6 / 10
言わなくてよかった言葉
しおりを挟む
それは、ほんの些細なきっかけだった。
放課後、急に大雨が降り出して、 帰りのバスが遅れていると校内放送が流れた。
昇降口で待つ生徒たちがざわざわしている中、人気のない廊下の端に、凪の姿を見つけた。
一人だ。
それだけで、胸の奥が強く鳴った。
この数日、ずっと誰かと一緒にいる凪が、珍しくぽつんと立っている。
「凪」
声をかけると、凪がびくっと肩を震わせて振り向いた。
一瞬、逃げるような目をして、でも立ち止まる。
「……なに」
声は低く、距離を測るみたいな視線。
いつもなら、ふわりと香ってくるはずの匂いがしない。
「今日は、一人なんだな」
「たまたま。用事が早く終わっただけ」
短い答え。目を合わせようとしない。
その態度が、湊の胸にじわじわと染みてくる。
「最近さ」
言葉が、勝手に口をついて出た。
もう我慢できなかった。
「俺のこと、避けてるだろ」
凪は答えない。
視線を落としたまま、制服の裾を指先でぎゅっと握りしめている。
「兄貴とは話してるのに。 一緒に帰ってるのに」
その一言で、凪の肩がぴくりと揺れた。
ようやく顔が上がるけど、目は湊を避けている。
「……それ、関係ないよ」
「関係あるだろ!」
声が、思ったより大きくなった。
廊下に響いて、自分でもびっくりする。
「俺とは話さない。LINEも既読つけない。でも兄貴とは平気で歩いてる。何なんだよ、それ」
「違うってば」
凪が珍しく、はっきり否定した。
声に焦りが混じる。
「じゃあ何が違うんだよ! 理由、言えよ!」
沈黙が落ちる。
遠くで雨音が窓を叩く音だけが響いている。
凪は唇を噛んで、視線を泳がせたあと、静かに言った。
「湊は……αだから」
その言葉に、頭の中が一瞬白くなった。
全身の血が、逆流するみたいにざわつく。
「それだけ?」
問い返す声が震えている。
自分でも、情けないほど弱々しいのがわかる。
「それだけで俺から離れるのか?αとΩだからって、そんな理由で?」
凪はゆっくり顔を上げた。
その目には、困ったような、諦めたような、複雑な色が浮かんでいる。
「離れてるつもりはないよ。ただ……俺は、選ばれる側だから」
静かな声だった。
でも、その一言が胸に深く突き刺さる。
「αのほうが決めるんだ。誰と番になるか。誰を守るか。俺は、そういう立場じゃない。湊に負担かけたくない」
違う、と言わなきゃ。
今すぐ「そんなわけない」って否定しなきゃ。
でも、湊の口から出たのは、
一番、言わなくていい言葉だった。
「だったら、兄貴のほうが向いてるんじゃないか」
空気が凍りついた。
凪の表情が、ゆっくり固まっていく。
瞳の奥で、何かが音を立てて崩れるのがわかった。
「……そう思ってたんだ」
小さく、でもはっきりと、そう言った。
声に怒りも悲しみもない。ただ、静かな確信。
「ごめん」
湊は、ようやく自分が何て言ったのか理解した。
喉がカラカラに乾く。
「今の、違う。俺は―― そんなつもりじゃ――」
「もういいよ」
凪は、首を振って遮った。
いつもの穏やかな顔じゃない。どこか突き放されたような、冷めた表情。
「納得した。湊も、そう思ってるなら」
それだけ言って、背を向ける。
細い肩が、小さく震えてるのが見えた。
「待てよ!」
追いかけようとして、足が動かなかった。
引き留める資格が、自分にあるのかわからなかった。
さっきの言葉が、二人を切り裂いてしまったんだ。
凪の背中が、廊下の角を曲がる。
その瞬間、かすかに――花の香りがした。
押さえ込んでたものが、ほんの一瞬だけ漏れたみたいに。
甘くて切なくて、すぐに消えた。
湊は、その場に立ち尽くした。
雨音だけが、やけに大きく響いてる。
(……俺、何言ってんだ)
自分の声が、頭の中で何度もリプレイされる。
「兄貴のほうが向いてるんじゃないか」。
最悪の言葉。取り返しのつかない一撃。
帰り道、雨は小降りになっていたけど湊の頭の中は嵐のままだった。
家に着いても、夕飯も食べずに部屋に閉じこもる。
ベッドに突っ伏して、枕に顔を埋める。
LINEを見ると、凪のアイコンが既読にもならないまま。
今頃、あの言葉をどう思ってるんだろう。
兄貴の部屋から笑い声が聞こえてくる。
また、電話か何かしてるんだろう。いつも通りの余裕の声。
