にもう一人、雄之助なる男児をも生した。
治済は勝富に豊千代をも紹介した。
治済は自ら、豊千代の手を引いて勝富の前に座らせるや、勝富に自己紹介させた。
豊千代は今年の10月で数で6つとなる。
未だ、舌足らずではあるものの、しっかりとした口調で勝富に自己紹介に及んだ。
御三卿嫡子から自ら、自己紹介して貰えるとは、思わぬ厚遇に勝富も些か戸惑った。
尤も、そこは勝富も海千山千、
「治済め…、さてはこの勝富を手厚く遇することで、取込もうとしておるのだな…」
治済の意図をそう読んだ。
成程、それはあながち間違いではなかった。
治済は勝富を取込むのは無理だと分かっていたものの、それでもこうして手厚くもてなすことで、少しでも勝富を取込める可能性が生じるならばそれに越したことはない。
だが、それが勝富をこうして大奥にて手厚くもてなす本来の目的ではなかった。
それでは本来の目的は何かと言うと、それは山口直郷に今日もまた、砒素を盛ることであった。
山口直郷は家老専用の屋敷にて病臥、今日は西之丸奥医師の小川子雍がここ一橋家上屋敷に往診に訪れては、今頃は治療に名を借りて、直郷に砒素を投与、薬と称して服ませている頃であった。
治済としては小川子雍に、
「心置きなく…」
直郷に砒素を服ませられる様、こうして勝富を大奥にて釘付け、足止めさせたのだ。
これで仮にだが、直郷の枕頭にて勝富が目を光らせている中で直郷に薬と称して砒素を服ませ様にも、秋霜烈日で鳴らす勝富のことである、
「真実、薬かどうか試してみよ…」
医師に、今日は小川子雍にそう迫るやも知れない。
そこで治済は勝富にそうさせない為に、裏を返せば小川子雍が心置きなく直郷に砒素を服ませられる様、大奥に釘付け、足止めさせたのだ。
先程、治済が直郷の住まう屋敷までは、更に言えば直郷の病床にまで勝富を案内しなかったのはその為であった。
勿論、勝富はそうとも知らずに治済の「もてなし」を受続けた。
治済はそれから寝かし付けられている雄之助をも勝富に紹介した。
さて、治済にはこの富の外にも喜志と町がいた。
喜志は旗本、小普請の丸山次左衛門政容の次女であり、上の兄二人―、丸山次左衛門が次男の勝五郎政俊はここ一橋家にて治済の小姓として仕えており、三男の鉉三郎包弘はやはり一橋家臣の野々山市郎右衛門兼驍が養嗣子であった。
この喜志もまた治済との間に2人の男児を生した。
即ち、一昨年の安永5(1776)年にまず、力之助治國を生し、その翌年、つまりは去年の安永6(1777)年には雅之助長暠をも生した。
治済は勝富にこの喜志をも紹介した上で、更にやはり寝かし付けられている力之助と雅之助をも披露した。
そして治済は最後にもう一人の側妾、町を紹介した。
町だけは治済との間に子を生してはおらず、実にあっさりとした紹介であった。
ただ旗本の娘御だと、治済は勝富にそう紹介しただけであり、勝富もそれが、治済との間には子がない為であろうと、勝手にそう解釈した。
無論、治済が勝富に対して町だけはあっさりとした紹介で終わらせたのはそれが理由ではなかった。
それと言うのも、治済としては町の存在だけは勝富に知られたくなかったからだ。
正確には町の「家族」について、である。
即ち、町の実父は西之丸廣敷番之頭の中村久兵衛信興であったのだ。
廣敷番之頭と言えば、大奥の警備部門の最高責任者である。
中村久兵衛は西之丸廣敷番之頭ということもあり、次期将軍・家基が盟主の西之丸大奥の警備部門の最高責任者であった。
それだけではない。中村久兵衛が嫡子、つまりは町の実兄の久左衛門信之は現役の庭番であった。
治済はこれらの事情を勝富には知られたくなかったので、町については実にあっさりとした紹介に止めたのだ。
さて、治済は水谷勝富の徹底的な監視下に置かれることとなった。
治済は驚くべきことに、勝富に対して大奥にて起居する様に命じた。
「この治済を徹底的に監視するとなれば、この治済と起居を共にしなくてはならぬ…」
治済からのその申出に勝富はまたしても面喰った。
「いえ…、組屋敷が用意されておりますれば…」
勝富はそう拝辞した。
だが治済は勝富のその拝辞を許さなかった。
「この治済が監視…、治済に大納言様暗殺を企ませぬ為の監視ともなれば、些かの漏れもあってはならぬ…」
治済はこうして勝富を押切り、大奥にて勝富と起居を共にする様になった。
無論、実際には勝富を相役の山口直郷に近付けさせないのが目的であった。
勝富も相役の直郷のことは気にかけてはいた。
だが御側御用取次の稲葉正明から、
「山口直郷なれば、西之丸奥医師の小川子雍と山添直辰、それに表番医師の天野敬登と峯岸瑞興が責任を以て治療に当たるによって、そなたは心配せずとも良い…」
そう説明があり、将軍・家治もそれを首肯したことから、勝富は山口直郷の存在は忘れて、治済の監視に専念することにした。
治済にとってそれは正に理想的な展開であり、それから毎日の登城を欠かさなかった。
御三卿家老の職掌である平日登城だが、家治の命により水谷勝富の前任であり、今は大目付の伊藤忠勸が担うことになっていた。
勝富に治済の監視に専念させる為である。
だが治済が登城するとなれば話は別である。
治済の監視役たる勝富も当然、登城に及ぶ。
結果、治済は平日は毎日、勝富を連れて登城に及ぶものだから、その間、一橋家上屋敷は「丸裸」とも言うべき無防備な状態に置かれることになる。
相役の直郷は病床の身で、今や留守さえも務まらぬ身にまで衰弱していたからだ。
そこでその隙を利用して小笠原信喜より一橋家用人へと家基暗殺計画の進捗状況が伝えられた。
同時に直郷には小川子雍らによって砒素を投与、服ませられ続け、それから―、水谷勝富が一橋家老に着任してから2ヵ月後の7月20日に力尽きた。
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1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。
ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。
また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。
その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。
この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。
またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。
この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず…
大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。
【重要】
不定期更新。超絶不定期更新です。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
小日本帝国
ypaaaaaaa
歴史・時代
日露戦争で判定勝ちを得た日本は韓国などを併合することなく独立させ経済的な植民地とした。これは直接的な併合を主張した大日本主義の対局であるから小日本主義と呼称された。
大日本帝国ならぬ小日本帝国はこうして経済を盤石としてさらなる高みを目指していく…
戦線拡大が甚だしいですが、何卒!
大日本帝国、アラスカを購入して無双する
雨宮 徹
歴史・時代
1853年、ロシア帝国はクリミア戦争で敗戦し、財政難に悩んでいた。友好国アメリカにアラスカ購入を打診するも、失敗に終わる。1867年、すでに大日本帝国へと生まれ変わっていた日本がアラスカを購入すると金鉱や油田が発見されて……。
大日本帝国VS全世界、ここに開幕!
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