5 / 197
餞と卒業
しおりを挟む
だが益五郎の窮地を救ってくれたのは他ならぬガエンたちであった。ガエンたちは益五郎を追い出そうとする登助に対して、
「益五郎を追い出すんなら、俺たちもこっから出て行くぜ」
そう啖呵を切ってみせたのであった。ガエンたちに一斉に辞められてはそれこそ、出世の妨げ…、どころか最悪、御役御免の可能性すらあり得た。
少なくとも、そのような人望のない男を…、ガエンもロクに掌握できないような男を出世させるわけにはゆかないと、幕府上層部は間違いなくそう判断するに違いないからだ。
結局、登助はガエンたちの脅迫に屈する形で益五郎をこれまで通り、居候させることとし、この一件は益五郎を大いに感動させたものである。
その近藤登助も4年後の安永7年(1778)年の8月6日にやはり病のために職を辞してしまった。たった1年しか在任しなかった秋元一學よりは長かったものの、しかし、病のために職を辞したためにそれ以上、出世することはなかった。
さて、近藤登助が職を辞すると、その後任として小川丁の定火消の役屋敷を差配するようになったのが、三枝宗四郎であり、宗四郎は益五郎が小川丁にある定火消の役屋敷で迎えた最後の定火消となった。
三枝宗四郎が近藤登助の後任の定火消として、小川丁の定火消の役屋敷に着任したのは安永7(1778)年の8月15日のことであった。
宗四郎もまた、登助より益五郎の存在を申し送りとして伝えられており、宗四郎は登助のように小うるさいことは一切、言わずに益五郎の居候を黙認した。この時、益五郎は既に15歳であり、ガエンの一人として火事場に出動し、ガエンに混じって消火作業にも従事していた。
だが益五郎のそんな生活も間もなく終止符が打たれることとなる。天明元(1781)年3月23日、父・銕三郎が職務中に急病死してしまったのだ。まだ働き盛りの50歳であり、心の臓の発作であった。
そうなると、必然的に益五郎は鷲巣家の家督を継がねばならず、家督を継ぐまでとの条件で、「期間限定」で定火消の役屋敷にて暮らすことを許された益五郎としては当然、約束の期限がきてしまったわけで、屋敷に帰らねばならなかった。冷たいようだが、益五郎としては父・銕三郎を喪った悲しみよりも、ガエンたちと別れる方が辛かった。
そんな益五郎に対してガエンたちは口を揃えて、「もう帰れ…」とすすめたものだった。いや、それも、
「どうか、お帰りを…」
ガエンたちの口調はまるで他人行儀であり、益五郎は殴られたような衝撃を受けた。
「俺たちとは住む世界が違うのです…、あなた様がいるべき場所はここではない…」
なるほど、確かにガエンたちの言う通りであった。仮にも千石取の旗本家の当主の座に座ろうという者がいるべき場所ではないのかも知れない。だが、益五郎にしてみれば手酷く裏切られた思いであった。
益五郎は気付いたときにはガエンたちを殴りつけていた。殴り返されるのを期待してのことであったが、しかし、その時はもう、誰一人として殴り返す者は…、殴り返してくれるガエンはおらず、既にガエンたちが己を仲間ではなく一人の旗本としてみなしていることを益五郎は否応なく思い知らされたものである。
いや、ガエンたちとて、心底からそう言っているわけではなかった。本当はいつまでも益五郎にはここで、この場所でガエンの一人として暮らして欲しいとの思いがあった。
だが益五郎の置かれた立場がそれを許さなかった。そんなわがままを許せば、主不在となる鷲巣家は必然的に改易の憂き目にあう。そうなれば益五郎はともかく、多くの家臣が路頭に迷うこととなる。無論、養嗣子を立てるという手もあるだろうが、しかし、益五郎という鷲巣家を継ぐべき立派な嫡男がいるにもかかわらず、ガエンになりたいからとの身勝手な理由から嫡子の座を棄てて、その代わりに養嗣子を立てるなど、そのようなわがままを幕府が許すはずもなかった。よしんば幕府が許してくれたとしても大幅な減知…、千石もの家禄が大幅に減らされるに違いなかった。
それに何より、益五郎当人にとってその方が…、旗本として生きる方が良いに違いないとの判断がガエンたちには働いた。やはり旗本は旗本らしく暮らす方が幸せである…、ガエンたちは皆、そう考え、そこであえて他人行儀なふりをして、益五郎を見送ろうとしたのだ。
一方、益五郎にしても地頭は悪くない。そんなガエンたちの気持ちに気付かなかったわけではなく、無論、益五郎は頭ではそうと理解していても、しかし、
「裏切られた…」
そんな負の感情の方が勝ってしまい、殴り返されるのを期待してガエンたちを殴りつけるという何とも子供じみた真似をしてしまった。
だが既に、益五郎には旗本として幸せになってもらいたいと、そう願うガエンたちが益五郎のそんな子供じみた挑発に乗ることは勿論なく、益五郎の気の済むまで殴られてやることにした。ガエンなりの「餞」であった。
一方、益五郎もそんなガエンたちの覚悟に気付き、すると益五郎も殴るのを止めた。そんなガエンたちを殴り続けたところで己が空しくなるだけであったからだ。
こうして今年、天明元(1781)年3月23日、桜が咲く頃に益五郎はガエンたちとの生活に別れを告げたのであった。それは正しく、「卒業」であった。
「益五郎を追い出すんなら、俺たちもこっから出て行くぜ」
そう啖呵を切ってみせたのであった。ガエンたちに一斉に辞められてはそれこそ、出世の妨げ…、どころか最悪、御役御免の可能性すらあり得た。
少なくとも、そのような人望のない男を…、ガエンもロクに掌握できないような男を出世させるわけにはゆかないと、幕府上層部は間違いなくそう判断するに違いないからだ。
結局、登助はガエンたちの脅迫に屈する形で益五郎をこれまで通り、居候させることとし、この一件は益五郎を大いに感動させたものである。
その近藤登助も4年後の安永7年(1778)年の8月6日にやはり病のために職を辞してしまった。たった1年しか在任しなかった秋元一學よりは長かったものの、しかし、病のために職を辞したためにそれ以上、出世することはなかった。
さて、近藤登助が職を辞すると、その後任として小川丁の定火消の役屋敷を差配するようになったのが、三枝宗四郎であり、宗四郎は益五郎が小川丁にある定火消の役屋敷で迎えた最後の定火消となった。
三枝宗四郎が近藤登助の後任の定火消として、小川丁の定火消の役屋敷に着任したのは安永7(1778)年の8月15日のことであった。
