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安永のトリカブト殺人事件 ~遅効性の毒の完成、そして一橋治済は西之丸御膳奉行の神谷與市郎久武に命じてフグ毒を次期将軍・家基に服ませることに~
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治済は例の「アリバイ」作り、即ち、
「自分は家基暗殺計画など企んではいない…」
水谷勝富と田沼市左衛門意致の2人の家老にそう信じ込ませるべく、大奥にて勝富と、それに田沼一家と起居を共にしていた。
四六時中、正に「24時間」、家老の監視下に晒された状況下で家基が亡くなった場合、治済はその死には関与していない何よりの証、正に鉄壁の「アリバイ」が成立する。
尤も、「トイレ」と「風呂」だけは家老も、とりわけ秋霜烈日で鳴らす水谷勝富も流石に控え、治済はその「隙」を衝いた。
治済は入浴の際には湯女を伴う。
その湯女だが、治済の一番新しい側妾の町であった。
この町だが、ただの妾ではない。
町は西之丸廣敷番之頭の中村久兵衛信興が末娘なのであるが、この中村久兵衛、実は嘗ては庭番であり、その嫡子―、町が実兄の銕太郎信之も父、久兵衛のその「血」を引いており、庭番を勤めていた。
そして町にしてもこの庭番の「血」が、
「脈々…」
その体内に流れていた。
「トリカブトの栽培、繁殖具合について、明日にでも信喜に聞いて参れ…」
治済は町にそう命じたのだ。しかも声には出さず、である。
町は庭番の「血」を引いているだけあって、治済の口の動きだけで、そうと察した。
果たしてその翌日、町は六番町にある小笠原信喜の屋敷へと走り、屋敷の主たる信喜に治済より預かったその「下問」を伝えた。
それが信喜が出勤に及ぶ明の六つ半(午前7時頃)のことであった。
信喜は治済の名代を名乗る町なる女子を最初、疑った。
町とはこれまで面識がないのだから、信喜が疑うのも当然であった。
が、その町が「トリカブト」なる固有名詞を出したことから、目の前の町なる女子が治済からの遣いの者であると信じた。
こうして治済からの「下問」、即ち、トリカブトの繁殖具合について、
「10月には満開になるかと…」
信喜はそう応えたのだ。
その日の夕方、信喜はやはり風呂場にて湯女をも務める町からそう聞かされるや、正確には耳元で囁かれるや、
「10月か…、10月なれば河豚の季節でもあろう…、されトリカブトが満開になり次第、人体実験を始めさせようぞ…」
治済はそう断を下した。
そして10月に入ると治済は再び、町を信喜の許へと走らせた。
「満開となったであろうトリカブトだが、これを三分し、先手弓頭の市岡左太夫正峰と飯塚勘解由忠餘、そして先手鉄砲頭の中島久右衛門正勝、この3人の屋敷へと運ぶ様に…」
治済はまたしても町を介して出勤前の信喜にそう伝えたのであった。
小石川薬園内、それも芥川家が管理する西北半分の内にある小笠原信喜が中屋敷にて、芥川元珍の手によって育てられたトリカブトは10月になると見事に満開となった。
そこで治済はこのトリカブトを市岡左太夫と飯塚勘解由、そして中島久右衛門の屋敷に運び込ませることとした。
それと言うのも、彼等3人の役宅を兼ねた屋敷で「人体実験」を行わせる為であった。
そこで治済はまず、トリカブトの「運搬」を信喜に指示すると同時に、彼等3人の先手頭にトリカブトの「受入態勢」を整える様、指示した。
こちらはやはり町を介してだが、市岡左太夫へは徒頭の岩本喜内より、飯塚勘解由へは小姓の飯塚五兵衛方昭より、そして中島久右衛門へは近習番の中島荘蔵胎之より各々伝えさせた。
市岡左太夫が妻女は岩本喜内が実姉であり、つまり市岡左太夫と岩本喜内とは義兄弟であった。
また飯塚勘解由と飯塚五兵衛、中島久右衛門と中島荘蔵の「コンビ」に至っては実の兄弟であった。
