天明奇聞 ~たとえば意知が死ななかったら~

ご隠居

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新たに一橋家老に着任した田沼市左衛門意致は一橋家の若君、豊千代に気に入られ、そこで治済は意致を豊千代の守役に任ず。

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 安永7(1778)年7月20日に一橋ひとつばし家老かろう山口やまぐち出雲守いずものかみ直郷なおさとが「病歿びょうぼつ」したことから、その後任こうにんえら必要ひつようせまられた。

れいごとく…」

 御側御用取次おそばごようとりつぎ稲葉いなば正明まさあきら意見いけん採用さいようされた。

 すなわち、正明まさあきら将軍しょうぐん家治いえはるたいして、

本丸ほんまる目附めつけ田沼たぬま市左衛門いちざえもん意致おきむね山口やまぐち出雲いずも後任こうにんえられましては…」

 そう進言しんげんしたのであった。

 家治いえはる正明まさあきらのその進言しんげんぐに受容うけいれた。

 それだけ田沼たぬま意次おきつぐのことを、意次おきつぐ縁者えんじゃ信頼しんらいしていたのだ。

 だが相役あいやく御側御用取次おそばごようとりつぎ横田よこた筑後守ちくごのかみ準松のりとしが「った」をかけた。

 準松のりとしは、「おそれながら…」とくちはさむと、田沼たぬま市左衛門いちざえもん意致おきむねちち能登守のとのかみ意誠おきのぶ一橋家ひとつばしけちかしい関係かんけいであったてん指摘してきして、そのそく市左衛門いちざえもん意致おきむね一橋ひとつばし家老かろう就任しゅうにん難色なんしょくしめした。

 田沼たぬま意誠おきのぶかつて、一橋ひとつばし家老かろうつとめており、しかもただの家老かろうではなかった。

 それと言うのも一橋家ひとつばしけ始祖しそ治済はるさだ実父じっぷでもある宗尹むねただがまだ、小五郎こごろうなる幼名ようみょう名乗なのっていた時分じぶんより小姓こしょうとしてその宗尹むねただこと小五郎こごろう小姓こしょうとして御側近おそばちかくにつかえていたのだ。

 つまり意誠おきのぶ宗尹むねただ小姓こしょう皮切かわきりに、一橋ひとつばし家老かろうへと栄達えいたつげ、それだけに附人つけびとと言うよりは抱入かかえいれちかかった。

 すなわち、公儀ばくふ御三卿ごさんきょうの「監視役かんしやく」としてその上屋敷かみやしきへとした附人つけびとと言うよりは、御三卿ごさんきょう個人的こじんてき召抱めしかかえた抱入かかえいれ性格せいかくつよく、つまり意誠おきのぶ宗尹むねただ監視役かんしやくではなく忠実ちゅうじつ家臣かしんわるく言えばしもべであった。

 いや意誠おきのぶ宗尹むねただそくいま一橋家ひとつばしけ当主とうしゅたる治済はるさだにもやはり、忠実ちゅうじつ家臣かしんしもべとしてつかえていたのだ。

 そのよう意誠おきのぶちち田沼たぬま市左衛門いちざえもん意致おきむねたして一橋ひとつばし家老かろうつとまるのかと、準松のりとし難色なんしょく、と言うよりは疑念ぎねんしめしたのだ。