それが余計に腹立たしい。
(凪は、兄貴といるほうが安心なのかもな)
さっきの凪の言葉が、頭にこびりついて離れない。
「選ばれる側」「負担かけたくない」。
Ωだからこその、静かな諦め。
自分が、それを突き落とした。
スマホを握りしめて、打とうとする。
[さっきは悪かった。本当は違う]
[話したい]
でも、指が止まる。
送っても、傷つけた事実は消えない。
今さら「好きだ」って言っても、αの本能にしか聞こえない。
夜が深まるにつれて、後悔がどんどん膨らむ。
あの廊下で、ちゃんと「俺はお前を選びたい」って言えてたら。
「兄貴なんかやめろって、俺はお前じゃなきゃダメだ」って。
言えなかった。
タイミングを逃した。
雨はすっかり止んでいた。
窓から入る湿った風に、花の香りはどこにもない。
湊は、初めて、取り返しのつかない距離を感じた。
自分の一言が、幼馴染の絆を切り裂いてしまったことを。
翌朝、凪はいなかった。
Ωの特別教室とはいえ、朝礼前には顔を合わせるはずなのに。
休み時間に廊下で探してもいない。放課後も、校門にはいなかった。
LINEは、依然として未読のまま。
湊の胸に、空洞が広がっていく。
言わなければよかった言葉が、
二人を永遠に引き離してしまったのかもしれない。
放課後、急に大雨が降り出して、 帰りのバスが遅れていると校内放送が流れた。
昇降口で待つ生徒たちがざわざわしている中、人気のない廊下の端に、凪の姿を見つけた。
一人だ。
それだけで、胸の奥が強く鳴った。
この数日、ずっと誰かと一緒にいる凪が、珍しくぽつんと立っている。
「凪」
声をかけると、凪がびくっと肩を震わせて振り向いた。
一瞬、逃げるような目をして、でも立ち止まる。
「……なに」
声は低く、距離を測るみたいな視線。
いつもなら、ふわりと香ってくるはずの匂いがしない。
「今日は、一人なんだな」
「たまたま。用事が早く終わっただけ」
短い答え。目を合わせようとしない。
その態度が、湊の胸にじわじわと染みてくる。
「最近さ」
言葉が、勝手に口をついて出た。
もう我慢できなかった。
「俺のこと、避けてるだろ」
凪は答えない。
視線を落としたまま、制服の裾を指先でぎゅっと握りしめている。
「兄貴とは話してるのに。 一緒に帰ってるのに」
その一言で、凪の肩がぴくりと揺れた。
ようやく顔が上がるけど、目は湊を避けている。
「……それ、関係ないよ」
「関係あるだろ!」
声が、思ったより大きくなった。
廊下に響いて、自分でもびっくりする。
「俺とは話さない。LINEも既読つけない。でも兄貴とは平気で歩いてる。何なんだよ、それ」
「違うってば」
凪が珍しく、はっきり否定した。
声に焦りが混じる。
「じゃあ何が違うんだよ! 理由、言えよ!」
沈黙が落ちる。
遠くで雨音が窓を叩く音だけが響いている。
凪は唇を噛んで、視線を泳がせたあと、静かに言った。
「湊は……αだから」
その言葉に、頭の中が一瞬白くなった。
全身の血が、逆流するみたいにざわつく。
「それだけ?」
問い返す声が震えている。
自分でも、情けないほど弱々しいのがわかる。
「それだけで俺から離れるのか?αとΩだからって、そんな理由で?」
凪はゆっくり顔を上げた。
その目には、困ったような、諦めたような、複雑な色が浮かんでいる。
「離れてるつもりはないよ。ただ……俺は、選ばれる側だから」
静かな声だった。
でも、その一言が胸に深く突き刺さる。
「αのほうが決めるんだ。誰と番になるか。誰を守るか。俺は、そういう立場じゃない。湊に負担かけたくない」
違う、と言わなきゃ。
今すぐ「そんなわけない」って否定しなきゃ。
でも、湊の口から出たのは、
一番、言わなくていい言葉だった。
「だったら、兄貴のほうが向いてるんじゃないか」
空気が凍りついた。
凪の表情が、ゆっくり固まっていく。
瞳の奥で、何かが音を立てて崩れるのがわかった。
「……そう思ってたんだ」
小さく、でもはっきりと、そう言った。
声に怒りも悲しみもない。ただ、静かな確信。
「ごめん」
湊は、ようやく自分が何て言ったのか理解した。
喉がカラカラに乾く。
「今の、違う。俺は―― そんなつもりじゃ――」
「もういいよ」
凪は、首を振って遮った。
