天明繚乱 ~次期将軍の座~

ご隠居

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一橋邸に仕える納戸頭の堀内平左衛門氏芳の証言 2

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「されば…、それな紫の袱紗ふくさ高橋たかはし又四郎またしろう如何いかにして持ち出したのだ?まさかに、相役あいやくであるそなたにだまって…、無断むだんにて持ち出したわけでもあるまいて…」

 又四郎またしろう無断むだんで…、同僚の平左衛門へいざえもんにも内緒ないしょにて、紫の袱紗ふくさを持ち出したならば、又四郎またしろうが紫の袱紗ふくさを持ち出して、昨日の昼から行方ゆくえが分からないと、平左衛門へいざえもんがそう答えられるはずがないからだ。

「されば高橋たかはし又四郎またしろう治済はるさだ卿様のご意向いこうにて、と…」

左様さよう口実こうじつにて…、相役あいやくであるそなたに対して、かる口実こうじつを告げて紫の袱紗ふくさを持ち出したと申すか?」

「はい」

「そのことを…、果たしてまこと一橋ひとつばし卿様におかせられては紫の袱紗ふくさをご所望しょもうなのか、そのことを確かめたか?」

 景漸かげつぐがそう尋ねると平左衛門へいざえもんは表情をくもらせた。それで景漸かげつぐには十分であったが、それでも一応、かずばなるまい。

「その表情から察するに、確かめなかったのか?」

 景漸かげつぐがそう誘導ゆうどう訊問じんもんほどこすと平左衛門へいざえもんようやくに、小さい声でだが、「はい」と答えることができた。

「されば何ゆえに確かめなんだ?それとも確かめぬのが通例つうれいなのか?」

 無論、そんなはずはないであろうが、それでも景漸かげつぐは一応、尋ねたのであった。

「無論、確かめるのが通例つうれいにて…」

 平左衛門へいざえもん如何いかにも、「済まなさそう…」に答えたものである。

 それに対して景漸かげつぐはと言うと、平左衛門へいざえもんを責めることがこの訊問じんもんの目的ではないので、口調くちょうやわらげた。

「いや、別段べつだん、そなたを責めるつもりはないのだ。成程なるほど、これで例えば…、それこそ、換金かんきん可能な、それもの張るものであらば確かめもしようが、ご老中の田沼様を前にして斯様かように申すは気が引けるのだが、袱紗ふくさ一枚程度では、例えそれが特注とくちゅうの品であろうとも、いざ換金かんきんともなれば、それほどのは期待でき申さず…、いや、そもそも換金かんきんが可能なのかどうかも疑わしく、されば紫の袱紗ふくさの一枚程度ではいちいち、一橋ひとつばし卿様に確かめるまでもないと、左様に思うたのであろう?」

 景漸かげつぐ平左衛門へいざえもんうようにそう言うと、平左衛門へいざえもんは何度もうなずいたものである。それこそ、

わらにもすがる…」

 今の平左衛門へいざえもんの顔たるや、そのような故事こじ景漸かげつぐたちに連想れんそうさせた。

 ともあれ景漸かげつぐは質問を続けた。

「されば高橋たかはし又四郎またしろう行方ゆくえが昨日の昼過ぎより知れぬと、そのことは一橋ひとつばし卿様に伝え申したのか?」

「いえ…」

「余計な心配はかけまいと?」

「それもありますが、すぐに帰参きさんするに相違そういあるまいと…」

「何ゆえに左様さように思うたのだ?以前いぜんにも…、それも度々たびたびあるからか?やしきけしことが…」

 景漸かげつぐは気をかせて平左衛門へいざえもんにそう尋ねた。

 それに対して平左衛門へいざえもんは「度々たびたびではありませぬが…」と何とも微妙びみょうな言い回しで答えた。

度々たびたびではないと申すと…」

月次つきなみ御礼おんれいなどの式日しきじつにては…」

やしきけることが多いと申すか?高橋たかはし又四郎またしろうは…」

左様さようで…」

「そはまた、何ゆえぞ…」

おそらくは家老がやしきけるゆえ、ではないかと…」

 成程なるほど、と景漸かげつぐは思った。昨日のような月次つきなみ御礼おんれいともなると、御三卿ごさんきょうもまた、将軍との間にて、

主従しゅじゅうきずな…」

 それが「再確認」できるというわけで、つまりは家老が江戸城へと登城とじょうするわけで、そうなるとやしきには家老の姿がなくなるので、その間、他の家臣は、

「大いに羽が伸ばせる…」

 というものであった。御三卿ごさんきょう家老はご公儀こうぎ…、幕府よりその御三卿ごさんきょうやしきへと派遣はけんされた附人つけびと、つまりは御三卿ごさんきょうの、

「お目付めつけ役」

 としての色彩しきさいびていたものの、同時に、その御三卿ごさんきょうやしきつかえる他の家臣の「お目付めつけ役」でもあった。

 ようは他の家臣を監督かんとくと言えば聞こえは良いが、その仕事ぶりについて監視かんしするのもまた、御三卿ごさんきょう家老の役目であった。

 もっとも、御三卿ごさんきょう家老は留守居るすいならぶ、さしずめ旗本にとっての出世双六すごろくにおける、

「あがり…」

 そのようなポストであるだけに、比較ひかく的、高齢者が多く、ゆえにまともにその本来の任務とも言うべき、「お目付めつけ役」としての機能を果たせるのかと言うと、それははなはだ疑問であり、つまりはおかざりの家老が一般的であった。

