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新たに一橋家老に着任した田沼市左衛門意致は一橋家の若君、豊千代に気に入られ、そこで治済は意致を豊千代の守役に任ず。
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安永7(1778)年7月20日に一橋家老の山口出雲守直郷が「病歿」したことから、その後任を選ぶ必要に迫られた。
「例の如く…」
御側御用取次の稲葉正明の意見が採用された。
即ち、正明は将軍・家治に対して、
「本丸目附の田沼市左衛門意致を山口出雲が後任に据えられましては…」
そう進言したのであった。
家治は正明のその進言を直ぐに受容れた。
それだけ田沼意次のことを、意次の縁者を信頼していたのだ。
だが相役の御側御用取次、横田筑後守準松が「待った」をかけた。
準松は、「畏れながら…」と口を挟むと、田沼市左衛門意致が父、能登守意誠が一橋家と近しい関係であった点を指摘して、その息・市左衛門意致の一橋家老就任に難色を示した。
田沼意誠は嘗て、一橋家老を勤めており、しかもただの家老ではなかった。
それと言うのも一橋家の始祖、治済が実父でもある宗尹がまだ、小五郎なる幼名を名乗っていた時分より小姓としてその宗尹こと小五郎に小姓として御側近くに仕えていたのだ。
つまり意誠は宗尹の小姓を皮切りに、一橋家老へと栄達を遂げ、それだけに附人と言うよりは抱入に近かった。
即ち、公儀が御三卿の「監視役」としてその上屋敷へと派した附人と言うよりは、御三卿が個人的に召抱えた抱入の性格が強く、つまり意誠は宗尹の監視役ではなく忠実な家臣、悪く言えば僕であった。
否、意誠は宗尹が息、今の一橋家の当主たる治済にもやはり、忠実な家臣、僕として仕えていたのだ。
その様な意誠を父に持つ田沼市左衛門意致に果たして一橋家老が勤まるのかと、準松は難色、と言うよりは疑念を示したのだ。
何しろ今の一橋家老には、
「治済による家基暗殺計画の阻止…」
それが求められていたからだ。
それ故、一橋家老には当然、治済の「監視役」に徹して貰わねばならない。
だが田沼市左衛門意致に果たしてそれが―、治済の「監視役」に徹せられるか、準松には甚だ疑問であった。
「されば市左衛門意致は父、意誠とは別人格にて…、否、これで百歩譲って市左衛門意致も一橋家の上屋敷にて、その組屋敷にて家老を勤めし父・意誠と共に、それも意誠が晩年まで暮らしていたならば、成程、筑後が言分、懸念も尤もではあるが、なれど市左衛門意致が父、意誠と共に一橋家にて起居せしは、市左衛門意致が本丸小姓組番士に取立てられし宝暦12(1762)年まで…、市左衛門意致は宝暦12(1762)年に本丸小姓組番士に取立てられるや、一橋家を出、実家である田沼家の屋敷へと戻り、爾来、父・意誠が歿せし時を除いては今に至るまで一橋家上屋敷には足を向けてはいない筈…、されば斯かる市左衛門意致が父・意誠と同じう一橋家と…、民部卿殿と親しいとは思えぬ…」
正明のその反論を前にしては準松も口を噤まざるを得ない。
すると正明はそんな準松に止めを刺すかの様に、
「それとも…、筑後は田沼主殿が甥でもある市左衛門意致が信用ならず…、一橋民部卿殿に取込まれる恐れあり、とでも申されるのか?」
そう疑問を投掛けたものだから、準松は慌て「滅相もないっ」と即答した。
ここで、正明のその疑問に|対《たい」して、準松が「如何にも…」なぞと首肯し様ものなら、田沼主殿こと意次との関係が悪化するばかりでなく、意次を寵愛する将軍・家治との関係までも悪化することが予期され、準松はそれを恐れて、「滅相もない」と即答に及んだのだ。
一方、正明も準松のその「反応」を予期して敢えて、準松に斯かる疑問を投掛けたのであった。
こうして正明は準松のその「反応」を受けて、
