天明繚乱 ~次期将軍の座~

ご隠居

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牧野成賢と一橋治済

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 そうして茂市郎もいちろう足音あしおととおざかるのを聞きとどけた成賢しげかた相変あいかわらず、障子しょうじそばひかえている半右衛門はんえもん手招てまねきした。それで半右衛門はんえもん内密ないみつの話に違いないと、そうと察すると、障子しょうじを閉めてから成賢しげかたそばへと近付いた。

半右衛門はんえもん

「ははっ」

「やはり…、岩本いわもと喜内きないが申す通りであったやも知れぬな…」

 成賢しげかたが非常時にもかかわらず、しみじみそう告げたのには理由があった。

 田沼様よりのつかいの者と称する何者かが池原邸を訪れたのと時を同じくして、ここ数寄屋橋すきやばし御門内にある南町奉行所にも一人の訪問者があった。

 誰あろう、一橋ひとつばし治済はるさだつかえる近習きんじゅう岩本いわもと喜内きない正信まさのぶであった。

 その頃、成賢しげかたはまだ、江戸城におり、内与力ないよりき半右衛門はんえもんが主君・成賢しげかたに成り代わって喜内きないの応対をした。

 その喜内きないが申すには主君・治済はるさだつかいにて参ったとのことであり、普通なら御三卿ごさんきょうの当主、それも次期将軍を輩出はいしゅつすることが、

「内定」

 している一橋ひとつばし家の当主ともあろう者が一介いっかいの町奉行に一体、何の用件かと、いぶかるところであろうが、半右衛門はんえもんはしかし、いぶかりはしなかった。

 それと言うのも成賢しげかたが当主を務める牧野まきの家と御三卿ごさんきょう一橋ひとつばし家とは縁があったからだ。

 すなわち、一橋ひとつばし徳川家の始祖しそ宗尹むねただの実母のうめなる女性がいるのだが、このうめ谷口たにぐち新十郎しんじゅうろう正乗まさのりなる旗本の姉に当たる。

 この新十郎しんじゅうろう正乗まさのり嫡男ちゃくなんにはめぐまれず、娘が一人いたので、他家たけより婿養子むこむかえることとし、そこでむかえられたのが幕府の旗奉行にまで上りつめた牧野まきの越前守えちぜんのかみ成凞しげてるの七男の内蔵助くらのすけ正熈まさひろである。

 この内蔵助くらのすけ正熈まさひろの兄の中には何と、成賢しげかたふくまれていたのだ。

 成賢しげかたもまた、嫡男ちゃくなんではなく次男であったがために、分家ぶんけ筋に当たる牧野まきの織部おりべ成晴しげはるもとへと養子に出されたのであった。

 牧野まきの織部おりべ成晴しげはるもまた嫡男ちゃくなんにはめぐまれずに、女ばかり3人もいたので、そこで次女を成賢しげかためあわせたのであった。成賢しげかたもまた婿むこ養子ようしというわけだ。

 そして、成賢しげかたもまた婿むこ養子ようしむかえることになったのだ。もっとも、成賢しげかたには斧次郎おのじろう和叙まさのぶという嫡男ちゃくなんがいるにはいたのだが、成賢しげかたはこの斧次郎おのじろうが気に入らず、そこで他家たけより養嗣子ようししを、それも婿むこ養子ようしという形でむかえることとした。それと言うのも成賢しげかたには娘もおり、斧次郎おのじろうの姉に当たり、その娘をめあわせることとしたのだ。

 そのため成賢しげかたは何と、弟の内蔵助くらのすけ正熈まさひろの次男・監物けんもつ成知しげとも養嗣子ようししとしてむかえ入れ、娘とめあわせたのであった。つまりは自分のおいに当たる人物であり、その者を自分の娘とめあわせたわけだ。

 ともあれ、成賢しげかたが当主を務める牧野まきの家は成賢しげかた実弟じってい内蔵助くらのすけ正熈まさひろが当主を務める谷口たにぐち家をかいして、御三卿ごさんきょう一橋ひとつばし家とも縁続えんつづきとなり、実際、成賢しげかたが南町奉行になる前、それも従五位下じゅごいのげ諸大夫しょだいぶ役である小普請こぶしん奉行にいたのを皮切かわきりに、一橋ひとつばし家の家臣がおりにふれ、愛宕下あたごしたにある成賢しげかたの住まう屋敷を訪れるようになった。

 と言っても、当初はほんの挨拶あいさつ程度であり、度々たびたび、訪れたわけではなかった。ただ、従五位下じゅごいのげ諸大夫しょだいぶ役にまでける旗本はごくわずかであり、その諸大夫しょだいぶ役である小普請こぶしん奉行に一橋ひとつばし家とは谷口たにぐち家をかいして縁のある牧野まきの家の当主の成賢しげかたいたので、一応、義理からその成賢しげかたの元へと家臣をつかわした…、治済はるさだとしては当初はその程度の意識であったのだろう。

 それが安永2(1773)年を境に、急にその頻度ひんどが増えてきた。すなわち、治済はるさだ成賢しげかたの元へと家臣を度々たびたび、差しつかわすようになったのだ。

 その頃にはもう、成賢しげかたは南町奉行としてここ、数寄屋橋すきやばし御門内にある南町奉行所へと養嗣子ようししにして婿むこ養子ようし監物けんもつ成知しげともと共に引き移っており、それゆえ治済はるさだはわざわざ南町奉行所へと家臣をつかわすようになったのだ。