それ故、市岡左太夫や飯塚勘解由、中島久右衛門に対して、
「トリカブトの受入態勢を整える様に…」
治済よりのその言伝だが、義弟の岩本喜内や、或いは実弟の飯塚五兵衛や中島荘蔵より伝えさせた方が間違いがない。
そこでまずは町が治済より預かったその言伝を岩本喜内や飯塚五兵衛、中島荘蔵へと伝え、その上で岩本喜内より市岡左太夫へ、飯塚五兵衛より飯塚勘解由へ、そして中島荘蔵より中島久右衛門へ、各々、治済のその言伝をまるで「伝言ゲーム」の要領で伝えさせたのであった。
治済は何故、斯かる回りくどい方法を採ったのかと言うと、それは勿論、家老の、殊に水谷勝富の目が光っていたからだ。
仮に治済が直接、岩本喜内らに斯かる言伝を託そうものなら、必ずや水谷勝富にバレてしまう。
そこで治済は町を介した次第である。
さて治済は同時に町を介して岩本喜内らに、
「河豚の仕入れ…」
その言伝も託した。「人体実験」にはトリカブトと同時に河豚が欠かせなかったからだ。
かくして市岡左太夫、飯塚勘解由、そして中島久右衛門の夫々の役宅を兼ねた屋敷へとトリカブトが運び込まれると同時に、屋敷の主たる彼等3人の先手頭は治済が「言付」に従い、河豚も仕入れ、「人体実験」の準備が整った。
否、今一つ、「人体実験」には欠かせない「被験者」の「仕入れ」も完了した。
このことが彼等3人の先手頭より岩本喜内や飯塚五兵衛、そして中島荘蔵を、更に町を介して治済へと伝えられるや、
「されば…、医師を派さねばならぬのう…」
治済はそう呟いた。
人体実験にはそれを担う医者の存在が不可欠である。
治済はその為に西之丸奥医師の小川子雍と山添直辰の叔父と甥、表番医師の天野敬登と峯岸瑞興、そして同じく表番医師の遊佐信庭と、それに一橋家に出入りする町医の小野玄養章以の6人の医者に人体実験を担わせるつもりであった。
ちなみに小野章以は小児科医であり、豊千代の「担当医」であった。
そこで治済は小川子雍と山添直辰は市岡左太夫の、天野敬登と峯岸瑞興は飯塚勘解由の、そして遊佐信庭と小野章以は中島久右衛門の、夫々役宅を兼ねたる屋敷へと派させて交替で人体実験に当たらせることとした。
これは屋敷の位置、つまりは「住所」の利便性を考えてのことであった。
即ち、市岡左太夫の屋敷は裏五番町にあり、この裏五番町から近い場所に住む医師と言えば、それは裏二番町に住まう小川子雍と京橋元四町に住まう山添直辰であった。
そこで市岡左太夫の屋敷へは小川子雍と山添直辰の、それも都合の良いことに同僚であり、且つ実の叔父と甥でもある2人を派して「人体実験」に当たらせることとした。
同じ要領で、飯塚勘解由の屋敷がある小石川東富坂下に近いのは市谷本村に住まう天野敬登と小石川神保小路に住まう峯岸瑞興、そして中島久右衛門の屋敷がある雉子橋通小川町から近いのは北八丁堀永澤町に住まう遊佐信庭と日本橋本銀町《ちょう》に住まう小野章以であり、そこで飯塚勘解由の屋敷には天野敬登と峯岸瑞興を、中島久右衛門の屋敷には遊佐信庭と小野章以を夫々、派しては「人体実験」に当たらせることとした。
かくして夫々の屋敷、役宅を兼ねたる先手頭の屋敷にて、「狩込」と称して捕えられた無宿人や乞食にトリカブトと河豚毒を同時に摂取させることで、如何程の遅効性を発揮するのか―、毒の効果が現出するのに、どれ程の時間がかかるか、それを調べた。
その「人体実験は安永7(1778)年の暮まで続き、結果、トリカブトと河豚毒を同時に摂取させることで、1時間40分後に毒の効果が現れることが判明した。
それもトリカブトの毒が現れることが分かった。
トリカブトと河豚毒を同時に摂取させた場合、摂取後、1時間40分の間はトリカブトの毒と河豚毒が拮抗し合い、結果、毒の効果は現れない。
だが1時間40分が過ぎると、河豚毒が無害化し、するとその時点で拮抗が崩れ、結果、トリカブトの毒が現出に死に至ることが判明したのだ。
