天明奇聞 ~たとえば意知が死ななかったら~

ご隠居

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新たに一橋家老に任じられた水谷但馬守勝富の一橋治済への「宣戦布告」、そして相役の一橋家老・山口出雲守直郷の「死」。

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成程なるほど…、斯様かようなる仕儀しぎにて民部卿様みんぶのきょうさま小川おがわ子雍たねやす山添直辰やまぞえなおとき両名りょうめいをも取込とりこみあそばされたのでござりまするか…」

 正明まさあきら治済はるさだより小川おがわ子雍たねやす山添直辰やまぞえなおときの2人を取込とりこむ「過程かてい」をかされるや、感嘆かんたんした面持おももちでそうらした。

左様さよう…、無論むろん家治いえはるめには気付きづかれてはいまいがな…、相変あいかわらず、小川おがわ子雍たねやす山添直辰やまぞえなおとき両名りょうめい家基いえもと近侍きんじせし、それも家基いえもと忠実ちゅうじつつかたてまつりし医師いし…、西之丸にしのまるおく医師いしだとしんっておる…」

 治済はるさだおのれのその言葉ことばに、クックッ、と底意地そこいじわるわらいをらしたかとおもうと、

「その小川おがわ子雍たねやす山添直辰やまぞえなおときにもここ一橋家ひとつばしけへと往診おうしんまいらせ、そして病臥びょうがせし家老かろう山口やまぐち出雲いずもさせては、と、正明まあさあきらよ、家治いえはるめに左様さようすすめれば、家治いえはるめ、愈々以いよいよもっ正明まさあきら信頼しんらいせるであろうよ…」

 正明まさあきらにそうつづけ、正明まさあきらうなずかせた。

 それから正明まさあきらはここ一橋家ひとつばしけ上屋敷かみやしきへと随行ずいこうさせた天野あまの敬登たかなり峯岸瑞興みねぎしよしおきの2人に家老かろう山口直郷やまぐちなおさとを「診察しんさつ」させ、そのうえで「処方箋しょほうせん」をもほどこさせた。

 その翌日よくじつの5月4日、正明まさあきらはいつものよう登城とじょう中奥なかおくにある将軍しょうぐん執務室しつむしつである御休息之間ごきゅうそくのまにおいて、家治いえはるたいし、まずは天野あまの敬登たかなり峯岸瑞興みねぎしよしおきの「診断しんだん結果けっか」をつたえた。すなわち、

山口直郷やまぐちなおさと衰弱すいじゃくまぎれもなく、やまいによるもの…」

 天野あまの敬登たかなり峯岸瑞興みねぎしよしおきのその「診立みた」てをつたえたのであった。

 家治いえはる正明まさあきら予期よきしたとおり、この「診立みたて」にあきらかに不服ふふくがおであった。

 そこで正明まさあきら治済はるさだより「アドバイス」をされていたとおり、天野あまの敬登たかなり峯岸瑞興みねぎしよしおきくわえて、西之丸にしのまるおく医師いし小川おがわ子雍たねやす山添直辰やまぞえなおときの2人にも山口直郷やまぐちなおさとを「診断しんだん」、そして「治療ちりょう」にたらせることを提案ていあんしたのだ。

 正明まさあきらのその「提案ていあん」に家治いえはる機嫌きげんなおすと、やはり正明まさあきらが、それに治済はるさだ予期よきしたとおり、正明まさあきらへの信頼しんらいふかめた。

 家治いえはる様子ようすからそうとさとった正明まさあきらさらおのれたいする家治いえはる信頼しんらいふかめさせるべく、


「やはり…」

 治済はるさだから「アドバイス」をされていたとおり、一橋ひとつばし家老かろう内定ないていしていた小納戸こなんど頭取とうどり水谷勝富みずのやかつとみについて、

勝富かつとみにはなにもかも…、民部卿様みんぶのきょうさまによる大納言だいなごん様暗殺計画さまあんさつけいかく阻止そしさせんがため一橋ひとつばし家老かろうにんじるのだと、そのことを勝富かつとみ打明うちあけられては如何いかがでござりましょう…」