「然らば、田沼市左衛門意致を山口出雲が後任の一橋家老に据えることに何ら問題はなかろう?」
準松にそう畳掛けた。
これに準松は精一杯の抵抗として何も応えず、すると正明はこれを黙認と受取るや、家治の方を向き、
「本丸目附、田沼市左衛門意致を山口出雲が後任の一橋家老に任じられましては…」
改めて家治にそう提案したのであった。
すると家治もこれに頷いたので、これで田沼市左衛門意致の一橋家老就任が決まった。
「されば田沼市左衛門意致が後任の本丸目附も決めねばなりますまいが、これは目附の直属の上司たる若年寄に任せたいと存じまする…」
正明のその意見にも家治は頷き、こうして田沼市左衛門意致の後任の本丸目附の選考については本丸若年寄に一任されることになった。
結果、若年寄の閣議において本丸徒頭の末吉善左衛門利隆を田沼市左衛門意致が後任の本丸目附に充てることとし、末吉善左衛門が後任の徒頭には本丸小姓組番士の原田権兵衛幸省を以て充てることとした。
さて、田沼市左衛門意致が一橋家老を拝命したのは山口直郷が「病歿」してから8日後の7月28日のことであった。
中奥は御座之間にて将軍・家治より、月番老中の松平周防守康福を介して一橋家老に任じられた。
その後、家治はやはり田沼意致に対しても一橋家老に任じた真実の理由、言うなれば一橋家老として期待している点について、即ち、
「治済はどうやら、家基の暗殺を企んでいるらしいので、治済めを徹底的に監視し、家基の暗殺計画を阻止して貰いたい…」
それを語って聞かせたのだ。
これには田沼市左衛門意致も当然、仰天させられたが、将軍・家治の期待を一身に背負う格好で一橋家老を拝命したからには、
「畏まりましてござりまする…」
そう応えるより外になかった。
田沼市左衛門意致はそれから同じく中奥にある御三卿の詰所である御控座敷へと足を運ぶと、そこに詰めていた治済に一橋家老就任の挨拶をした。
水谷勝富が一橋家老を拝命した折には治済は登城しておらず、それ故、ここ御控座敷にその姿がなかったので、勝富は一橋家上屋敷へと足を運び、そこで治済に挨拶、もとい「宣戦布告」に及んだ。
だが水谷勝富が一橋家老に着任するや、治済は再び登城する様になった。
「おお…、意致か…、久しいのう…」
治済は市左衛門意致を前にして目を細めてそう応じた。
「民部卿様におかせられましては御健勝の由…」
市左衛門意致は畳に両手を突いてそう口上を述べた。
「左様に堅苦しい挨拶は抜きぞ…、この治済と意致の仲ではあるまいか…」
治済は市左衛門意致に馴れ馴れしい口調でそう語りかけてきた。
これに市左衛門意致がどう反応したら良いものかと、悩んでいると、
「ああ、そうであったの…、意致もまた上様より直々に密命を賜ったのであったな…」
治済がいきなりそう斬り込んできたものだから、市左衛門意致に「えっ」と声を上げさせたものである。
「意致もまた、勝富と同じう、上様よりこの治済めが大納言様の暗殺を企んでいるので、そこでこれを阻止せんが為に、家老としてこの治済めを徹底的に監視せよと、左様に仰せ付けられたのであろう?」
治済はピタリとそう言当てて、市左衛門意致を大いに困惑させた。
否、困惑したのは市左衛門意致だけではない。治済と同じく御三卿としてここ御控座敷に詰めていた清水重好にしてもそうである。
重好は思わず、「何を御戯れを…」と口を挟んだ。
「いやいや、決して戯れに非ず…、何しろ勝富より直に聞かされたのだからの…」
治済はそう切出すと、例の勝富の治済への「宣戦布告」について重好と市左衛門意致にも語って聞かせた。
「されば今もああして、家老の詰所より勝富がこの治済を厳しい視線にて見張っておるわ…」
治済はここ御控座敷の真向かいにある御三卿家老の詰所を指示しつつ、そう告げた。
成程、御三卿家老の詰所よりは一橋家老の水谷勝富が御控座敷へと、つまりは治済へと視線を注いでいた。