 そんな中、一橋ひとつばし邸に派遣はけんされた家老の田沼たぬま意致おきむねだけはその唯一ゆいいつの例外と言えよう。何しろ意致おきむねはまだ、よわい41に過ぎないからだ。

 意致おきむねはまだまだ、「現役げんえき世代せだいと言え、つまりは「お目付めつけ役」としての機能を十分に果たせるというわけだ。

 いや、意致おきむね治済はるさだに対しては、治済はるさだの求めに応ずる格好で、相役あいやく…、同僚である水谷みずのや勝富かつとみと共に、治済はるさだそく豊千代とよちよを次期将軍として西之丸にしのまる入りを果たさせるべく、中奥なかおく表向おもてむき、果ては大奥に工作したために、意致おきむね御三卿ごさんきょうに対する「お目付めつけ役」としての機能は最早もはや、失ってしまった観があるが、それでも他の家臣に対する「お目付めつけ役」としての機能までは失っておらず、意致おきむねやしきにいる間は常に他の家臣の働きぶりについて目を光らせていた。

 それでも昨日のような、月次つきなみ御礼おんれい式日しきじつなどにおいては家老が二人そろって江戸城へと登城とじょうしてくれるおかげで、他の家臣は大いに羽を伸ばせるのだ。

 とりわけ意致おきむねという家老をいただいている、一橋ひとつばし邸につかえる他の家臣がそうであり、それゆえ月次つきなみ御礼おんれい式日しきじつなどで江戸城に登城とじょうすべく、やしき留守るすにするとなると、他の家臣は大喜びであり、つい羽目はめはずしがちとなり、ひいては、

やしきけることもあり得た…」

 堀内ほりうち平左衛門へいざえもんはそのことを景漸かげつぐ示唆しさしたのであった。

「話は分かったが…、なれど仮にその通りだとして…、家老が不在なのを良いことに、やしきけたとしても、家老がやしきへと帰って来るまでの間に、戻るものではあるまいか?」

 景漸かげつぐは常識的に考えてそう尋ねたのであった。

「それはまぁ、その通りではござるが、なれど家老にしても一々いちいち、確かめることはせず…」

 平左衛門へいざえもんは答えにくそうにしながらも、そう答えた。

 平左衛門へいざえもんのその答えは必要最小限であり、いや、それをも下回るものやも知れず、人によっては理解出来なかったやも知れぬが、その点、景漸かげつぐは勘が良いのですぐに飲みめた。

「家老も己が月次つきなみ御礼おんれい式日しきじつなどで御城おしろへと登城とじょうすべくやしき留守るすにせし時には、家臣の留守るすにつきても…、他の家臣がはねばすことにつきても大目おおめに見、ゆえに一日程度、他の家臣がやしきけたとしても大目おおめに見てやる、と?」

 景漸かげつぐがそう勘を働かせて尋ねると、平左衛門へいざえもんは「左様さようで…」とやはり答えにくそうにしながら、答えた。

 成程なるほど御三卿ごさんきょう家老たる者…、とりわけ意致おきむねはその程度の「緩急かんきゅう」はつけられるものらしい。

「されば高橋たかはし又四郎またしろうもまた、家老が不在なのを良いことにはねばすべく、やしきけてはどこぞに一泊いっぱくすることがあるのか?」

 景漸かげつぐがさらに質問を続けると、平左衛門へいざえもんはまるで我が事のように申し訳なさそうにして、「はい…」と答えた。

「いや、最前さいぜんも申した通り、別段べつだんそなたを責めようというわけではないのだ…」

 景漸かげつぐはさらに口調をやわらげてそう告げた。

「はぁ…」

「そこでだ、平左衛門へいざえもんよ、高橋たかはし又四郎またしろうは一体、どこで一泊いっぱくせしか、心当たりはあるか?」

 大の男がはねばすべく、一泊いっぱくする場所と言えば「相場そうばは決まっており、景漸かげつぐにしてもその「相場そうば」は勿論もちろん、心得ていたものの、それでも一応、尋ねないわけにはゆかなかった。

 一方、平左衛門へいざえもんはさらに申し訳なさそうに、

おそらくは遊所ゆうしょたぐいではないかと…」

 そう答えたのであった。よう吉原よしわらおか場所ばしょなどの遊里ゆうりというわけだ。平左衛門へいざえもんが申し訳なさそうに答えたのも無理からぬことではあった。

 それに対して景漸かげつぐはと言うと、平左衛門へいざえもんが口にした通り、仮に高橋たかはし又四郎またしろう遊所ゆうしょにて、つまりは吉原よしわらか、あるいはおか場所ばしょにて一泊いっぱくしとしても、景漸かげつぐ自身はそれほど問題だとは思えなかった。

 無論、められた話ではないが、さりとて景漸かげつぐには別段べつだん糾弾きゅうだんすべきような話でもないようにも思えた。
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