 まずはそう進言しんげんしたうえで、

「そのため勝富かつとみには一橋ひとつばし上屋敷かみやしきのあらゆる場所ばしょ出入でい出来できよう、その権限けんげん上様うえさまよりあたえあそばされましては如何いかがでござりましょう…、如何いか御三卿ごさんきょう家老かろうとはもうしましても、上屋敷かみやしきない大奥おおおくにまでは家老かろういえどあしれられず、されば民部卿様みんぶのきょうさまはそれを…、大奥おおおくにまでは流石さすが家老かろうとどかないのをいことに、大奥おおおくにて大納言だいなごんさま暗殺計画あんさつけいかくたくらむやもれず…、さればそれを阻止そしするには家老かろうにも…、勝富かつとみにも大奥おおおくへもあしれ、御三卿ごさんきょう…、一橋ひとつばし民部卿様みんぶのきょうさま一挙手一投足いっきょしゅいっとうそく監視かんしさしむるが肝要かんようかとぞんたてまつりまする…」

 そうも進言しんげんおよんだのだ。

 すると家治いえはる正明まさあきらのその進言しんげん治済はるさだ発案はつあんとも気付きづかずに、つまりは正明まさあきらひそかに治済はるさだつうじているとも気付きづかずに、正明まさあきらへの信頼しんらい愈々深いよいよふかめさせたのであった。

 かくして、まずはそのより、将軍しょうぐん家治いえはる直々じきじきめいにより西之丸にしのまるおく医師いし小川おがわ子雍たねやす山添直辰やまぞえなおときじつ叔父おじおいの「コンビ」が一橋ひとつばし家老かろう山口直郷やまぐちなおさとの「治療ちりょう」にたずさわることとなった。

 小川おがわ子雍たねやす山添直辰やまぞえなおとき家治いえはるより直々じきじき山口直郷やまぐちなおさとの「治療ちりょう」を、「治療ちりょうチーム」にくわわる様命ようめいぜられるや、そのめい額面通がくめんどおりに受止うけとめて直郷なおさとすくうつもりであった。

 だが小川おがわ子雍たねやす山添直辰やまぞえなおときの2人を一橋家ひとつばしけ上屋敷かみやしきへと案内あんないするやくって稲葉いなば正明まああきらがその道中どうちゅう子雍たねやす直辰なおときの2人に直郷なおさとの「治療ちりょう」の真実しん意味いみについて耳打みみうちした。

 すると子雍たねやす直辰なおときの2人も正明まさあきらのその耳打みみうちをけて、天野あまの敬登たかなり峯岸瑞興みねぎしよしおきの2人とともに、直郷なおさとに「治療ちりょう」のりて砒素ひそ投与とうよはじめた。

 一方いっぽう水谷勝富みずのやかつとみだが、これは5月7日に人事じんじが、本丸ほんまる小納戸こなんど頭取とうどりより御三卿ごさんきょう家老かろう、それも一橋ひとつばし家老かろうへの異動いどうめいずる人事じんじ発令はつれいされた。

 将軍しょうぐん応接室おうせつしつとも言われる御座之間ござのまにて部屋へやあるじとも言うべき将軍しょうぐん家治いえはるより、実際じっさいには月番つきばん老中ろうじゅう松平まつだいら武元たけちかかいしてその人事じんじ発令はつれいされた。

 家治いえはる人事じんじ発令はつれい御座之間ござのまには水谷勝富みずのやかつとみとそれに治済はるさだによる家基暗殺計画いえもとあんさつけいかく把握はあくする月番つきばん老中ろうじゅう松平まつだいら武元たけちかとヒラの老中ろうじゅう田沼たぬま意次おきつぐ、そして御側御用取次おそばごようとりつぎ稲葉いなば正明まさあきらのこしてほかものには退出たいしゅつめいじた。