それは1時間40分後、苦しみ出した「被験者」たる無宿人や乞食にトリカブトの毒を摂取させたところ急死したのに対して、その逆に河豚毒を摂取させたところ、いったん小康状態となったことから、1時間40分後に現出した毒の効果がトリカブトのそれによるものと判明したのだ。
その「実験結果」は小川子雍・山添直辰、天野敬登・峯岸瑞興、そして遊佐信庭・小野章以、この3つのチーム、全てに共通するものであった。
ちなみに1時間40分後に河豚毒を摂取させられた無宿人や乞食だが、それでいったんは小康状態になったとは言え、それでトリカブトの毒が無害化した訳ではなく、それから1時間40分後にやはり毒が、改《あらた》めてトリカブトの毒の効目が現出し、死に至った。
それは何回、繰返しても同じことであった。
治済はその「実験結果」を基に、ある計画を立てた。
治済は当初より家基が鷹狩りの機に暗殺、毒殺しようと考えていた。
その鷹狩りだが、いつもよりも朝が早い。
即ち、将軍にしろ次期将軍にしろ、普段は朝餉は朝五つ(午前8時頃)である。
だが鷹狩りともなると、それよりも半刻(約1時間)早い、明の六つ半(午前7時頃)に朝餉を摂る。
家基は今、将軍にして実の父である家治の差配により、朝昼晩、大奥にて食事を摂っていた。
大奥ならば―、家基に附属し、且つ家基の食事の毒見を担う老女の初崎や、それに御客会釈の砂野や笹岡は治済の息がかかっていないと、家治がそう思い込んでいる為だ。
そこで治済はまず、家基の食事の毒見を最終的に担う初崎や笹岡、砂野にトリカブトと河豚毒を混入させることを思い付いた。
その為にはトリカブトと河豚毒を初崎らへ手渡す必要があったが、それは西之丸小納戸の中野虎之助清翰と高島安三郎廣儔の2人にやらせれば良い。
中野虎之助は初崎の甥に当たれば、一方、高島安三郎は伊丹藤三郎直彝の長女を娶っていた。
この伊丹藤三郎と言えば、実の姉は田沼意次の室であった。
のみならず、伊丹藤三郎がやはり実の姪は一橋家老の田沼市左衛門改め能登守意致の室でもあった。
斯かる次第で、一見、伊丹藤三郎を介してだが、田沼家と所縁のある高島安三郎ならば、中野虎之助同様、
「一橋治済めに取込まれることはあるまい…」
家治はそう考え、中野虎之助と高島安三郎の2人に御膳番を兼ねさせたのだ。
将軍にしろ次期将軍にしろ、その食事はまず、御膳奉行が毒見をする。
そして御膳奉行によって毒見が担われたその食事だが、御膳番の小納戸の手によって温め直される訳だが、温め直されたその食事は再び、今度はその御膳番の小納戸によって毒見が為され、その間―、御膳番の小納戸が食事を温め直してから再び毒見をするまで、御膳奉行が監視する。
御膳番の小納戸が「不正」を働かぬ様、はっきり言えば毒を混入せぬ様、御膳奉行が監視をするのである。
さて、そうして毒見が済んだ食事だが、大奥にて摂る場合にはやはり御膳番の小納戸の手によって大奥へと運ばれる。
正確には中奥と大奥とを繋ぐ下御鈴廊下まで運び、そこで待機している御客会釈に手渡すのである。
家治はその御膳番を中野虎之助と高島安三郎の2人にも兼ねさせたのであった。
中野虎之助は去年の安永6(1777)年7月に、一方、高島安三郎は同じく去年の11月に夫々、小納戸に取立てられたばかりであったが、それでも、
「一橋治済めには取込まれることはあるまい…」
家治はその自信から、この2人を御膳番に召加えたのであった。
だが実際には中野虎之助にしろ高島安三郎にしろ、既に治済に取込まれていたのだ。
中野虎之助の場合、既に治済に取込まれていた叔母の初崎を介して取込んだ。
一方、高島安三郎の場合、その実の妹を介して、正確には実妹の夫を介して取込んだ。
即ち、高島安三郎が実妹は今年、安永7(1778)年の7月に一橋家にて治済に小姓として仕える小川七郎左衛門廣隆の許へと嫁いだのだ。