 なにしろいま一橋ひとつばし家老かろうには、

治済はるさだによる家基暗殺計画いえもとあんさつけいかく阻止そし…」

 それがもとめられていたからだ。

 それゆえ一橋ひとつばし家老かろうには当然とうぜん治済はるさだの「監視役かんしやく」にてっしてもらわねばならない。

 だが田沼たぬま市左衛門いちざえもん意致おきむねたしてそれが―、治済はるさだの「監視役かんしやく」にてっせられるか、準松のりとしにははなは疑問ぎもんであった。

「されば市左衛門いちざえもん意致おきむねちち意誠おきのぶとは別人格べつじんかくにて…、いや、これで百歩譲ひゃっぽゆずって市左衛門いちざえもん意致おきむね一橋家ひとつばしけ上屋敷かみやしきにて、その組屋敷くみやしきにて家老かろうつとめしちち意誠おきのぶともに、それも意誠おきのぶ晩年ばんねんまでらしていたならば、成程なるほど筑後ちくご言分いいぶん懸念けねんもっともではあるが、なれど市左衛門いちざえもん意致おきむねちち意誠おきのぶとも一橋家ひとつばしけにて起居ききょせしは、市左衛門いちざえもん意致おきむね本丸小姓組番ほんまるこしょうぐみばん取立とりたてられし宝暦12(1762)年まで…、市左衛門いちざえもん意致おきむねは宝暦12(1762)年に本丸小姓組番ほんまるこしょうぐみばん取立とりたてられるや、一橋家ひとつばしけ実家じっかである田沼家たぬまけ屋敷やしきへともどり、爾来じらいちち意誠おきのぶ歿ぼっせしときのぞいてはいまいたるまで一橋家ひとつばしけ上屋敷かみやしきにはあしけてはいないはず…、さればかる市左衛門いちざえもん意致おきむねちち意誠おきのぶおなじう一橋家ひとつばしけと…、民部卿殿みんぶのきょうどのしたしいとはおもえぬ…」

 正明まさあきらのその反論はんろんまえにしては準松のりとしくちつぐまざるをない。

 すると正明まさあきらはそんな準松のりとしとどめをすかのように、

「それとも…、筑後ちくご田沼主殿たぬまとのもおいでもある市左衛門いちざえもん意致おきむね信用しんようならず…、一橋ひとつばし民部卿殿みんぶのきょうどの取込とりこまれるおそれあり、とでももうされるのか?」

 そう疑問ぎもん投掛なげかけたものだから、準松のりとしあわて「滅相めっそうもないっ」と即答そくとうした。

 ここで、正明まさあきらのその疑問ぎもんに|対《たい」して、準松のりとしが「如何いかにも…」なぞと首肯しゅこうようものなら、田沼主殿たぬまとのもこと意次おきつぐとの関係かんけい悪化あっかするばかりでなく、意次おきつぐ寵愛ちょうあいする将軍しょうぐん家治いえはるとの関係かんけいまでも悪化あっかすることが予期よきされ、準松のりとしはそれをおそれて、「滅相めっそうもない」と即答そくとうおよんだのだ。

 一方いっぽう正明まさあきら準松のりとしのその「反応はんのう」を予期よきしてえて、準松のりとしかる疑問ぎもん投掛なげかけたのであった。

 こうして正明まさあきら準松のりとしのその「反応はんのう」をけて、

しからば、田沼たぬま市左衛門いちざえもん意致おきむね山口やまぐち出雲いずも後任こうにん一橋ひとつばし家老かろうえることになん問題もんだいはなかろう?」

 準松のりとしにそう畳掛たたみかけた。

 これに準松のりとし精一杯せいいっぱい抵抗ていこうとしてなにこたえず、すると正明まさあきらはこれを黙認もくにん受取うけとるや、家治いえはるほうき、

本丸ほんまる目附めつけ田沼たぬま市左衛門いちざえもん意致おきむね山口やまぐち出雲いずも後任こうにん一橋ひとつばし家老かろうにんじられましては…」

 あらためて家治いえはるにそう提案ていあんしたのであった。

 すると家治いえはるもこれにうなずいたので、これで田沼たぬま市左衛門いちざえもん意致おきむね一橋ひとつばし家老かろう就任しゅうにんまった。

「されば田沼たぬま市左衛門いちざえもん意致おきむね後任こうにん本丸ほんまる目附めつけめねばなりますまいが、これは目附めつけ直属ちょくぞく上司じょうしたる若年寄わかどしよりまかせたいとぞんじまする…」