 家治いえはるはそうして、水谷勝富みずのやかつとみたいして今回こんかい人事じんじ真実しん意味いみについてみずか説明せつめいした。

 すなわち、一橋ひとつばし治済はるさだには家基暗殺いえもとあんさつたくらんでいるフシがあり、それを阻止そししてもらうべく一橋ひとつばし家老かろうえたのだと、家治いえはる勝富かつとみたいして打明うちあけたのだ。

 家治いえはるはそのうえで、勝富かつとみにはそのため―、治済はるさだによる家基暗殺いえもとあんさつたくらみを粉砕ふんさいしてもらうべく、治済はるさだ一挙手一投足いっきょしゅいっとうそくひからせるようにとも、勝富かつとみめいじたのだ。

 そして家治いえはるはそのため勝富かつとみ一橋ひとつばし大奥おおおく一橋家ひとつばしけ上屋敷かみやしき大奥おおおく空間エリアにまで立入たちい権限けんげんあたえたのであった。

 水谷勝富みずのやかつとみ家治いえはるのその期待きたいこたえるべく、早速さっそく、そのうち一橋家ひとつばしけ上屋敷かみやしきへと乗込のりこむや、出迎でむかえた治済はるさだたいして、

「この勝富かつとみ民部卿様みんぶのきょうさまたくらみし、大納言だいなごん様暗殺計画さまあんさつけいかく阻止そしせんがため一橋ひとつばし家老かろう拝命致はいめいいたしましでござる…」

 そう「宣戦せんせん布告ふこく」におよんだのだ。

 この治済はるさだめんかっての勝富かつとみの「宣戦せんせん布告ふこく」に、治済はるさだ扈従こしょうする格好かっこうにて勝富かつとみ出迎でむかえた番頭ばんがしら鈴木すずき治左衛門じざえもん直裕なおひろ小宮山こみやま利助りすけ長則ながのりらを驚愕きょうがくさせた。

 そのなかでも用人ようにん一人ひとり杉山すぎやま嘉兵衛かへえ美成よししげかちがしら一人ひとり岩本いわもと喜内きない正信まさのぶが「過剰反応かじょうはんのう」した。

無礼ぶれいでござろうっ!」

 杉山すぎやま嘉兵衛かへえ岩本いわもと喜内きないはそうこえ張上はりあげた。

 すると治済はるさだ余裕よゆう表情ひょうじょうにてそれをせいすると、

「それはたのもしいかぎりよのう…、されば精々せいぜい、この治済はるさだ大納言だいなごん様暗殺さまあんさつなどと、謀叛むほんたくらませぬようしっかとこの治済はるさだ一挙手一投足いっきょしゅいっとうそく見届みとどけてもらいたい…」

 勝富かつとみにそうおうじたものだから、これには勝富かつとみ面喰めんくらった。勝富かつとみ想定そうていしていたのとは、

「180度…」

 ことなる反応はんのうであったからだ。

 すなわち、治済はるさだめんかって「宣戦せんせん布告ふこく」におよべば、治済はるさだいまがた杉山すぎやま嘉兵衛かへえ岩本いわもと喜内きないせたような「過剰反応かじょうはんのう」をしめすにちがいないと、勝富かつとみはそうんでいたのだ。

 それが実際じっさいにはあん相違そういして、治済はるさだが「過剰反応かじょうはんのう」をしめすことはなく、あくまで余裕よゆう表情ひょうじょうたもった。

 そればかりか治済はるさだ勝富かつとみたいして、

「そうそう…、この治済はるさだ普段ふだん大奥おおおくにいる時間ときながゆえ勝富かつとみとやら、そのほう大奥おおおくにもあしれ、しっかとこの治済はるさだを…、その一挙手一投足いっきょしゅいっとうそくひからせてくれよな?この治済はるさだ大納言だいなごん様暗殺さまあんさつなどとだいそれた謀叛むほんたくらませぬよう…」