宗四郎もまた、登助より益五郎の存在を申し送りとして伝えられており、宗四郎は登助のように小うるさいことは一切、言わずに益五郎の居候を黙認した。この時、益五郎は既に15歳であり、ガエンの一人として火事場に出動し、ガエンに混じって消火作業にも従事していた。
だが益五郎のそんな生活も間もなく終止符が打たれることとなる。天明元(1781)年3月23日、父・銕三郎が職務中に急病死してしまったのだ。まだ働き盛りの50歳であり、心の臓の発作であった。
そうなると、必然的に益五郎は鷲巣家の家督を継がねばならず、家督を継ぐまでとの条件で、「期間限定」で定火消の役屋敷にて暮らすことを許された益五郎としては当然、約束の期限がきてしまったわけで、屋敷に帰らねばならなかった。冷たいようだが、益五郎としては父・銕三郎を喪った悲しみよりも、ガエンたちと別れる方が辛かった。
そんな益五郎に対してガエンたちは口を揃えて、「もう帰れ…」とすすめたものだった。いや、それも、
「どうか、お帰りを…」
ガエンたちの口調はまるで他人行儀であり、益五郎は殴られたような衝撃を受けた。
「俺たちとは住む世界が違うのです…、あなた様がいるべき場所はここではない…」
なるほど、確かにガエンたちの言う通りであった。仮にも千石取の旗本家の当主の座に座ろうという者がいるべき場所ではないのかも知れない。だが、益五郎にしてみれば手酷く裏切られた思いであった。
益五郎は気付いたときにはガエンたちを殴りつけていた。殴り返されるのを期待してのことであったが、しかし、その時はもう、誰一人として殴り返す者は…、殴り返してくれるガエンはおらず、既にガエンたちが己を仲間ではなく一人の旗本としてみなしていることを益五郎は否応なく思い知らされたものである。
いや、ガエンたちとて、心底からそう言っているわけではなかった。本当はいつまでも益五郎にはここで、この場所でガエンの一人として暮らして欲しいとの思いがあった。
だが益五郎の置かれた立場がそれを許さなかった。そんなわがままを許せば、主不在となる鷲巣家は必然的に改易の憂き目にあう。そうなれば益五郎はともかく、多くの家臣が路頭に迷うこととなる。無論、養嗣子を立てるという手もあるだろうが、しかし、益五郎という鷲巣家を継ぐべき立派な嫡男がいるにもかかわらず、ガエンになりたいからとの身勝手な理由から嫡子の座を棄てて、その代わりに養嗣子を立てるなど、そのようなわがままを幕府が許すはずもなかった。よしんば幕府が許してくれたとしても大幅な減知…、千石もの家禄が大幅に減らされるに違いなかった。
それに何より、益五郎当人にとってその方が…、旗本として生きる方が良いに違いないとの判断がガエンたちには働いた。やはり旗本は旗本らしく暮らす方が幸せである…、ガエンたちは皆、そう考え、そこであえて他人行儀なふりをして、益五郎を見送ろうとしたのだ。
一方、益五郎にしても地頭は悪くない。そんなガエンたちの気持ちに気付かなかったわけではなく、無論、益五郎は頭ではそうと理解していても、しかし、
「裏切られた…」
そんな負の感情の方が勝ってしまい、殴り返されるのを期待してガエンたちを殴りつけるという何とも子供じみた真似をしてしまった。
だが既に、益五郎には旗本として幸せになってもらいたいと、そう願うガエンたちが益五郎のそんな子供じみた挑発に乗ることは勿論なく、益五郎の気の済むまで殴られてやることにした。ガエンなりの「餞」であった。
一方、益五郎もそんなガエンたちの覚悟に気付き、すると益五郎も殴るのを止めた。そんなガエンたちを殴り続けたところで己が空しくなるだけであったからだ。
こうして今年、天明元(1781)年3月23日、桜が咲く頃に益五郎はガエンたちとの生活に別れを告げたのであった。それは正しく、「卒業」であった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら
俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。
赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。
史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。
もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。
世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記
颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。
ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。
また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。
その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。
この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。
またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。
この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず…
大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。
【重要】
不定期更新。超絶不定期更新です。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
if 大坂夏の陣 〜勝ってはならぬ闘い〜
かまぼこのもと
歴史・時代
1615年5月。
徳川家康の天下統一は最終局面に入っていた。
堅固な大坂城を無力化させ、内部崩壊を煽り、ほぼ勝利を手中に入れる……
豊臣家に味方する者はいない。
西国無双と呼ばれた立花宗茂も徳川家康の配下となった。
しかし、ほんの少しの違いにより戦局は全く違うものとなっていくのであった。
全5話……と思ってましたが、終わりそうにないので10話ほどになりそうなので、マルチバース豊臣家と別に連載することにしました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる