天明繚乱 ~次期将軍の座~

ご隠居

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品川東海寺にて家基が口にした茶菓子、その毒見と給仕をそれぞれ担った小納戸と小姓が都合良く重好に縁があることに益五郎は疑いを抱く

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 それに対して他の者たち…、三浦みうら左膳さぜん義和よしかずの名にはピンとこなかった益五郎ますごろうを除いた、他のすべての者たちは大久保おおくぼ靱負ゆきえの名にしか驚きを見せなかったその益五郎ますごろうとは正反対に、三浦みうら左膳さぜん義和よしかずの名に驚いたものであった。それも心底しんそこ大久保おおくぼ靱負ゆきえの名以上に驚かされたものであった。

 それと言うのも三浦みうら左膳さぜ義和よしかず重好しげよし母堂ぼどう安祥院あんしょういんおいに当たるからだ。安祥院あんしょういん実弟じっていにして先手さきて鉄砲てっぽうがしらまでつとめ上げた三浦みうら靱負ゆきえ義如よしゆき嫡男ちゃくなんなのである。

 つまり重好しげよし三浦みうら左膳さぜん従兄弟いとこあいだがらにあるのだ。ちなみに重好しげよしの方が年上であり、36歳であるのに対して、三浦みうら左膳さぜんは30歳である。

「えっ、でもそれじゃあ、話のつじつまが合わねぇだろ…、家基いえもと様が口にしたその、毒入りとおぼしきちゃ菓子がし、そいつの毒見どくみをした小納戸こなんどか、あるいは小姓こしょう一橋ひとつばしと関係のある野郎でねぇとさ…」

 まさしく益五郎ますごろうの言う通りであった。

 家基いえもとを殺した黒幕くろまく一橋ひとつばし治済はるさだである…、その仮説かせつを成り立たせるには、家基いえもとたかりに同行どうこうした小納戸こなんど小姓こしょう一橋ひとつばし家と関係のある者でなければならない。

 もっと言えば家基いえもと一行がたかりの帰途きと、立ち寄った品川の東海寺にて家基いえもときょうされたちゃ菓子がし、その毒見どくみをした小納戸こなんど、あるいは給仕きゅうじをした小姓こしょういずれかの者か、それともすべての者が一橋ひとつばし家の関係者、それも例えば、岩本いわもと正五郎しょうごろうのような縁者えんじゃである必要があった。

 だが実際にはそれら小納戸こなんど小姓こしょう一橋ひとつばし家と縁があるどころか、清水家と縁がある者たちばかりであった。ことに三浦みうら左膳さぜんは清水重好しげよしとは従兄弟いとこ同士である。これでは家基いえもとを殺した黒幕くろまく一橋ひとつばし治済はるさだではなく、清水重好しげよしということになる。

「いや、待てよ…、毒見どくみ役なら確か、もう一人の小納戸こなんどがいただろ…、石場いしば何とかって野郎が…」

 益五郎ますごろうはそこに「希望」をつなぐことにした。

 だがその「希望」もすぐに打ちくだかれた。

「それなのだが…」

 横田よこた準松のりとしが暗い表情で割って入った。

石場いしば弾正だんじょう政恒まさつねは…、清水殿につかえし弟を持っているのだ…、采女うねめ定門さだかどと申して…、それも采女うねめは清水殿がまだそのご幼名ようみょうであらせられし萬次郎まんじろうぎみられしみぎりより近習きんじゅうとしてつかえてこられ、今でも清水邸にて清水殿のそば近くにつかえておる…」

 準松のりとしの「解説」に益五郎ますごろうは思わず、「まじかよ…」とつぶやき、それに対して準松のりとしも力なくうなずいた。

「でも…、何か、出来できぎじゃね?」

 益五郎ますごろうはそんな疑問をき出した。

出来できぎとは?」

 家治が聞き返した。

「いえね…、二人の毒見どくみ役が清水家に縁のある小納戸こなんどなら、給仕きゅうじになった小姓こしょうまでが清水家に縁がある…、ああ、あんたのせがれだよな?」

 益五郎ますごろう大久保おおくぼ半五郎はんごろうの方を向いて確かめるようにそう言い、それに対して半五郎はんごろううなずいた。

「でも、考えてみれば変じゃねぇか?こうも都合つごうく、清水家に縁のある者ばっかりが集まるなんて…、これじゃあまるで、家基いえもと様を殺した黒幕くろまくは清水重好しげよしですよ、って喧伝けんでんするようなもんだろ?」

 確かに益五郎ますごろうの言う通りだと、家治は深くうなずいた。そこには重好しげよし黒幕くろまくではない、うらかえせば、

一橋ひとつばし治済はるさだこそが家基いえもと殺しの黒幕くろまくであって欲しい…」

 その願望がんぼうが、「きにしもあらず」であったが、それ以上に益五郎ますごろうのその主張そのものに説得力を感じたからであり、それが証拠に、家治のみならず、他の者たちも益五郎ますごろうのその主張に対して、家治と同じく深くうなずいていた。

「一体、誰が決めたんだ?この面子めんつ…、家基いえもと様のたかりにしたがったこいつらを決めたのは…」

 益五郎ますごろうがそう尋ねると、その問いには準松のりとし正明まさあきらが声をそろえて答えた。

御側おそば御用ごよう取次とりつぎであろう…」

 流石さすがに二人は御側おそば御用ごよう取次とりつぎだけあって即答そくとうした。

「ああ…、西之丸にしのまるにも御側おそば御用ごよう取次とりつぎっておかれんの?」

 益五郎ますごろう邪気じゃきにそう尋ねると、これにはさしもの準松のりとし正明まさあきら心底しんそこあきれた様子をのぞかせた。

「当たり前であろうが」

 やはり準松のりとし正明まさあきらはそう声をそろえた。

「それじゃあ…、当時の西之丸にしのまるにいた…、家基いえもと様につかえていた御側おそば御用ごよう取次とりつぎに聞けば何か分かるってこと?こいつらを家基いえもと様のたかりにしたがわせることにした経緯けいいについて…」

 益五郎ますごろうが今度はそう尋ねると、準松のりとし正明まさあきらも深く、そして同時にうなずいた。

「それで…、その当時の御側おそば御用ごよう取次とりつぎは…」

 益五郎ますごろうのその問いには御側おそば御用ごよう取次とりつぎ見習いの泰行やすゆきが答えてくれた。まるで己の「存在感」をアピールするかのごとく、であった。

「さればその当時…、おそれ多くも大納言だいなごん様がお最期さいごのご放鷹ほうよう、それにしたがわせしむる士籍しせきを決めしその当時…、安永8(1779)年2月、それも21日より前の御側おそば御用ごよう取次とりつぎ佐野さの右兵衛尉うひょうえのじょう茂承もちつぐ水上みずかみ美濃守みののかみ興正おきまさ、そして小笠原おがさわら若狭守わかさのかみ信喜のぶよしの三名にて…」

 泰行やすゆきはいやに丁寧ていねいに説明するなと、益五郎ますごろうはそう思った。これもやはり、手前てめぇの有能さを見せつけるためかと、益五郎ますごろうはてっきりそうはや合点がてんしたが、違った。

「されば今も存命ぞんめいの者は佐野さの右兵衛尉うひょうえのじょう小笠原おがさわら若狭守わかさのかみの二人にて…」

 泰行やすゆきがそう付け加えたので、それで益五郎ますごろう泰行やすゆきがわざわざ丁寧ていねいまえきをしたことにようやくに合点がてんがいった。と同時に、

「えっ、それじゃあ…、水上みずかみってのは死んだの?」

 その疑問を泰行やすゆきにぶつけ、そして泰行やすゆき益五郎ますごろうのそのしつけな疑問にもやはり丁寧ていねいに答えてくれた。

左様さよう…、さればおそれ多くも大納言だいなごん様がおかくれあそばされし2月の24日、それから一月ひとつきもせぬうちに…、3月10日に亡くなられたのだ…」

家基いえもと様が亡くなられてからすぐに死んだってこと?」

 益五郎ますごろうは疑わしげな様子で泰行やすゆきにそう尋ねた。事実、益五郎ますごろうはその死に…、水上みずかみ興正おきまさが死んだ「タイミング」を疑っていたのだ。

 すると泰行やすゆきにもそれが通じたらしく、

益五郎ますごろうは…、水上みずかみ美濃守みののかみが死に何か不審ふしんでもあると申すか?」

 泰行やすゆきはズバリ尋ねた。

「いやぁ…、不審ふしんってほどでもねぇけどさ…、でも…、家基いえもと様が亡くなってから一月ひとつきたねぇうちに死ぬなんて、何だかなぁ、ってさ…」

「気に入らぬ、と申すのだな?」

 家治が尋ねたので、「左様さいで…」と益五郎ますごろう会釈えしゃくしつつ首肯しゅこうした。
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