治済はそれに乗じて、つまりは小川七郎左衛門を介して、その義兄に当たる高島安三郎を取込んだのだ。
それ故、この中野虎之助と高島安三郎ならば治済が命に従い、大奥へと家基の食事を運ぶ際に、トリカブトと河豚毒をも運んでくれるに違いない。
具体的には家基の食事を御客会釈の、それも治済に取込まれている砂野と笹岡に渡す際、トリカブトと河豚毒をも渡させるのである。
こうして砂野と笹岡がトリカブトと河豚毒を手に入れられれば後は簡単―、簡単に家基の食事、朝餉にそのトリカブトと河豚毒を混入させられるというものである。
さて、家基がトリカブトと河豚毒入りの朝餉を摂取、食したとして、それは明の六つ半(午前7時頃)のことなので、それから1時間40分後の午前8時40分にはトリカブトの毒が現出することになる。
午前8時40分と言えばまだ、鷹狩りに出立してから間がない。恐らくは鷹場にも到着してはいまい。
治済としてはこの段階でトリカブトの毒が現出されては、つまりは家基に死なれては困る。
そこでその前、河豚毒が無害化するであろう午前8時40分前に家基には改めて河豚毒を摂取して貰わねばならず、これには西之丸御膳奉行を考えていた。
鷹狩りともなると、御膳奉行が水筒を携え、将軍、或いは次期将軍の喉を潤わせる。
次期将軍たる家基の場合、西之丸御膳奉行がそれを担う。
そこで治済はその水筒に河豚毒を仕込んでおき、河豚毒が無害化する直前に家基にその河豚毒入りの水を呑ませることを思い付いた。
そうすればトリカブトの毒の現出を、つまりは家基の死を更に1時間40分、遅らせることが出来るからだ。
その為には当然、西之丸御膳奉行をも取込んでおく必要があり、その点も治済は抜かりがなかった。
即ち、西之丸御膳奉行の一人、神谷與市郎久武を取込んでおいたのだ。
神谷與市郎が実の姪、妹の末娘がここ一橋家にて侍女として仕えていたのだ。
そこで治済はこの姪を介して神谷與市郎へも触手を伸ばし、家基暗殺計画の「共犯者」に仕立てたのだ。
この神谷與市郎ならば家基に河豚毒を服ませてくれる筈であった。
「自分は家基暗殺計画など企んではいない…」
水谷勝富と田沼市左衛門意致の2人の家老にそう信じ込ませるべく、大奥にて勝富と、それに田沼一家と起居を共にしていた。
四六時中、正に「24時間」、家老の監視下に晒された状況下で家基が亡くなった場合、治済はその死には関与していない何よりの証、正に鉄壁の「アリバイ」が成立する。
尤も、「トイレ」と「風呂」だけは家老も、とりわけ秋霜烈日で鳴らす水谷勝富も流石に控え、治済はその「隙」を衝いた。
治済は入浴の際には湯女を伴う。
その湯女だが、治済の一番新しい側妾の町であった。
この町だが、ただの妾ではない。
町は西之丸廣敷番之頭の中村久兵衛信興が末娘なのであるが、この中村久兵衛、実は嘗ては庭番であり、その嫡子―、町が実兄の銕太郎信之も父、久兵衛のその「血」を引いており、庭番を勤めていた。
そして町にしてもこの庭番の「血」が、
「脈々…」
その体内に流れていた。
「トリカブトの栽培、繁殖具合について、明日にでも信喜に聞いて参れ…」
治済は町にそう命じたのだ。しかも声には出さず、である。
町は庭番の「血」を引いているだけあって、治済の口の動きだけで、そうと察した。
果たしてその翌日、町は六番町にある小笠原信喜の屋敷へと走り、屋敷の主たる信喜に治済より預かったその「下問」を伝えた。
それが信喜が出勤に及ぶ明の六つ半(午前7時頃)のことであった。
信喜は治済の名代を名乗る町なる女子を最初、疑った。
町とはこれまで面識がないのだから、信喜が疑うのも当然であった。
が、その町が「トリカブト」なる固有名詞を出したことから、目の前の町なる女子が治済からの遣いの者であると信じた。
こうして治済からの「下問」、即ち、トリカブトの繁殖具合について、