 まるで先手せんてつかのごとく、勝富かつとみにそう持掛もちかけたものだから、勝富かつとみおおいに困惑こんわくさせた。

 まさかに治済当人はるさだとうにんから一橋ひとつばし大奥おおおくへの立入たちいりの許可きょかりるとは、さしもの勝富かつとみ予期よきしていなかったからだ。

 治済はるさだはそんな勝富かつとみむねうち見透みすかすと、みずから「案内役あんないやく」をってた。

 水谷勝富みずのやかつとみがこれから家老かろうとしてらすことになる組屋敷くみやしき、そのなか家老かろう専用せんよう屋敷やしきからはじまり、家老かろう詰所つめしょや、それに番頭ばんがしら用人ようにん旗奉行はたぶぎょう長柄ながえ奉行ぶぎょうものがしらこおり奉行ぶぎょう勘定かんじょう奉行ぶぎょうらの詰所つめしょ治済はるさだみずからが勝富かつとみ案内あんないして差上さしあげたのだ。

 治済はるさだはこうして表向おもてむきにある部屋へや一通ひととおり、勝富かつとみ案内あんないするや、大奥おおおくへと案内あんないした。

 治済はるさだ大奥おおおくけく部屋へや案内あんないしたうえで、家族ファミリーをも紹介しょうかいした。

「これは…、この治済はるさだ側妾そくしょうにて、嫡子ちゃくし豊千代とよちよ生母せいぼひでいやいまあらためてとみぞ…」

 治済はるさだはまずは一橋ひとつばし大奥おおおくあるじたるひであらため、とみ紹介しょうかいした。

 とみ一橋家ひとつばしけ嫡子ちゃくし豊千代とよちよ治済はるさだとのあいだしたとあって、ここ一橋ひとつばし大奥おおおくにおいては絶大ぜつだいなる権勢けんせいほこっていた。

 そのとみだが去年きょねんの安永6(1777)年には治済はるさだとのあいだにもう一人ひとり雄之助ゆうのすけなる男児だんじをもした。

 治済はるさだ勝富かつとみ豊千代とよちよをも紹介しょうかいした。

 治済はるさだみずから、豊千代とよちよいて勝富かつとみまえすわらせるや、勝富かつとみ自己じこ紹介しょうかいさせた。

 豊千代とよちよ今年ことしの10月でかぞえで6つとなる。

 いまだ、舌足したたらずではあるものの、しっかりとした口調くちょう勝富かつとみ自己じこ紹介しょうかいおよんだ。

 御三卿ごさんきょう嫡子ちゃくしからみずから、自己じこ紹介しょうかいしてもらえるとは、おもわぬ厚遇こうぐう勝富かつとみいささ戸惑とまどった。

 もっとも、そこは勝富かつとみ海千山千うみせんやません

治済はるさだめ…、さてはこの勝富かつとみ手厚てあつぐうすることで、取込とりこもうとしておるのだな…」

 治済はるさだ意図いとをそうんだ。

 成程なるほど、それはあながち間違まちがいではなかった。

 治済はるさだ勝富かつとみ取込とりこむのは無理むりだとかっていたものの、それでもこうして手厚てあつくもてなすことで、すこしでも勝富かつとみ取込とりこめる可能性かのうせいしょうじるならばそれにしたことはない。

 だが、それが勝富かつとみをこうして大奥おおおくにて手厚てあつくもてなす本来ほんらい目的もくてきではなかった。

 それでは本来ほんらい目的もくてきなにかと言うと、それは山口直郷やまぐちなおさと今日きょうもまた、砒素ひそることであった。

 山口直郷やまぐちなおさと家老かろう専用せんよう屋敷やしきにて病臥びょうが今日きょう西之丸にしのまるおく医師いし小川おがわ子雍たねやすがここ一橋家ひとつばしけ上屋敷かみやしき往診おうしんおとずれては、今頃いまごろ治療ちりょうりて、直郷なおさと砒素ひそ投与とうよくすりしょうしてふくませているころであった。