尤も、今の治済の「ジェスチャー」には、さしもの勝富も流石に居た堪れなくなったのか、思わず俯いた。
「されば意致もこの治済めに大納言様暗殺などと大それた謀叛を企ませぬ様、確とこの治済を監視してくれよな?」
治済にそう言われても、市左衛門意致としては、その性格から「はい」と即答することは出来ず、愈々、困惑させられた。
これで秋霜烈日、その上、面の皮が厚い水谷勝富ならば、「はい」と即答していたところであろう。
つまり田沼市左衛門意致は水谷勝富とは正反対のデリケートな人物という訳で、
「勝富よりは御し易い…」
治済はそう見定めた。
すると治済は愈々、市左衛門意致に馴れ馴れしく接した。
「意致よ、されば御妻女や子息も共に越して来るのであろうな…」
「はい」
「左様か…、御長女は確か3年前に能勢小太郎の許へと嫁がれたのであったな…」
治済は思い出したかの様にそう告げて、市左衛門意致を「ははっ」と首肯させた。
確かに治済の言う通り、市左衛門意致が長女は3年前の安永4(1775)年5月、当時、家を継いだばかり能勢小太郎頼徳の許へと嫁いだ。
その能勢小太郎は今は西之丸にて小納戸として次期将軍・家基に近侍していた。
「次女はそなたが父、意誠がまだ存命の折に山木八十八と結ばれた故、御長女の方が出遅れたの…」
治済はそう告げると、クックッと笑って見せた。
これもまた治済の言う通りで、次女の方が長女よりも結婚が早く、意誠がまだ存命であった安永2(1773)年3月、当時は本丸小姓組番士、今は本丸廣敷用人の山木五郎左衛門正篤が嫡子、八十八正富と結ばれた。
治済は既に、前の一橋家老であった田沼意誠が家族構成については頭に叩き込んでおいた。いずれ何かの役に立つやも知れぬと、そう思ってのことであり、治済のその「読み」は当たった。
こうして市左衛門意致が子女のことをピタリと言当ててみせることで、より市左衛門意致を取込める可能性が高まるというものである。
治済はその目的により更に長男の主水意英と次男の熊之助正容についても触れたものである。
さて、田沼市左衛門意致はその翌日、妻子を率いて一橋家上屋敷の門を潜った。
ちなみに水谷勝富の場合、妻は既に亡く、養嗣子の彌之助勝里は本丸小納戸という御役に就いていた為に、単身、一橋家上屋敷へと乗込んだ次第である。
治済はこの田沼市左衛門一家に対しても、水谷勝富に対して為したのと同じく、表向は元より大奥まで案内し、その上で己の家族を紹介した。
するとここで信じ難い光景が繰広げられた。
何と、一橋家の嫡子、豊千代が市左衛門意致より自己紹介を受けるや、市左衛門意致のその手を取ったのだ。それも両手で以て、市左衛門意致の右手を取ったのだ。
これは水谷勝富に対しては見られなかった光景である。
そしてこれには治済も珍しく心底、驚かされた。
それと言うのも一橋豊千代は「若君」らしく、凡そ、自ら臣下の手を取ることなどしない。
それが殊、市左衛門意致に対しては豊千代は自ら、それも両手で以てその右手を取ったものだから、治済は元より、生母の秀、改め富も心底、驚かされたものである。
「どうやら…、意致は豊千代に気に入られた様だの…」
治済はここでも目を細めると、
「どうであろう…、意致よ、この治済が監視役は勝富に任せて、意致は豊千代の守役を勤めてはくれぬかの…」
治済が市左衛門意致にそう持掛けたものだから、市左衛門意致当人は元より、治済の「監視役」としてその場に陪席していた水谷勝富をも驚かせた。
「それは…」
勝富が治済を制そうとした。
治済の監視役はあくまで2人の家老で為されるべきであったからだ。
「良いではないか…、この治済、平日は毎日、登城するによって、勝富よ、そなたもこの治済が監視役として、この治済に扈従して登城に及べば、監視態勢としては充分であろう?」