「10月には満開になるかと…」
信喜はそう応えたのだ。
その日の夕方、信喜はやはり風呂場にて湯女をも務める町からそう聞かされるや、正確には耳元で囁かれるや、
「10月か…、10月なれば河豚の季節でもあろう…、されトリカブトが満開になり次第、人体実験を始めさせようぞ…」
治済はそう断を下した。
そして10月に入ると治済は再び、町を信喜の許へと走らせた。
「満開となったであろうトリカブトだが、これを三分し、先手弓頭の市岡左太夫正峰と飯塚勘解由忠餘、そして先手鉄砲頭の中島久右衛門正勝、この3人の屋敷へと運ぶ様に…」
治済はまたしても町を介して出勤前の信喜にそう伝えたのであった。
小石川薬園内、それも芥川家が管理する西北半分の内にある小笠原信喜が中屋敷にて、芥川元珍の手によって育てられたトリカブトは10月になると見事に満開となった。
そこで治済はこのトリカブトを市岡左太夫と飯塚勘解由、そして中島久右衛門の屋敷に運び込ませることとした。
それと言うのも、彼等3人の役宅を兼ねた屋敷で「人体実験」を行わせる為であった。
そこで治済はまず、トリカブトの「運搬」を信喜に指示すると同時に、彼等3人の先手頭にトリカブトの「受入態勢」を整える様、指示した。
こちらはやはり町を介してだが、市岡左太夫へは徒頭の岩本喜内より、飯塚勘解由へは小姓の飯塚五兵衛方昭より、そして中島久右衛門へは近習番の中島荘蔵胎之より各々伝えさせた。
市岡左太夫が妻女は岩本喜内が実姉であり、つまり市岡左太夫と岩本喜内とは義兄弟であった。
また飯塚勘解由と飯塚五兵衛、中島久右衛門と中島荘蔵の「コンビ」に至っては実の兄弟であった。
それ故、市岡左太夫や飯塚勘解由、中島久右衛門に対して、
「トリカブトの受入態勢を整える様に…」
治済よりのその言伝だが、義弟の岩本喜内や、或いは実弟の飯塚五兵衛や中島荘蔵より伝えさせた方が間違いがない。
そこでまずは町が治済より預かったその言伝を岩本喜内や飯塚五兵衛、中島荘蔵へと伝え、その上で岩本喜内より市岡左太夫へ、飯塚五兵衛より飯塚勘解由へ、そして中島荘蔵より中島久右衛門へ、各々、治済のその言伝をまるで「伝言ゲーム」の要領で伝えさせたのであった。
治済は何故、斯かる回りくどい方法を採ったのかと言うと、それは勿論、家老の、殊に水谷勝富の目が光っていたからだ。
仮に治済が直接、岩本喜内らに斯かる言伝を託そうものなら、必ずや水谷勝富にバレてしまう。
そこで治済は町を介した次第である。
さて治済は同時に町を介して岩本喜内らに、
「河豚の仕入れ…」
その言伝も託した。「人体実験」にはトリカブトと同時に河豚が欠かせなかったからだ。
かくして市岡左太夫、飯塚勘解由、そして中島久右衛門の夫々の役宅を兼ねた屋敷へとトリカブトが運び込まれると同時に、屋敷の主たる彼等3人の先手頭は治済が「言付」に従い、河豚も仕入れ、「人体実験」の準備が整った。
否、今一つ、「人体実験」には欠かせない「被験者」の「仕入れ」も完了した。
このことが彼等3人の先手頭より岩本喜内や飯塚五兵衛、そして中島荘蔵を、更に町を介して治済へと伝えられるや、
「されば…、医師を派さねばならぬのう…」
治済はそう呟いた。
人体実験にはそれを担う医者の存在が不可欠である。
治済はその為に西之丸奥医師の小川子雍と山添直辰の叔父と甥、表番医師の天野敬登と峯岸瑞興、そして同じく表番医師の遊佐信庭と、それに一橋家に出入りする町医の小野玄養章以の6人の医者に人体実験を担わせるつもりであった。
ちなみに小野章以は小児科医であり、豊千代の「担当医」であった。
そこで治済は小川子雍と山添直辰は市岡左太夫の、天野敬登と峯岸瑞興は飯塚勘解由の、そして遊佐信庭と小野章以は中島久右衛門の、夫々役宅を兼ねたる屋敷へと派させて交替で人体実験に当たらせることとした。
これは屋敷の位置、つまりは「住所」の利便性を考えてのことであった。