 正明まさあきらのその意見いけんにも家治いえはるうなずき、こうして田沼たぬま市左衛門いちざえもん意致おきむね後任こうにん本丸ほんまる目附めつけ選考せんこうについては本丸ほんまる若年寄わかどしより一任いちにんされることになった。

 結果けっか若年寄わかどしより閣議かくぎにおいて本丸徒ほんまるかちがしら末吉すえよし善左衛門ぜんざえもん利隆としたか田沼たぬま市左衛門いちざえもん意致おきむね後任こうにん本丸ほんまる目附めつけてることとし、末吉すえよし善左衛門ぜんざえもん後任こうにん徒頭かちがしらには本丸小姓組番ほんまるこしょうぐみばん原田はらだ権兵衛ごんべえ幸省よしみもってることとした。

 さて、田沼たぬま市左衛門いちざえもん意致おきむね一橋ひとつばし家老かろう拝命はいめいしたのは山口直郷やまぐちなおさとが「病歿びょうぼつ」してから8日後の7月28日のことであった。

 中奥なかおく御座之間ござのまにて将軍しょうぐん家治いえはるより、月番つきばん老中ろうじゅう松平まつだいら周防守すおうのかみ康福やすよしかいして一橋ひとつばし家老かろうにんじられた。

 その家治いえはるはやはり田沼たぬま意致おきむねたいしても一橋ひとつばし家老かろうにんじた真実まこと理由わけ、言うなれば一橋ひとつばし家老かろうとして期待きたいしているてんについて、すなわち、

治済はるさだはどうやら、家基いえもと暗殺あんさつたくらんでいるらしいので、治済はるさだめを徹底的てっていてき監視かんしし、家基いえもと暗殺計画あんさつけいかく阻止そししてもらいたい…」

 それをかたってかせたのだ。

 これには田沼たぬま市左衛門いちざえもん意致おきむね当然とうぜん仰天ぎょうてんさせられたが、将軍しょうぐん家治いえはる期待きたい一身いっしん背負せお格好かっこう一橋ひとつばし家老かろう拝命はいめいしたからには、

かしこまりましてござりまする…」

 そうこたえるよりほかになかった。

 田沼たぬま市左衛門いちざえもん意致おきむねはそれからおなじく中奥なかおくにある御三卿ごさんきょう詰所つめしょである御控おひかえ座敷ざしきへとあしはこぶと、そこにめていた治済はるさだ一橋ひとつばし家老かろう就任しゅうにん挨拶あいさつをした。

 水谷勝富みずのやかつとみ一橋ひとつばし家老かろう拝命はいめいしたおりには治済はるさだ登城とじょうしておらず、それゆえ、ここ御控おひかえ座敷ざしきにその姿すがたがなかったので、勝富かつとみ一橋家ひとつばしけ上屋敷かみやしきへとあしはこび、そこで治済はるさだ挨拶あいさつ、もとい「宣戦せんせん布告ふこく」におよんだ。

 だが水谷勝富みずのやかつとみ一橋ひとつばし家老かろう着任ちゃくにんするや、治済はるさだふたた登城とじょうするようになった。

「おお…、意致おきむねか…、ひさしいのう…」

 治済はるさだ市左衛門いちざえもん意致おきむねまえにしてほそめてそうおうじた。

民部卿様みんぶのきょうさまにおかせられましては御健勝ごけんしょうよし…」

 市左衛門いちざえもん意致おきむねたたみ両手りょうていてそう口上こうじょうべた。

左様さよう堅苦かたくるしい挨拶あいさつきぞ…、この治済はるさだ意致おきむねなかではあるまいか…」

 治済はるさだ市左衛門いちざえもん意致おきむねれしい口調くちょうでそうかたりかけてきた。

 これに市左衛門いちざえもん意致おきむねがどう反応はんのうしたらいものかと、なやんでいると、

「ああ、そうであったの…、意致おきむねもまた上様うえさまより直々じきじき密命みつめいたまわったのであったな…」

 治済はるさだがいきなりそうんできたものだから、市左衛門いちざえもん意致おきむねに「えっ」とこえげさせたものである。

意致おきむねもまた、勝富かつとみおなじう、上様うえさまよりこの治済はるさだめが大納言だいなごんさま暗殺あんさつたくらんでいるので、そこでこれを阻止そしせんがために、家老かろうとしてこの治済はるさだめを徹底的てっていてき監視かんしせよと、左様さようおおけられたのであろう?」