 成賢しげかたが今の南町奉行にいたのは明和5(1768)年5月のことであり、小普請こぶしん奉行から作事さくじ奉行、そして公事くじ勘定かんじょう奉行をての栄進であった。

 その成賢しげかたが南町奉行にいてから当初、安永2(1773)年より以前までは治済はるさだも家臣を成賢しげかた養嗣子ようしし監物けんもつ成知しげともと共に住まう南町奉行所まで家臣を差しつかわすようなことは流石さすがにしなかった。

 せいぜい、当主不在ふざいとなった愛宕下あたごしたにある牧野まきの邸へと家臣を差しつかわす程度であり、屋敷を守る成賢しげかたの娘にして養嗣子ようしし監物けんもつ成知しげとも妻女さいじょの元へとご機嫌きげんうかがいに足を運ばせる程度であった。

 それが安永2(1773)年をむかえてからというもの、治済はるさだは何と成賢しげかたの元へと、すなわち、ここ南町奉行所へと家臣を差しつかわすようになったのである。

 それもこれまでは差しつかわされる家臣にしてもバラバラで統一性がなかったのに対して、それが安永2(1773)年以降は岩本いわもと喜内きない正信まさのぶ一環いっかんして、差しつかわされるようになり、今にいたる。

 恐らく岩本いわもと喜内きない治済はるさだもっとも信頼する家臣であろうと、成賢しげかたはそう見ていた。

 そうでなければ、わざわざ岩本いわもと喜内きない一人にまかせるようになった理由の説明がつかない。それはつまり、裏を返せば治済はるさだ成賢しげかたを、

「重視すべき人物」

 そう看做みなしたことをも意味する。

 やはりそうでなければこれまで通り、適当に家臣を差しつかわすだけで良いからだ。わざわざ岩本いわもと喜内きないを…、治済はるさだが最も信頼しているに違いない家臣である岩本いわもと喜内きないを一人にしぼって、成賢しげかたの元へと差しつかわす必要性はどこにもないからだ。

 ともあれ岩本いわもと喜内きないは今日もこの南町奉行所へと足を運んでは、内与力ないよりき半右衛門はんえもん歓談かんだんしたのであったが、その際、喜内きないは実に気になることを口にしたのだ。

 それと言うのも、意次のせがれ意知おきとも中奥なかおくの、それも最奥さいおう部にある将軍の秘密部屋とも称される御用之間ごようのまへとまねかれては、意知おきともはそこで将軍・家治より何と、

家基いえもとの死の真相を探索たんさくせよ…」

 そのような下命かめいおおせ付けられたらしいとの噂があり、しかし、家基いえもとの死については意知おきともの父、意次が関与している疑いがあるので、仮にその噂が本当だとして、意次のせがれ意知おきとも家基いえもとの死の真相を探るように命じたとあらば、それはみすみす、意次に家基いえもと殺しの証拠の隠滅いんめつを許すようなものではないか…、喜内きない大意たいい、そのように半右衛門はんえもんに告げたのであった。

「これも噂でござるが、田沼様は自らが奥医師おくいしに取り立てし池原いけはら殿を手先てさき使つこうて、大納言だいなごん様を毒殺したのではないかとの…」

 喜内きないは声をひそませて半右衛門はんえもんにそう告げたのであった。それに対して半右衛門はんえもんもその噂なら耳にしたことがあるので、「確かにそのような噂、耳にしたことが…」と応じた。

「さればおそれ多くも上様におかせられましては、下情かじょうには通じておられず、わざわざ下手人げしゅにん探索たんさくをお命じあそばされるような真似まねをされたのやも知れませぬが…、なれどこのままにては田沼様は池原殿を口封くちふうじなされるやも知れませぬなぁ…」

 喜内きないはさらにそんな物騒ぶっそうなことを口にして半右衛門はんえもん仰天ぎょうてんさせた。半右衛門はんえもんは思わず、「まさか…」と口にした。

「いや、この際、まさかは禁物きんもつでござるよ…」

 喜内きないにそうさとされた半右衛門はんえもんは、「確かに…」と応じた。すると喜内きないたたみかけるように、

「されば一度、牧野まきの様より池原殿を取り調べられては如何いかがでござろうか…」

 そう提案したのであった。

「殿…、いえ、奉行より?」

「左様…、お奉行様ともなれば、目付めつけの許しもなしに奥医師おくいし捕縛ほばくするのは無理にしても、事情を聴く程度なれば、別段べつだん目付めつけの許しがなくとも可能でござろう…」

 喜内きないはそう答えるや、「されば田沼様が口封くちふうじをはかる前に…」とやはり声をひそませてそう告げたのであった。

 それから喜内きないは奉行所をあとにし、月次つきなみ御礼おんれいを終えた成賢しげかたが奉行所に帰ってきたのはそれから間もなくのことであった。

 半右衛門はんえもん月次つきなみ御礼おんれいから帰って来たばかりの主君・成賢しげかたに今の喜内きないの話を伝えたのであった。

 それに対して成賢しげかた流石さすが半信はんしん半疑はんぎであったが、それでもこのまま捨て置くわけにもゆくまいと、明日あす明後日あさってにも池原殿こと奥医師おくいし池原いけはら良誠よしのぶから話だけでもこうかと思った。
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