治済にこう言われては勝富としても返すべき言葉がなかった。
治済はその上で更に、
「勿論、病などでこの治済が登城が叶わぬこともあろう…、さればその場合には意致には守役を休ませて登城させるによって、つまりは勝富に留守を預からせ、登城せぬこの治済が監視に当たらせるによって、やはり監視態勢に寸分の漏れもあるまい?」
勝富にそう畳掛けたものだから、勝富としてもこれを受容れるより外になかった。
「されば意致よ、そなたも今日より大奥にてこの治済と起居を共にするが良いぞえ…」
市左衛門意致は治済からそう持掛けられたものだから、心底、驚いた。
「そなたも…、と仰せられますると、もしや…」
水谷勝富もここ一橋大奥にて起居しているのかと、市左衛門意致は勘を働かせた。
すると治済は市左衛門意致のその勘働きを認めて市左衛門意致を驚かせた。
如何に御三卿家老と雖も、御三卿と、それも大奥にて起居を共にするなど前代未聞であったからだ。
だが治済は如何にも、
「事も無げに…」
この治済が監視役なれば当然のことと、そう言放った。
かくして田沼市左衛門意致一家までがここ一橋大奥にて治済と起居を共にする様になった。
だが当の市左衛門意致だけは豊千代と起居を共にする様になった。
これは豊千代たっての希望であり、市左衛門意致がそれだけ、豊千代に気に入られた証でもあり、そしてこれだけは治済にとって誤算であった。
尤も、それは嬉しい誤算でもあった。
それと言うのも市左衛門意致を豊千代の守役に任ずるということは、治済と勝富が一橋家上屋敷を留守にする間、市左衛門意致には豊千代の「御守」に専念させるということであり、その間、一橋家上屋敷に誰が訪ねて来ようとも、それこそ家基暗殺計画の「共犯者」が訪ねて来ようとも、市左衛門意致には気付かれずに済むからだ。
何故なら、豊千代の守役とは畢竟、大奥に詰めることを意味するからだ。
市左衛門意致が豊千代の「御守」の為に一橋大奥に詰めている間、誰が訪ねて来ようとも、市左衛門意致に気付かれないとは、つまりはそういうことであった。
そこで治済は家基暗殺計画の進捗状況について、報告を入れさせることを思い付いた。
「例の如く…」
御側御用取次の稲葉正明の意見が採用された。
即ち、正明は将軍・家治に対して、
「本丸目附の田沼市左衛門意致を山口出雲が後任に据えられましては…」
そう進言したのであった。
家治は正明のその進言を直ぐに受容れた。
それだけ田沼意次のことを、意次の縁者を信頼していたのだ。
だが相役の御側御用取次、横田筑後守準松が「待った」をかけた。
準松は、「畏れながら…」と口を挟むと、田沼市左衛門意致が父、能登守意誠が一橋家と近しい関係であった点を指摘して、その息・市左衛門意致の一橋家老就任に難色を示した。
田沼意誠は嘗て、一橋家老を勤めており、しかもただの家老ではなかった。
それと言うのも一橋家の始祖、治済が実父でもある宗尹がまだ、小五郎なる幼名を名乗っていた時分より小姓としてその宗尹こと小五郎に小姓として御側近くに仕えていたのだ。
つまり意誠は宗尹の小姓を皮切りに、一橋家老へと栄達を遂げ、それだけに附人と言うよりは抱入に近かった。
即ち、公儀が御三卿の「監視役」としてその上屋敷へと派した附人と言うよりは、御三卿が個人的に召抱えた抱入の性格が強く、つまり意誠は宗尹の監視役ではなく忠実な家臣、悪く言えば僕であった。
否、意誠は宗尹が息、今の一橋家の当主たる治済にもやはり、忠実な家臣、僕として仕えていたのだ。
その様な意誠を父に持つ田沼市左衛門意致に果たして一橋家老が勤まるのかと、準松は難色、と言うよりは疑念を示したのだ。
何しろ今の一橋家老には、
「治済による家基暗殺計画の阻止…」
それが求められていたからだ。
それ故、一橋家老には当然、治済の「監視役」に徹して貰わねばならない。
だが田沼市左衛門意致に果たしてそれが―、治済の「監視役」に徹せられるか、準松には甚だ疑問であった。
「されば市左衛門意致は父、意誠とは別人格にて…、否、これで百歩譲って市左衛門意致も一橋家の上屋敷にて、その組屋敷にて家老を勤めし父・意誠と共に、それも意誠が晩年まで暮らしていたならば、成程、筑後が言分、懸念も尤もではあるが、なれど市左衛門意致が父、意誠と共に一橋家にて起居せしは、市左衛門意致が本丸小姓組番士に取立てられし宝暦12(1762)年まで…、市左衛門意致は宝暦12(1762)年に本丸小姓組番士に取立てられるや、一橋家を出、実家である田沼家の屋敷へと戻り、爾来、父・意誠が歿せし時を除いては今に至るまで一橋家上屋敷には足を向けてはいない筈…、されば斯かる市左衛門意致が父・意誠と同じう一橋家と…、民部卿殿と親しいとは思えぬ…」
正明のその反論を前にしては準松も口を噤まざるを得ない。
すると正明はそんな準松に止めを刺すかの様に、
「それとも…、筑後は田沼主殿が甥でもある市左衛門意致が信用ならず…、一橋民部卿殿に取込まれる恐れあり、とでも申されるのか?」
そう疑問を投掛けたものだから、準松は慌て「滅相もないっ」と即答した。
ここで、正明のその疑問に|対《たい」して、準松が「如何にも…」なぞと首肯し様ものなら、田沼主殿こと意次との関係が悪化するばかりでなく、意次を寵愛する将軍・家治との関係までも悪化することが予期され、準松はそれを恐れて、「滅相もない」と即答に及んだのだ。
一方、正明も準松のその「反応」を予期して敢えて、準松に斯かる疑問を投掛けたのであった。
こうして正明は準松のその「反応」を受けて、
「然らば、田沼市左衛門意致を山口出雲が後任の一橋家老に据えることに何ら問題はなかろう?」
準松にそう畳掛けた。
これに準松は精一杯の抵抗として何も応えず、すると正明はこれを黙認と受取るや、家治の方を向き、
「本丸目附、田沼市左衛門意致を山口出雲が後任の一橋家老に任じられましては…」
改めて家治にそう提案したのであった。
すると家治もこれに頷いたので、これで田沼市左衛門意致の一橋家老就任が決まった。
「されば田沼市左衛門意致が後任の本丸目附も決めねばなりますまいが、これは目附の直属の上司たる若年寄に任せたいと存じまする…」
正明のその意見にも家治は頷き、こうして田沼市左衛門意致の後任の本丸目附の選考については本丸若年寄に一任されることになった。
結果、若年寄の閣議において本丸徒頭の末吉善左衛門利隆を田沼市左衛門意致が後任の本丸目附に充てることとし、末吉善左衛門が後任の徒頭には本丸小姓組番士の原田権兵衛幸省を以て充てることとした。
さて、田沼市左衛門意致が一橋家老を拝命したのは山口直郷が「病歿」してから8日後の7月28日のことであった。
中奥は御座之間にて将軍・家治より、月番老中の松平周防守康福を介して一橋家老に任じられた。
その後、家治はやはり田沼意致に対しても一橋家老に任じた真実の理由、言うなれば一橋家老として期待している点について、即ち、
「治済はどうやら、家基の暗殺を企んでいるらしいので、治済めを徹底的に監視し、家基の暗殺計画を阻止して貰いたい…」
それを語って聞かせたのだ。
これには田沼市左衛門意致も当然、仰天させられたが、将軍・家治の期待を一身に背負う格好で一橋家老を拝命したからには、
「畏まりましてござりまする…」
そう応えるより外になかった。
田沼市左衛門意致はそれから同じく中奥にある御三卿の詰所である御控座敷へと足を運ぶと、そこに詰めていた治済に一橋家老就任の挨拶をした。
水谷勝富が一橋家老を拝命した折には治済は登城しておらず、それ故、ここ御控座敷にその姿がなかったので、勝富は一橋家上屋敷へと足を運び、そこで治済に挨拶、もとい「宣戦布告」に及んだ。
だが水谷勝富が一橋家老に着任するや、治済は再び登城する様になった。
「おお…、意致か…、久しいのう…」