即ち、市岡左太夫の屋敷は裏五番町にあり、この裏五番町から近い場所に住む医師と言えば、それは裏二番町に住まう小川子雍と京橋元四町に住まう山添直辰であった。
そこで市岡左太夫の屋敷へは小川子雍と山添直辰の、それも都合の良いことに同僚であり、且つ実の叔父と甥でもある2人を派して「人体実験」に当たらせることとした。
同じ要領で、飯塚勘解由の屋敷がある小石川東富坂下に近いのは市谷本村に住まう天野敬登と小石川神保小路に住まう峯岸瑞興、そして中島久右衛門の屋敷がある雉子橋通小川町から近いのは北八丁堀永澤町に住まう遊佐信庭と日本橋本銀町《ちょう》に住まう小野章以であり、そこで飯塚勘解由の屋敷には天野敬登と峯岸瑞興を、中島久右衛門の屋敷には遊佐信庭と小野章以を夫々、派しては「人体実験」に当たらせることとした。
かくして夫々の屋敷、役宅を兼ねたる先手頭の屋敷にて、「狩込」と称して捕えられた無宿人や乞食にトリカブトと河豚毒を同時に摂取させることで、如何程の遅効性を発揮するのか―、毒の効果が現出するのに、どれ程の時間がかかるか、それを調べた。
その「人体実験は安永7(1778)年の暮まで続き、結果、トリカブトと河豚毒を同時に摂取させることで、1時間40分後に毒の効果が現れることが判明した。
それもトリカブトの毒が現れることが分かった。
トリカブトと河豚毒を同時に摂取させた場合、摂取後、1時間40分の間はトリカブトの毒と河豚毒が拮抗し合い、結果、毒の効果は現れない。
だが1時間40分が過ぎると、河豚毒が無害化し、するとその時点で拮抗が崩れ、結果、トリカブトの毒が現出に死に至ることが判明したのだ。
それは1時間40分後、苦しみ出した「被験者」たる無宿人や乞食にトリカブトの毒を摂取させたところ急死したのに対して、その逆に河豚毒を摂取させたところ、いったん小康状態となったことから、1時間40分後に現出した毒の効果がトリカブトのそれによるものと判明したのだ。
その「実験結果」は小川子雍・山添直辰、天野敬登・峯岸瑞興、そして遊佐信庭・小野章以、この3つのチーム、全てに共通するものであった。
ちなみに1時間40分後に河豚毒を摂取させられた無宿人や乞食だが、それでいったんは小康状態になったとは言え、それでトリカブトの毒が無害化した訳ではなく、それから1時間40分後にやはり毒が、改《あらた》めてトリカブトの毒の効目が現出し、死に至った。
それは何回、繰返しても同じことであった。
治済はその「実験結果」を基に、ある計画を立てた。
治済は当初より家基が鷹狩りの機に暗殺、毒殺しようと考えていた。
その鷹狩りだが、いつもよりも朝が早い。
即ち、将軍にしろ次期将軍にしろ、普段は朝餉は朝五つ(午前8時頃)である。
だが鷹狩りともなると、それよりも半刻(約1時間)早い、明の六つ半(午前7時頃)に朝餉を摂る。
家基は今、将軍にして実の父である家治の差配により、朝昼晩、大奥にて食事を摂っていた。
大奥ならば―、家基に附属し、且つ家基の食事の毒見を担う老女の初崎や、それに御客会釈の砂野や笹岡は治済の息がかかっていないと、家治がそう思い込んでいる為だ。
そこで治済はまず、家基の食事の毒見を最終的に担う初崎や笹岡、砂野にトリカブトと河豚毒を混入させることを思い付いた。
その為にはトリカブトと河豚毒を初崎らへ手渡す必要があったが、それは西之丸小納戸の中野虎之助清翰と高島安三郎廣儔の2人にやらせれば良い。
中野虎之助は初崎の甥に当たれば、一方、高島安三郎は伊丹藤三郎直彝の長女を娶っていた。
この伊丹藤三郎と言えば、実の姉は田沼意次の室であった。
のみならず、伊丹藤三郎がやはり実の姪は一橋家老の田沼市左衛門改め能登守意致の室でもあった。
斯かる次第で、一見、伊丹藤三郎を介してだが、田沼家と所縁のある高島安三郎ならば、中野虎之助同様、
「一橋治済めに取込まれることはあるまい…」
家治はそう考え、中野虎之助と高島安三郎の2人に御膳番を兼ねさせたのだ。
将軍にしろ次期将軍にしろ、その食事はまず、御膳奉行が毒見をする。
そして御膳奉行によって毒見が担われたその食事だが、御膳番の小納戸の手によって温め直される訳だが、温め直されたその食事は再び、今度はその御膳番の小納戸によって毒見が為され、その間―、御膳番の小納戸が食事を温め直してから再び毒見をするまで、御膳奉行が監視する。
御膳番の小納戸が「不正」を働かぬ様、はっきり言えば毒を混入せぬ様、御膳奉行が監視をするのである。
さて、そうして毒見が済んだ食事だが、大奥にて摂る場合にはやはり御膳番の小納戸の手によって大奥へと運ばれる。
正確には中奥と大奥とを繋ぐ下御鈴廊下まで運び、そこで待機している御客会釈に手渡すのである。
家治はその御膳番を中野虎之助と高島安三郎の2人にも兼ねさせたのであった。
中野虎之助は去年の安永6(1777)年7月に、一方、高島安三郎は同じく去年の11月に夫々、小納戸に取立てられたばかりであったが、それでも、
「一橋治済めには取込まれることはあるまい…」
家治はその自信から、この2人を御膳番に召加えたのであった。
だが実際には中野虎之助にしろ高島安三郎にしろ、既に治済に取込まれていたのだ。
中野虎之助の場合、既に治済に取込まれていた叔母の初崎を介して取込んだ。
一方、高島安三郎の場合、その実の妹を介して、正確には実妹の夫を介して取込んだ。
即ち、高島安三郎が実妹は今年、安永7(1778)年の7月に一橋家にて治済に小姓として仕える小川七郎左衛門廣隆の許へと嫁いだのだ。
治済はそれに乗じて、つまりは小川七郎左衛門を介して、その義兄に当たる高島安三郎を取込んだのだ。
それ故、この中野虎之助と高島安三郎ならば治済が命に従い、大奥へと家基の食事を運ぶ際に、トリカブトと河豚毒をも運んでくれるに違いない。
具体的には家基の食事を御客会釈の、それも治済に取込まれている砂野と笹岡に渡す際、トリカブトと河豚毒をも渡させるのである。
こうして砂野と笹岡がトリカブトと河豚毒を手に入れられれば後は簡単―、簡単に家基の食事、朝餉にそのトリカブトと河豚毒を混入させられるというものである。
さて、家基がトリカブトと河豚毒入りの朝餉を摂取、食したとして、それは明の六つ半(午前7時頃)のことなので、それから1時間40分後の午前8時40分にはトリカブトの毒が現出することになる。
午前8時40分と言えばまだ、鷹狩りに出立してから間がない。恐らくは鷹場にも到着してはいまい。
治済としてはこの段階でトリカブトの毒が現出されては、つまりは家基に死なれては困る。
そこでその前、河豚毒が無害化するであろう午前8時40分前に家基には改めて河豚毒を摂取して貰わねばならず、これには西之丸御膳奉行を考えていた。
鷹狩りともなると、御膳奉行が水筒を携え、将軍、或いは次期将軍の喉を潤わせる。
次期将軍たる家基の場合、西之丸御膳奉行がそれを担う。
そこで治済はその水筒に河豚毒を仕込んでおき、河豚毒が無害化する直前に家基にその河豚毒入りの水を呑ませることを思い付いた。
そうすればトリカブトの毒の現出を、つまりは家基の死を更に1時間40分、遅らせることが出来るからだ。
その為には当然、西之丸御膳奉行をも取込んでおく必要があり、その点も治済は抜かりがなかった。
即ち、西之丸御膳奉行の一人、神谷與市郎久武を取込んでおいたのだ。
神谷與市郎が実の姪、妹の末娘がここ一橋家にて侍女として仕えていたのだ。
そこで治済はこの姪を介して神谷與市郎へも触手を伸ばし、家基暗殺計画の「共犯者」に仕立てたのだ。
この神谷與市郎ならば家基に河豚毒を服ませてくれる筈であった。
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