 治済はるさだとしては小川おがわ子雍たねやすに、

心置こころおきなく…」

 直郷なおさと砒素ひそふくませられるよう、こうして勝富かつとみ大奥おおおくにて釘付くぎづけ、足止あしどめさせたのだ。

 これでかりにだが、直郷なおさと枕頭ちんとうにて勝富かつとみひからせているなか直郷なおさとくすりしょうして砒素ひそふくませようにも、秋霜烈日しゅうそうれつじつらす勝富かつとみのことである、

真実まことくすりかどうかためしてみよ…」

 医師いしに、今日きょう小川おがわ子雍たねやすにそうせまるやもれない。

 そこで治済はるさだ勝富かつとみにそうさせないために、うらかえせば小川おがわ子雍たねやす心置こころおきなく直郷なおさと砒素ひそふくませられるよう大奥おおおく釘付くぎづけ、足止あしどめさせたのだ。

 先程さきほど治済はるさだ直郷なおさとまう屋敷やしきまでは、さらに言えば直郷なおさと病床びょうしょうにまで勝富かつとみ案内あんないしなかったのはそのためであった。

 勿論もちろん勝富かつとみはそうともらずに治済はるさだの「もてなし」を受続うけつづけた。

 治済はるさだはそれからかしけられている雄之助ゆうのすけをも勝富かつとみ紹介しょうかいした。

 さて、治済はるさだにはこのとみほかにも喜志きよしまちがいた。

 喜志きよし旗本はたもと小普請こぶしん丸山まるやま次左衛門じざえもん政容まさかた次女じじょであり、うえあに二人ふたり―、丸山まるやま次左衛門じざえもん次男じなん勝五郎かつごろう政俊まさたかはここ一橋家ひとつばしけにて治済はるさだ小姓こしょうとしてつかえており、三男さんなん鉉三郎げんざぶろう包弘かねひろはやはり一橋ひとつばし家臣かしん野々山ののやま市郎右衛門いちろうえもん兼驍かねたけ養嗣子ようししであった。

 この喜志きよしもまた治済はるさだとのあいだに2人の男児だんじした。

 すなわち、一昨年おととしの安永5(1776)年にまず、力之助りきのすけ治國はるくにし、その翌年よくねん、つまりは去年きょねんの安永6(1777)年には雅之助まさのすけ長暠ながあきらをもした。

 治済はるさだ勝富かつとみにこの喜志きよしをも紹介しょうかいしたうえで、さらにやはりかしけられている力之助りきのすけ雅之助まさのすけをも披露ひろうした。

 そして治済はるさだ最後さいごにもう一人ひとり側妾そくしょうまち紹介しょうかいした。

 まちだけは治済はるさだとのあいだしてはおらず、じつにあっさりとした紹介しょうかいであった。

 ただ旗本はたもと娘御むすめごだと、治済はるさだ勝富かつとみにそう紹介しょうかいしただけであり、勝富かつとみもそれが、治済はるさだとのあいだにはがないためであろうと、勝手かってにそう解釈かいしゃくした。

 無論むろん治済はるさだ勝富かつとみたいしてまちだけはあっさりとした紹介しょうかいわらせたのはそれが理由りゆうではなかった。

 それと言うのも、治済はるさだとしてはまち存在そんざいだけは勝富かつとみられたくなかったからだ。

 正確せいかくにはまちの「家族ファミリー」について、である。

 すなわち、まち実父じっぷ西之丸にしのまる廣敷番ひろしきばんかしら中村なかむら久兵衛きゅうべえ信興のぶおきであったのだ。

 廣敷番ひろしきばんがしらと言えば、大奥おおおく警備部門けいびぶもん最高責任者さいこうせきにんしゃである。

 中村なかむら久兵衛きゅうべえ西之丸にしのまる廣敷番ひろしきばんかしらということもあり、次期じき将軍しょうぐん家基いえもと盟主めいしゅ西之丸にしのまる大奥おおおく警備部門けいびぶもん最高責任者さいこうせきにんしゃであった。

 それだけではない。中村なかむら久兵衛きゅうべえ嫡子ちゃくし、つまりはまち実兄じっけい久左衛門きゅうざえもん信之のぶゆき現役げんえき庭番にわばんであった。

 治済はるさだはこれらの事情じじょう勝富かつとみにはられたくなかったので、まちについてはじつにあっさりとした紹介しょうかいとどめたのだ。

 さて、治済はるさだ水谷勝富みずのやかつとみ徹底的てっていてき監視下かんしかかれることとなった。

 治済はるさだおどろくべきことに、勝富かつとみたいして大奥おおおくにて起居ききょするようめいじた。

「この治済はるさだ徹底的てっていてき監視かんしするとなれば、この治済はるさだ起居ききょともにしなくてはならぬ…」

 治済はるさだからのその申出もうしで勝富かつとみはまたしても面喰めんくらった。

「いえ…、組屋敷くみやしき用意よういされておりますれば…」

 勝富かつとみはそう拝辞はいじした。

 だが治済はるさだ勝富かつとみのその拝辞はいじゆるさなかった。

「この治済はるさだ監視かんし…、治済はるさだ大納言だいなごん様暗殺さまあんさつたくらませぬため監視かんしともなれば、いささかのれもあってはならぬ…」

 治済はるさだはこうして勝富かつとみ押切おしきり、大奥おおおくにて勝富かつとみ起居ききょともにするようになった。

 無論むろん実際じっさいには勝富かつとみ相役あいやく山口直郷やまぐちなおさと近付ちかづけさせないのが目的もくてきであった。

 勝富かつとみ相役あいやく直郷なおさとのことはにかけてはいた。

 だが御側御用取次おそばごようとりつぎ稲葉いなば正明まさあきらから、

山口直郷やまぐちなおさとなれば、西之丸にしのまるおく医師いし小川おがわ子雍たねやす山添直辰やまぞえなおとき、それにおもてばん医師いし天野あまの敬登たかなり峯岸瑞興みねぎしよしおき責任せきにんもっ治療ちりょうたるによって、そなたは心配しんぱいせずともい…」

 そう説明せつめいがあり、将軍しょうぐん家治いえはるもそれを首肯しゅこうしたことから、勝富かつとみ山口直郷やまぐちなおさと存在そんざいわすれて、治済はるさだ監視かんし専念せんねんすることにした。

 治済はるさだにとってそれはまさ理想的りそうてき展開てんかいであり、それから毎日まいにち登城とじょうかさなかった。

 御三卿ごさんきょう家老かろう職掌しょくしょうである平日登城へいじつとじょうだが、家治いえはるめいにより水谷勝富みずのやかつとみ前任ぜんにんであり、いま大目付おおめつけ伊藤いとう忠勸ただすけになうことになっていた。

 勝富かつとみ治済はるさだ監視かんし専念せんねんさせるためである。

 だが治済はるさだ登城とじょうするとなればはなしべつである。

 治済はるさだ監視役かんしやくたる勝富かつとみ当然とうぜん登城とじょうおよぶ。

 結果けっか治済はるさだ平日へいじつ毎日まいにち勝富かつとみれて登城とじょうおよぶものだから、そのかん一橋家ひとつばしけ上屋敷かみやしきは「丸裸まるはだか」とも言うべき無防備むぼうび状態じょうたいかれることになる。

 相役あいやく直郷なおさと病床びょうしょうで、いま留守るすさえもつとまらぬにまで衰弱すいじゃくしていたからだ。

 そこでそのすき利用りようして小笠原おがさわら信喜のぶよしより一橋家ひとつばしけ用人ようにんへと家基暗殺計画いえもとあんさつけいかく進捗状況しんちょくじょうきょうつたえられた。

 同時どうじ直郷なおさとには小川おがわ子雍たねやすらによって砒素ひそ投与とうよふくませられつづけ、それから―、水谷勝富みずのやかつとみ一橋ひとつばし家老かろう着任ちゃくにんしてから2ヵ月後の7月20日に力尽ちからつきた。
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