 治済はるさだはピタリとそう言当いいあてて、市左衛門いちざえもん意致おきむねおおいに困惑こんわくさせた。

 いや困惑こんわくしたのは市左衛門いちざえもん意致おきむねだけではない。治済はるさだおなじく御三卿ごさんきょうとしてここ御控おひかえ座敷ざしきめていた清水しみず重好しげよしにしてもそうである。

 重好しげよしおもわず、「なに御戯おたわむれを…」とくちはさんだ。

「いやいや、けっしてたわむれにあらず…、なにしろ勝富かつとみよりじかかされたのだからの…」

 治済はるさだはそう切出きりだすと、れい勝富かつとみ治済はるさだへの「宣戦せんせん布告ふこく」について重好しげよし市左衛門いちざえもん意致おきむねにもかたってかせた。

「さればいまもああして、家老かろう詰所つめしょより勝富かつとみがこの治済はるさだきびしい視線しせんにて見張みはっておるわ…」

 治済はるさだはここ御控おひかえ座敷ざしき真向まむかいにある御三卿ごさんきょう家老かろう詰所つめしょ指示さししめしつつ、そうげた。

 成程なるほど御三卿ごさんきょう家老かろう詰所つめしょよりは一橋ひとつばし家老かろう水谷勝富みずのやかつとみ御控おひかえ座敷ざしきへと、つまりは治済はるさだへと視線しせんそそいでいた。

 もっとも、いま治済はるさだの「ジェスチャー」には、さしもの勝富かつとみ流石さすがたまれなくなったのか、おもわずうつむいた。

「されば意致おきむねもこの治済はるさだめに大納言だいなごん様暗殺さまあんさつなどとだいそれた謀叛むほんたくらませぬようしっかとこの治済はるさだ監視かんししてくれよな?」

 治済はるさだにそう言われても、市左衛門いちざえもん意致おきむねとしては、その性格せいかくから「はい」と即答そくとうすることは出来できず、愈々いよいよ困惑こんわくさせられた。

 これで秋霜烈日しゅうそうれつじつ、そのうえツラかわあつ水谷勝富みずのやかつとみならば、「はい」と即答そくとうしていたところであろう。

 つまり田沼たぬま市左衛門いちざえもん意致おきむね水谷勝富みずのやかつとみとは正反対せいはんたいのデリケートな人物じんぶつというわけで、

勝富かつとみよりはぎょやすい…」

 治済はるさだはそう見定みさだめた。

 すると治済はるさだ愈々いよいよ市左衛門いちざえもん意致おきむねれしくせっした。

意致おきむねよ、されば妻女さいじょ子息しそくともしてるのであろうな…」

「はい」

左様さようか…、長女ちょうじょたしか3年前ねんまえ能勢のせ小太郎こたろうもとへととつがれたのであったな…」

 治済はるさだおもしたかのようにそうげて、市左衛門いちざえもん意致おきむねを「ははっ」と首肯しゅこうさせた。

 たしかに治済はるさだの言うとおり、市左衛門いちざえもん意致おきむね長女ちょうじょは3年前ねんまえの安永4(1775)年5月、当時とうじいえいだばかり能勢のせ小太郎こたろう頼徳よりのりもとへととついだ。

 その能勢のせ小太郎こたろういま西之丸にしのまるにて小納戸こなんどとして次期じき将軍しょうぐん家基いえもと近侍きんじしていた。

次女じじょはそなたがちち意誠おきのぶがまだ存命ぞんめいおり山木やまき八十八やそはちむすばれたゆえ長女ちょうじょほう出遅でおくれたの…」

 治済はるさだはそうげると、クックッとわらってせた。

 これもまた治済はるさだの言うとおりで、次女じじょほう長女ちょうじょよりも結婚けっこんはやく、意誠おきのぶがまだ存命ぞんめいであった安永2(1773)年3月、当時とうじ本丸小姓組番ほんまるこしょうぐみばんいま本丸廣敷用人ほんまるひろしきようにん山木やまき五郎左衛門ごろざえもん正篤まさあつ嫡子ちゃくし八十八やそはち正富まさとみむすばれた。

 治済はるさだすでに、さき一橋ひとつばし家老かろうであった田沼たぬま意誠おきのぶ家族かぞく構成こうせいについてはあたまたたんでおいた。いずれなにかのやくつやもれぬと、そうおもってのことであり、治済はるさだのその「み」はたった。

 こうして市左衛門いちざえもん意致おきむね子女しじょのことをピタリと言当いいあててみせることで、より市左衛門いちざえもん意致おきむね取込とりこめる可能性かのうせいたかまるというものである。

 治済はるさだはその目的もくてきによりさら長男ちょうなん主水もんど意英おきふさ次男じなん熊之助くまのすけ正容まさかたについてもれたものである。

 さて、田沼たぬま市左衛門いちざえもん意致おきむねはその翌日よくじつ妻子さいしひきいて一橋家ひとつばしけ上屋敷かみやしきもんくぐった。

 ちなみに水谷勝富みずのやかつとみ場合ばあいつますでく、養嗣子ようしし彌之助やのすけ勝里かつさと本丸ほんまる小納戸こなんどという御役ポストいていたために、単身たんしん一橋家ひとつばしけ上屋敷かみやしきへと乗込のりこんだ次第しだいである。

 治済はるさだはこの田沼たぬま市左衛門いちざえもん一家ファミリーたいしても、水谷勝富みずのやかつとみたいしてしたのとおなじく、表向おもてむきもとより大奥おおおくまで案内あんないし、そのうえおのれ家族ファミリー紹介しょうかいした。

 するとここでしんがた光景こうけい繰広くりひろげられた。

 なんと、一橋家ひとつばしけ嫡子ちゃくし豊千代とよちよ市左衛門いちざえもん意致おきむねより自己じこ紹介しょうかいけるや、市左衛門いちざえもん意致おきむねのそのったのだ。それも両手りょうてもって、市左衛門いちざえもん意致おきむね右手みぎてったのだ。

 これは水谷勝富みずのやかつとみたいしてはられなかった光景こうけいである。

 そしてこれには治済はるさだめずらしく心底しんそこおどろかされた。

 それと言うのも一橋ひとつばし豊千代とよちよは「若君わかぎみ」らしく、おおよそ、みずか臣下しんかることなどしない。

 それがこと市左衛門いちざえもん意致おきむねたいしては豊千代とよちよみずから、それも両手りょうてもってその右手みぎてったものだから、治済はるさだもとより、生母せいぼひであらたとみ心底しんそこおどろかされたものである。

「どうやら…、意致おきむね豊千代とよちよられたようだの…」

 治済はるさだはここでもほそめると、

「どうであろう…、意致おきむねよ、この治済はるさだ監視役かんしやく勝富かつとみまかせて、意致おきむね豊千代とよちよ守役もりやくつとめてはくれぬかの…」

 治済はるさだ市左衛門いちざえもん意致おきむねにそう持掛もちかけたものだから、市左衛門いちざえもん意致当人おきむねとうにんもとより、治済はるさだの「監視役かんしやく」としてその陪席ばいせきしていた水谷勝富みずのやかつとみをもおどろかせた。

「それは…」

 勝富かつとみ治済はるさだせいそうとした。

 治済はるさだ監視役かんしやくはあくまで2人の家老かろうされるべきであったからだ。

いではないか…、この治済はるさだ平日へいじつ毎日まいにち登城とじょうするによって、勝富かつとみよ、そなたもこの治済はるさだ監視役かんしやくとして、この治済はるさだ扈従こしょうして登城とじょうおよべば、監視かんし態勢たいせいとしては充分じゅうぶんであろう?」

 治済はるさだにこう言われては勝富かつとみとしてもかえすべき言葉ことばがなかった。

 治済はるさだはそのうえさらに、

勿論もちろんやまいなどでこの治済はるさだ登城とじょうかなわぬこともあろう…、さればその場合ばあいには意致おきむねには守役もりやくやすませて登城とじょうさせるによって、つまりは勝富かつとみ留守るすあずからせ、登城とじょうせぬこの治済はるさだ監視かんしたらせるによって、やはり監視かんし態勢たいせい寸分すんぶんれもあるまい?」

 勝富かつとみにそう畳掛たたみかけたものだから、勝富かつとみとしてもこれを受容うけいれるよりほかになかった。

「されば意致おきむねよ、そなたも今日きょうより大奥おおおくにてこの治済はるさだ起居ききょともにするがいぞえ…」

 市左衛門いちざえもん意致おきむね治済はるさだからそう持掛もちかけられたものだから、心底しんそこおどろいた。

「そなたも…、とおおせられますると、もしや…」

 水谷勝富みずのやかつとみもここ一橋ひとつばし大奥おおおくにて起居ききょしているのかと、市左衛門いちざえもん意致おきむねかんはたらかせた。

 すると治済はるさだ市左衛門いちざえもん意致おきむねのその勘働かんばたらきをみとめて市左衛門いちざえもん意致おきむねおどろかせた。

 如何いか御三卿ごさんきょう家老かろういえども、御三卿ごさんきょうと、それも大奥おおおくにて起居ききょともにするなど前代未聞ぜんだいみもんであったからだ。

 だが治済はるさだ如何いかにも、

ことげに…」

 この治済はるさだ監視役かんしやくなれば当然とうぜんのことと、そう言放いいはなった。

 かくして田沼たぬま市左衛門いちざえもん意致おきむね一家ファミリーまでがここ一橋ひとつばし大奥おおおくにて治済はるさだ起居ききょともにするようになった。

 だがとう市左衛門いちざえもん意致おきむねだけは豊千代とよちよ起居ききょともにするようになった。

 これは豊千代とよちよたっての希望きぼうであり、市左衛門いちざえもん意致おきむねがそれだけ、豊千代とよちよられたあかしでもあり、そしてこれだけは治済はるさだにとって誤算ごさんであった。

 もっとも、それはうれしい誤算ごさんでもあった。

 それと言うのも市左衛門いちざえもん意致おきむね豊千代とよちよ守役もりやくにんずるということは、治済はるさだ勝富かつとみ一橋家ひとつばしけ上屋敷かみやしき留守るすにするあいだ市左衛門いちざえもん意致おきむねには豊千代とよちよの「御守おもり」に専念せんねんさせるということであり、そのかん一橋家ひとつばしけ上屋敷かみやしきだれたずねてようとも、それこそ家基暗殺計画いえもとあんさつけいかくの「共犯者きょうはんしゃ」がたずねてようとも、市左衛門いちざえもん意致おきむねには気付きづかれずにむからだ。

 何故なぜなら、豊千代とよちよ守役もりやくとは畢竟ひっきょう大奥おおおくめることを意味いみするからだ。

 市左衛門いちざえもん意致おきむね豊千代とよちよの「御守おもり」のため一橋ひとつばし大奥おおおくめているあいだだれたずねてようとも、市左衛門いちざえもん意致おきむね気付きづかれないとは、つまりはそういうことであった。

 そこで治済はるさだ家基暗殺計画いえもとあんさつけいかく進捗しんちょく状況じょうきょうについて、報告ほうこくれさせることをおもいた。
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