治済は市左衛門意致を前にして目を細めてそう応じた。
「民部卿様におかせられましては御健勝の由…」
市左衛門意致は畳に両手を突いてそう口上を述べた。
「左様に堅苦しい挨拶は抜きぞ…、この治済と意致の仲ではあるまいか…」
治済は市左衛門意致に馴れ馴れしい口調でそう語りかけてきた。
これに市左衛門意致がどう反応したら良いものかと、悩んでいると、
「ああ、そうであったの…、意致もまた上様より直々に密命を賜ったのであったな…」
治済がいきなりそう斬り込んできたものだから、市左衛門意致に「えっ」と声を上げさせたものである。
「意致もまた、勝富と同じう、上様よりこの治済めが大納言様の暗殺を企んでいるので、そこでこれを阻止せんが為に、家老としてこの治済めを徹底的に監視せよと、左様に仰せ付けられたのであろう?」
治済はピタリとそう言当てて、市左衛門意致を大いに困惑させた。
否、困惑したのは市左衛門意致だけではない。治済と同じく御三卿としてここ御控座敷に詰めていた清水重好にしてもそうである。
重好は思わず、「何を御戯れを…」と口を挟んだ。
「いやいや、決して戯れに非ず…、何しろ勝富より直に聞かされたのだからの…」
治済はそう切出すと、例の勝富の治済への「宣戦布告」について重好と市左衛門意致にも語って聞かせた。
「されば今もああして、家老の詰所より勝富がこの治済を厳しい視線にて見張っておるわ…」
治済はここ御控座敷の真向かいにある御三卿家老の詰所を指示しつつ、そう告げた。
成程、御三卿家老の詰所よりは一橋家老の水谷勝富が御控座敷へと、つまりは治済へと視線を注いでいた。
尤も、今の治済の「ジェスチャー」には、さしもの勝富も流石に居た堪れなくなったのか、思わず俯いた。
「されば意致もこの治済めに大納言様暗殺などと大それた謀叛を企ませぬ様、確とこの治済を監視してくれよな?」
治済にそう言われても、市左衛門意致としては、その性格から「はい」と即答することは出来ず、愈々、困惑させられた。
これで秋霜烈日、その上、面の皮が厚い水谷勝富ならば、「はい」と即答していたところであろう。
つまり田沼市左衛門意致は水谷勝富とは正反対のデリケートな人物という訳で、
「勝富よりは御し易い…」
治済はそう見定めた。
すると治済は愈々、市左衛門意致に馴れ馴れしく接した。
「意致よ、されば御妻女や子息も共に越して来るのであろうな…」
「はい」
「左様か…、御長女は確か3年前に能勢小太郎の許へと嫁がれたのであったな…」
治済は思い出したかの様にそう告げて、市左衛門意致を「ははっ」と首肯させた。
確かに治済の言う通り、市左衛門意致が長女は3年前の安永4(1775)年5月、当時、家を継いだばかり能勢小太郎頼徳の許へと嫁いだ。
その能勢小太郎は今は西之丸にて小納戸として次期将軍・家基に近侍していた。
「次女はそなたが父、意誠がまだ存命の折に山木八十八と結ばれた故、御長女の方が出遅れたの…」
治済はそう告げると、クックッと笑って見せた。
これもまた治済の言う通りで、次女の方が長女よりも結婚が早く、意誠がまだ存命であった安永2(1773)年3月、当時は本丸小姓組番士、今は本丸廣敷用人の山木五郎左衛門正篤が嫡子、八十八正富と結ばれた。
治済は既に、前の一橋家老であった田沼意誠が家族構成については頭に叩き込んでおいた。いずれ何かの役に立つやも知れぬと、そう思ってのことであり、治済のその「読み」は当たった。
こうして市左衛門意致が子女のことをピタリと言当ててみせることで、より市左衛門意致を取込める可能性が高まるというものである。
治済はその目的により更に長男の主水意英と次男の熊之助正容についても触れたものである。
さて、田沼市左衛門意致はその翌日、妻子を率いて一橋家上屋敷の門を潜った。