いつもの穏やかな顔じゃない。どこか突き放されたような、冷めた表情。
「納得した。湊も、そう思ってるなら」
それだけ言って、背を向ける。
細い肩が、小さく震えてるのが見えた。
「待てよ!」
追いかけようとして、足が動かなかった。
引き留める資格が、自分にあるのかわからなかった。
さっきの言葉が、二人を切り裂いてしまったんだ。
凪の背中が、廊下の角を曲がる。
その瞬間、かすかに――花の香りがした。
押さえ込んでたものが、ほんの一瞬だけ漏れたみたいに。
甘くて切なくて、すぐに消えた。
湊は、その場に立ち尽くした。
雨音だけが、やけに大きく響いてる。
(……俺、何言ってんだ)
自分の声が、頭の中で何度もリプレイされる。
「兄貴のほうが向いてるんじゃないか」。
最悪の言葉。取り返しのつかない一撃。
帰り道、雨は小降りになっていたけど湊の頭の中は嵐のままだった。
家に着いても、夕飯も食べずに部屋に閉じこもる。
ベッドに突っ伏して、枕に顔を埋める。
LINEを見ると、凪のアイコンが既読にもならないまま。
今頃、あの言葉をどう思ってるんだろう。
兄貴の部屋から笑い声が聞こえてくる。
また、電話か何かしてるんだろう。いつも通りの余裕の声。
それが余計に腹立たしい。
(凪は、兄貴といるほうが安心なのかもな)
さっきの凪の言葉が、頭にこびりついて離れない。
「選ばれる側」「負担かけたくない」。
Ωだからこその、静かな諦め。
自分が、それを突き落とした。
スマホを握りしめて、打とうとする。
[さっきは悪かった。本当は違う]
[話したい]
でも、指が止まる。
送っても、傷つけた事実は消えない。
今さら「好きだ」って言っても、αの本能にしか聞こえない。
夜が深まるにつれて、後悔がどんどん膨らむ。
あの廊下で、ちゃんと「俺はお前を選びたい」って言えてたら。
「兄貴なんかやめろって、俺はお前じゃなきゃダメだ」って。
言えなかった。
タイミングを逃した。
雨はすっかり止んでいた。
窓から入る湿った風に、花の香りはどこにもない。
湊は、初めて、取り返しのつかない距離を感じた。
自分の一言が、幼馴染の絆を切り裂いてしまったことを。
翌朝、凪はいなかった。
Ωの特別教室とはいえ、朝礼前には顔を合わせるはずなのに。
休み時間に廊下で探してもいない。放課後も、校門にはいなかった。
LINEは、依然として未読のまま。
湊の胸に、空洞が広がっていく。
言わなければよかった言葉が、
二人を永遠に引き離してしまったのかもしれない。
3
あなたにおすすめの小説
【16話完結】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている
キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。
今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。
魔法と剣が支配するリオセルト大陸。
平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。
過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。
すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。
――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。
切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。
お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /チャッピー
AI比較企画作品
夜が明けなければいいのに(洋風)
万里
BL
大国の第三皇子・ルシアンは、幼い頃から「王位には縁のない皇子」として育てられてきた。輝く金髪と碧眼を持つその美貌は、まるで人形のように完璧だが、どこか冷ややかで近寄りがたい。
しかしその裏には、誰よりも繊細で、愛されたいと願う幼い心が隠されている。
そんなルシアンに、ある日突然、国の命運を背負う役目が降りかかる。