ちなみに水谷勝富の場合、妻は既に亡く、養嗣子の彌之助勝里は本丸小納戸という御役に就いていた為に、単身、一橋家上屋敷へと乗込んだ次第である。
治済はこの田沼市左衛門一家に対しても、水谷勝富に対して為したのと同じく、表向は元より大奥まで案内し、その上で己の家族を紹介した。
するとここで信じ難い光景が繰広げられた。
何と、一橋家の嫡子、豊千代が市左衛門意致より自己紹介を受けるや、市左衛門意致のその手を取ったのだ。それも両手で以て、市左衛門意致の右手を取ったのだ。
これは水谷勝富に対しては見られなかった光景である。
そしてこれには治済も珍しく心底、驚かされた。
それと言うのも一橋豊千代は「若君」らしく、凡そ、自ら臣下の手を取ることなどしない。
それが殊、市左衛門意致に対しては豊千代は自ら、それも両手で以てその右手を取ったものだから、治済は元より、生母の秀、改め富も心底、驚かされたものである。
「どうやら…、意致は豊千代に気に入られた様だの…」
治済はここでも目を細めると、
「どうであろう…、意致よ、この治済が監視役は勝富に任せて、意致は豊千代の守役を勤めてはくれぬかの…」
治済が市左衛門意致にそう持掛けたものだから、市左衛門意致当人は元より、治済の「監視役」としてその場に陪席していた水谷勝富をも驚かせた。
「それは…」
勝富が治済を制そうとした。
治済の監視役はあくまで2人の家老で為されるべきであったからだ。
「良いではないか…、この治済、平日は毎日、登城するによって、勝富よ、そなたもこの治済が監視役として、この治済に扈従して登城に及べば、監視態勢としては充分であろう?」
治済にこう言われては勝富としても返すべき言葉がなかった。
治済はその上で更に、
「勿論、病などでこの治済が登城が叶わぬこともあろう…、さればその場合には意致には守役を休ませて登城させるによって、つまりは勝富に留守を預からせ、登城せぬこの治済が監視に当たらせるによって、やはり監視態勢に寸分の漏れもあるまい?」
勝富にそう畳掛けたものだから、勝富としてもこれを受容れるより外になかった。
「されば意致よ、そなたも今日より大奥にてこの治済と起居を共にするが良いぞえ…」
市左衛門意致は治済からそう持掛けられたものだから、心底、驚いた。
「そなたも…、と仰せられますると、もしや…」
水谷勝富もここ一橋大奥にて起居しているのかと、市左衛門意致は勘を働かせた。
すると治済は市左衛門意致のその勘働きを認めて市左衛門意致を驚かせた。
如何に御三卿家老と雖も、御三卿と、それも大奥にて起居を共にするなど前代未聞であったからだ。
だが治済は如何にも、
「事も無げに…」
この治済が監視役なれば当然のことと、そう言放った。
かくして田沼市左衛門意致一家までがここ一橋大奥にて治済と起居を共にする様になった。
だが当の市左衛門意致だけは豊千代と起居を共にする様になった。
これは豊千代たっての希望であり、市左衛門意致がそれだけ、豊千代に気に入られた証でもあり、そしてこれだけは治済にとって誤算であった。
尤も、それは嬉しい誤算でもあった。
それと言うのも市左衛門意致を豊千代の守役に任ずるということは、治済と勝富が一橋家上屋敷を留守にする間、市左衛門意致には豊千代の「御守」に専念させるということであり、その間、一橋家上屋敷に誰が訪ねて来ようとも、それこそ家基暗殺計画の「共犯者」が訪ねて来ようとも、市左衛門意致には気付かれずに済むからだ。
何故なら、豊千代の守役とは畢竟、大奥に詰めることを意味するからだ。
市左衛門意致が豊千代の「御守」の為に一橋大奥に詰めている間、誰が訪ねて来ようとも、市左衛門意致に気付かれないとは、つまりはそういうことであった。
そこで治済は家基暗殺計画の進捗状況について、報告を入れさせることを思い付いた。
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