長年対立してきた隣国との和平の証として、敵国の大公令嬢への婿入り――実質的な“人質”としての政略結婚が正式に決まったのだ。
「名誉ある生贄」。
それが自分に与えられた役割だと、ルシアンは理解していた。
部屋に戻ると、いつものように従者のカイルが静かに迎える。
黒髪の護衛騎士――幼い頃からずっと傍にいてくれた唯一の存在。
本当は、別れが怖くてたまらない。
けれど、その弱さを見せることができない。
「やっとこの退屈な城から出られる。せいせいする」
心にもない言葉を吐き捨てる。
カイルが引き止めてくれることを、どこかで期待しながら。
だがカイルは、いつもと変わらぬ落ち着いた声で告げる。
「……おめでとうございます、殿下」
恭しく頭を下げるその姿は、あまりにも遠い。
その淡々とした態度が、ルシアンの胸に鋭く突き刺さる。
――おめでとうなんて、言わないでほしかった。
――本当は、行きたくなんてないのに。
和風と洋風はどちらも大筋は同じようにしようかと。ところどころ違うかもしれませんが。
お楽しみいただければ幸いです。
happy dead end
瑞原唯子
BL
「それでも俺に一生を捧げる覚悟はあるか?」
シルヴィオは幼いころに第一王子の遊び相手として抜擢され、初めて会ったときから彼の美しさに心を奪われた。そして彼もシルヴィオだけに心を開いていた。しかし中等部に上がると、彼はとある女子生徒に興味を示すようになり——。
【完結】忘れてください
仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
愛していた。
貴方はそうでないと知りながら、私は貴方だけを愛していた。
夫の恋人に子供ができたと教えられても、私は貴方との未来を信じていたのに。
貴方から離婚届を渡されて、私の心は粉々に砕け散った。
もういいの。
私は貴方を解放する覚悟を決めた。
貴方が気づいていない小さな鼓動を守りながら、ここを離れます。
私の事は忘れてください。
※6月26日初回完結
7月12日2回目完結しました。
お読みいただきありがとうございます。
出戻り王子が幸せになるまで
あきたいぬ大好き(深凪雪花)
BL
初恋の相手と政略結婚した主人公セフィラだが、相手には愛人ながら本命がいたことを知る。追及した結果、離縁されることになり、母国に出戻ることに。けれど、バツイチになったせいか父王に厄介払いされ、後宮から追い出されてしまう。王都の下町で暮らし始めるが、ふと訪れた先の母校で幼馴染であるフレンシスと再会。事情を話すと、突然求婚される。
一途な幼馴染×強がり出戻り王子のお話です。
※他サイトにも掲載しております。
貧乏子爵のオメガ令息は、王子妃候補になりたくない
こたま
BL
山あいの田舎で、子爵とは名ばかりの殆ど農家な仲良し一家で育ったラリー。男オメガで貧乏子爵。このまま実家で生きていくつもりであったが。王から未婚の貴族オメガにはすべからく王子妃候補の選定のため王宮に集うようお達しが出た。行きたくないしお金も無い。辞退するよう手紙を書いたのに、近くに遠征している騎士団が帰る時、迎えに行って一緒に連れていくと連絡があった。断れないの?高貴なお嬢様にイジメられない?不安だらけのラリーを迎えに来たのは美丈夫な騎士のニールだった。
王太子殿下に触れた夜、月影のように想いは沈む
木風
BL
王太子殿下と共に過ごした、学園の日々。
その笑顔が眩しくて、遠くて、手を伸ばせば届くようで届かなかった。
燃えるような恋ではない。ただ、触れずに見つめ続けた冬の夜。
眠りに沈む殿下の唇が、誰かの名を呼ぶ。
それが妹の名だと知っても、離れられなかった。
「殿下が幸せなら、それでいい」
そう言い聞かせながらも、胸の奥で何かが静かに壊れていく。
赦されぬ恋を抱いたまま、彼は月影のように想いを沈めた。
※本作は「小説家になろう」「アルファポリス」にて同時掲載しております。
表紙イラストは、雪乃さんに描いていただきました。
※イラストは描き下ろし作品です。無断転載・無断使用・AI学習等は一切禁止しております。
©︎月影 / 木風 雪乃
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる